ひまわりの種311 [勝利]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『私たちが信心(創価学会の信心)に励(はげ)むのは、人生のあらゆる試練(しれん)や苦難(くなん)に打ち勝って、幸せになるためです。それには、何ものにも負けない強さが必要です。では、強さとは何か・・・・。

よく、「人生の確かな目的をもった人は強い。信念(しんねん)のある人は強い。まことの友人をもった人は強い」と言われますが、その三つの条件は、すべて私たちに、創価学会のなかにそなわっています。』

池田先生が言っています。
「強さ」をもたらす三つの条件を、創価学会(そうかがっかい)は、すべて、そなえている・・!

まず、「人生の確かな目的をもった人は強い」ですが、人々は、幸せになるために、一生懸命(いっしょうけんめい)、生きているとは思う。けれど、 人生の確かな目的をもっているか?と聞かれたならば、それを明確に答えられる人は少ないと思う。

「自分は何のために生きているのか」「自分の存在価値(そんざいかち)とは、何なのか」

その確固(かっこ)たる心棒(しんぼう)がないかぎり、人の生き方は、フワフワした根無し草(ねなしぐさ)のようになってしまう。世間のさまざまな流れや風潮(ふうちょう)に右往左往(うおうさおう)して、どこにいくかわからないような人生になってしまう。

そして、その答えを見つけられないまま、ほとんどの人が人生を終えてしまうというのが、現実だと思う。

ところが創価学会の人たちは、違(ちが)う!

創価学会の人たちは、明確(めいかく)に自分の存在価値を知っている。自分に生きる大いなる使命(しめい)があることを知っている。

それは、単(たん)なる理屈(りくつ)ではなくて、創価学会の、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、現実に実践(じっせん)することによって、自分が幸せに変わり、そのことによって家族や職場、地域や世界を現実に、より良く変えていく。

結果として、それは、世界を、平和に、幸福に、変革(へんかく)していくことになる。

自分には、自分も幸せになり、まわりの人々、ひいては世界の人々も幸福にしていく使命があり、それを自分のいる場所から、現実に可能(かのう)にしていくのが、創価学会の、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法の信仰です。

その価値と歓喜(かんき)と可能性は、計(はか)り知れない。

何よりも、自分の存在に、太陽のような大きな価値(かち)と歓喜と幸せを味わっていける。
また、それが、そのまま、自分の悩みを解決したり、夢や希望をかなえることにつながり、人生を勝利していける。


次に、「信念(しんねん)のある人は強い。」ですが、確かに、信念は、その人を強くする。絶対に勝つ!絶対に幸せになる!絶対に何かを成し遂(と)げる!

その信念の中で、最も優(すぐ)れた信念、最も力ある信念、あらゆる困難(こんなん)を乗り越え、幸せを勝ち取っていける、また夢や希望をかなえていける、究極(きゅうきょく)の無敵(むてき)の信念が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

この信念を持った人は、強い!!絶対に負けない!!必ず勝っていける!

だれでも、それぞれ、信念はあると思う。けれど、それでも人生の勝敗は、分かれる。信念はあったとしても、本当に最後までその信念を貫(つらぬ)けるのか?また、どんな困難があったとしても最後まで貫けるような強い信念であるかは、疑問(ぎもん)が残る。そして、結局(けっきょく)、最も強い信念、最も強靭(きょうじん)な信念を持った人が勝つ。

そして、その最も強靭(きょうじん)な信念、絶対に負けない、必ず勝っていける信念が、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰です。もう、なにものにも変えられない限(かぎ)りない力(ちから)と可能性と励ましを受けていけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。


そして、最後の「まことの友人をもった人は強い」ですが、友人にも、いろいろあると思う。学校の友人、仕事の友人、趣味の友人、地域の友人、それらも素晴らしいと思うけれど、創価学会の友人は、『永遠の友人』だと思う。

創価学会の実践(じっせん)する仏法では、永遠の生命を説きます。一度かぎりの人生でなく、永遠の生命をつらぬく、絶対に崩(くず)れざる幸福を築(きず)くためにあるのが、南無妙法蓮華経の仏法です。その仏法における、共に絶対に崩れざる幸せを目指(めざ)す友人は、どこにいても、どんな時でも、最高の友人であり同志(どうし)となります。

