ひまわりの種339 [人生]

人は時として、岐路(きろ)に立たされる。

それは、ものすごく単純(たんじゅん)にいうと、
「幸せになるか」「不幸になるか」という岐路です。

大げさに言えば、人はその岐路に立った時、それを自分で選んでいる!と言えます。

環境(かんきょう)がどうだとか、世間(せけん)がどうだとか、人がどうだとか、自分の状況(じょうきょう)がどうだとか、いろいろなことがあって見えづらくなっているけれど、実は、「幸せになるか」「不幸になるか」・・・、それを自分で選んでいると言えると思います。そしてその積(つ)み重(かさ)ねが、今の自分になっているんだと思う。

けれど人は、往々(おうおう)にして、幸せになるか、不幸になるかを選んでいるのが自分であるということを、忘れてしまう。

環境が悪い、状況が悪い、人が悪いと、人や世の中に振(ふ)り回されて、肝心(かんじん)なことを忘れてしまう。

それは、幸せになるかならないかを決めるのは、自分自身だということです。


ところが、だまされてしまう・・・!


さまざまな状況や周りの人たちの見方や風潮(ふうちょう)、自分の今のさまざまな技量(ぎりょう)などのことを考えてしまい、自分は幸せになれないのではないか?などと錯覚(さっかく)してしまう。

周りの環境や状況、まわりの人々の見方や流れにだまされてしまい、幸せになるかならないかを決めているのは、自分自身であることを忘れてしまう。


けれど、だまされてはいけない!!

幸せになるか、ならないかを決めるのは自分自身なのだから!!


そして、それらの環境や状況、人々の風潮など、それら一切(いっさい)にだまされず、決然(けつぜん)と幸せになっていくために、創価学会の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰がある・・!

自らの一念(いちねん)、自らの心、自らの全生命で道を切り開き幸せになっていける、その究極(きゅうきょく)の行動が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

創価学会(そうかがっかい)の南無妙法蓮華経の仏法が、どれだけスゴイか・・!
どれだけ、人々を幸せにしてきか・・・!
どれだけ、未来を切り開き、勝利をもたらしてきたか・・!

それは、本当に計りしれない・・!

また、そのことによって、世界にどれだけ平和を、幸せを、もたらしてきたかも計り知れない。


ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえる時、その人は、人生の主人公(しゅじんこう)に変わる。
ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえる時、その人は生命の王となり、人生を切り開く王者となる。

ドラマや映画の一国の王のように、自(みずか)らの力で幸せを勝ち取る生命状態に変わっていく。
そして人生を勝利していける。

※ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることをあらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。


よく宗教は弱いものがやるものだとか言うけれど、創価学会の信仰は、そういう部類(ぶるい)のものとはまったく違(ちが)ってくる。逆(ぎゃく)です。

すなわち最強の人間が行う、最強の王者の信仰だということです。
というか、ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、自然に人間の王者になっていくんです。

そして、先ほども言ったように、悩みを解決し、夢や希望をかなえて、幸せと勝利をつかんでいける。



話しは違(ちが)いますが、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、このようなことを言っていました。

「絶対強盛(ぜったいごうじょう)な信心(創価学会の信心)とは、子どもが怖(こわ)いことが起こると、「おかあちゃーん」と母親のところへ飛んでいくようなものです。その気持ちで御本尊に願ったら、すごいことになります。

これは理論(りろん)ではありません。信心です。母親のところへ、死にものぐるいというか、純粋(じゅんすい)というか、それ以外にないのだと言う、その一念(いちねん)で御本尊に直結(ちょっけつ)し、願っていけば、どんなことも通じます。その祈りはかないます。それが信心の究極(きゅうきょく)です。」

何を言いたいかというと、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰が、どれだけスゴイか・・!ということです。
本当に信じ、本気で実践していった時、どれだけ素晴(すば)らしい、どれだけスゴイ結果が生まれるか!ということです。そして、どれだけ幸せになっていけるか!ということです。

だから、世の中の環境や状況にだまされてはいけない!!

創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の可能性は、無限大(むげんだい)なのだから。


創価学会二代会長の戸田城聖先生は、言われた。

「人生は、強気でいけ!!!」

世の中は、世界は、良く言えば、愛情や善意に満(み)ちている。
逆に、悪く言えば、悪意やマイナスのエネルギーが充満(じゅうまん)しているとも言えます。

そして、時として、そのマイナスのエネルギーが、自分に襲(おそ)いかかってくることもある。
さまざまな環境や状況、人間模様(にんげんもよう)や自分に降(ふ)りかかってきた運命が、自分を押しつぶそうとする時もある。


けれど、戸田先生は言われた。

「人生は強気でいけ!!」

そして、強気でいけるだけの絶対的な確証(かくしょう)であり、力(ちから)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです。

そして、決然(けつぜん)と、その創価学会の仏法の信仰に立ち上がった時、世界の善意のエネルギー、幸せのエネルギーが、自分のもとに集まってくる。自分の世界が、善意や愛情に満ちた世界に変わっていく。

そう言えると思います。


だから、周りがどうであれ、状況がどうであれ、それらの環境にだまされてはいけない!!

