ひまわりの種151 [生命]

創価学会二代会長の戸田城聖先生は、『原水爆禁止宣言』の中で、

『核兵器を使用し、人類の生存の権利を脅(おびや)かすものは、魔(ま)ものであり、サタンであり、怪物(かいぶつ)であります。』

と喝破(かっぱ)されました。

そして、戸田先生は、
『その奥に隠(かく)されているところの爪(つめ)を、もぎ取りたい。』
と言われた。

その戸田先生が、凝視(ぎょうし)されていた『奥(おく)に隠(かく)されていた爪(つめ)』とは、人間の心の奥に潜(ひそ)む『生命軽視(けいし)の魔性(ましょう)』だそうです。

その『生命軽視の魔性』の正体につして、日蓮大聖人は、『元品(がんぽん)の無明(むみょう)は第六天の魔王(まおう)と顕(あらわ)れたり』と言って、人間の心の奥底に潜(ひそ)む生命軽視の魔性は、人間の『元品(がんぽん)の無明(むみょう)』にあると、断言されています。

その『元品(がんぽん)の無明(むみょう)』とは、生命のそなわる根源的(こんげんてき)な無知(むち)であり、ここから人間の尊厳(そんげん)に対する不信や、他者への生命蔑視(べっし)が、生まれるそうです。

真の平和建設を阻(はば)む、現代の『一凶(いっきょう)』とは、この『元品(がんぽん)の無明(むみょう)』にほかならないそうです。

人間の尊厳(そんげん)に対する不信や、他者への生命蔑視(べっし)。
その生命軽視の魔性が、現代の不幸を生む、最も深く、重要な原因だと、いうことです。

その生命軽視の魔性を、『元品(がんぽん)の無明(むみょう)』という。

そして、その生命軽視の魔性、『元品の無明』を打ち破(やぶ)る、唯一(ゆいいつ)の力(ちから)であり、法則であり、哲学(てつがく)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!!


人間の不幸を考える時、もっとも奥深くにあるのが、生命軽視の魔性である、
『元品(がんぽん)の無明(むみょう)』。

そして、この根源的な無知(むち)が、あらゆる不幸を、もたらしていると、言えます。

この元品の無明という根源的な無知が、人々に幸せを見えなくしてしまう。希望を見えなくしてしまう。そして、さまざまな生命軽視を起こし、さまざまな不幸を、もたらしてしまう。

元品の無明とは、不幸をもたらす根源のものであり、この元品の無明が、本質的には、すべての不幸を、もたらしていると、言えると思います。

だから、この元品の無明を打ち破(やぶ)らないかぎり、真実の幸せは、つかめない!!ということです。

そして、その元品の無明を打ち破り、真実の自分に目覚(めざ)め、最高の自分を構築(こうちく)し、さまざまな問題や悩みを解決して、夢や希望に向かって、大きく羽(は)ばたいていけるのが、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!


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ひまわりの種140 [生命]

地球上における、最大の神秘(しんぴ)とは一体(いったい)何か?

アメリカの民衆詩人「ホイットマン」は結論(けつろん)しました。

『それは、あなたにも、そして、あらゆる人の中にも存在する生命である!』

自分自身の生命こそが、最大の神秘であり最大の宝(たから)・・!

その無限の可能性と幸せを秘(ひ)めた存在が、自分の生命・・・!


だから、自分自身の生命ほど、スゴイものは、ない!
自分自身の生命ほど、素晴らしいものは、ない・・!

だから、本当は、宝も幸せも、どこにあるのでもない・・。
自分の生命の中にある・・!!