共に、同じ、最高の幸せをめざす友人。

理屈(りつく)はともかく、どこにいても、どんな環境(かんきょう)でも、どんな苦難(くなん)の中にあったとしても、創価学会員の友がいるということほど、心強いことはないし、確かに、計り知れない温かさと、強さと、勇気と、希望と、大きな大きな励ましを、創価学会の友は、与(あた)えてくれる。

それは、確かに、まことの友人であり、真(しん)の友人と言える。



世の中には、いろいろなことを言う人がいる。いろいろな書物もあり、さまざまな観点(かんてん)からアドバイスしてくれる人も、いるかもしれない。

けれど、現実を見据(みす)えた時、自分の人生という現実の現象(げんしょう)をとらえていった時、結局(けっきょく)のところ、創価学会しかない!創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰しかない!と、いうことができます。

何を言ったとしても、世間で何を言っているとしても、あるいは、小手先(こてさき)で、いろいろとやっていったとしても、どうしても、創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰に、たどりつく。ほんとうに、宿命(しゅくめい)を変え、悩みを解決し、夢や希望をつかんでいく道は、この創価学会の道しかない・・・!

それが、結論(けつろん)であり、逆(ぎゃく)に、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰を根本(こんぽん)に、人生に挑戦していった時、あらゆるものが生かされていく。さまざまなアドバイスを有効(ゆうこう)に生かしていくことができ、さまざまな情報から、自分が本当に幸せになっていけるヒントを見つけ、つかんでいけるようになっていく。

また、創価学会の信心を根本としていった時、自分にかかわる、さまざなな人々が、なぜだか、自分を守り、助ける存在(そんざい)となっていく。

すべての人を生かし、輝(かがや)かせ、幸せに向かわせていく!!

それが、人生の目的と信念、ほんとうの友人という、人生に勝つ三つの条件を兼(か)ね備(そな)えた、創価学会という存在(そんざい)であり、その幸せをもたらす究極(きゅうきょく)の力でありエネルギーであり法則(ほうそく)が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


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ひまわりの種295 [勝利]

ブラジルの大詩人、カルロス・ドルモンが言っているそうです。

『人生の途上(とじょう)で、あなたが「どの地点で」足を止めたか。それは、たいしたことではない。
「どの時に」疲れ果(つかれは)てたか。それも関係ない。大事なことは、そして不可欠(ふかけつ)なことは、何か。それはいつも「再(ふたた)びやり直す」ことである。』

と。

池田先生(創価学会インターナショナル会長)も、言っています。

『その通りであります。真実の勝利者とは、たとえ打ちのめされても、へこたれない。
常に「今から」「ここから」再び立ち上がり、朗(ほが)らかにたくましく、価値(かち)を創造(そうぞう)していく勇者のことでありましょう。』

立ち止まることのない人は、おそらく、いないと思います。
また、人生においては、打ちのめされるようなことも、あると思います。

けれど、勝利者は、そこから立ち上がる。

何度も何度も、立ち上がって、勝利をつかむ。

それが、勝利者・・!

だから、勝利者とは、勝つまで、立ち上がった人だと言える。

仏法(ぶっぽう)では、仏(ほとけ)の異名は『能忍(のうにん/能[よ]く忍ぶ)』と言う。
どんな苦難(くなん)にも耐(た)え、乗り越(こ)え、そして勝っていく。

仏(ほとけ)というのは、死んだ人のことではない。
人間の王者という意味です。

だから、仏には、どんな苦難も乗り越え、勝っていける力がある!
ということだと思う。

また、仏(ほとけ)というと、自分とは関係ないように思われる。
けれど、この「仏(ほとけ)」は自分に関係ないものではない。
そうではなく、その、どんな苦難も乗り越えて勝っていける『仏の生命』が、すべての人間の中にある!ということです。
すべての人が、その『仏の生命』を引き出していける!ということです。

そうなれば、その人は、勝っていける。

けれど、世の中には、苦悩や悩み、人生に破(やぶ)れ、不幸になっていく人たちが、山ほどいる。

それは、なぜなのだろうか?

