ひまわりの種312 [幸せ]

最近は、あまり使わないかもしれないけれど、『哲学(てつがく)』という言葉がある。

『哲学(てつがく)』とは、辞書(じしょ)で調べると、世界・人生などの根本原理(こんぽんげんり)を追求(ついきゅう)する学問とあり、もう少し現実的に言うと、各人の経験に基(もと)づく人生観(じんせいかん)や世界観を言い、物事を統一的(とういつてき)に把握(はあく)する理念(りねん)だそうです。

たとえば、「仕事に対して哲学をもつ」とか、「人生の哲学」などのように使うことが多い。

わかりやすく言えば、たとえば、「おれは男だから、男らしく生きるんだ!」というのも哲学だと思う。

「私は、女性だから、女性らしい生き方をしたい。」というのも哲学だと思う。

ひとつの世界観や人生観から、ものごとを考え、行動して生きる・・・。
それが、哲学だと思う。

だから、根本的(こんぽんてき)には、意識(いしき)する、しないは別として、自分の信じる哲学に基(もと)づいて行動し、生きていると言えると思う。

逆(ぎゃく)に、その哲学がないと、人の生き方は、フラフラした、行き当(あ)たりばったりの人生になってしまうと言えます。

また、その自分の哲学が、浅(あさ)はかだと、自分の人生は、思うようにならない、すなわち、なかなか幸せにはなれない人生、生き方になってしまうと言えます。

また、もっと怖(こわ)いことに、自分がもっている哲学が、間違(まちが)っていたとしたら、その人は、間違った生き方、人生を歩(あゆ)むことになり、幸せとは正反対の人生、すなわち、不幸なる人生を歩(あゆ)むことになる。

だから、意識する、しないは別(べつ)として、人間にとって、人生にとって、『哲学(てつがく)』とは、重要(じゅうよう)な意味と結果を、ともなってしまうと、いうことです。

『哲学』とは、本当は、ものすごく重要なんです!

その哲学いかんによって、自分の生き方が決まり、人生が決まっていくと言えます。

もし、自分の人生は、うまくいっていない・・。自分の人生は不幸だと思っているのだったら、それは、自分の持っている『哲学(てつがく)』が間違(まちが)っていると、考えるべきでしょう。

そして、ほんとうに正しい哲学、ほんとうに幸せになっていける哲学を、求めるべきでしょう。


その、ほんとうに正しい哲学、ほんとうに幸せになっていける哲学。
悩みや問題を解決していけ、夢や希望を実現(じつげん)していける哲学が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと言えます。

この創価学会(そうかがっかい)が実践する『南無妙法蓮華経の仏法』ほど優(すぐ)れた、素晴らしい哲学は、この世界に存在(そんざい)しません。

それが、創価学会の、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法です。

この、創価学会の仏法(ぶっぽう)の哲学は、どんな角度から見たとしても、非(ひ)の打(う)ち所(どころ)のない、完璧(かんぺき)な哲学です。

たとえば、宇宙的な規模(きぼ)で考えたとしても、あるいは、生命という次元(じげん)から考えたとしても、あるいは、幸福という観点(かんてん)から考えたとしても、正しい人生、最高の人生ということから考えたとしても、環境(かんきょう)や自然、平和という観点から考えたとしても、あるいは、悩みや問題の解決ということから考えたとしても、また、夢や希望の実現ということから考えたとしても、人生の充実感(じゅうじつかん)、喜び、人生にもたらす歓喜(かんき)から考えたとしても、すべてにおいて、完璧(かんぺき)で、無駄(むだ)が なく、あらゆるすべての現象(げんしょう)において、最高の結果、最高の満足をもたらすものが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の哲学です。

ゆえに、当然(とうぜん)、勝っていける!
幸せになっていける!
悩みを解決していける!
夢や希望をかなえていける!

それが、創価学会の仏法の哲学です。


さきほど、話したように、人生において、生きることにおいて、『哲学(てつがく)』は重要です。
人生を左右します。

そして、その哲学の中で、必ず勝っていける、必ず、幸せになっていける、絶対にして、唯一(ゆいいつ)の法則(ほうそく)と言える哲学が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・。


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ひまわりの種307 [幸せ]

日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の御書(ごしょ)に、こう、あります。

『一度(ひとたび)、妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)と唱(とな)うれば一切(いっさい)の仏(ほとけ)・一切の菩薩(ぼさつ)・一切の声聞(しょうもん)・一切の梵王(ぼんのう)・帝釈(たいしゃく)・閻魔(えんま)・法王(ほうおう)・日月・衆星(しゅうせい)・天神(てんじん)・地神(ちじん)・乃至(ないし)地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人天(にんてん)・一切衆生(いっさいしゅじょう)の心中(しんちゅう)の仏性(ぶっしょう)を唯(ただ)一音(いちおん)に喚(よ)び顕(あらわ)し奉(たてまつ)る功徳(くどく)・無量無辺(むりょうむへん)なり。』

ちなみに、御書(ごしょ)とは、日蓮大聖人が書かれた論文や手紙を、すべて集めたものをいいます。


池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)は、ありとあらゆる人びとから、そして、ありとあらゆる環境(かんきょう)から、仏性(ぶっしょう)を呼び起こし、一切を蘇生(そせい)せしめていく音律(おんりつ)である。』