なぜなら、幸せになるかならいなかを決めるのは自分自身なのだから・・・!

そして、自分自身で幸せを切り開ていける、自分自身で悩みを解決していける、夢や希望をかなえていける、決定的で最強無敵(さいきょうむてき)の武器(ぶき)であり力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!

nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ひまわりの種303 [人生]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『時には、「どうして自分ばかりが・・・・・」とグチをこぼしたくなることもあるかもしれない。しかし、煩(わずら)わしい試練(しれん)と、祈り戦うからこそ、仏(ほとけ)の力が出せる。泥(どろ)が深ければ深いほど、やがて美事(みごと)な幸福勝利の大輪(だいりん)を咲(さ)かせていけるのが、『如蓮華在水(にょれんげざいすい)』の妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)である。』

『如蓮華在水(にょれんげざいすい)』というのが難(むずか)しいですが、蓮(はす)の花が、泥沼(どろぬま)の水の上に、美しい花を咲かせるように、苦悩・渦巻(うずま)く、どんな泥沼のような環境(かんきょう)や人生からも、美しい、勝利と幸せの花を咲かせることができる!との譬(たと)えだと思います。


人の人生は、さまざまだ。

けれど、美しく澄(す)んだ水の上に、優雅(ゆうが)に浮(う)かんでいられるような人など、ほとんどいないと思う。
また、表面的には、優雅に見えたとしても、内面的には、どろどろの苦悩(くのう)と戦っているような場合も多いと思う。

どっちにしろ、そんじょそこらのことでは、にっちもさっちもいかないのが、人生だと思う。

皆、現実と人生の、さまざまな苦難や苦悩、現実と理想(りそう)のギャップに悩み、その中で戦っていると思う。

その中で、泥沼に咲く蓮の花(はすのはな)のように、花を咲かせ、光り輝(かがや)いていかなければならない。

それが多くの人の人生だとも言えます。

池田先生が言うように、『どうして、自分ばかりが・・・』と思いたくなるようなこともあるかもしれない。
グチをこぼしたくなることもあるかもしれない。

けれど、それでは、花は咲かせていけない。

その泥沼の上に、美しい花を咲かせなければならない。

そのための絶対の力(ちから)、無限の力、どんな苦難も幸せに変えていける力が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

泥が深ければ深いほど、美しい花を咲かせていける。

それが、究極(きゅうきょく)の幸せの力、『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法』だと思う。


世の中が悪い。環境(かんきょう)が悪い。あの人が悪い・・。

確かにそうなのかもしれないけれど、そう思っても、どうにもなっていかない・・。

その世の中、その厳(きび)しい環境の中でも、幸せになっていかなければならない。勝っていかなければならない。

まさに、泥沼(どろぬま)のような環境や状況(じょうきょう)であっても、それでも、花を咲かせなければならない。

それは確かに、至難の技(しなんのわざ)であり、どうにも手がつけられない難問でもあると思う。

いったい、どうしたらいいのか?

理屈(りくつ)で、ああだ、こうだ言うことはできる。けれど、はたして、それができるのか?

蜘蛛(くも)の網(あみ)のように絡(から)まった人間模様(にんげんもよう)やさまざまな状況・・・。

それを、プラスの方向、幸せの方向、勝利の方向にもっていくことが、どれだけ困難であり、奇跡(きせき)といっていいくらい難(むずか)しいことであることはわかっている。

あらゆるものが、微妙(びみょう)に絡(から)み合い、複雑極(ふくざつきわ)まりない状況を作っている。

その中で、「あみだくじ」のように道をたどり、幸せをつかんでいかなければならない・・・。

確かに、困難な道だといえる。

けれど、その困難な道を実現できる方法がある・・・!

蜘蛛(くも)のからまった糸のような複雑な人間関係と状況、環境、人生・・。

その、蜘蛛の糸のように複雑な編み目(あみめ)の中でも、そこを完璧(かんぺき)にくぐり抜け、誤(あやま)りなく、勝利と幸せをつかんでいける秘宝(ひほう)・・!

それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと言える。

この創価学会の、南無妙法蓮華経の仏法が、どけだけスゴイか・・・!