そう素直に思える人もいるかもしれませんが、そうは、素直に思えない人も、いるかもしれません。「こんな自分が宝なもんか・・」
そう自分を卑下(ひげ)してしまう場合も、あるかもしれません。

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『幸福の尊極(そんごく)の当体(とうたい)が、わが生命なのだ。

 その宝蔵(ほうぞう)を開く秘術(ひじゅつ)が、妙法(みょうほう / 南無妙法蓮華経のこと)の信仰である。』

人間の生命が、素晴らしいことは、理屈(りくつ)では、わかる・・。
けれど、それを、心から感じ、納得(なっとく)できなければ、それは、現実的なものには、ならない。また、自分にとって、本当のものには、ならない・・。

自分で感じ、自分で納得(なっとく)し、自分で体験し、現実に結果として、その生命の素晴らしさを、人生の上で、さまざまな形で実現できなかったら、なんの意味も無くなってしまう。

その現実の上で、自分の生命と人生によって、感じ、納得し、幸せと勝利という現実の結果を出すことによって、自分の生命の素晴らしさを、実感できるのが、実は、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

だから、スゴイいんです。

だから、創価学会は、世界192カ国に広がり、世界中の人たちを、幸せにしているんです。

池田先生が言うように、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、自分の中の無限の宝(たからを開く『秘術(ひじゅつ)』なんです・・!!

幸せは、すべての人の中にある・・。

無限の神秘(しんぴ)と言える生命の宝(たから)は、すべての人の中にある・・。

けれど、そんなこと言ったって、なかなか信じられないし、その素晴らしい生命の可能性を、どうして開き、つかんでいくか?なんて、わからない。

だから、自分の生命は、無限の宝であり、無限の幸せが、つまっているのに、せっかく、自分自身の中にあるはずの「幸せ」を、つかむことができないまま、人生を終わってしまう。

そうなっては、つまらないし、不幸です。

だから、本当の意味で、自分の生命という無限の宝から、無限の幸せを、つかみ開花させていける方法が、求められます。

その自分の生命の無限の宝を感じ、味わい、最高の幸せと勝利を、現実の中で開花していける、唯一(ゆいいつ)の方法と言っていいのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・。


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ひまわりの種138 [生命]

よく、なんでも、いろいろと集めたがる人がいる。それは、コレクターというのだろうけれど、不思議と集めるということは、楽しいものです。それを集めて、どうなるということでもないけれど、何故(なぜ)だか知らないけれど、人は、いろいろなものを集めたがる。

人それぞれ、個性があるし、趣味だから、犯罪を犯(おか)さないかぎり、何を集めてもいいとは、思う。

けれど、ひとつだけ・・!
宗教に関してだけは、いろいろなものを、集めるのは、絶対にやめるべきです。

よく、お守りや神札(かみふだ / しんさつとも呼ばれているようです)などを、やたらと集めたがる人がいますが、絶対にやめるべきです。

それらのお守りや神札(かみふだ)をたくさん、持っていると、なんだか護(まも)られそうだし、良いことが、たくさん、ありそうだけれど、逆(ぎゃく)です。

それらのお守りや神札をたくさん持っていればいるほど、自分の生命と人生が、不幸になっていきます。具体的には、体調が悪くなったり、さまざまな病気になったり、また、自分の人生にさまざまな形で、不幸が、もたらされます。

なぜかというと、それらのお守りや神札を作っている、葬式仏教(そうしきぶっきょう)にしろ、観光宗教にしろ、神社信仰にしろ、それらの宗教は、あきらかに間違った宗教だからです。

葬式仏教や観光宗教、神社信仰が、間違った宗教であることは、ちょっと、まともに考えれば、わかりますし、仏法哲学(ぶっぽうてつがく)を、ひもとけば、完全に間違った宗教であることが、わかります。

ひとは、このことが、わからないのですが、『間違った宗教である』いうことは、当然、間違った結果を生むんです。

『間違った宗教』から、幸せが生まれることは、100パーセント、ありません!!

