ひまわりの種264 [幸せ]

創価学会二代会長である戸田城聖先生が、言っています。

『宇宙(うちゅう)の変化の大もとである南無妙法蓮華経を自身の胸中に涌現(ゆげん)させるのが、この大仏法(ぶっぽう)である。ゆえに自分の望む方向に、一年また一年、よりよく変化し、必ず勝利していけるのだ。』

戸田先生は、『南無妙法蓮華経』を『宇宙の変化の大もと』だと言われた。

ひとことで、『宇宙の変化の大もと』と言われても、なかなかピンとこないかもしれない。

宇宙を根源(こんげん)から動かしている力とでも言えるだろうか。
宇宙を誕生させた本源的(ほんげんてき)な力だとも言えるだろうか・・。

それは、科学が発展した現代であっても、なかなか表現しずらいことだと思う。

科学が発展すればするほど、科学が、この創価学会が実践(じっせん)している仏法(ぶっぽう)に近づいていくとも言われている。

仏法が科学に追(お)いつくのではなく、科学が仏法に追いつく・・!

すなわち、科学はまだ、仏法に追いついてはいず、仏法が、科学のはるか先を行っているということです。

だから、仮(かり)に科学に詳(くわ)しい人であっても、仏法(ぶっぽう)を理屈(りくつ)で理解することは困難(こんなん)であり、理屈で理解するには限界(げんかい)があるということです。

けれど、宇宙を変化させている大もとの力(ちから)が存在する・・。

存在(そんざい)するから、宇宙は、変化し、動いていると言えます。

その現実に存在する『宇宙を変化させる大もとの力』が、創価学会の人たちが、日々、となえている『南無妙法蓮華経』なのだという。

科学では、まだまだ解明(かいめい)しないかもしれないけれど、それは、実際、やってみるとわかる。

自分でやってみて、現実に良く変わっていく!

すなわち、さまざまな、あらゆる悩みが解決されていき、自分のさまざまな夢や希望をかなえる方向に、なぜだか不思議(ふしぎ)と進んでいける・・!

その体験によって、『この南無妙法蓮華経は、すごい!』『創価学会が実践する、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰は、本物だ!!』とわかり、歓喜(かんき)し、進んで実践するようになっていく。

だから、創価学会は、世界192カ国に広がり、世界中の人たちを、幸せにしている。

それが、現実だと思う。


人は、宗教と聞くと、うさんくさく思い、毛嫌(けぎらら)いする。
また、バカにする場合もある・・。

だが、仏法は、科学の先を行っている。

だとしたら、宗教ではなく、「科学」だと思ったらどうだろうか・・。

必ず幸せになる科学。
必ず、良く変わっていける科学。
必ず、悩みを解決でき、夢や希望をかなえる方向に必ず進んでいける科学。
幸せというすべての人が望む勝利を、必ずつかんでいける科学。

それが、創価学会が実践している南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと思う。

宇宙を変化させる大もとの科学とも表現できる、『南無妙法蓮華経』を、自分自身でとなえていったとき、その宇宙を変化させていける大きな力を、自分の中から湧(わ)き上がらせていくことができる。
そして、悩みを解決し、夢や希望に向かって、最高の勝利と幸せをつかんでいくことができる。

それが、南無妙法蓮華経であり、創価学会が実践する、必ず幸せと勝利の変化をもたらす、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰なんです・・!


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ひまわりの種260 [幸せ]

日本にキリスト教を広めたことで知られている、フランシスコ・ザビエルは、日本で仏教の僧侶(そうりょ)たちの生活を見て、その自堕落(じだらく)な生活に、驚(おどろ)きを覚(おぼ)える。そして、書簡(しょかん)の中で語っています。

『坊(ぼう)さんよりも、世間の人の方が、正しい生活をしている。それでいて、相変(あいか)わらず坊(ぼう)さんが尊敬(そんけい)されているのは、驚(おどろ)くべきことだ。』


キリスト教にも多くの欠点と弊害(へいがい)があり、決して勧(すす)められるようなものではないけれど、このフランシスコ・ザビエルの仏教の僧侶(そうりょ)に対する書簡(しょかん)には、真実が込(こ)められていると思います。

フランシスコ・ザビエルは、その仏教の僧侶(そうりょ)たちの腐敗(ふはい)から、形骸化(けいがいか)した仏教の欺瞞(ぎまん)と没落(ぼつらく)を感じとっていた!