上にあげた日蓮大聖人のご文の中の、菩薩(ぼさつ)、声聞(しょうもん)・梵王(ぼんのう)・帝釈(たいしゃく)・閻魔(えんま)・法王(ほうおう)・・・や地獄・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人天(にんてん)などは、生命と宇宙の働(はたら)きと力(ちから)、さまざまな可能性や影響力(えいきょうりょく)、また、生命に内在(ないざい)する特性(とくせい)や性質、人それぞれの境涯(きょうがい)や心の変化を、言葉で表現したものですが、それらを動かし、無限の幸せをもたらしていける『仏性(ぶっしょう)』という仏(ほとけ)の生命を、一言(ひとこと)で呼び覚(さ)まし、動かしていけるのが、『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』だということです。

仏(ほとけ)の生命を呼び起こすといっても、よくわからないと思いますが、自分の中にある、あるいは生命や宇宙の中にある、幸せをもたらす力(ちから)、希望の力、さまざまな悩みを解決し、夢をかなえていける無限のエネルギーを引き出し、呼び起こしていくと、いうことです。

その、あらゆる幸せの力を呼び覚(さ)ましていける力が、たった一言の『南無妙法蓮華経』にはある!!ということです。

『仏(ほとけ)の生命』の力とは、そのように無限の幸せと希望をもたらす生命の力だということです。

その、宇宙や世界、人間や生命の中から、無限の幸せと希望をもたらす、『キーワード』となる音律(おんりつ)が、『南無妙法蓮華経』だということです。


たとえば、公園に、山田さんが100人、いたとします。

そうすると、その公園で、「山田さーーん!」と呼ぶと、100人の山田さんが、「はーい!」と答える。

それと同じように、南無妙法蓮華経を、となえる時、南無妙法蓮華経とは、「仏の生命の名前」「仏性(ぶっしょう)の名前」なので、呼ばれて、全宇宙の仏性(ぶっしょう)が「はーい」と返事をする。
また、自分の中の仏性も、呼ばれて、返事をする。

あらゆる環境(かんきょう)、あらゆる世界、また自分の中にある仏性も、呼ばれて、「はーい!」と返事をして、引き出されていく。

そうすると、南無妙法蓮華経とは、仏性(ぶっしょう)とは、幸せをもたらす無限の力なので、自分の中から、幸せになるための力が引き出され、また、環境や世界からも、幸せをもたらす力が引き出されていく。

その結果、さまざまなことが好転(こうてん)し、幸せをもたらし、また、自分自身の中から引き出された仏性によって、自分も幸せに変わっていく。

それが、『南無妙法蓮華経』だということです。

だから、ぼくたちが、南無妙法蓮華経をとなえる時、全宇宙の、あるいは世界や環境から、幸せをもたらす無限の力である『仏性(ぶっしょう)』が呼ばれて、引き出される。

また、自分で南無妙法蓮華経をとなえることによって、その自分自身の中から、仏性、すなわち、幸せをもたらす無限の力が、呼ばれて引き出されていく。

その幸せをもたらす、無限の相乗効果(そうじょうこうか)が、創価学会の人たちが、日々、となえるている、『南無妙法蓮華経』だということです。

だから、創価学会の人たちが、幸せにならないはずがないんです・・!!
また、だから、創価学会は世界192カ国に広がり、人々を現実に幸せにしている!!

だから、どんな困難(こんなん)があったとしても、南無妙法蓮華経を真剣にとなえていくことによって、困難を乗り越(こ)え、幸せになっていける。

どんな悩みがあったとしても、真剣に南無妙法蓮華経をとなえることによって、自身の生命から幸せの力を引き出し、変革(へんかく)し、悩みを解決していける。

また、日々、真剣に南無妙法蓮華経をとなえて、仏法(ぶっぽう)の実践(じっせん)活動である、創価学会の活動をやっていくことによって、自身の境涯(きょうがい)を変え、人間革命していくことができる。

やがてそれは、夢や希望をかなえ、幸せと勝利につながっていく!

あらゆるものを動かし、あらゆるものを変革(へんかく)していく。
あらゆる幸せを引きつけ、勝利させていく。
また、自分自身が、本源的(ほんげんてき)に、幸せに変わっていく!!


それができる、決定的で、唯一(ゆいいつ)の法則(ほうそく)であり、力であり、エネルギーが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!!