逆(ぎゃく)に、間違った宗教なので、やればやるほど、どんどん、不幸になっていきます。

これは、当然の道理(どうり)です・・・。

だから、葬式仏教や観光宗教、神社信仰などの間違った宗教が作った、お守りやお札、神札などを、いくら持っていても、間違った宗教なので、病気や災難(さいなん)などの不幸になる原因になるだけで、良いことなどありません・・。

たとえば、葬式仏教や観光宗教、神社信仰などのお札・神札、お守りや祭(まつ)ってあるものを、すべて捨てただけで、病気などが良くなり、治(なお)ってしまったという例も、多々あるようです。

くだらないようでいて、宗教というものは、人間の生命と人生に、大きな影響(えいきょう)を、与(あた)えているんです・・!

バカにし、笑っている人もいるかもしれませんが、間違った宗教は、必ず不幸を、もたらします。そう断言して、間違いありません!!

だから、宗教に関してだけは、お守りやお札・神札などを、集めるのは、やめるべきです。
逆に、ためらわず、捨てるべきです。

友だちや知人から、そういうお守りなどを、もらったりすると、せっかく、もらったのだから、取っておきたいけれど、それで、自分が、ほんの少しでも、なにかしらの不幸になったら、当然、いやです。けれど、お守りや神札などは、実際、人に、なにがしらの不幸を、もたらすものなんです。

だから、かりに友だちや知人から、お守りや神札を、もらったとしても、躊躇(ちゅうちょ)なく、捨てるべきです。大切な自分の人生だもの、ほんのちょっとだけでも、なにか不幸なことがあったら、耐(た)えられないはずです。

それが、葬式仏教や観光宗教、神社信仰が作る、お守りやお札・神札です。
かりに、良い事があったように見えても、あとから、どっと不幸が、もたらされます。
だから、そのようなものは、捨てるべきです。

人は、そのようなことには、まったく、無頓着(むとんちゃく)ですが、宗教というものは、自分の生命と人生に、根底の部分で、大きな影響を、及(およ)ぼしています。


・・・
今まで、宗教の悪影響、マイナス点について、話してきましたが、その間違った宗教が、人に不幸を、もたらすことを、徹底的(てっていてき)に研究し見極(みきわ)め、逆に、どんな人でも必ず、幸せになっていける真実の宗教を、発見し、広めたのが日蓮大聖人です。

そして、その日蓮大聖人の仏法(ぶっぽう)を、一点の狂(くる)いもなく、実践し広めているのが、創価学会です。

だから、創価学会の人たちは、幸せになっていけるんです。
また、実際、幸せになっていけるから、創価学会は、世界192カ国に広がっているんです。


宗教に関して、大切なことは、まず、その宗教が間違った宗教であるか、正しい宗教であるか。
それによって、幸不幸が、決定的に分かれてしまうからです。

そして、それが間違った宗教であるならば、絶対にやるべきではないし、捨てるべきです。
けれど、それだけでは、人生を勝利していくには、足(た)りません。

次に、必ず、幸せになっていける、必ず勝利していける宗教を、求めるべきです。

本当は、宗教というものは、幸不幸を、決定的に左右するんです。
だから、最終的に、本当に幸せになれる最高の宗教を、求めるべきです。

その必ず、幸せになっていける、悩みや問題を解決し、夢や希望をかなえて、必ず勝利していける、本当の正しい宗教が、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種127 [生命]

仏法(ぶっぽう)では、人間の生命の素晴らしさ、偉大さ、尊(とうと)さ、人間の生命の可能性を、『宝塔(ほうとう)』を通して表現しています。

『宝塔(ほうとう)』というと、わかりずらいですが、宝塔とは、宝(たから)の塔(とう)です。

金銀、財宝、ありとあらゆる宝石で造(つく)られた、東京タワーのような塔(とう)に、人間の生命を、たとえています。

その人間の生命の素晴らしさを、現(あらわ)した宝(たから)の塔(とう)、すなわち宝塔の大きさは、どれくらいか?というと、地球の半径もの高さがある塔(とう)だという。

ようするに、見上げても見上げても、はるかかなたまである、肉眼では、見通(みとお)すことは、できない、計(はか)る事ができないほどのスケールを持った宝(たから)の塔(とう)!