それは、現代でも通じることであり、同じようなことが言えると思います・・。

なんの根拠(こんきょ)も確信もない葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、また、神社信仰にしても、同じです。それは、ひとつの商売として認(みと)められているのかもしれませんが、そこに宗教としての、人々を幸せにしていく力(ちから)や結果が伴(ともな)うことはない。

だれも、心の底から信じている人などいないけれど、かといって宗教なのだから、きっと良いものなのだろうと、拝(おが)んだり、祈ったりしている。それは、レジャーであり、遊びと同じなのかもしれない。

けれど、ここに人々を不幸にする大きな問題が潜(ひそ)んでいる。

それは、間違(まちが)った宗教は、人々を不幸にしてしまう!ということです。

でたらめな間違った宗教に祈るということは、そのデタラメな間違った宗教に、自分の人生と生命を、ゆだねるのと同じです。間違ったデタラメな宗教に自分の人生を、ゆだねていけば、当然、自分の人生は、デタラメな間違った人生、すなわち「不幸」が、さまざまな形で、もたらされる。

また、間違ったデタラメな宗教に祈るということは、間違ったデタラメな宗教に、自分の生命をささげていくことにもなるので、その通りの影響(えいきょう)を受け、自分の生命は、間違ったデタラメなものとなり、すなわち、さまざまな形で不健康となり病気となる原因(げんいん)になっていく。

それが、間違ったデタラメな宗教というものです。

そして、その間違ったデタラメな宗教が、フランシスコ・ザビエルが批判(ひはん)したように、日本の葬式仏教(そうしきぶっきょう)であり、観光宗教であり、また神社信仰でもあります。

それらが幸せをもたらすことはなく、間違った宗教であるがゆえに、逆に必ず、さまざまな形で不幸をもたらしてしまう。

ここに、不幸を生む大きな盲点(もうてん)があり、どんな優秀な人間でも、またエリートと言われる人たちであっても、そのことには気づかず、自分に降(ふ)りかかってきた、さまざまな不幸に関して、ただ、悩み、苦しむだけで、人生が過(す)ぎていく・・。


宗教は、本当は、幸不幸を決定づける根幹(こんかん)の部分を占(し)めている。

人は、物質的なこと、表面的なことには、すぐ気づくけれど、幸不幸をつかさどる宗教にかんしては、まったくもって、関心をもたない。

たとえば、自分の住んでいるマンションに安全面や耐震(たいしん)などで、問題があれば、すぐにでも、そんなマンションは返上(へんじょう)して、他の安全なマンションに住もうとする。

けれど、自分が今までかかわってきた宗教、あるいは先祖から受け継(つ)がれている宗教が、間違ったデタラメな宗教だとしても、そんなことには興味(きょうみ)を示さず、本当の宗教を求めようとはしない・・・。

けれど、それは、耐震に問題があるマンションが、なにかの災害(さいがい)で、あっというまに崩(くず)れさってしまうように、自分が受け継(つ)いでいる宗教や、かかわってきた宗教が、間違った宗教である場合、それは、マンションどころか、自分の人生や生命そのものを、倒壊(とうかい)させる結果になってしまう。


・・不幸の根源(こんげん)には、間違った宗教がある!

人は、そのことに、早く、早く、気づくべきです・・。
そして、その不幸を打ち破(やぶ)ることのできる、真実に幸せを築(きず)いていける宗教を、求めるべきです。

問題は、その本当に幸せをもたらすことのできる宗教、現実に結果が明確(めいかく)に出る、悩みや問題を解決でき、夢や希望をかなえていける大きな力(ちから)となる宗教があるのか・・ということです。

そして、その必ず幸せをつかんでいける、あらゆる悩みを解決していけ、困難(こんなん)や障害(しょうがい)を乗り越(こ)えて現実に幸せを勝ち取っていける宗教が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰です。


本当は、人生を、安全に、幸せに、最高に勝利していく上で、宗教ほど、大切で重要なものはない・・!

耐震(たいしん)や安全に問題があるマンションだとわかったら、すぐにでも、他の安全なマンションに住もうとするように、自分のかかわってきた宗教が間違ったものであるならば、すぐにでも、その間違った宗教を捨て、正しい、真に人々を幸せにしていける宗教につくべきです。

さきほども言いましたが、世間一般に広められている葬式仏教にしても、観光宗教にしても、神社信仰にしても、それらは、明らかに間違った宗教であり、間違っているがゆえに、必ず弊害(へいがい)があり、さまざまな形で不幸が出現してきてしまう。また、過去世(かこせ/過去に自分が生きてきた時代)に、自分が間違った宗教にかかわってきた可能性も高く、そのために、現在、さまざまな不幸や運命的な苦しみを味(あじ)わっていることも、多いと思う。

それらの不幸を打ち破る、唯一(ゆいいつ)の秘宝(ひほう)と言えるのが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

太陽が昇(のぼ)った後は、つゆや水滴(すいてき)は、あっというまに消え失(う)せてしまうように、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰は、その人がもつ、さまざまな、あらゆる不幸や悩み、苦しみを消し去(さ)っていく力(ちから)があるんです。そして、幸せを勝ち取っていける。