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ひまわりの種302 [幸せ]

ぼくは、創価学会員だから、普通に聖教(せいきょう)新聞を、読んでいる。創価学会員がみんな、必ず聖教新聞を読んでいるわけではないけれど、一般的に、真面目に創価学会(そうかがっかい)の信心をやっている人は、聖教新聞を読んでいる。

なぜ、聖教新聞を読むのかと、自分に問いかけてみると、それは、自分が「幸せを求めている」からだと思う。

もし、ぼくが、幸せを求めていなかったら、聖教新聞は、読まないでしょう・・・。

そう考えてみると、聖教新聞は、「幸せ」にポイントと重点を置いた新聞であることが、わかる。

普通、新聞というと、その時々にあった事件や出来事や話題などが、のっている。また、それだけではなく、その新聞独特(どくとく)の解釈(かいしゃく)というか、それぞれの新聞に思想性(しそうせい)があり、傾向性(けいこうせい)がある。

この新聞はあっちよりの傾向があり、あの新聞はそっちよりの傾向があったりする。よく言うように、思想的に、右よりだとか、左よりだとかと表現することもできる。

こっちの新聞は反対だと言い、あっちの新聞は賛成だという場合もある。同じ物事にも、さまざまな考え方があり、それはそれで当然(とうぜん)だと思う。

細かい部分から言えば、新聞には思想の対決のような部分もあるかもしれない。
一方は反対、もう一方は賛成。それは当然、それが良いと判断(はんだん)して書いてあるのだけれど、その賛成と反対の狭間(はざま)で、時として、置(お)き去(ざ)りにされてしまうものがある。

それが、「人間の幸せ」だと思う。

特に、庶民(しょみん)の幸せ。決して、新聞にはのることのないような、名もない民衆たちの幸せ・・。

この名もない民衆たちの幸せが、置き去りにされてしまう場合がある。

逆に言えば、どうしようもないからだと言うこともできる。世の中に埋(う)もれているような、庶民たちを幸せにできる方法や手段(しゅだん)が見当(みあ)たらないし、またそれらの人々の悩みや苦しみを解決する確実で具体的な方法もない。だから、それらの名もない民衆たちの幸せが、新聞にのることは、あまりない・・・。

また、有名人や著名人(ちょめいじん)の死や、それにかかわる病気について、新聞にのることはあっても、その大変な病気や障害(しょうがい)を乗り越(こ)え、蘇生(そせい)していった話しも、あまり新聞に乗る事がない。

それは、当然であり、どんなに有名であろうと、財力(ざいりょく)があろうと、困難な病気を乗り越え、勝利した話しなど、ほとんど無いからです。 だから、そういう蘇生(そせい)のドラマが新聞にのることも、あまりない。

ところが、聖教新聞には、いま、上げたような、普通、新聞にのることのない物語、ストーリー、ドラマが、ことごとく、のっている。それは、大変な病気を乗り越え、勝利していった物語であり、経済的にも大変な苦境(くきょう)を勝ち越え、幸せを勝ち取った物語であり、また障害(しょうがい)を乗り越え、蘇生(そせい)していった物語でもある。また、他の新聞では決して、のることのないような、名もない庶民たちの勝利と幸せの凱歌(がいか)が高らかに歌われているのが、聖教新聞だと言える。

それは、まぎれなもない現実の結果であり、元(もと)を正せば、歴史の上でも、だれも、どうしようもなかった、民衆の幸せ、名もない庶民を、現実に幸せにしていける法則(ほうそく)と哲学(てつがく)が、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰にはある!!ということです。

ゆえに、現実の科学的な証拠(しょうこ)として、数えきれない多くの民衆の幸せを、新聞にのせることができる。また、それだけの希望を生み出す力(ちから)が、聖教新聞にはある!ということもできます。

普通だったら、決して新聞にのるようなことはなかった、名もない民衆の勝利と幸せ・・!

その民衆の壮大(そうだい)な叙事詩(じょじし)。その民衆の勝利の歌が、聖教新聞なのかもしれない。

だから、聖教新聞は、『幸せを求める人』が読む新聞だと思う。
そして、『幸せになる答え』が必ずある!のが、聖教新聞だと思う。
また、これほど、人間に、ひとりの人間に、民衆に、希望を贈(おく)ることのできる新聞もない!と思う。

だれも、表立(おもてだ)って言ったりしないかもしれないけれど、探し求めている『幸せの本質(ほんしつ)』
そして、幸せという現実の結果・・!

その『幸せの本質』と『幸せという結果』に、真(しん)に、具体的に、現実的 に、直結(ちょっけつ)している新聞が、聖教新聞だと思う・・・!


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ひまわりの種301 [幸せ]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『信念と努力が報(むく)われるには、正しい人生の軌道(きどう)を知らねばならない。幸福を欲(ほっ)して、ひたすら努力しながら、不幸に泣(な)く人のいかに多いことか。生命の法理(ほうり)に即(そく)してこそ、信念は輝(かがや)き、努力は実を結(むす)ぶのである。』

努力と信念は、報われる・・。
そう信じるのは、大切かもしれない。また、努力しなかったら何かに成功したり報(むく)われることはない。けれど、 池田先生も言っていますが、幸福を欲(ほっ)して努力しながら、不幸に泣く人がいかに多いことか・・。そう考えると、努力が必ず報われるとはかぎらない・・と言えます。

なぜ、努力が報われないのか・・?