それが、人間の生命の偉大さであり、素晴らしさだと言う。

その地球の半径もの大きさの塔が、すべて、金銀、財宝、ありとあらゆる宝石で、できている。

それが、人間の生命であり、人間の生命の素晴らしさだと、いう。

自分の生命に、それだけの宝があるなんて、とても、思えない・・・と、言うかもしれない。

けれど、それだけ大切で偉大で、素晴らしいのが、人間の生命なんです。

問題は、その生命の無限の宝、無限の可能性を、どうやったら、引き出すことが、できるか?ということです。

また、金銀、財宝、あらゆる宝石でできた宝塔とは、いったい、何を意味しているのか?
ということです。


実は、その人間の生命の宝塔とは、『南無妙法蓮華経』のことを、言うんです。

南無妙法蓮華経とは、金銀、財宝、ありとあらゆる宝石でできた生命の中に存在する『宝塔(ほうとう)』そのものなんです。

南無妙法蓮華経が、生命の中にある、無限の宝(たから)なんです。

もっと言えば、人間の生命の中にある、あらゆる輝き、あらゆる財宝、あらゆる可能性とは、『南無妙法蓮華経』のことを、言うんです。

宝塔(ほうとう)といえるほど素晴らしい、偉大な生命の宝(たから)は、『南無妙法蓮華経』以外、存在しないとも言えます!

それほど、スゴイのが、『南無妙法蓮華経』なんです。

地球の半径もの大きさがある宝塔・・・。
そんなものが、自分の中にあったら、ぜひとも、その宝塔を出現させたいし、絶対、欲(ほ)しいと思う・・・。

その自分の中にある無限と言える宝塔を、出現させる、唯一(ゆいいつ)の方法が、創価学会が実践している、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。

これ意外に、自分の中から生命の宝と言える『宝塔』を出現させる方法は、ありません!!

だから、たとえ、どうしても解決しない悩みがあったとしても、どうしても乗り越(こ)えられない困難が、あったとしても、真剣に南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中に、生命の宝と言える『宝塔』が出現し、ありとあらゆる悩みや困難を、乗り越え、解決していくことが、できるんです!

そして、自分のざまざまな夢や希望も、かなえていけるようになっていくんです!!

だから、南無妙法蓮華経は、『宝塔』なんです!

だから、南無妙法蓮華経は、人間の生命のなかにある、ありとあらゆる素晴らしい財宝となるんです!

その自分の生命の中から、無限とも言える、金銀、財宝、ありとあらゆる宝石の塔(とう)のような偉大な可能性、無限の勝利と幸せを、引き出していけるのが、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種123 [生命]

雑誌やテレビで活躍する脳科学者の茂木健一郎氏は、自(みずか)ら望んで、2年間にわたり、創価学会インターナショナル会長の池田先生と、往復書簡により、対談を、したそうです。

その中で、茂木氏は、
『人間には、「ミラーニューロン」と呼ばれる神経細胞が存在し、相手と対話を通して心を通(かよ)わせ、共通の目的を実現する潜在能力(せんざいのうりょく)が、備(そな)わっている。』
と、仏法(ぶっぽう)への共感を示(しめ)しています。

共通の目的を実現している潜在(せんざい)能力・・。

対話を通して心を、かよわせ、同じ目的を、実現していく・・・。

それが、創価学会なのかもしれない!と思った・・。

だれでも共通する目的・・・、それは幸せであり、平和であると思う。

その幸せと平和を、対話によって、結(むす)んでいく・・。

号令(ごうれい)や、命令ではなく、あくまで、一人が一人と、話していく『対話』

その対話によって結(むす)ばれた連帯が、世界192カ国に広がる『創価学会』なんだと思う。

また、創価学会の対話の強みは、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)という、究極(きゅうきょく)にして、最高の法則であり力(ちから)によって、その南無妙法蓮華経の仏法を実践した一人一人が、現実に、悩みや苦難を解決し、夢や希望を、かなえて幸せになってきたという、真実の体験の上で、成(な)り立っている『対話』だと、いうことです。