宗教は、人生と生命における根幹(こんかん)の部分を占(し)めている。

そして、その根幹の部分に絶対に間違(まちが)いのない、必ず、幸せと勝利をもたらしていける、悩みや問題を解決していける、生命を支(ささ)える太陽のような宗教が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種258 [幸せ]

以前、聖教(せいきょう)新聞に池田先生(創価学会インターナショナル会長)が掲載(けいさい)してくれている新人間革命に、ある創価学会に入会したばかりの婦人の体験が、のっていました。

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彼女は創価学会に入会したものの、正直、信じてはいず、逆(ぎゃく)に、学会員の鼻(はな)を明かしてやりたいという思いで、創価学会のご本尊(ほんぞん)の力を試(ため)してみることにしたのだ。

一週間は、真剣に唱題(しょうだい/南無妙法蓮華経を、となえること)し、次の一週間は、やめてみた。結果は、あまりにも明白(めいはく)であった。彼女は喘息(ぜんそく)持ちであったが、題目(だいもく/南無妙法蓮華経のこと)をとなえ始めた日から、喘息(ぜんそく)の発作(ほっさ)はピタリと治(おさ)まった。
唱題(しょうだい)をやめると、死ぬのではないかと思うほど激(はげ)しい発作が起こり、顔が別人のようにむくんでしまった。

「ご本尊様の力(ちから)は、よくわかりました!
信じますから、病気を治(なお)してください!」

彼女は、ご本尊に、ひたすら詫(わ)びた。

御書(ごしょ/※御書とは、日蓮大聖人が書かれた手紙や論文を、すべて集めたものです)に、
『道理証文(どうりしょうもん)よりも現証(げんしょう)にはすぎず』
と仰(おお)せのように、厳(げん)たる現証に、彼女は、信心に目覚(めざ)めたのである。

※「現証」とは、現実にあらわれた、さまざまな結果や証拠(しょうこ)のことを、いいます。

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ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。


はっきり言えば、これが、創価学会の『ご本尊(ほんぞん)』であり、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

科学は、実験の結果によって判断(はんだん)する。実験の結果、同じ結果が出たならば、それを証拠として、明確な答えが導(みちび)きだされます。
何度も何度も、同じ実験をした結果、まったく同じ結果が出たならば、それは科学として証明されるわけです。

宗教も同じであり、人間が実際にやってみて、まったく同じ結果がでたならば、それが真実であると証明されるわけです。

そして、人間が実際、やってみた結果、必ず幸せになれる。さまざまな悩みを解決できる!また、夢や希望をかなえていくための大きな大きな力(ちから)となる!とわかった時、人は、信じ、実践(じっせん)することができる。

その結果が、世界192カ国に広がる創価学会になったんだと思う。


人は、結果がでなかったら、信じることはできない。
逆(ぎゃく)に、結果がでるから、信じて実践(じっせん)することができる。

信じて実践してみた結果、現実にさまざまな悩みが解決した。病気を克服(こくふく)することができた。夢や希望をかなえていくことができた!幸せになれた!という結果が、現実に出たから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)をやるのであって、そうでなかったら、やる人などいません。

創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰に求められるのは、結果です。現実にあらわれる明白が証拠(しょうこ)です。それがなかったら、単(たん)なるおすがり信仰と同じで、やる価値(かち)などありません。

この結果だけは、ごまかすことが、できない!
やらないのと、やったのとで、明白な違(ちが)いがでてくる!だからスゴイんです!世界中の青年たちが創価学会の仏法を実践し、大きく変わり、成長し、輝(かがや)いている。その現実の結果を見て、驚(おどろ)き、感動して創価学会に入る親たちも、少なくない。

葬式仏教(そうしきぶっきょう)にしても観光宗教にしても神社信仰にしても、結果など出はしません。単なる愛嬌(あいきょう)や習慣(しゅうかん)、ごまかしの儀式(ぎしき)でしかない。もっとはっきり言えば、それらは明らかに間違(まちが)った宗教であるがゆえに、真剣に祈れば祈るほど、不幸になってしまいます。そういう意味では、間違っているがゆえに、逆(ぎゃく)に間違った結果、マイナスの結果、不幸というさまざまな結果が出てきてしまうということもできます。

そうではなく、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰は、科学と同じように、やったらやっただけ、プラスの、幸せの結果が出てくる!やればやるほど歓喜(かんき)する!それは現実に自分の生命が、幸せになるからです。

その力には、限界(げんかい)はないとも言え、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、不可能を可能にした結果も、数えきれないほどあります。


人が望むのは結果です。
成果(せいか)です。
はっきり言えば、幸せであり希望であり、勝利です。

それをつかむことのできる、最強にして無敵(むてき)の無限の力が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!!


