ひまわりの種340 [悩み]

インドの大思想家である、ヴィヴェカーナンダという人が言っているそうです。

「すべての教育、すべての訓練(くんれん)の理想は人作りであるべきである。
が、その代わりに、われわれは常(つね)に外側に磨(みが)きをかけようと努(つと)めている。
なんの内側もないとき外側に磨きをかけてなんの役(やく)に立つのか?
すべての訓練の目的ないし目標は人間を成長させることである。」


確かに、そうだと思います。

特に、現代という時代は、外側に磨(みが)きをかけることに、世の中の注目も、人々の注目も集まっていると思う。

けれど、外側をどんなに美しく飾(かざ)っても、内側がガランドウならば、何が残るだろうか・・・・・。

外側の世界で、どんなにきらびやかに、美しく、幸せに装(よそお)っても、いざ、自分に立ち戻(もど)った時、何もない・・・。それを感じた瞬間(しゅんかん)、どれだけの虚(むな)しさ、空虚感(くうきょかん)を味わうだろうか・・・。

それは、たとえば、日々、世の中のきらびやかな世界で、楽しく豪勢(ごうせい)に遊んでいるとしても、いざ、自分の部屋に戻ってきたら、そこには何もない。ただ、がらんどうの部屋があるだけ・・。そんな生活に似ているのかもしれない。

物質が氾濫(はんらん)しているだけに、現代の人々には、そういう傾向性(けいこうせい)が強いのかもしれない・・。

けれど、やはり、本当の幸せは、違(ちが)うと思う。

本当の幸せは、内側(うちがわ)にある!

この内側いかんによって、本当の幸せは決まる・・。

そう言えると思います。


実は、その人間の内側を、最高に、最大限に幸せにしていく方法が、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと言えます。

もちろん、創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰が、内側だけで、外側のことはまったく考えていないということでは、ありません。

内側が輝(かがや)くがゆえに、それに比例(ひれい)するように、外側も輝いていくということです。

そういう本物の力(ちから)が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法だということです。



人生に直面(ちょくめん)する、さまざまな悩みや問題、試練(しれん)、苦しみ、

それらは、一見(いっけん)、表面上の悩みや問題に見える。

けれど、それらの本質は、やはり、内側にあると思う。

自分の内部に、悩みや問題、苦しみの原因(げんいん)がある・・・!

ゆえに、その内面の問題を解決していかないかぎり、悩みや問題も解決していかない・・。

実は、ここに深く、大きな問題があると思う。

悩みや問題の根源(こんげん)には、内面の問題がある・・。
かりに、それをわかったとして、では、その内面をどうやって変えていったらいいというのだろうか?
また、本当に内面を根源的に変えていくことが、できるだろうか・・?


いろいろなアドバイスを聞いたりして、その場かぎりの、さまざまな方法を試(ため)してみたとしても、本当に内面を変えていくことができるだろうか・・?

結論からいうと、それはほとんどの場合「できない!」と言ってもいいと思います。

だから、多くの人々は、不幸や宿命(しゅくめい)に流され、苦しみ、その不幸と宿命を背負(せお)ったまま、生き、そして死んでいくのではないだろうか・・・。


その不幸の流転(るてん)を打ち破る、決定的な秘剣(ひけん)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


そう言えると思います。



南無妙法蓮華経とは、人間の生命を、内面から根源的に変えていける究極(きゅうきょく)の力だと言えます。

だから南無妙法蓮華経をとなえていった時、自分の内面から変革(へんかく)が始まる。

生命が内面から歓喜(かんき)し、自(みずか)らの生命が、不幸から幸せへと変革されていく。

そしてそれは行動となり、その人の人生と未来を大きく動かしていくことになっていく。

すなわち、悩みや問題を解決し、やがて夢や希望をかなえていけるようになっていく。



内面の問題は、実は、内面だけの問題ではない。

内面の問題は、すべての問題だといってもいいくらい、実は重要な問題であると思う・・。

その内面の問題を解決していったとき、さまざまなことがパッと開ける。

悩みも、人生の方向性も、幸せも、希望も、そして勝利も開けていく。


それを可能にする、究極にして絶対(ぜったい)の力(ちから)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・。

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