それは、自分の生命にみなぎる歓喜(かんき)となり、感動となり、晴れ晴れとした勝利感と確信となって、あらわれる。

その生命にみなぎる歓喜(かんき)と感動と勝利感は、対話によって、電流のように、人々に伝わり、その対話を聞いた人が、また、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、実践し、歓喜し、感動している。

その幸せと勝利という電流は、対話によって、人から人へと伝(つた)わり、次から次へと伝わっていく。

なぜなら、幸せを望まない人は、いないからです。

平和や勝利を、望まない人など、いないからです。

茂木氏が言うように、脳(のう)には、『ミラーニューロン』と呼ばれる神経細胞が存在し、相手と対話を通して心を通(かよ)わせ、共通の目的を実現する潜在(せんざい)能力が、備(そな)わっている。

その潜在(せんざい)能力を、自(みずか)らの生命に強く感じながら、現実の中での、幸せと勝利と歓喜の対話によって、人から人へと伝え、幸せと平和の潜在能力を、世界中で、開花させているのが、創価学会であり、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんだと、思う・・・。


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ひまわりの種108 [生命]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。
『地球が動いているのは、何の力(ちから)によるのか - - - - その力(ちから)を、究極(きゅうきょく)の次元(じげん)から説き明かしたのが仏法(ぶっぽう)である。

太陽や月が巡(めぐ)るのも、自然の力(ちから)によるとか、いろいろ言い方があるだろうが、根本は、仏法(ぶっぽう)の法則に則(のっと)っている。大宇宙が運行(うんこう)してゆく根源(こんげん)の力(ちから)が、南無妙法蓮華経である。

どれほど、すごい力であるか。我らは、この偉大なる妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)を、持(たも)っている。最も正しく、最も力強い妙法(みょうほ う/南無妙法蓮華経)の音律(おんりつ)を唱(とな)えている。

これほど強いものは、ないのだ。絶対勝利の唱題(しょうだい/南無妙法蓮華経を、となえること)である。負けるわけがない。』

地球がなぜ、動いているのかとか、太陽が、なぜ燃えているのかとか、宇宙の力(ちから)や生命の力、自然の力など、それらが、なぜ?そうなるのか?。どういう理由でそうなるのか?科学的に解明(かいめい)することは、できると思う。

だったら、それらの力(ちから)は、どこから生まれてくるんだ?と聞かれた時、はたと・・言葉に、つまってしまう。その大元(おおもと)の力(ちから)については、神秘(しんぴ)につつまれてしまい、解明(かいめい)することが、困難になってくる。

それを、人々は、自然の力だとか、生命の力だとか、宇宙の力だとか言うけれど、本質的なことろに踏(ふ)み込(こ)むことはない・・・。

その宇宙の力だとか生命の力だとか、自然の力だとか言うけれど、その本源的(ほんげんてき)な宇宙を動かしている力(ちから)が、実は、創価学会の人たちが、日々、となえている『南無妙法蓮華経』なんです。

『南無妙法蓮華経』とは、大宇宙を動かす本源的な力(ちから)なんです!

だから、スゴイんです。だから強いんです!だから、負けないんです!

『南無妙法蓮華経を、となえる』ということは、自分で、大宇宙を動かす本源的(ほんげんてき)な力を、動かす!!ということです。

だから、さまさまな悩みや問題を、解決でき、病気を克服(こくふく)でき、どんな困難も、乗り越えて幸せになっていけるんです!