あらゆるものを幸せに結びつけ、あらゆるものを、あらゆる人々を幸せに向かわせ、たどり着かせる。確かに、普通、考えたら、不可思議(ふかしぎ)としか思えない幸せの奇跡(きせき)を、もたらしていけるのが、この南無妙法蓮華経の仏法です。

にっちもさっちもいかないような人間関係、またその環境や状況、それを完璧に調和(ちょうわ)させ幸せに導(みちび)いていってしまう力(ちから)が、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法にはある・・!

まさに、それは不思議(ふしぎ)であり、宇宙の力、生命の力、宇宙の本源的な法則(ほうそく)に導(みちび)かれているとしか表現できないけれど、そういう、とてもできない芸当(げいとう)をやってのけてしまう力が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰には、あるということです。

ゆえに、蓮が、泥沼の中から美しい花を咲かせるように、人生を勝利していける。幸せになっていける。

もろもろの悩みも困難(こんなん)も、さまざまな人間関係や状況も、すべて乗り越え、勝利していける。

そういう生き方が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです・・。


nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ひまわりの種286 [人生]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『「立正安国論(りっしょうあんこくろん/日蓮大聖人が書かれた論文です)には、「人の心は時に随(したが)って移り」と仰(おお)せだ。心は動き、心は変わる。我らの行動は、その「時」を創(つく)り、万事(ばんじ)、善(よ)き方向へ動かしていく。

これが、妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)の絶対勝利のリズムなのである。』

心は動き、心は変わる・・。

時代の流れは、あっという間だと言うこともできる。

何が幸せで、何が幸せでないか・・。
あっという間の心の変化の中で、幸せという確固(かっこ)としたものを築(きず)いていくのは、難(むずか)しい。

時代の変化の中、心は、揺(ゆ)れ動き、状況(じょうきょう)や環境に流されてしまうことも、あるかもしれない。

心ほど難しいものはないし、移りゆく人生の中で、心を幸せに直結(ちょっけつ)していくことは、至難の技(しなんのわざ)であり、それこそ、不可能に近いほど困難(こんなん)です。

その心を、すべてにわたって、最高に良い方向に向けていくことのできる力(ちから)が、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰だという。

そして、その創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)は、時代や環境(かんきょう)に流されていくのではなく、その流れゆく時間・・、時そのものを、逆(ぎゃく)に創(つく)っていける。

すなわち、時代を、時を、自分で開き、動かしていける!ということです。

どういうふうに動かしていけるかというと、自分にとって、最高に良い方向、最高に幸せになる方向に動かしていける!ということです。

それが、創価学会の行動であり、創価学会が実践(じっせん)する、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰だということです。

本当は、これほどスゴイこともないし、これほとスゴイことをやっている人たちも、いません。

そのことに着目(ちゃくもく)しているから、世界の有識者たちは、創価学会に最大の期待と賞賛(しょうさん)を、いだいているんです。

時を創(つく)り、すべてを善き方向に動かしていく!!

時代の変化の中、心は、刻々(こくこく)と変化している。ながれるままに、心は、変化せざるをえない・・。

浮(う)いては沈(しず)み、また浮いては沈む揺(ゆ)れ動く心を、ほんとうの、揺(ゆ)るぎない幸せにもっていくのは、難しい・・。また、状況に左右されやすい心から、自(みずか)ら、時を創(つく)っていくのも、難しい・・。

その心を、絶対崩(くず)れない幸せへと直結(ちょっけつ)させ、最高の幸せをもたらす『時』を、自(みずか)ら、創(つく)っていけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです・・・!!


nice!(1) 
共通テーマ:日記・雑感

ひまわりの種285 [人生]

ネットを見ていたら、パワーストーンの宣伝(せんでん)をやっていた。それが効果(こうか)があるのかないのかは、わからないけれど、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、パワーストーンとかパワースポットとか、ああいうたぐいとは、根本的(こんぽんてき)に違(ちが)う。

なんか、持っていると良いことがありそうだ・・とか、そこにいったら元気になりそうだとか、運が向いてきそうだとか、あいまいなレジャー感覚(かんかく)のものではなく、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、現実的で、自分の人生に直結(ちょっけつ)したものです。

もっとも、以前にも話しましたが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を始めるということは、今まで自分がたずさわってきた間違(まちが)った宗教を捨て、正しい、宇宙と生命の法則(ほうそく)にかなった宗教につくということなので、間違った宗教によってもたらされた悩みや不幸、生命と人生の歪(ひず)み、ゆがみが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法という、生命の法則にかなった宗教についたということで、解消(かいしょう)され、自分の人生と生命が、幸せの方向に好転(こうてん)していくということは、あります。

けれど、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、パワーストーンとかパワースポットのようなレジャー感覚のものではなく、ただ、もっていればなにか良いことがありそうだ・・というものではありません。

