ひまわりの種335 [幸せ]

幸せについて考える時、いろいろな基準(きじゅん)や考え方は違(ちが)うと思うけれど、ぼくが思うに、意識する、しないは別にして、幸せになる人というのは、基本的に、本気で幸せになろうとしているのではないか?・・と思う。

幸せになる人というのは、本気で幸せになろうとしているから、幸せになる・・・。

そういう考え方にも、一理(いちり)あるのではないか・・と思う。

ところが、幸せにならない人というのは、確かに幸せにはなりたいけれど、「自分なんか幸せにはなれないのではないか・・」とか、ああだ、こうだ、と余計(よけい)なことを考えて、実は、ほんとうに幸せになろうとは思っていない場合もあるのではないだろうか・・。

ほんとうに幸せになろうと思っていないのだから、結果として、本当に幸せになるはずがない・・・。

そう、言えると思います。

だれでも幸せになりたいけれど、環境(かんきょう)や周りの人々、世間(せけん)のことばかり気にかけて、自分の境遇(きょうぐう)や世の中のせいにして、幸せにならない理由を並(なら)べ立てる。

そこに盲点(もうてん)があるのかもしれない。

幸せになる、ならないは、実は、自分の外にあるものによって決まるのではなく、自分の中にあるものによって決まる。
幸せになるか、ならないかという責任(せきにん)は、自分の外にあるのではなく、『自分の中』にある。

そう言えるかもしれない。


問題は、自分の中にあり、自分の中にある「なにか」を、幸せにしていかなかったら、幸せになるはずがない・・。


自分は本当に幸せになろうとしているのだろうか?
実は、幸せになろうとしていないのではないか?


そこに問題があるのかもしれない。


では、『本当に幸せになろうとする』とは、どういうことだろうか・・?
『本当に幸せになろうとする』といったって、漠然(ばくぜん)としていて、よくわからない。
意味がわからない・・・。

だから、漫然(まんぜん)と生きるしかなくなっていくのかもしれない。

その、『本当に幸せになろうとする』ということ。
自分の生命自体を、『本当に幸せにしよう!とする』ということが、実(じつ)は、創価学会(そうかがっかい)の人たちが実践している、『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、となえる!』と、いうことなんです。

『南無妙法蓮華経をとなえる』ということは、自分の生命自体を、本当に幸せにしようとする!ということなんです。
また、自分の生命自体を、本当に幸せにしてしまう!!のが、『南無妙法蓮華経』だとも言えます。

南無妙法蓮華経をとなえることは、自分の生命自体を、本当に幸せにしてしまうことなんだから、その結果として、幸せにならないわけがないんです。だから、幸せになっていける。現実に、悩みや問題を解決して、夢や希望を、かなえていける。

自分の生命自体を、そういうふうにしてしまう!!のが、『南無妙法蓮華経をとなえる』ということだと思います。

だから、創価学会の人たちが、幸せにならないわけがなく、現実に悩みを解決し、夢や希望をかなえて、世界中の人々が幸せを勝ち取っています。


南無妙法蓮華経の力と可能性は、計り知れないから、一概(いちがい)には言えないけれど、南無妙法蓮華経をとなえることは、自分の生命の中から、本当に幸せになろうとする力を呼び覚(さ)ます。本当に幸せになっていく生命の力を無限に湧(わ)き上がらせ、輝(かがや)かせていく。

その結果として、悩みを解決できたり、生命を蘇生(そせい)させて病気を克服(こくふく)できたり、夢や希望をかなえていけるようになっていく。

それが『南無妙法蓮華経』であり、『南無妙法蓮華経をとなえる』ことではないかと思う。


南無妙法蓮華経をとなえることがスゴイと言っても、いまいち、ピンとこないかもしれないけれど、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、詩の中で、こういうことを言っています。


「だれもが、宇宙の無限(むげん)の力を秘(ひ)めた「小宇宙(しょううちゅう)」である。
だから、あの「太陽」も自分の中にある。
自分の中に輝(かがや)く「銀河(ぎんが)」もある。
星々(ほしぼし)をわたりゆく無数の光が、この胸(むね)の中にある。
「内(うち)なる宇宙」も無限である。
だから、私は言っておきたい。
どんな悩みがあっても、
君は負けるな!
どんな障害(しょうがい)があっても、
夢をあきらめるな!
自分の中に「太陽」を輝かせて生き抜(ぬ)こう!」


ぼくが思うに、南無妙法蓮華経をとなえて生きるとは、こういうことだと思う。
南無妙法蓮華経をとなえて生きるとは、自分の中の内なる宇宙を、無限に輝かせ、どんな悩みも、どんな障害も乗り越えて、夢や希望をかなえ、幸せを勝ち取っていくことだと思う。
また、それができる!のが、南無妙法蓮華経をとなえる生き方だと思う。

だから、『南無妙法蓮華経をとなえる』ということは、自分の生命自体を、本当に幸せにしてしまう究極(きゅうきょく)の行動であり、それゆえに、必ず幸せになっていける・・!


それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです・・・。

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