それは、その人の人生が、その人の生命が、『生命の法則(ほうそく)』に即(そく)していない。生命の法則からずれているからだと言えます。

宇宙には法則があり、リズムがあり、幸せをもたらす法則がある。その幸せをもたらす法則に乗って生きていった時、努力は報われ、夢や希望をかなえて幸せになってける。

また、逆(ぎゃく)に言えば、宇宙の法則、生命の法則の軌道(きどう)にのって、生きていった時、自然と幸せになるための努力、行動ができるようになっていく。幸せになるための努力と行動ができていけば、当然、幸せになっていける。
そう言えると思う。

また、宇宙の法則、生命の法則に即(そく)した人生、生き方をしていると、同じ努力をするにしても、最高の努力、最高の行動ができるようになっていく。
皆、努力しているのは同じだから、そうなると、最高の努力、最高に価値(かち)のある行動をできた人が、幸せとなり、勝利者となっていく。

そうなると、やはり、宇宙の法則、生命の法則にかなった生き方をした人が、結局(けっきょく)、幸福になり、勝利していく・・!

それが、『人生のあや』だと、言える。

だから、人生の正しき軌道(きどう)、生命の法則を知らなければならない。

知ると言っても、ただ知識として知ってもなんの意味もない。
自分でその正しき生命の法則の中に生き、生命の法則にのっとって、生きなければ意味がない。

けれど、そんなことは、至難の技(しなんのわざ)であることは、わかりきっている。

その、普通、考えて至難の技であるはずの、生命の法則の中で生きること。幸福になる生命の軌道に即(そく)して、幸福と勝利の流れをつかみ、その幸せの軌道の中で生きていける、唯一(ゆいいつ)にして決定的な方法が、創価学会の、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。 だから、創価学会の人たちは、世界中で勝利し、最大限、夢や希望をかなえて、幸せを勝ち取っている。

それができるのが、創価学会(そうかがっかい)の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

また、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、ただ、努力が報われるということではない。

もっと、強力な、もっと画期的(かっきてき)な、幸せをつかむ力(ちから)がある・・!

それは、宿命転換(しゅくめいてんかん)ができる!ということです。

どんな悩みや苦しみ、どんな不運をもっていたとしても、その不運や悩み、苦しみを転換(てんかん)して、乗り越(こ)え、その上の幸せをつかんでいける!!
ということです。

これができるのは、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰だけです!

これしかありません!!!

だから、強い!
幸せになっていける。
だからこそ、努力が報われ、悩みや困難(こんなん)を乗り越え、勝利していける。

宿命転換(しゅくめいてんかん)ができるから、夢や希望をなかえていける!!


それが、努力が報(むくわ)われる生き方。自身の生命と人生を、幸せに変革していける生き方。
また、宇宙の法則であり、生命の法則であり、幸せになる人生の法則である、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです・・・!


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ひまわりの種296 [幸せ]

ジョン・レノンが、ビートルズを解散(かいさん)したとき、言っているそうです。

『ビートルズは、欲しいだけの富(とみ)と名声(めいせい)を手に入れた。
そして、何も持っていないことに気づいた・・。』


どんなに富(とみ)や名声があったとしても、何も持っていない・・。

それは、富や名声は、普通、一般的に、だれでも欲(ほ)しいと思う。
けれど、それらによって、本当に幸せになるか?といったら、そうではないのかもしれない・・。

人は、何かを求めている・・。
それは、結局(けっきょく)のところ、『幸せ』なんだと思うけれど、その「幸せ」は、富や名声にあるのではない!ということだと思う。

財産や名声は、幸せを感じる一部分のものではあるかもしれない・・。
かといって、財産や名声があるから、幸せということではない!ということだろうか・・。

本当の幸せとは、なんだろうか・・。
本当に人間が持てる幸せとは、なんだろうか・・。

それは、生命の中にほとばしる『歓喜(かんき)』であり、溢(あふ)れんばかりの充実(じゅうじつ)であり、自分の中の確固(かっこ)とした絶対崩(くず)れない太陽のような輝(かがや)きなんだと思う。

人は、本質的に、それを求めているんだと思う。
ジョン・レノンも、そのような何かを、求めていたんだと思う。

けれど、それは、富や名声の中には、なかった。そこには、ジョン・レノンが求めたものはなかったんだと思う。

富や名声を求めている人は、それをつかむことに夢中だろうし、きゅうきゅうとして、それどころではない人々にとっては、富や名声は、憧(あこが)れかもしれない。

けれど、かりに、富や名声にたどり着いたとしても、そこに、本当の幸せはないんだと思う・・。

人は、本当は、それを求めているのではない・・!

人が、求めているのは、本当の幸せです。

実は、その本当の幸せをつかむことのできる場所が、『創価学会(そうかがっかい)』であると、断言(だんげん)することができる。

ここに、創価学会の決定的な存在価値(そんざいかち)がある・・・!!

自分の生きている意味とは、何なのか・・?

自分の存在価値とは、なんなのか・・?