自分がやらなかったら、なにも効果をもたらさない!ということです。
けれど、もし、真剣(しんけん)にやったならば、必ず答えが返(かえ)ってくる。
やったらやっただけ、結果が出るものです。

ようするに、まやかしではない!ということです。

何かの悩みがある。また、どうしても、かなえたい夢や希望がある。・・そういう時は、人は真剣です。そしてその真剣な思いを、そのまま、創価学会のご本尊(ほんぞん)にぶつけて、南無妙法蓮華経を、となえていった時、計(はか)り知れない力(ちから)と効果を発揮(はっき)する。

それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。

※ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。

創価学会二代会長の戸田城聖先生が、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を、
『逆境(ぎゃっきょう)の人ほど、幸せになっていける宗教だ!』
と言いましたが、
まさしく、そこに、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の真骨頂(しんこっちょう)があります。

真剣になれば、どこまでも力を発揮していける!
どこまでも、幸せになっていける!ということです。


人には、無限(むげん)の可能性(かのうせい)があると、いいます。
また、人には、自分次第で、無限の未来が開かれているとも、言えます。

その無限の可能性、無限の未来を、本当の意味で開いていける、すなはち、悩みや問題を本人が本当に解決しようと思ったら、解決していけ、夢や希望を本当に実現しようと思ったら、それを可能(かのう)にする、現実的で、決定的な方法が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!


nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ひまわりの種244 [人生]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『私は、恩師(おんし)に見いだされ、「嵐に負けず伸(の)びよ」と、師弟(してい)の大地に植えられた一本の若木(わかぎ)であった。
わが心に原点の大地を持つゆえに、私はいかなる苦難も耐(た)えられる。絶対に負けない。恐(おそ)れない。

一日一日、青年の心をもって、胸中(きょうちゅう)で師匠・戸田先生と対話しながら、新たな決意を燃やして生き抜(ぬ)き、戦い抜いてきた。

だから、勝った。だから、全民衆を護(まも)りゆく「大樹(たいじゅ)」の創価学会を築(きず)くことができた。一点の後悔(こうかい)もない。』


わが心に原点の大地を持つゆえに、いかなる苦難(くなん)にも耐(た)えられる。絶対に負けない。恐れない。

スゴイと思う。

人生の真髄(しんずい)を感じる。

師弟(してい)とは、それほどスゴク、素晴らしく、偉大(いだい)だということだと思う。

人間の強さとは、何だろう?
人間の幸せとは、何だろう?
人間の原点とは、何だろう?
負けない力とは、何だろう?

その答えが、「師弟」にあるんだと思う。

一般的に考える時、その決して負けない強力が原点と言える、「師弟(してい)」を持ち、築(きず)いていく生き方ができる人は、少ないと思う。堂々(どうどう)と自信をもって、師匠(ししょう)と呼べる人を持ち、その人と共に人生を生き、挑戦していくことのできる人も、少ないと思う。

しかし、師匠とは、師弟とは、人生を負けず勝利していくための無二(むに)にして重要なことがらであることは、世界の良識(りょうしき)たちの一貫(いっかん)した見方であり、とらえかたです。

だから、真実の生き方、真実の幸せを求めるならば、心の底から「師匠」を求めるべきであり、師弟の道に生きるべきです。

けれど、世間一般的に、その師弟の道は、見当(みあ)たらない。それは、真実の道が見当たらないのと同じで、幸せを探(さが)しても探しても、つかめないようなものだと思う。

だれもが求めている『強さ』の道。
だれもが求めている『負けない』道。
だれもが求めている確固(かっこ)たる『幸せ』の道。

じつは、その確固たる強さの幸せの道をつかむことのできる生き方が、創価学会の生き方なんです。

創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、世界最高の幸せの法則(ほうそく)であり、平和の法則であり、勝利の法則です。だから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践するということは、その勝利の法則であり幸せの法則を、自分の人生のなかで、実践(じっせん)していくことになります。

けれど、やり方がわからない。現実の人生において、仏法を、どう、とらえ、どう実践していくか、わからない・・・。南無妙法蓮華経の仏法は、すごいけれど、正しく実践しなかったら、功徳(くどく)も少ないし、本当の効力(こうりょく)を発揮(はっき)していくことも、できないでしょう・・。

しかも、それは、幸せと勝利という、もっとも困難(こんなん)で、最も重要な人生の目的と言えるものです。

それが、失敗の許(ゆる)されない、大変、繊細(せんさい)な問題であることは、だれでもわかると思います。

だから、その最も重要で最も繊細な幸せと勝利をもたらす、最大にして究極(きゅうきょく)の力(ちから)である『仏法(ぶっぽう)』を、最高に実践し、一点の誤(あやま)りもなく示(しめ)してくれる、人間としての指導者(しどうしゃ)が、どうしても求められます。