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ひまわりの種257 [幸せ]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、創価学会について、言っています。

『病苦と経済苦に疲(つか)れきった人。人間関係に押(お)しつぶされ、人生に絶望(ぜつぼう)した人。家族がバラバラで、すさんだ心の荒野(こうや)をさまよう人。

光が当たらない、あらゆる苦悩をかかえた民衆に手を差(さ)し伸(の)べ、ともに同苦(どうく)し、ともに立ち上がってきたのが創価学会です。』

また、池田先生は、そういう創価学会の人たちについて、話しています。

『そういう「人間のための闘争(とうそう)」に生きてきた。名誉(めいよ)もいらない。地位(ちい)もいらない。ただ、「人間として」人間愛に生きぬいた。

泥沼(どろぬま)のような醜(みにく)い社会の中で、一筋(ひとすじ)に大いなる理想に生きぬいてこられた。最高に尊(とうと)い方々なのです。』


思うに、これが創価学会の真実だと思う。世間の悪質なマスコミが話すこととは、まったく逆(ぎゃく)の尊(とうと)く、素晴らしい人間愛に貫(つらぬ)かれているのが、創価学会だと思う。

重要なことは、単なる理想(りそう)や言葉ではなく、創価学会が、病苦と経済苦に疲(つか)れきった人。人間関係に押(お)しつぶされ、人生に絶望した人。 家族がバラバラで、すさんだ心の荒野をさまよう人など、そのあらゆる人々を、現実に救ってきたということです。現実に悩みを解決し、現実に夢や希望をかなえる力となって、その人々を幸せにしてきた!ということです。

ここに、決定的な人間としての重(おも)みがあり、ここに人生と人間の隠(かく)すことのできない尊い人間愛があります。

今までの歴史において、これだけのことを成(な)し遂(と)げてきた団体など、なかったと言えます。また、歴史の上で、それは、できないことであり、不可能であったとも、言うことができます。

けれど、それを可能にしたのが、「創価学会」なんです。

そして、それを可能にした哲学(てつがく)であり思想であり、無限の力(ちから)が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

その創価学会の思想と哲学(てつがく)が現実の人間にもたらす希望と効力(こうりょく)と輝(かがや)きが、あまりにも優(すぐ)れ、きわだっているために、そのようなことを嫌(きら)う傾向性(けいこうせい)のある生命をもった人々から、ひどく非難(ひなん)され、バッシングされてきたと言うこともできます。

これ以上、幸せをもたらす方法はないのに、これ以上、人間として、輝いて生きていく手段(しゅだん)もないのに、また、真実に悩みや問題を解決する方途(ほうと)もないのに、それを受け入れることができない。

自分の保身(ほしん)や醜(みにく)い傾向性(けいこうせい)から出てくるマイナスの心に支配された人たちは、どうしても、創価学会を、隅(すみ)っこに追(お)いやっておきたいと思い、つたないデマや非難・中傷(ちゅうしょう)を、繰(く)り返してしまう。

けれど、創価学会がやっていることは、すべての人間が望んでいることです。世界中の人々が、欲(ほっ)していることです。だから、世界192カ国に広がり、創価学会を正しく理解することのできる世界中の有識者から、最大の期待と賞賛(しょうさん)、尊敬を集めている。

また、創価学会が実践(じっせん)している仏法(ぶっぽう)というのは、ひつとの宗派(しゅうは)のかたよった考えではなく、宇宙の法則(ほうそく)であり生命の法則と言えるものです。また、幸せになるための法則だと言うこともできます。

それが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法というものです。

だから、この創価学会が実践している『南無妙法蓮華経』という仏法の法則に逆(さか)らえる人など、世界に一人もいないんです。

すべての人に影響(えいきょう)を持ち、すべての人に力を及(およ)ぼす、法則でありエネルギーであり力(ちから)が、南無妙法蓮華経の仏法なんです。

その南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を正しく実践する創価学会を、非難・中傷(ちゅうしょう)するということは、その宇宙の法則、生命の法則、幸せの法則に 逆(さか)らうことになり、そんなことをしていれば、すべてにわたって、うまくいくはずがありません。

創価学会を非難・中傷すればするほど、その社会や人は、窮地(きゅうち)に追(お)い込まれ、苦しく暗い世の中になっていく。
それも、現実だということも、言わないわけにはいきません。

ともかく、池田先生が言うように、病苦と経済苦に疲れきった人。人間関係に押しつぶされ、人生に絶望した人。家族がバラバラで、すさんだ心の荒野をさまよう人。光が当たらない、あらゆる苦悩をかかえた人々を、現実に救い、幸せにしてきたのが創価学会です。