その意味と価値(かち)に目覚(めざ)めた時、人は、躍動(やくどう)し、歓喜して、生命の底(そこ)から幸せを感じる。

その生きている意味と、存在価値を、明確につかみ、開花させていける場所が、創価学会であり、また、それを可能にするのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

それは、ただ単(たん)に、生きている意味と存在価値を感じるというのではなく、そのことによって、自分の生命を飛躍(ひやく)させ、悩みや問題を解決したり、夢や希望を、かなえていく結果となっていく。

その原動力(げんどうりょく)が、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)だということです。


南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、『歓喜の中の大歓喜』だと言う。

それは、南無妙法蓮華経をとなえることによって、本当の幸せを、つかむことのできる証(あかし)だと思う。

また、『南無妙法蓮華経は、蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』という。

それは、南無妙法蓮華経を、となえることによって、生きている意味、自(みずか)らの価値、使命にめざめることによって、根源(こんげん)から、自分の生命が蘇生(そせい)し、そのことによって、さまざまな悩みを克服(こくふく)できたり、壁(かべ)や困難(こんなん)を乗り越(こ)える力となって人生を飛躍(ひやく)させていく。

また、病気などの時は、南無妙法蓮華経を、真剣に、となえていくことによって、本当に病気を克服する、大きな力(ちから)となっていく。

それは、おそらく、生命の根源から、本当の幸せが、目覚めていく結果ではないかと、思う。

また、真剣に南無妙法蓮華経を、となえぬき、創価学会の活動をやりきっていった時の、歓喜と感動、清々(すがすが)しい生命の躍動(やくどう)は、言葉では言いあらわせないほど、計(はか)り知れない。

それは、幸せそのものと言っても、いいと思います。

ジョン・レノンが、
『ビートルズは、欲しいだけの富(とみ)と名声(めいせい)を手に入れた。
そして、何も持っていないことに気づいた・・。』と言いましたが、
富や名声では、決して、つかむことのできないもの・・。
人間が、心の底で、願っている、『本当の幸せ』・・。

その本当の幸せをつかむことのできる場所が、創価学会であり、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だと、いうことができます・・・!!


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ひまわりの種291 [幸せ]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『仕事と信心(創価学会の信心)は、別々(べつべつ)ではない。むしろ、仕事を最大に充実(じゅうじつ)させていく原動力(げんどうりょく)が、信心であり、学会活動なのです。』

また、日蓮大聖人は、言っています。

『御(おん)みやづかいを法華経(ほけきょう)とをぼしめせ。「一切世間(いっさいせけん)の治生産業(ちせいさんぎょう)は皆(みな)実相(じっそう)と相違背(あいいはい)せず」とは此(こ)れなり。』

と言っていますが、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、宇宙の法則(ほうそく)であり、生命の法則なので、 その法則通りの創価学会の実践は、その宇宙のエネルギー、宇宙の力、生命の力を発揮(はっき)していくことになり、現実の社会における実生活も、 より良く向上(こうじょう)し、明確な結果として、あらわれてくる!ということです。

もちろん、創価学会の信心をしていれば、仕事をさぼっていてもいいとか、そういう棚(たな)ぼた的なことではなく、創価学会の信心を真面目に取り組み、仕事も全力で取り組んでいったとき、大きな結果として花開いていくということです。

だから、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰は、必ず努力が報(むく)われる法則(ほうそく)だと、いうことができます。

日蓮大聖人が、『一切世間(いっさいせけん)の治生産業(ちせいさんぎょう)は皆(みな)実相(じっそう)と相違背(あいいはい)せず』と言っていますが、よく、営業の世界でも、創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰と活動を全力でやっていた時は、成績も良く、トップクラスの実績をあげることができた!という話しを聞く。

また、時々、あるのが、ちょっといい気になって、これが自分の実力だと過信(かしん)して、創価学会の信心と活動をやらなくなると、あっというまに営業成績が悪くなり、窮地(きゅうち)に追い込(こ)まれたという話しも、聞く。

そして、「やっぱり創価学会の信仰と活動は重要なんだ!」と気づき、また、学会活動と信心を真剣にやり始めるという話しも、聞きます。

それが、日蓮大聖人の言う『一切世間(いっさいせけん)の治生産業(ちせいさんぎょう)は皆(みな)実相(じっそう)と相違背(あいいはい)せず』ということだと思う。

また、それが宇宙の法則であり、生命の法則であり、それだけの力とエネルギーが創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰には、ある!ということだと思う。

日蓮大聖人が『一切世間(いっさいせけん)の治生産業(ちせいさんぎょう)は皆(みな)実相(じっそう)と相違背(あいいはい)せず』と言っている、その『実相』というのが、『南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)』だということです。

だから、南無妙法蓮華経の仏法が実相(じっそう)なんだから、その実相である南無妙法蓮華経の仏法を真面目に実践していくことによって、実相が充実(じゅうじつ)し輝(かがや)いていけば、それにともない『世間の治生産業』である社会における結果も良好(りょうこう)になり幸せになっていく!ということです。

これが、宇宙の法則であり生命の法則だということができます。

また、どんなに仕事に打ち込(こ)んでも、どうにもならない場面に出くわすこともある。どうにもこうにも、にっちもさっちもいかない。大きな壁(かべ)であり、絶対絶命(ぜったいぜつめい)の苦境(くきょう)に陥(おちい)ることもある。

実は、そういう時こそ、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、必要になってくる。

その宿命(しゅくめい)ともいえる、絶体絶命の苦境や大きな壁(かべ)、それらのどうにもならないようなピンチを乗り越(こ)え、宿命を転換(てんかん)して、幸せを勝ち取っていける決定的で唯一(ゆいいつ)の力と言えるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです。

そういう時は、はっきり言って、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法しかない!!と言い切ることができます。

宿命を転換(てんかん)していく力、困難(こんなん)を打開し、幸せをつかんていく究極(きゅうきょく)の法則であり力(ちから)が、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法なんです。

この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法によって、その絶体絶命のピンチを、どれだけの人が乗り越えてきたことか・・!
また、ピンチを乗り越え、どれだけの人が幸せを勝ち取っていけたか・・・!