だから、どうしても、師匠の存在(そんざい)が求められます。


その人生において最も重要で最も繊細な、人々の切(せつ)なる願いである、絶対の幸せ、絶対の勝利をつかむための、最高の師匠がいるのが、創価学会なんです。

これは、ほかでは、けっして、つかむことのできないことです。

また、それは、世界が認(みと)めることであり、池田先生は、世界の識者が認める最高の人間指導者と言えます。その師匠のもと、世界最高の幸せの法則であり平和の法則であり勝利の法則である、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を実践(じっせん)していくとき、その人は、偉大な輝(かがや)きを放(はな)ち、当然、勝利と幸せの人生を飾(かざ)っていける。

それが、創価学会なんです。
それができる場所が、創価学会なんです。

いかなる苦難にも耐(た)えられる。
絶対に負けない。
恐れない。

その生き方ができる唯一(ゆいいつ)の場所と言ってもいいのが、創価学会であり、その人間指導者が、池田先生であり、その、絶対負けない生き方を可能にする最高最大の力(ちから)が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ひまわりの種243 [人生]

作家・山本周五郎が、言っています。

『人間がいちど自分の目的を持ったら、貧窮(ひんきゅう)にも屈辱(くつじょく)にも、どんなに強い迫害(はくがい)にも負けず、生きられる限り生きてその目的をなしとげることだ。それが人間のもっとも人間らしい生き方だ。』

確かに、それは素晴(すば)らしい生き方だと思う。
それは、だれもが望む生き方だと思う。

人間がいちど目的を持ったら、どんなことがあっても負けず、生きられるかぎりその目的をなしとげていく。

けれど、だれでも分かると思うけれど、それは、大変なことであり、至難(しなん)の技(わざ)だと言うこともできます。

そんな生き方ができたら、人間として本当に素晴らしいと思うけれど、それが困難(こんなん)なこともわかる。

けれど、その困難をなしとげていくところに、人間としての真の幸せも充実(じゅうじつ)も、生きがいもある。

『人間がいちど目的を持ったら、どんなことがあっても負けず、生きられるかぎりその目的をなしとげていく。』

実は、その困難な仕事を人生の中でなしとげていく強力な力(ちから)となるのが、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

信仰にそれほど、力(ちから)があるのか?と思うかもしれないけど、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法には、現実にその力が、あるんです。

南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰によって、現実を打開(だかい)し、現実を開いていける!あらゆる知恵や勇気、行動となって、未来を切り開いていけるのが、創価学会の仏法なんです。

日々、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、その人の中から、無限の生命力が湧(わ)き上がり、現実に生命が蘇生(そせい)していく。南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中から勇気と希望、情熱をたえず、湧(わ)き上がらせ、若々しく挑戦していける。

創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰は、自分の生命を、精神を、たえず新しく蘇生(そせい)させ、後ろ向きにならず、前へ前へと前進させていく。

だから、どんな困難にも負けないで、希望をつかんでいける!

これほど強い、これほど無限(むげん)のエネルギーはないんです。
絶対に行き詰(づ)まりがない!!
どんなことがあっても、必ず打開(だかい)していける!

それが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです。

ゆえに、山本周五郎が言うように、人間がいちど目的を持ち、その目的をなしとげようとした時、貧窮(ひんきゅう)にも屈辱(くつじょく)にも、どんな迫害(はくがい)にも屈(くっ)しないて、目的を達(たっ)していくことが、現実にできるようになっていく。

それが、目的に向かって、絶対に行き詰(づ)まりがない、どんなことも打開していける、無限のエネルギーであり知恵であり最強の希望となる、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです・・・!


nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ひまわりの種239 [人生]

日蓮大聖人が、言っています。

『世(よ)皆、正(しょう)に背(そむ)き、人、悉(ことごと)く悪に帰(き)す。故(ゆえ)に善神(ぜんじん)は国を捨てて相去(あいさ)り聖人(しょうにん)は所(ところ)を辞(じ)して還(かえ)りたまわず、是(こ)れをもって魔(ま)来(きた)り災(さい)起(おこ)り難(なん)起る。』

このご文について、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。

『大聖人が戦われた「悪」の本質とは、何か。
それは、人間の生命を蔑視(べっし)して、現実から逃避(とうひ)させる諦(あきら)めの思想であり、民衆を隷属(れいぞく)させ、人間を分断(ぶんだん)する権力の魔性(ましょう)であったといっても過言(かごん)ではあるまい。