それは、耐(た)えられないからです。苦難や苦しみに負けてしまうからです。

すべての人の中に、『仏の生命』があるのに、どうして負けてしまうのか?

それは、その『仏の生命』を引き出す方法を、知らないからです。
引き出すことができないから、その『仏の生命』の偉大(いだい)な生命力を、使うことができない。
そして、その生命力を使わないまま、知らないまま、人生を終わってしまう。

それが、多くの人の人生だと、言うこともできるでしょう・・。

では、その、『仏の生命』を引き出す方法とは、何なのか・・?

その『仏の生命』を引き出す、唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会の人たちが実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

この創価学会(そうかがっかい)の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰が、『仏の生命』という、無限の生命力を、引き出していく、決定的な方法なんです。

ゆえに、創価学会の人たちは、どんな苦難にも負けないで、勝っていける。
ゆえに、世界中の創価学会の人たちが、悩みを乗り越え、さまざまな夢や希望をかなえて、幸せを勝ち取っている。


だれもが、幸せになりたい。
だれもが、勝ちたい。

けれど、そのためには、耐えなければならない。どんな苦難にも負けないで、耐えて耐えて、勝利をつかんでいかなければならない。

けれど、それだけの耐える力(ちから)がない。それだけの苦難に耐えていくだけの生命力が、自分の中にない・・。

だから、人は、あきらめたり、絶望(ぜつぼう)したりして、人生を、ずるずると生きてしまうことも多い。

その生命力があれば・・・!
どんなことにも耐えていける、強い強いエネルギーがあれば・・!

その、どんな苦難も撥(は)ねのけていける、無限の生命力、どんなことにも耐えて勝っていける強い強いエネルギー。
その無限の生命力を、自分の中から引き出していける、決定的で、唯一(ゆいいつ)の方法と言っていいのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!!


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ひまわりの種289 [勝利]

オリンピックとかでもそうだけれど、どんな競技でも、勝つと注目(ちゅうもく)を浴(あ)びるし、勝つと、さまざまな幸運が引き寄(よ)せられてくる。

幸せだから、勝つのではなく、『勝つから幸せになる!』ということです。

ようするに、幸せよりも、勝つことの方が先だということです。

勝つことによって、幸せがもたらされてくると、いうことです。

創価学会が実践(じっせん)している仏法(ぶっぽう)では、
『仏法は、勝負を先(さき)とする』
というけれど、これは、確かに、その通りなんだと思う。

勝たないと幸せが、もたらされない・・。

以前、コメントで、「宗教のくせに、勝つなんで、下品(げひん)だ。はしたない・・」と言われたことがあったけれど、とんでもないことで、どんなことにせよ、勝たなかったら幸せにはなれないし、幸せをもたらすことはできない。

だから、本当に幸せになりたかったならば、本当に幸福をもたらしたかったら、勝つしかない・・!

幸せが先ではなく、勝つことが先であり、勝つことに集中(しゅうちゅう)すべきだということです。

それは、どんな事にも当(あ)てはまり、

自分に勝つ、
朝に勝つ、
仕事に勝つ、
生活に勝つ、
さまざまな試練(しれん)に勝つ、
悩みに勝つ、
病気に勝つ、
人生に勝つ、

すべては、勝つことによって始まり、勝つことによって、すべては、もたらされてくると、言えます。

だから、やはり、勝つことが最も重要(じゅうよう)であり、勝つことを重視(じゅうし)しなかったら、人生に幸せがもたらされることはないとも、 言えます。

だから、さっきも言ったように、「宗教のくせに勝つなんて、下品だ」などと言っているのは、まったく真実が見えていないのであり、単(たん)なる逃避(とうひ)にすぎないと言えます。

また、そういうことを言っているのは、人生を勝利していけるだけの力がない、偽物(にせもの)のエセ宗教だと、言えます。

そうではなく、絶対に勝っていけるもの、人生を勝利していける、究極(きゅうきょく)の法則(ほうそく)であり、力であり、エネルギーとなるもの。それが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

本物の信仰は、勝つためにあるんです。

それは、そのまま、幸せになることを意味しています。

だから、『仏法は、勝負を先とする』んです。


その勝負に勝っていけるもの。どんな苦難(くなん)も乗り越(こ)え、人生を勝利していける、決定的にして唯一(ゆいいつ)の法則であり力(ちから)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰なんです・・!


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ひまわりの種288 [勝利]

近代五輪の父と言われるクーベルタン男爵(だんしゃく)が、言っています。

『功績(こうせき)とは、圧迫(あっぱく)された人間が、自分自身に向(むか)い、また逆境(ぎゃっきょう)に立ち向かって戦い、自分自身の活力で勝利を得(え)たとか、あるいは「運命を克服(こくふく)する」ことに成功した時、そこにあるのである。』

功績(こうせき)というと、なにか華々(はなばな)しいことを想像してしまうけれど、ほんとうの功績は、クーベルタン男爵が言うように、一人の圧迫された人間が自身に立ち向かい、逆境と戦って勝利を得ることにあるのかもしれない。

それは、同じくクーベルタン男爵が言うように、『運命を克服する』ことになり、その時、人間としての本当の勝利がもたらされる。

その、クーベルタン男爵が言う、本当の勝利をもたらす場所が、創価学会だと思う。

さまざまな苦難(くなん)や宿命(しゅくめい)に圧迫され、苦しんできた人々が、自分自身に立ち向かい、また逆境に立ち向かって乗り越(こ)え、 勝利と幸せを勝ち取っていく。

それは、創価学会そのものだと思う。

普通だったら、あきらめるしかないような宿命や絶望・・。
あまりにも大きい現実の悩み・・。
それを、ひとりひとりに、ことごとく乗り越えさせ、幸せを勝ち取らせていく。

そのだれもが望む偉業(いぎょう)をやってきたのが、創価学会だと思う。

クーベルタン男爵は、それこそが『功績』だと言っていますが、そう考えた時、創価学会の世界192カ国に広がる一人一人が、『功績』そのものだと思う。

ひとりひとりの功績のかたまり・・。それが、創価学会だと思う。

そう考えた時、どんなに賞賛(しょうさん)しても、しきれないほど価値(かち)があり、尊(とうと)さがあるのが、創価学会だと思う。

だから、世界の有識者(ゆうしきしゃ)たちは、創価学会を最大に賞賛し、大きな期待と尊敬を集めている。


クーベルタン男爵(だんしゃく)が、
『功績(こうせき)とは、圧迫(あっぱく)された人間が、自分自身に向(むか)い、また逆境(ぎゃっきょう)に立ち向かって戦い、自分自身の活力で勝利を得(え)たとか、あるいは「運命を克服(こくふく)する」ことに成功した時、そこにあるのである。』
と言いましたが、まさしく、それを現実に、どんな人でも可能にする、最高にして究極(きゅうきょく)の方法が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、言い切ることができます・・・!


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ひまわりの種234 [勝利]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『現実社会は熾烈(しれつ)な生き残(のこ)り競争である。たとえ、これまで安泰(あんたい)でも、これから先はわからない。
根本は、題目(だいもく/南無妙法蓮華経のこと)をあげている人が勝つ。
「法華経(ほけきょう)の兵法(へいほう)」で勝つのだ。妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)に生き抜(ぬ)くところに繁栄(はんえい)の道がある。これが結論(けつろん)だ。

うれしい時も題目(南無妙法蓮華経)。苦しい時も題目。どんな時も題目。万事(ばんじ)にわたり、勝つ方法は、ここにある。』

※ちなみに「法華経(ほけきょう)の兵法(へいほう)」の法華経とは、つまるところ、『南無妙法蓮華経』のことを指(さ)しています。だから、法華経の兵法とは、南無妙法蓮華経を、となえぬいて人生に挑戦していくことを言います。


人生、わからない。かりに一流の企業に入社できたとしても、リストラにあってしまうこともある。企業が倒産(とうさん)してしまうこともある。勝負のあやは、ほんとうに微妙(びみょう)だ・・。とくに現代という時代は、何が起こるかわからない。

考えると、不安に身が縮(ちぢ)むようなことも、あるかもしれない。

希望を持って、信念(しんねん)を持って、堂々と勝っていける道は、ないものだろうか・・?