だから、これからも、創価学会は、世界中の人々の悩みを解決し、夢や希望をかなえる大きな力となって、人々に勝利と幸せをもたらしていくことでしょう。


それは、現実に、世界中のひとりひとりの人間に現(あらわ)れた事実であり、証拠(しょうこ)であり、世界の有識者たちが絶賛(ぜっさん)するように、人類史に輝(がかや)く、人間そのものを幸せに変革していった偉業(いぎょう)だということが、できます・・・。


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ひまわりの種255 [幸せ]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『幸せが遠くにあると思うのは間違(まちが)えです。すべて自分の中、自分の周(まわ)りにある。』

言葉としては、わかるし、理屈(りくつ)もよく、わかる。

けれど、この言葉が、人生を動かすようなインパクトをもたないと感じる人も多いのではないかと思う。

『幸せは、自分の中、自分の周(まわ)りにある。』

確かにそうだから、「そうだ、そうなんだ!」と思うけれど、だからといって、何かを変えていくようなことが、できないのも現実ではないかと思う。

少し、考え方を変えて、『幸せは、自分の中、自分の周りから、生み出していける!』と考えたらどうだろう・・。

少し、能動的(のうどうてき)な気持ちになる気がする。

「うん!幸せは、自分の中から生み出していくんだ!」

今度は、そう思い、そう決意したとする・・。

けれど、正直、何を、どうしたらいいか、わからない・・。

まだ、具体性(ぐたいせい)に欠(か)けるし、決定的な何かが、わからない・・。

幸せは、自分の中から生み出すんだといっても、なにか変わるわけでもなく、どうしようもないからです。

では、いったい、幸せを自分の中から生み出すには、どうしたらいいんだ?ということになっていく。

その答えがわからないかぎり、なんの効力(こうりょく)にも決め手にもならない・・。

本当に自分の中から、幸せを生み出していけるもの。
本当に自分の中から、幸せを生み出していける方法・・。

その本当に自分の中から幸せを生み出していける方法が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

南無妙法蓮華経は、『歓喜(かんき)の中の大歓喜』だという。

それは、南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分の中から、歓喜が、喜びが、幸せが、湧(わ)き上がってくるということです。

自分の生命が高揚(こうよう)し、元気になり、生命から幸せの息吹(いぶき)が、込(こ)み上げてくる。その自分の中から込み上げてきた幸せの息吹は、やがて行動となり、勇気となり、周りのさまざまな人に影響(えいきょう)を与(あた)えていく。そして、結果的に、周りの人たちも幸せにしていくことになる。

それが、現実にできる決定的な方法が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。


南無妙法蓮華経をとなえることは、自分の中から生命を蘇生(そせい)させるんです。それは、ある時は、病気を克服(こくふく)する大きな力となり、ある時は、悩みや困難を乗り越(こ)えていく力(ちから)となっていく。また、ある時は、夢や希望をつかんでいく強力なエネルギーとなっていく。

それも、すべて、自分の中から湧(わ)きあがる力なんです。

その自分の中から幸せを生む決定的な方法が、創価学会が実践する『南無妙法蓮華経を、となえる!』ということなんです。

だから、世界中の創価学会の人たちが、幸せになっていけるんです。悩みを解決し、夢や希望をつかんでいけるんです。

だから、池田先生が言うように、『幸せが遠くにあると思うのは間違(まちが)えで、すべて自分の中、自分の周(まわ)りにある。』

そして、現実に、確実に、自分の中から幸せを創造(そうぞう)していける唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種237 [幸せ]


幸せ・・・。

幸せは、だれでも望むものだけれど、「幸せ」というと漠然(ばくぜん)としている。

幸せといっても、いろいろ、ある。

だいたい、幸せになる人というのは、べつに幸せが外から降(ふ)ってきたわけではない。幸せになるだけの資質(ししつ)を、その人が、もともと、 自分の中に持っている!というのが正しい考えかただと思う。

たとえば、素晴らしい結婚に恵(めぐ)まれた人にしても、その幸せな結婚を勝ち取っていけるだけの何かの素晴らしい資質を、自分の中に持っているから、素晴らしい結婚ができたんだと思う。

幸せをもたらすだけの何かの資質(ししつ)を自分の中にもっているから、幸せが、もたらされる。

たとえば、ものすごく努力家だったり、とても誠実(せいじつ)な人がらだったり、人を引きつける、さまざまな魅力(みりょく)であったり、それらの幸せを引っ張(ぱ)ってくるだけるものを、元々(もともと)、自分の中に持っているから、幸せが、もたらされてくると言えると思います。

自分の中に幸せになるだけのものが、あるから、幸せになっていく!

