ひまわりの種334 [希望]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。

『御本尊(ごほんぞん)は、なぜ大切なのか ------ 。

それは、御本尊への「信」によって、私どもの胸中(きょうちゅう)の本尊、仏界(ぶっかい)を開けるからです。

この「御本尊」は、自身の「信心」のなかにこそある、と大聖人(日蓮大聖人)は仰(おお)せです。

妙法(南無妙法蓮華経のこと)の当体(とうたい)である自分自身、人間自身が大事なのです。その胸中の妙法を顕(あらわ)すためにこそ、御本尊が、こよなく大切なのです。』

ちなみに「ご本尊」とは、創価学会の人たちが南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえて祈る対象で、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることをあらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。

そのご本尊がなぜ、大切かというと、自分たちの胸中(きょうちゅう)の本尊、自分の中にある本尊、仏界(ぶっかい)を開くためだという。

自分の中にある本尊、仏界(ぶっかい)を開くといっても、わからないと思いますが、自分の中にある幸せを開く力、無限の力、計(はか)り知れない無限の可能性を開いていく!ということです。

その幸せを開く無限の力が、『ご本尊』にはある!!ということです。

そして、それは自分の中にあるのだけれど、その無限の力をどうして開花していっていいかわからない。具体性がない。

その具体性がない自分の中にある無限の力を、形として顕現(けんげん)したものが、御本尊だということです。

そして、御本尊を信じ、南無妙法蓮華経をとなえて真剣に祈っていくとき、その自分の中にある、無限の力、幸せになっていける力、智慧(ちえ)や希望、勇気が、まさに自分の中から湧(わ)き上がってくるということです。

だから、創価学会の「ご本尊」は、おすがりするのとは違(ちが)う。
また、棚(たな)からぼた餅(もち)のようなことを期待するものとも違う。

根本は自分自身なんです。

その根本の自分自身に挑戦するために、「ご本尊」はある。

その根本の自分自身に対して、どんなことがあっても絶対にあきらめず、負けないで、自分の可能性、智慧(ちえ)、希望をどこまでもどこまでも開花していくために、ご本尊はある!!

また、自分では思いもよらない可能性、力、運やチャンス、それらあらゆるものを引き出していけるのが、創価学会が、南無妙法蓮華経をとなえている「ご本尊」だと言えます。



人間には無限の力がある。
だれでも幸せになっていける力がある。
だれでも、困難(こんなん)や悩みを乗り越え、勝利していける力がある。

確かにそれは、あるんだけれど、ややもすると人は、そうは思えなくなっていく。

さまざまな状況(じょうきょう)や悩み、困難に押(お)しつぶされ、自分が幸せになれるとは思えなくなってしまうことが多々(たた)ある。まして、自分の中に、無限の可能性、言い換(か)えれば、「無限の宝(たから)」があるとは、なかなか思えない場合もある。そして、時に流され、人生に流され、一生を終わってしまう。

そういうことも、確かに、多々あると思う。

それを打ち破ることが、どれだけ困難か・・・。
その自分の中の闇(やみ)を打ち破ることが、どけだけ大変なことか・・・。
また、それができないから、多くに人が自分が希望する人生を送れず、不幸に沈(しず)んでいってしまう・・・。

その闇(やみ)、絶望、苦しみ、悩みや困難を、根底から打ち破るために、『ご本尊』はある!
また、それができるのが、創価学会が信じ、祈っている「ご本尊」です。


ご本尊は、自分の中にある、「幸せになる力」を現実に引き出す!!
絶望を消し去り、希望を生み出す!!
本来、人間は幸せになるために生きている。
そして、その幸せになるために無限の力を引き出し、困難を乗り越え、勝利していける。

その本来、人間がもっている、幸せになる力を無限に引き出し、悩みを乗り越え、夢や希望をかなえて勝利していけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰であり、創価学会が信じ祈っている『ご本尊』だと、いうことです・・!

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