それは、計(はか)り知れない・・・!

だから、創価学会は、世界192カ国に広がっている。

それが、幸せを勝ち取っていく実相(じっそう)であり実体(じったい)だともいえる『南無妙法蓮華経の仏法』であり、また、個人や社会、世界を、本当の意味で幸せにしていける、平和にしていける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!


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ひまわりの種271 [幸せ]

創価学会の人たちは、創価学会が信望(しんぼう)しているご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経をとなえて祈る、仏法(ぶっぽう)の信仰をしているわけですが、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、その、『ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる』ということについて、次のようなことを言っています。

『ありのままの姿(すがた)でいい。ご本尊(ほんぞん)を「根本中の根本(こんぽん)」と尊敬して、素直(すなお)に、子どもが「お母さーん」と抱(だ)きついていくような気持ちで、ぶつかっていくことです。
苦しければ苦しいまま、悲(かな)しければ悲しいまま、つくろわず、飾(かざ)らず、背伸(せの)びせず、ありのままの心で唱題(しょうだい/南無妙法蓮華経をとなえること)していけばいいのです。』

※ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。


創価学会の南無妙法蓮華経をとなえて祈る信仰のスゴイところは、べつに難(むずか)しい理屈(りくつ)は、いらないということです。ありのままの自分で、ありのままに、ご本尊に祈っていくことによって、結果が出てくる。すなわち、悩みや問題を解決できたり、夢や希望をかなえていけるようになっていく!ということです。

ご本尊に祈るということに対して、まったく差別(さべつ)がない。だれが祈っても、だれがこの創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰をやったとしても、幸せになっていける。勝利していける。

それは、この創価学会のご本尊と、南無妙法蓮華経の仏法が、絶対に人を選ばず、どんな人のどんな願いにも対応(たいおう)して、最高の答えを出してくれるということです。

もちろん、めちゃくちゃな願いが、かなうことはないし、棚(たな)からぼた餅(もち)みたいなこともない。なぜなら、それらの願いがかなわないことが、その人にとって最高の結果だからです。努力や行動をしないで幸せになることはないと、いうことです。

ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえていくと、自分が幸せになるためには、どうしたらいいかが、わかってくる。自分にとって、最高の努力と行動が、なぜだかできるようになっていく。どうしてそうなるかと言うと、南無妙法蓮華経をとなえることによって、自分の中から、本当の使命(しめい)をはたすための生命力が、わき上がってくるからです。そして、夢や希望に向かって、本当の挑戦、ほんとうの人生の戦いが、できるようになってくる。

だから、幸せになるんです!
だから、勝利していけるんです!

その無限の生命力と知恵、人生に勝っていくための、さまざまなアイデア、また、情熱や行動力が、なぜだか、自分の中から、湧(わ)き上がってくる。そして、現実に努力し、行動していくことができるようになっていき、やがて、悩みを解決できたり、夢や希望をかなえて、幸せになっていけるんです。

その究極(きゅうきょく)にして無限の生命力であり、創造力(そうぞうりょく)であり、エネルギーであり、幸せを引きつける引力(いんりょく)のような力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです。

単純(たんじゅん)なようで、ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえることほど、スゴイことはないんです。これほど確実で、これほど効果(こうか)があり、これほど人生の勝利の道を歩んでいける方法は、ないんです。

創価学会二代会長の戸田先生が、
『ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえる祈ることが、幸せになっていく最も近道になる!』
と言っていましたが、その通りなんです。

しかも、それは人を選ばない。

だれが祈っても、どんな環境(かんきょう)の人が祈っても、またどんな悩みがあったとしても、どんな問題をかかえていても、すべての人が、やったらやっただけ、 一人も残らす、幸せになっていけ、勝利の道を歩んでいける。

しかも、それは、難(むずか)しいことはいらない。

ありのままの自分で、自分の思いそのままを、ぶつけて祈っていけばいい。

そうしていった時、どんな人でも、最高の幸せの結果をもたらしていけるのが、創価学会の、ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえて祈る、仏法の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種269 [幸せ]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『地位(ちい)や財産を手にしても、それで幸福とは限らない。また、今、幸福のようであっても、それがいつまで続くかわからないのが現実です。真の幸福は、どのような境遇(きょうぐう)にあったとしても、「今から」「ここから」自分で創(つく)り出していくものです。』

地位や財産は、当然(とうぜん)、ほしいと思うけれど、地位や財産をつかんだからといって、じゃあ実際(じっさい)、幸せかと思ってみたら、そうでもないこともあるかもしれない。そして、確かに、今、幸せのようであっても、それがいつまでも続く保証(ほしょう)はない。また、いままであった幸福が、 あっというまに崩(くず)れてしまうような世の中が、現代という時代なのかもしれない。