逆(ぎゃく)に言えば、自分の中に幸せになるだけのものがあれば、当然、幸せになっていくわけです。

その、自分の中に、幸せになるだけのものを、生み出し、無限に開花させていける、現実的で決定的な方法が、実は、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

昔は、創価学会の人たちは、貧乏人とか病人ばかりだった。ようするに、とても自分の中に、幸せになるようなものがあるとは、思えないような人たちです。
けれど、その人たちが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰によって、自分の中から幸せになることのできる力(ちから)を生み出し、幸せになる力を開花させて、現実に、貧乏人は裕福(ゆうふく)になり、病人は健康になっていった。そして、現在の世界中に広がる、素晴らしい人材が次々と躍(おど)り出るような創価学会になっていった。

それは、自分の中から、幸せになるだけのものを生み出し、創造(そうぞう)し開花していった!ということです。

これを、創価学会では、人間革命(にんげんかくめい)と言います。

自分の人間性、境涯(きょうがい)、さまざまな幸せになる資質自体をより良く変革して、幸せになっていく。

そういうスゴイことを、やってきたのが、創価学会です。

だから、たとえ、どんな悩みがあったとしても、どんな困難(こんなん)があったとしても、それらを解決し、自分の夢や希望に向かって、生き生きと挑戦し、生きていける。

そして、勝っていける。

幸せになっていく。

それができる、決定的で唯一(ゆいいつ)の方法といっていいのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種232 [幸せ]

世の中に、才能があるひとは、たくさんいる。

けれど、その才能が生かされ、その才能に見合(みあ)う境遇(きょうぐう)や職業、生活や金銭面(きんせんめい)での処遇(しょぐう)を受けているか?といったら、そうでない人の方が多いのではないかと思う。

あれだけ才能があるのにどうして?と思うようなこともあるかもしれない。

才能などを充分(じゅうぶん)に生かし活躍(かつやく)している人と、そうでない人とでは、いったい何が違(ちが)うんだろうか?

それは、『福運(ふくうん)』です!!!

『福運(ふくうん)』とは、幸せをつくる元(もと)みたいなものです。

この『福運』が幸せをつくっていると、言えます。

だから、この福運があると、なぜだか、どんどん幸せになっていく。

福運がないと、どんどん、不幸になっていく。
また、福運がなくなると、どんなに努力しても報(むく)われることはなく、なぜだか落ちぶれていく。

実は、福運がなくなることほど、みじめなことはない。
福運がなくなると、幸せになることは、ないからです。

人は、幸せになるために努力はしているけれど、肝心(かんじん)なことを忘れている。

それは、幸せをつかさどるのは、『福運』だということです。

この福運があると、なぜだか、才能や個性を生かして、どんどん幸せになっていける。

だから、この福運をつけることが、幸せになっていくためにも、夢や希望をつかんでいくためにも、ものすごく重要になってきます。

その福運をつける唯一(ゆいいつ)の方法が、実は創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。
また、その福運をつけ、開花させていくために、仏法(ぶっぽう)の実践活動である、創価学会の活動があります。

理屈(りくつ)はともかく、南無妙法蓮華経をとなえゆくことは、福運をつける唯一(ゆいいつ)の方法なんです。

ほかの何をやっても、この福運だけは、つけることはできません!

創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰と、仏法に直結(ちょっけつ)した創価学会の活動でしか、福運は、ついてきません!

どんなに反発(はんぱつ)しても、これだけは、どうしようもありません・・・!

だから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、どうしても、必要になってくるんです。


その、『南無妙法蓮華経』とは、幸せの元(もと)みたいなものなんです。

南無妙法蓮華経を、となえていくと、自分の中に幸せの元(もと)が、どんどん貯(た)まっていく。幸せを貯金していくようなものです。
その南無妙法蓮華経を、となえていくことによって自分の中に貯まった『幸せの元』は、人生における、さまざまな決定的場面において、その人を助け幸せに導(みちび)き、輝(かがや)かせてくれる。

また、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、自分の中に福運がたまっていくので、さまざまな形で、ラッキーや幸運が引きつけられ、もたらされてくる。

また、その福運は、仏法の実践である創価学会の活動をやっていくことによって、決定的なものになり、人生を幸せに変革していく大きな原動力(げんどうりょく)になっていく。

だから、芸能界などでも、創価学会員の活躍は、めざましい!!


それが、人生において、才能や個性を生かしていくために最も大切な『福運(ふくうん)』であり、その福運をつける唯一の方法が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰であり、福運を現実に、大きく開花させていくための決定的な方法が、仏法の実践活動である、創価学会の活動なんです・・!