人びとを不幸に陥(おとしい)れる邪義(じゃぎ)を打ち破(やぶ)るために、大聖人はただ御一人、万人(ばんにん)が「善(ぜん)」の生命に目覚(めざ)め、引き出す方途(ほうと)を示してくださった。そして、民衆が強く賢(かしこ)くなって、「善」の団結を広げゆく道を開いてくださった。』


日蓮大聖人は、言っています。
『世の中がみな、正しいことに背(そむ)き、人々は、ことごとく悪に帰してしまう。ゆえに善神(ぜんじん)は国を捨てて去ってしまっている。そのかわり、これはちょうどいいと、魔(ま)が集まり来(きた)って、災(わざわ)いや災難(さいなん)が、頻繁(ひんぱん)に起っている。』

日蓮大聖人が生きていた時代の様相(ようそう)を語っているけれど、現代の日本にも当てはまってくると思います。

そして、その現代にも通じる、混沌(こんとん)として希望が見えないような時代の闇(やみ)を打ち破るために、日蓮大聖人は、正義の、善の思想を残された。

実は、それが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

それは、池田先生が言うように、人々の諦(あきら)めの心、逃避(とうひ)の心を打ち破り、人間を分断しようとする魔性(ましょう)を消し去り、 人々を幸せに向かって、希望に向かって、団結させ、勝利させていく。

それを可能にする唯一無二(ゆいいつむに)の最強の力(ちから)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)だと、言えます。

実際、創価学会は、戦後、貧困(ひんこん)や病気に苦しむ、数えきれない多くの庶民たちを、救い、蘇生(そせい)させ、貧乏人は裕福(ゆうふく)になり、病人は、病気を克服(こくふく)して健康になっていった。そして、現代にしても、世界中のあらゆる人びとの悩みを解決し、夢や希望をかなえる大きな力となって、その人たちを幸せにしていった。

すなわち、人生を不幸にする、どんな諦(あきら)めも逃避も打ち破り、人間の中から王者の生命を引き出し輝(かがや)かせ、人生に喜々(きき)として挑戦していく本物の人間の王者として、勝利させている。

だから、確かに、現代という時代は、混沌(こんとん)として希望が見えず、さまざまな困難が押し寄(よ)せてくるような厳(きび)しい世の中かもしれないけれど、だからこそ、諦(あきら)めや人生逃避にとらわれないために、どんな悩みや問題も乗り越え解決ていくために、また、夢や希望をかなえていくために、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)が、必要となってきます。

世の中をより良くしていくためには、民衆を強く賢(かしこ)くする最高の『善』の団結が必要となってくる。
また、人生を勝利していくためには、幸せを勝ち取っていける最高の善の生命に、自分自身が目覚(めざ)め、それを引き出していかなければならない。

それを可能にする力(ちから)が、創価学会が実践する南無妙法蓮華経の仏法です・・。


時代は、困難、極(きわ)まりない。

諦(あきら)めや逃避、分断の魔性(ましょう)に満(み)ちている。

けれど、その諦(あきら)めや逃避を打ち破り、分断を打ち破り、悩みや問題を解決し、夢や希望に向かって、人生を真に切り開いていけるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!


nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ひまわりの種236 [人生]

日蓮大聖人が、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の若き後継(こうけい)の弟子である南条時光に、言っています。

『しばらくの苦(く)こそ候(そうろう)とも、ついには、たのしかるべし。国王一人の太子(たいし)のごとし。いかでか位(くらい)につかざらんと、おぼしめし候(そうら)へ。』

通解(つうかい)すると、

『しばらく苦しみが続いたとしても、最後には必ず楽しい境涯(きょうがい)になるのである。たとえば、国王のたった一人の太子(たいし)のようなものである。どうして、最後には国王の位につかないことがあるだろうか、あるはずがないと確信されるがよい。』


創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、ひとりひとりの人間を王者にする。
なんの王者かというと、人間の王者であり幸福の王者であり、勝利の王者です。
そうなっていけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです。

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。

『今がどんなに苦しくとも、必ず勝利する。揺(ゆ)るぎない大確信が「宿命(しゅくめい)」を「使命」に変える。勇気ある信心が「苦難」を「歓喜(かんき)」に変える。ここにこそ、仏法の透徹(とうてつ)した楽観主義があるのだ。』

たとえ、どんなに苦しいことがあろうと、どんな困難(こんなん)なことがあろうと、もし、その人が国王のたった一人の子供であったならば、かならず、国王の位(くらい)につく。
それと同じように、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を信仰していくことは、その人を、国王のたった一人の子供にしていく。すなわち、必ず、位(くらい)につき王者となってく!ということです。

すなわち、南無妙法蓮華経を、となえゆくことは、自分の生命に王冠(おうかん)をさずけるのと同じなんです。自分の生命に王冠がさずけられたならば、その人は、王となってゆく。すなわち、どんな苦難うずまく人生にあろうとも、必ず、王者のごとく、幸せと勝利を、つかんでいける。

自分の生命に王冠をさずける行為(こうい)・・!