そんなこと考えても、きりがないじゃないか・・・と言うかもしれない。けれど、そう考えた時、不安を覚(おぼ)えるのは、その人は、ほんとうには、幸せではないということなのかもしれない・・。

池田先生が、言っている。
『幸福は、「今から」「ここから」創(つく)り出していくもの。』

今を切り開き、今を起点(きてん)として、未来を、より幸福に築(きず)きあげていく。

その躍動(やくどう)する生命そのものに、幸せはある!ということだろうか・・・。

少し、難(むずか)しくなってしまったけれど、確かに、どんな環境(かんきょう)や境遇(きょうぐう)にあろうとも、未来を創造(そうぞう)し、 無限により良く変革(へんかく)していけたら、その人は、幸せだと思う。

それは、環境がどうとか、財産がどうとかではなく、その人、自体(じたい)が、もう、幸福だと思う。

そうなった時、その人は、どんなことがあっても、幸せになっていけるし、どこまでも幸せをつかんでいける。

それが、本当の幸福者ということだろうか・・・。

けれど、それは、理想(りそう)であり、人間、そういつも、そんなこと考えて生きてはいけない・・。
それも、現実だと思う。

実際、現実を変え、動かしていける力やエネルギーとならなかったら、いくら理想を言っても、なんにもならない。

では、環境や境遇(きょうぐう)がどうであろうと、未来を創造(そうぞう)し、無限により良く変革していける力は、存在するのだろうか?

また、そういう生き方を現実にしていける方法は、ないものだろうか?

実はその、環境や境遇がどうとかではなく、今を出発点として、未来を無限(むげん)に創造し、幸せに変革していける方法が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

この創価学会が実践する南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰は、現実に、環境や境遇がどうであろうと、未来を無限に幸せに変革していける力(ちから)なんです。
また、具体的に、現実的に、未来をより良く変革していく方法は、これしかない!!と言い切ることができます。

南無妙法蓮華経とは、生命を、未来を、幸せに変革していくエネルギーであり力であり、パワーそのものなんです。

だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、今、どんな悩みや苦しみ、苦難(くなん)があろうとも、無限の生命力を湧(わ)き上がらせて、それを乗り越(こ)え、幸せを勝ち取っていけるんです。

だから、創価学会の人たちは、幸せになっていける。

だから、創価学会は、世界192カ国に広がっているんです。

南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)のエネルギーは、無限大だから、悩みや苦難が、大きければ大きいほど、力を発揮(はっき)し、無限の輝(かがや)きを放(はな)っていく。そこに、限界はないと言ってもいいので、ようするに、解決しない悩みや苦難は、ないということです。

そう思って、さしつかえないと思います。

ゆえに、今、現在、どんなに不幸であろうとも、どんな悩みがあろうとも、どんな辛(つら)い境遇であろうとも、必ず悩みを解決し、乗り越えて、幸せになっていけるのが、この創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

ゆえに、池田先生が言うように、どんな境遇にあったとしても、どんな苦難がふりかかってきても、「今から」「ここから」自分で幸せを創(つく)り出し、ほんとうの意味での幸せを勝ち取っていけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰なんです・・!


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ひまわりの種267 [幸せ]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『理性(りせい)ではよいとわかっていても、感情的な反発が生(しょう)じ、行動に移(うつ)せないことがある。しかし、その感情をコントロールし、勇気をもって、進歩、向上(こうじょう)のための第一歩を踏(ふ)み出すことから、幸福への歩みが始まるのだ。』

確かに、そういうことは、あると思う。ぼくも、それは感じることがある。

人間対人間だから、確かに、いろいろとあると思う。

それを、幸せの方向にいかに、コントロールしていくか。
いかに、自分の感情を幸せになれるように、もっていくことができるか・・。

これが、人生に勝っていくうえでの、ひとつのあやだと思う。

ぼくの経験から言うと、創価学会が実践(じっせん)している、ご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経をとなえる信仰をやっていると、もっと、単純(たんじゅん)に言うと、創価学会のご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえていると、そういうギクシャクした感情の軋(きし)みを解消(かいしょう)して、より良く幸せになっていける方向にもっていくことができている。

※ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。

そして、そのご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえていくと、理屈(りくつ)ではなく、自分の生命の底から感じる納得(なっとく)となって、『よし! わかった!やってやろう!!』という感じの生命状態をもたらし、その人を幸せの方向にもっていってくれる。

自分の心を幸せになる方向にもっていく・・!
簡単(かんたん)なようで、これほど、難(むずか)しいこともない・・。

ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえていると、それが自然(しぜん)にできるようになっていく。

ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえることが、こころの変革(へんかく)、生命の変革をもたらす!ということです。

ほんとうは、これほどスゴイことはない・・・!