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ひまわりの種228 [幸せ]

創価学会の人たちは、ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経をとなえて祈る仏法(ぶっぽう)の信仰を実践(じっせん)しているわけですが、なぜ、ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえるかというと、自分の生命の中にある最高にして最強の無限の可能性を秘(ひ)めた、『仏界(ぶっかい)の生命』が湧(わ)き上がってくるからだと言われています。また、仏界の生命とは、『仏(ほとけ)の生命』とも言い換(か)えることもできます。

南無妙法蓮華経を、となえていると、実際、それは、自分の生命の歓喜(かんき)によって、感じることはできるのですが、この『仏界(ぶっかい)の生命』だけは、どうしても、言葉で表現ができないとされています。

日蓮大聖人は、人間の生命状態を、おおまかに言うと、10種類にわけて、説明されています。たとえば、地獄(じごく)のような生命状態が『地獄界(じごくかい)』。食物に飢(う)えている状態が『餓鬼界(がきかい)』。おだやかで人間らしい生命状態が『人界(にんかい)』。喜びで、天にも昇(のぼ)りそうな生命状態は、『天界(てんかい)』など、生命状態をあらわす言葉に、『界(かい)』ということばを付けて、『何々界』という形で、表現しています。

けれど、この『仏界(ぶっかい)』ばかりは、表現のしようがない!!
とてつもなく素晴らしくて偉大(いだい)で、無限の可能性と力(ちから)を秘めた生命であることは、わかりますが、日常の生活の中で、当てはまる心の状態がないために、どうしても表現しきれないというのが、本当だと思います。

ぼくは、便宜上(べんぎじょう)、仏界の生命を、『強くて、あったかくて、魅力的(みりょくてき)で、何ものにも負けない最高に歓喜した最強の生命』などと、表現していますが、やはり、仏界の生命を表現するのは不可能というのが、本当のところだと思います。

そのあらゆる壁(かべ)を乗り越(こ)えていける、無限の可能性を秘(ひ)めた最強の生命である『仏界の生命』が、南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分の中から湧(わ)き上がってくるから、創価学会の人たちは、ご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経を、となえているという訳(わけ)です。

※ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。

そして、この『仏界(ぶっかい)の生命』だけは、創価学会のご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえないと、自分の中から湧(わ)き上がってきません!

この仏界の生命だけは、ほかの何をやったとしても、自分の中から出していくことは、不可能です!!!

横暴(おうぼう)のようだけれど、本当だから、しょうがありません。

この創価学会のご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえないかぎり、『仏界の生命』は、わきあがってこないと、断言(だんげん)できます!!!

逆に言うと、だから、創価学会の人たちは、この南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)によって幸せになっていけるんです。
世界中の人たちが、悩みを解決し、夢や希望をかなえて、人生に勝利し、幸せになっているんです。

それが、自分の中から、最高にして最強の生命である『仏界の生命』を湧(わ)き上がらせてきた結果だと思います。

おそらく、仏界の生命とは、自分自身が、偉大な王者のようになる生命状態ではないかと思います。
そしてその偉大な王者のような生命状態になった時、環境(かんきょう)がどう、まわりがどうではなく、自分自身が完全に主体となり、世界を変え、 生み出していけるような強烈(きょうれつ)に強い生命状態になるんだと思います。

だから、その強靭(きょうじん)な生命状態になった時、自(みずか)らの生命を蘇生(そせい)させ、無限の可能性を引き出しながら、あらゆるものを変革していく無限のエネルギーと可能性によって、困難な病気であっても、また貧乏(びんぼう)などの経済的な問題であっても、ほかのさまざまな悩みであっても解決でき、乗り越えていくことができる・・。

そして、夢や希望をかなえて、幸せになっていける・・!

それが、仏界の生命であり、仏(ほとけ)の生命なんだと思う。

そして、その仏界の生命を、自分の中から湧(わ)き上がらせ、開花していける唯一(ゆいいつ)の方法が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!!


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ひまわりの種224 [幸せ]

ブラジルに、35年前、経済苦、家庭不和(かていふわ)、さらに命におよぶ難病(なんびょう)に苦しみ悩んで、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)に巡(めぐ)りあい、創価学会の真剣な信仰によって、病(やまい)を克服(こくふく)し、幸せを勝ち取っていった婦人が、いるそうです。

そのブラジルの婦人が、確信を込(こ)めて言っているそうです。

『仏壇(ぶつだん)の扉(とびら)を開けば、いかなる勝利の扉も開いていける。』

・・と。

具体的(ぐたいてき)に、どういうことかというと、『仏壇の扉(とびら)を開く』とは、創価学会が信じ祈っている『ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえていく』ということです。