また、たとえ、どんなことがあったとしても、未来を勝利に変えていける道は、ないものだろうか?

その希望と信念を持って勝っていける道。どんなことがあったとしても未来を勝利に変えていける道が、実は、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです!!

池田先生が言うように、勝っていくこれ以上の『兵法(へいほう)』はないんです!

南無妙法蓮華経を、となえていくことは、幸せの道を作っていくのと同じなんです。

もちろん、道を作るといっても、苦労もあるし、大変なこともあるでしょう。けれど、へこたれないで、辛抱(しんぼう)強く、南無妙法蓮華経をとなえぬきながら、人生に挑戦していったとき、必ず、勝利の道、幸せの道が開けるんです!!

南無妙法蓮華経は、究極(きゅうきょく)の勝利の法則(ほうそく)であり幸せの法則なんです。

ゆえに、どんな熾烈(しれつ)な競争の中にあったとしても、必ず勝っていける。
必ず幸せになっていける。

うれしい時も、悲しい時も、どんな時も、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、なぜだか、道は必ず開けてくる。

それが、熾烈(しれつ)な現実社会の中でも、どんなことがあっても、必ず勝利し幸せになっていける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!


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ひまわりの種197 [勝利]

ヘミングウェイの名作『老人と海』の中の一節(いっせつ)に、こうあります。

『人間は負けるように造(つく)られてはいないんだ。』


確かにそうだと思う。

人間は、負けるようには造(つく)られていない・・!

けれど、世間を見ると、人生に破(やぶ)れ、敗北していってしまう人たちもいる。
そのために、命を捨ててしまう場合もある。

なぜだろう・・?

それは、やはり、何かが狂(くる)っているからだと思う。

本来、人間は、負けるようには造(つく)られていない!
けれど、自分の生命の、なにかの狂い、歪(ひず)みが生(しょう)じ、さまざまな敗北、不幸が生まれてしまう。

その生命の中の狂い、歪(ひず)みが、いったい、どこから生まれてくるのか?といえば、実は、それは、間違(まちが)った宗教や思想によって、起こってくる!!

人は、宗教には無頓着(むとんちゃく)だし、宗教など関係ないと言う・・。

けれど、本当は、生命に起こってくる狂い、歪(ひず)み、そしてそこから、もたらされる『不幸』は、間違った宗教、間違った思想から、もたらされる・・!!

人は、そのことには、まったく気づかない・・・。

日本にはびこる葬式仏教(そうしきぶっきょう)にしろ観光宗教にしろ、神社信仰にしても、それらは、明らかに間違った宗教です。
それは、ちょっと考えればわかりますし、仏法哲学(ぶっぽうてつがく)をひもとけは、完全に間違った宗教であることが、わかります。

正月になると、観光気分で、神社や仏閣(ぶっかく)に行きますが、気持ちは、わからないでもないですが、そんなところにいっても、なんの足(た)しにもなりません。さっきも言ったように、それらの葬式仏教にしろ観光宗教にしろ、神社信仰にしても、明らかに間違った宗教です。間違った宗教であるがゆえに、どんなに真剣に祈ったとしても、逆に、幸せになるどころか、さまざまな形で不幸が、もたらされてしまいます。

それが、日本の葬式仏教であり観光宗教であり、神社信仰です。

不幸の根源(こんげん)には、必ず、間違った宗教があるんです・・。

その間違った宗教が、さまざまな形で、自分の生命に悪影響を及(およ)ぼし、生命の狂い、歪(ひず)みを生じ、本来、人間は負けるようには造(つく)られていないのに、さまざまな敗北、不幸を生んでしまう。