それができるから、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、世界中のあらゆる人々を幸せにしていくことができる。

しかも、ご本尊と、南無妙法蓮華経をとなえることの可能性は、無限大(むげんだい)であり、たとえば、生命を蘇生(そせい)させる大きな力になり、病気を克服(こくふく)する大きなエネルギーとなっていく。また、さまざまな幸せやラッキー、運を引き寄(よ)せる力となったり、自分の職場や環境を、より良い環境(かんきょう)に変える結果となったり、単純に言えば、祈りや願いをかなえ、悩みや問題を解決して、未来を幸せに変えていく強力な力となっていく。

生命の不可思議(ふかしぎ)とも言える可能性は、言葉では言い表(あらわ)せないけれど、その生命の不可思議な可能性を、あらゆる分野、あらゆる事象(じしょう)において、幸せにもっていってしまう力(ちから)が、創価学会のご本尊と、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰にはある!ということです。

だから、池田先生が言うように、理性ではよいとわかっていても、感情的な反発(はんぱつ)が生(しょう)じ、行動に移せないことがあったとしても、ご本尊の前に座(すわ)り、真剣に南無妙法蓮華経をとなえていった時、必ず、答えが出てくる。自分の生命で歓喜(かんき)をともなって、心からの納得を得(え)ることができる。
そして、幸せに向かって、向上の道を、進んでいくことができる。

その積(つ)み重ねの中、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、必ず、幸せになっていける法則(ほうそく)なので、必ず、たとえ苦難(くなん)があったとしても、乗り越(こ)え、悩みや問題も解決し、幸せをつかんでいける!

そういうスゴイ法則であり、力であり、エネルギーが、心と生命を変革し、蘇生(そせい)させながら、人生に必ず幸せになる道を見いだし、勝っていける、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種265 [幸せ]

創価学会は、世界192カ国に広がっている。

創価学会が、これだけ世界に広まったのには、やはり、理由があると思う。

その先頭に立って、青年のころから行動してくださったのが、池田先生(創価学会インターナショナル会長)ですが、その創価学会の草創(そうそう)の時代、創価学会の人たちが、いかにして、創価学会の仏法(ぶっぽう)を広めていったか、池田先生が話されています。

『皆(みな)、何らかの悩みを抱(かか)えながらも、創価学会の仏法(ぶっぽう)を広めるために打って出た。その勇気が、共に悩みを乗り越(こ)える雄々(おお)しき生命力を引き出していくのだ。

これまで、周囲(しゅうい)に創価学会の信心の話しなどしたことがないという人も、まだ信心が浅(あさ)くて何も語れないと尻込(しりご)みしていた人も、矢(や)も盾(たて)もたまらぬ息吹(いぶき)の中で、勇気の一歩を踏(ふ)み出してくれた。・・』


まだ、創価学会の仏法のことなど、なんにもわからないのに、また信心が浅いのに、矢も盾(たて)もたまらぬ息吹(いぶき)の中で、勇気の対話を、繰(く)り広げた。

なぜだろう・・?

なんにもわかないのに、創価学会の信心が浅いのに、それでも語っていった・・!

どういうことだろう・・?

普通、行動を起こすのには、それなりの理由がある。

確固(かっこ)たる確信と、それなりの自信がないかぎり、人に話そうとはしないはずです。

ということは、その創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰には、確固たる確信と自信を生み出す、何かがある!!ということです。

人を突(つ)き動かす本源的(ほんげんてき)なエネルギーがある!ということです。

何もわからなくても、信心が浅くても、その人たちを動かしたものは、人間に、もともと具(そな)わっている共通のエネルギーとパワーだと思う。

その共通のエネルギーとは、幸せにつながるものであり、正義(せいぎ)につながるものであり、蘇生(そせい)と勝利と歓喜(かんき)につながるものだと思う。

その共通のプラスの引力(いんりょく)が働き、皆に、矢も盾もたまらぬ思いを抱(いだ)かせ、皆は、創価学会の仏法を語っていった。

すなわち、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)がもたらすものは、偏(かたよ)った小さな思想や、かたくなな理屈(りくつ)ではなく、だれもが本源的にもっている生(せい)への欲求(よっきゅう)であり、幸せと歓喜(かんき)を求める力(ちから)であり、すべての人に絶対に必要な蘇生(そせい)と希望と勇気のエネルギーなんだと思う。その生命に本源的にそなわっているものが、爆発(ばくはつ)していくんだと思う。

生命のプラスの爆発(ばくはつ)。
生命の生きることへの歓喜。
生命の幸せをつかむ強力なエネルギー。

すなわち、絶対にだれびとたりとも否定(ひてい)できない、あらゆる人がもっている、幸せと勝利と歓喜のムーブメントを、自分の生命からもたらし、発散(はっさん)していく、生命に共通した本源的なエネルギーとなるものが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんだと思う。

だから、理屈なんかわからなくても、語ることができる。

だって、自分で感じるんだから・・・!

信心が浅くても、話すことができる。

だって、やったら現実に自分が歓喜し、幸せに変わっていくことが、わかるから・・!

あらゆる人が望み、あらゆる人が、欲(ほ)しくて欲しくて、しょうがないもの・・。

それが、現実に、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法にあるから、人は、語ることができる・・!

それが、理屈がわかろうが、わからまいが、信心が浅かろうが長かろうが、蘇生(そせい)と希望と勇気を、自分の生命で感じ、味わうことのできる、そして、悩みを解決でき、夢や希望をかなえていける、平和と勝利と幸せの源泉(げんせん)のような、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。


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