それが、南無妙法蓮華経を、となえるということなんです。

すなわち、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の生命に王冠がさずけられたならば、どんな悩みも、どんな困難も解決でき、王者のごとく人生に挑戦し、夢や希望も、かなえていけるようになっていく。

南無妙法蓮華経を、となえることは、まさに、生命の変革(へんかく)なんです。

絶望は希望に、
あきらめは、挑戦の勇気に、
悩みは、乗り越(こ)えるべき使命に、
苦難さえ、人生の歓喜に変えていってしまう。

生命の変革から、すべてが変わり、すべてが生まれていく。

その生命の変革を成し遂(と)げていける、決定的で唯一(ゆいいつ)の方法が、一人一人の生命に王冠(おうかん)をさずけ、王者と輝(かがや)かせていく、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!


nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ひまわりの種231 [人生]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぷっぽう)の信仰について、わかりやすい譬(たと)えで、説明されています。

・・・・・・・・・・・・・

『人によって、「大きなエンジン」をもつ人と、「小さなエンジン」をもつ人がいる。
「大きなエンジン」をもっている人は、険(けわ)しい坂(さか)でも、楽しみながら前進できる。「小さなエンジン」しかない人は、小さな坂でも、息(いき)が切れて苦しむ。

勤行・唱題(ごんぎょう・しょうだい/南無妙法蓮華経を、となえていくこと)によって、、自分の生命のエンジンが大きくなるのです。それは、大宇宙(だいうちゅう)という「最高最大のエンジン」と、がっちりと「ギア」が、かみ合うからです。

どんな人の生命からも、「宇宙を動かす大いなる生命力」を自由自在(じゆうじざい)に引き出す「機械」を発明されたのが日蓮大聖人です。

戸田先生は、ご本尊様(ごほんぞんさま)を、『もったいないことだが、「幸福製造機」にたとえられる』と言われた。

生命力を強くして、幸福になるために、日蓮大聖人はご本尊(ほんぞん)を発明してくださった。その「使用法」の基本が勤行・唱題(ごんぎょう・ しょうだい/ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえていくこと)なんです。

※ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。

勤行している人は、不幸の方向に行かないように、生命の軌道(きどう)を整(ととの)えていける。
もちろん、祈った結果が出るには、「すぐに出る場合」と、草木がだんだん育つように「時とともに実現していく場合」とがある。また、とくに自覚(じかく)して祈っていなかったことが、あとから振(ふ)り返(かえ)ると実現していることもある。

ケースはさまざまだが、『よい方向へ』『よい方向へ』と向かっていく。
自分にとって『いちばん良い道』が開ける。これは絶対に間違(まちが)いない。』

・・・・・・・・・・・・・

小さなエンジンだと、大変だ。生きることにも苦しいし、喜びも小さいかもしれにない。

けれど、大きなエンジンだと、幸せだ。なぜなら、馬力(ばりき)が違(ちが)うから、ちょっとくらいの坂など、簡単に乗り越えていけるし、大変なことにも負けないで挑戦していける。だから成長していけるし、その分、幸せも大きい。また喜びも大きい。

南無妙法蓮華経を、となえるていくと、自分の生命のエンジンを、どんどん大きくしていける。

エンジンは、車や飛行機、さまざまな機械を動かしますが、人間が生きていくためのエンジンと言えるものが、『生命力』だと思う。
ようするに、南無妙法蓮華経を、となえていくと、その生命力が、どんどん、大きくなっていく。どんどん強くなっていく!だから、ちょっとばかりの苦難(くなん)には負けないし、大変なことにも挑戦していける。しかも、生命力があるから、あらゆることを楽しんでいける。よろこびも大きい。

その生命力を生み出す源泉(げんせん)が、『南無妙法蓮華経』であり、『南無妙法蓮華経を、となえる』ことだと言える。

それだけでなく、南無妙法蓮華経をとなえていくと、自分のエンジンそのものを、より良く変革(へんかく)していける。自分のエンジンそのものが、素晴らしいものにバージョンアップしていく。言い方を変えれば、『境涯(きょうがい)』が大きくなっていく。境涯が大きいと幸せも大きい。境涯が大きいと、よりたくさんの幸せ、喜びを味(あじ)わっていける。

南無妙法蓮華経を、となえていくと、その境涯を大きくしていくことができる。

また、ご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえていくと、不幸の方に行かない!
ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえることは、まるで見えない未来に、幸せの道をつくるようなものなんです。

見えないはずの未来に、希望と夢と勝利の道を、作り出していく!