本来、人間は、負けるようには造られてはいない・・。

人間が本来、持っているエネルギーは、すごいんだと思う。

無限の可能性、無限の力・・。

だから、その人間が本来持っている無限の力、無限の可能性を引き出し、開花させることが求められる。

その・・本来、人間が持っている無限の可能性、無限の力を引き出し開花させていける決定的方法が、実は、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

・・・
さきほど、間違った宗教が、人に不幸をもたらすと言いましたが、だとしたら、逆に、正しき宗教は、人間に幸せを、もたらすはずです。また、それが本来の正しき宗教です。

人間の持っている本来の力(ちから)を引き出す。

人間は、本来、負けるようには造られてはいない。

その人間の中にある力(ちから)を、無限に引き出し、開花せさ、幸せを勝ち取っていける方法が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

南無妙法蓮華経とは、人間が本来持っている蘇生(そせい)の力(ちから)なんです。

究極(きゅうきょく)の勝利の力(ちから)、究極の蘇生(そせい)の力が、『南無妙法蓮華経』なんです。

だから、南無妙法蓮華経を、となえていった時、自分の中から、勝利の力、蘇生の力、希望の力が、わき上がり、決して負けないで幸せを勝ち取っていける。

それが、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。

ゆえに、創価学会の人たちは、さまざまな悩みや問題を乗り越(こ)えて、希望と勇気と蘇生(そせい)の力によって、夢や希望をかなえ、幸せになっていけるんです。だから、創価学会は、世界192カ国に広がっている。


ヘミングウェイが言うように、『人間は、負けるように造(つく)られていない!』

そして、負けるように造られていない人間の力(ちから)を、無限に引き出し開花させ、幸せを勝ち取っていけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種112 [勝利]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『君たちは、勝つために生まれてきた。
「絶対に勝つ」ための究極(きゅうきょく)の力(ちから)が、信心である。』

信心とは、創価学会が実践している、ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえて祈る信心のことです。また、ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自身の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。

その創価学会の南無妙法蓮華経を、となえて祈る信心が、『絶対に勝つための究極の力(ちから)』だということです。

ぼくたちは、勝つために生まれてきた・・・。
なぜならば、勝たなかったら、みじめだからです。
勝たなかったら、不幸だからです。

スポーツとか勝負に関わる世界でないと、なかなか、この『勝つ』ということを意識することは、あまり無(な)い世の中かもしれない。

けれど、だれにとっても、やはり『勝つ』ということは重要です。
人に勝つというよりも、自分に勝つ!ということ。そこにしか、おそらく幸せは見えてこないからです。

幸せは、勝利の中にある。

勝つ事は、元気が出るし、気持ちがいい。勝つ事は、ほがらかになるし、清々(すがすが)しい。
結論から言うと、勝つ事は、幸せだ。

だから、勝たなければならない。

だから、勝つとことは、幸せと直結(ちょっけつ)している。

その勝つための究極の力(ちから)が、南無妙法蓮華経なんです。
南無妙法蓮華経は、勝つためのあらゆる力(ちから)を自分の中から、呼び起こすんです!!
また、南無妙法蓮華経を、となえていくと、勝つためのあらゆるものが、自分に引き寄(よ)せられてくるんです。

南無妙法蓮華経を、真剣に、となえることによって、あらゆるアイデアが浮(う)かび、真剣に努力できるようになっていくんです。また、不思議と、周(まわ)りの人たちも、自分の勝利を援助(えんじょ)してくれるような存在に変わっていくんです。

だから、勝つために人生、いろいろ、あるでしょうが、結局は、南無妙法蓮華経を、となえるのが、最高にして究極(きゅうきょく)の方法になってくるんです。

それが、南無妙法蓮華経なんです。


池田先生が言っています。
『「法華経(ほけきょう)に勝(まさ)る兵法(へいほう)なし」である。・・・・
強盛(ごうじょう)な「祈り」と、これ以上ないという「努力」で、今年も勝ちまくっていただきたい。』
(ちなみに、法華経とは、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)のことを、言います)

池田先生が言うように、ぼくたちは、勝つために生まれてきた。負けるためなんかじゃない!!
その勝つために生まれてきたぼくたちにとっての、勝つための本源的なエネルギーが、南無妙法蓮華経であり、南無妙法蓮華経を、となえることなんです。