『ご本尊(ほんぞん)』とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊です。

だから、そのご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえていった時、悩みや問題、あるいは、夢や希望に向かって、あらゆるものを、勝利へと向かわせ、勝ち取っていける!ということだと思います。

南無妙法蓮華経とは、生命を、希望へ、勇気へ、幸せへと変革(へんかく)し、蘇生(そせい)させていく『幸せのエネルギー』のようなものだと思っていいと思います。

そして、ご本尊は、自分の生命の中から、勝利と幸せを開く扉(とびら)のようなものだと思います。

だから、そのご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえていった時、自分の生命の勝利と幸福の扉(とびら)が開き、自分の中から、勇気や希望、勝利を呼ぶ、あらゆる知恵やアイデアが湧(わ)き上がり、また、自分自身の生命を元気に蘇生(そせい)させながら、日々を挑戦していける!

ゆえに、ブラジルの婦人が言うように、創価学会のご本尊の仏壇(ぶつだん)の扉(とびら)を開いて、南無妙法蓮華経を、となえていった時、あらゆる勝利と幸せの扉を、開いていくことができる!

それが、勝利と幸福を開く扉(とびら)と言える、『ご本尊(ほんぞん)』であり、あらゆる悩みを解決し、夢や希望を開いていける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種222 [幸せ]

創価学会の人たちは、日々、南無妙法蓮華経を、となえています。

南無妙法蓮華経とは、いったいなんだろう?
どういう意味が、あるんだろう?
どういう効果(こうか)や効力(こうりょく)があるんだろう?

と考える時、南無妙法蓮華経は、あまりにもスゴイので、どういう考え方、どういう捉(とら)え方をすることも、できる・・!

ある人は、単純(たんじゅん)に、南無妙法蓮華経をとなえると、幸せになれるんだ!と言うし、病気などの人は、南無妙法蓮華経をとなえると、自分の生命が蘇生(そせい)するから、病気を治(なお)す大きな力になるんだ!と言う。

また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえることによって、自分の運命、宿命(しゅくめい)を変革していくんだ!と言い、また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、人間性を向上(こうじょう)し、境涯(きょうがい)を高め、大きくしていくんだ!と言う。

また、ある人は、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中から、無限の勇気を湧(わ)き上がらせていくんだ!と言い、また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、自分の中から、大きな知恵やアイデアを湧(わ)き上がらせていくんだ!と言う。

また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、悩みや問題を解決していくんだ!と言い、またある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、家族や地域、社会、そして世界を幸せにしていくんだ!と言う。

また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、苦難を打ち破(やぶ)り、乗り越(こ)えていくんだ!と言い、また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、悪を打ち破っていくんだ!と言う。

いろいろ、考え方はあるけれど、その、どれも、正しいんです・・・!!!

結局(けっきょく)、南無妙法蓮華経は、あらゆる角度から見たとしても、生命を、人間を、世界を、幸せにしていく法則(ほうそく)なので、その人にとって、いちばんプラスになる、いちばん幸せになる考え方をするのが、いちばん、いい!!!

それが、『南無妙法蓮華経』であり、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということだと思う。

ぼくはと言えば、最近、自分で気に入っているのは・・、今の状況(じょうきょう)、環境(かんきょう)や場面、自分のおかれた立場や心境(しんきょう)がどうであれ、南無妙法蓮華経とは、その時を出発点として『必ず、幸せに変わる!!』ということだと思っています。

今が、辛(つら)くても、苦しくても、また、順調(じゅんちょう)な時も、また悲しい時も、南無妙法蓮華経を、となえるということは、『必ず、幸せに変わる!』『必ず、幸せに変えていく!』という決定的な未来を築(きず)くことに等しいと思う。

だから、今の状況がどうだとか、こうだとか、愚痴(ぐち)を言うのではなく、「ともかく、幸せに変わるんだ!」「必ず幸せに変わっていくんだ!」 という力(ちから)であり、エネルギーでありパワーが、『南無妙法蓮華経』であり、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということだと思う。

また、そう思って南無妙法蓮華経を、となえていった時、南無妙法蓮華経の力は、より一層(いっそう)、幸せへと向かい、幸せを勝ち取っていくことができる!

ようするに、南無妙法蓮華経を、となえることは、自分の中にある、こころや生命を、すべて、幸せというアイテムと思考に変換(へんかん)し、足の先から頭のてっぺんまで、 すべてを『幸せ』という細胞で満(み)たして、そこから、人生も未来も、生命すべてを幸せに変えていく!ということだと思う。

今の状況はどうであれ、生命も細胞も心も、幸せのエネルギーで満(み)たし、人生と未来を、幸せというエッセンスに変革していく!

それができる究極の力でありエネルギーであり、必ず幸せを生む、無敵の楽観主義が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰ではないかと、僕は、思っています・・・。


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