そういうスゴイことができるのが、『ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえていく!』ということなんです。

だから、本当は、ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえていくことほど、スゴイことはない。
幸せになっていく、これほど確実なことはない!また、これほど夢や希望をかなえていける道もない。

それが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。



どうなるかわからない未来・・・。

どんな苦難が押し寄(よ)せてくるかもわからない。

その未来に最高の幸せの道をつくり、最高の希望と夢に向かって歩(あゆ)んでいける!

また、人生という山あり谷ありの道を進んでいくための、大きな大きな幸せのエンジンとなって、自分に、無限の勇気と希望を、もたらしてくれる!

その『幸福製造機』とも言えるのが、創価学会の『ご本尊』であり、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!!


nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ひまわりの種223 [人生]

詩人、宮沢賢治が、物語の中で、描いているそうです。

それは、ある小さな野に咲(さ)く花が、たとえ誰(だれ)も見なくとも、また、どんな嵐(あらし)があっても、自(みずか)らの命を自分らしく立派(りっぱ)に咲かせていった。その強く美しき魂(たましい)を貫(つらぬ)き通したがゆえに、やがて「花の王」と讃(たた)えられる、最も光り輝(かがや)く存在へ生まれ変わったという話しです。

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。

『一人の人間が、どれだけ勇敢(ゆうかん)に忍耐強(にんたいづよ)く、自分自身の生命の花を咲かせていけるか。』

本質的(ほんしつてき)には、ここに、人生の勝敗が、分かれてくるんだと思う。

自分という存在は、他の人とは違(ちが)う。当然(とうぜん)、どんなにうらやんだとしても、他の人には、なりえない。

自分以外の人も、同じで、その人が自分と同じようになることは、ない。すべての人が違う運命や宿命(しゅくめい)、境遇(きょうぐう)や環境(かんきょう)、違う個性や人格(じんかく)、才能や能力をもって生まれてきている。

だから、あの人はいい、この人はいいと言ってみたことろで、どうにもならない。

そして、宮沢賢治が言うように、自らの命を自分らしく咲かせていくしかない・・!!

そしてその自分自身を貫(つらぬ)き通していった時、光り輝く存在に変わっていく。

勝負は、そこにあり、原因も希望も、幸せも、やはり、自分の中にあり、自分の中から出発していくしかない。

だから、池田先生は、言っている。
『一人の人間が、どれだけ勇敢(ゆうかん)に忍耐強いく、自分自身の生命の花を咲かせていけるか。』
・・・と。

ところが、これほど難(むずか)しいことは、ない。これほど困難(こんなん)なことは、ない。それは、難事中の難事(なんじ)と言ってもいいと思います。

だから、その難事中の難事を可能にしていく、明確で確実な哲学(てつがく)とパワーとエネルギーが、求められる。

その勇気と忍耐(にんたい)を持って、自分自身の生命の花を、無限に咲かせていける、唯一(ゆいいつ)の方法と言っていいのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

逆に言えば、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰があるから、創価学会の人たちは、自分自身の最高の花を咲かせ、幸せと勝利を、勝ち取っていけるんです。

誰も見ていなくても、どんな嵐があっても、自(みずか)らの立派(りっぱ)な花を、咲かせていく。

それは、確かに困難なことであり、また、世間一般的には、自分らしく立派な花を咲かせていきたいという気持ちはあっても、結局(けっきょく)それができず、そのまま、埋(う)もれてしまうことも、数限りなくある。また、そういう人の方が多いとも言えると思います。

だから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、どうしても必要になってくる!

そして、この南無妙法蓮華経の仏法は、自分がやったこと、自分の努力が、すべて、必ず、花開いていく法則(ほうそく)だから、人が見ていようが、いまいが、自分がやったことが、必ず、最高の形で報(むく)われていく結果となります。

そういうスゴイ法則であり、力(ちから)であり、エネルギーが、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

はっきり言えば、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰をやりながら、人生に挑戦し努力していくのと、創価学会の南無妙法蓮華経の信仰をやらないで、努力していくのとでは、天と地くらいの差(さ)がでてくるんです。

これは、おどろくべき違いなんです。

それは、新しく創価学会に入って、仏法(ぶっぽう)の信仰を実践している多くの人たちが、体験していることであり、感じていることでもあります。

また、だから、創価学会の人たちは、南無妙法蓮華経の仏法を、実践するんです。そして、だから勝っていけるんです。幸せになっていけるんです。

そしてそれは、宮沢賢治の物語のように、自分の人生の中で、「花の王」と輝き、最も光り輝く存在へと、自分を変えていってくれるんです。

その力(ちから)でありパワーでありエネルギーが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感