だから、勝利できる。だから、南無妙法蓮華経を、となえることによって、悩みや問題を解決でき、夢や希望を、かなえていけるんです。


その・・、すべての人が勝つためにあるもの・・・。それが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・。


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ひまわりの種51 [勝利]

だれだって、人生に勝ちたい・・!だれだった、自分に勝ちたい・・!だれだって幸福になりたい・・!また、かっこいいことを言えば、正しい、正義(せいぎ)の道を、進んでいきたい・・。

実は、そのための絶対勝利の哲学(てつがく)が、創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法なんです!

日蓮大聖人が 、弟子である、四条金吾(しじょうきんご)に、次のように語っています。
『武門(ぶもん)を誇(ほこ)った平将門(たいらのまさかど)も、中国の武力を誇(ほこ)ったハンカイ、チョウリョウといった名将(めいしょう)も、兵法(へいほう)だけでは力(ちから)がおよばず、敗れ去った。ただ、心こそが大切なのである!』・・と。

どんなに武力を誇(ほこ)っても 、それだけでは勝てない。本当に勝負を決するのは『心(こころ)』なんだと・・・。

実は、心こそが、勝負を決する。けれど、心と言われてもわからない。心と言っても、いろいろある・・。

では、勝利するための心とは、いったいどういう心なんだろうか?
また、具体的に勝利するための心を説明したところで、その心を引き出し実践できるか?というと、それも疑問だし、難(むずか)しいと思う。

けれど、絶対勝利の心を、引き出す方法が、ひとつだけある!!!

それが、創価学会が実践している南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです。

この南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰は、絶対勝利の心を引きだし作り出す最高の方法であり、唯一(ゆいいつ)の方法とも言えるんです!だから、スゴイんです!!だから幸せになり勝利できるんです!!


武力だけでは、勝利できない。心こそが、大切!実は、最高の心を持ったものが、勝利していく!その最高の心を引き出し作りだしていく方法が、南無妙法蓮華経の仏法。

だから、勝利し幸せになっていくための、絶対にして最高の方法が、創価学会が実践している南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰だと、言い切ることができます・・・。


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ひまわりの種49 [勝利]

ぼくの友だちに、芸能関係の知り合いが多い人がいます。その友だちは、創価学会員ではありませんが、彼の知り合いの芸能関係の人に創価学会の人がいて、その創価学会員である芸能関係の人が話してくれたそうなんですが、なにか、お笑いの大きな大会があって、その優勝者から3位まで、三人ともすべて、「創価学会員」だったそうです。

その話しを聞いた創価学会員ではない、ぼくの友だちは、「そんなの、おかしい?きっと、そのお笑いの大会のスポンサーや社長が、創価学会員で、創価学会員を、「ひいき目」で見ているにちがいない・・・」と言っていた。

ぼくから見れば、「芸能界でも、創価学会員、がんばってるじゃないか!」と素直に喜ぶんだけれど、創価学会でない人からすると、理由がわからない?創価学会と、創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法の素晴らしさを、知らないから、「そんなこと、あるわけない?」と、いやしい理由を、考えるしかないんだと思う。

そこで、芸能界という厳(きび)しい世界でも 、創価学会員が活躍(かつやく)できる理由を、考えていきたいと思います。

(1)『あきらめない』
最近の若い人は、忍耐力(にんたいりょく)がないから、簡単に、あきらめる人が、多いようだ。
だけど、創価学会の人は、あきらめない。
南無妙法蓮華経を、となえていると、自分の中から強い強い生命力、勇気や希望が、わき上がってくるので、『絶対、勝利するんだ!』という、強い一念(いちねん/こころ)を、自分の中から、無限に、引き出していくことが、できるからです。
また、苦境(くきょう)の時でも、創価学会の人が、『絶対、あきらめるな!』と励(はげ)ましてくれる。
その創価学会の人たちの信念と確信のこもった励(はげ)ましの力も、大変、大きい!

(2)『輝(かがや)いてる』
南無妙法連華経を、となえるということは、自分の生命力を、強くし、輝かせていくことだから、当然、自分の生命が、輝いていれば、人より、引き立って見えるし、魅力的に、見える。

(3)『福運(ふくうん)が、ある』
芸能界では、運、不運によって、大きく左右される。南無妙法連華経を、となえることと、創価学会の活動は、その運(福運)を、つける、『唯一(ゆいいつ)の方法』と言っていいので、その二つを、実践している創価学会員は、『ラッキー』に、めぐまれて、当然とも、いえる。

(4)『個性を、発揮(はっき)してる』
仏法というのは、「桜梅桃李(おうばいとうり)」といって、桜は桜らしく、梅は梅らしく、桃は桃らしく、すもも(李)は、すもも(李)らしく、それぞれが、その人らしい、最高の個性を、発揮(はっき)していく法則なので、南無妙法連華経を、となえ、創価学会の活動を、していると、自分の個性を、最大限に発揮することが、できるようになってくる。

以上、四つのことから考えていくと、芸能界という、きわだった世界でも、南無妙法連華経を、となえ、創価学会の活動を、しているということは、大きな武器となると、考えていいと思う。

だから、芸能界でも創価学会員が、活躍できるのは、活躍できるだけの十分な理由があるのであって、おかしなことは何もない。また、芸能界でも創価学会員が活躍できることが、創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法の素晴らしさ、スゴサを、現(あらわ)しているのであり、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、人々に幸せと勝利をもたらす、真実の信仰であり、現実に結果を出せる、力(ちから)ある哲学(てつがく)であることの証明になっている!!


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ひまわりの種22 [勝利]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が昔、葛飾(かつしか)の講習会に行ったとき、目印のポスターに、ひらがなで「かつしか」と書いてあった。それを見た池田先生は、ペンを持ち、「かつしか」の文字の右下に、「ない」と書き加えた。

「勝つしかない!」ということです。

ユーモアがありますが、決してユーモアだけの話しではない!現実問題、人生、『勝つしかない!』んです!!

わかりきったことですが、人生、『勝つしかない!』・・・。けれど、人は往々(おうおう)にして、その最も大切なことを、忘れがちです。

確かに勝つしかないですが、人は、その『勝つ』とい概念(がいねん)すら、忘れ去ってしまう場合がある。

負けたら、みじめです。けれど、人生の荒波(あらなみ)にもまれる中、勝つという情熱が消え去り、なんとなくその場その場で、生きてしまう場合もある。人生、勝つしかないのに・・・。

人生は勝つためにある!にもかかわらず、勝つことが 、いかに困難であることか・・・。

勝つためには、さまざまなものが必要だ。これひとつあれば、勝てるなんてことはない。あらゆるものが、積み重なって勝利という結果が、生まれてくる。
たとえば、努力、団結、勇気、精神力、気力、執念(しゅうねん)、運、ラッキー、良き友人、それらのものが 、すべて、合間(あいまっ)て、勝利という結果が、生まれてくる。

それだけのものを集約して、勝利に導(みちび)けるような人は、そう簡単には、いない。
けれど、それら、努力、団結、勇気、精神力、気力、執念(しゅうねん)、運、ラッキー、良き友人、などを集約(しゅうやく)した生命の力(ちから)が、存在する!!

それが、『南無妙法蓮華経』なんです。

『南無妙法蓮華経』には、勝利するために必要なものが、すべて凝縮(ぎょうしゅく)して、つまっているんです。
その勝利を、つかさどる勝利の法則そのものが、また勝利の力そのものが、『南無妙法蓮華経』なんです。

だから、創価学会の人たちは、どんな人であっても、南無妙法蓮華経を真剣に、となえつづけることによって、その人が望む、その人らしい、また、その人にしかできない『幸せ』を、つかむことが、できるんです!

勝利に必要な、ありとあらゆるものが、つまった、勝利の力であり、勝利の法則。
それが、創価学会の人たちが、日々、となえている南無妙法蓮華経であり、そのことによって、世界中の創価学会の人たちに、勝利と、幸せを、もたらしている!!


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