なぜなら、南無妙法蓮華経を、となえることによって、大宇宙を動かす本源的な力を、自分で動かしているからです。

南無妙法蓮華経は、それだけスゴク、それだけ大きな無限の力があるんですが、今のところ、科学では、解明ができないというだけで、それは、現実に存在しているんです。

だから、科学で証明がつかないので、自分で、やってみて、体験するしかない。

すなわち、自分で、『南無妙法蓮華経を、となえてみる!』しかないんです。

その結果として、悩みを解決できたり、夢がかなったり、幸せになった体験を、自分で、つかんて、自分で実感し、確信を得(え)るしか、ないんです。

そのために、『創価学会』が、あります。
世界で唯一(ゆいいつ)、南無妙法蓮華経の仏法を、正しく理解し、正しく実践している『創価学会』という場所が必要なんです。

幸せと勝利に向かって、励(はげ)まし合い、助け合い、正しく南無妙法蓮華経の仏法を理解し学びあい、実践していく、幸せと勝利のための学校のような場所が必要になります。

それが、創価学会なんです。

そして、大宇宙を動かす根源の力(ちから)である南無妙法蓮華経を、実際に、自分で、となえてみて、自分の人生を通して、悩みを解決したり、夢や希望を、かなえたり、幸せになった実証(じっしょう)を、つかむことによって、『この南無妙法蓮華経は、スゴイ!!!』ということが、わかってきます。

その実験証明の結果として、人々の確信と幸せの共鳴(きょうめい)が、人から人へと伝わり、創価学会は、世界192カ国にまで、広がっているわけです。

それが、創価学会の人たちが、日々、となえている、大宇宙を動かす力(ちから)である『南無妙法蓮華経』であり、世界で唯一(ゆいいつ)、南無妙法蓮華経の仏法を、正しく実践している、『創価学会』なんです・・。


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ひまわりの種95 [生命]

仏法(ぶっぽう)に『神天上(かみてんじょう)の法門(ほうもん)』という法則が、説かれています。

仏法(ぶっぽう)でいう、神々は、法華経(ほけきょう)の行者を、守るという契約(けいやく)を、しています。その法華経とは、すべての人に、最高の幸せを、もたらす、幸せの根本法則のようなものです。

すなわち、法華経(ほけきょう)とは、すべての人を、幸せにすることのできる、生命における、『幸せの元(もと)』『幸せになるための、根本原料』のようなものです。

幸不幸から、考えるならば、生命というのは、その『幸せの元(もと)』『幸せの原料』を、どれだけ、たくさん、とり、どれたけ、たくさん、食べるか?で、幸せになれるか、なれないかが、決まると、言えます。

その『幸せの元(もと)』『幸せになるための、根本原料』が、『法華経(ほけきょう)』なんです。ということは・・・『幸せの元(もと)』『幸せになるための、根本原料』を、たくさん、とり、食べるということは、『法華経』を、どれだけ、たくさん実践(じっせん)したか?どれだけ、真剣に実践したか?ということに、なってきます。

だから、『法華経』を、真剣に、たくさん、実践していくことが、『幸せの元(もと)』『幸せになるための、根本原料』を、たくさん、とり、食べることになります。

そして、神々は、その『幸せの元(もと)』、『幸せの原料』を、人々が食べたあとの、「残りかす」・・ようするに、幸せに、ただよう匂い(におい)、幸せに、まとわりつく香り(かおり)を、食べて、生きていると、されています。

だから当然、神々は、幸せの原料、幸せの元が、たくさん、あるところに、集まってくるわけです。

これは、なんとなく、わかると思います。人間だって、幸せの人の周(まわ)りには、人が、たくさん、集まってきますが、不幸の人の周りからは、どんどん、人が、去(さ)っていきます。

これと、同じ原理です。

神々は、法華経(ほけきょう)の行者を、守ると、契約(けいやく)を立てているわけだし、だいいち、神々の好物である、『幸せの元(もと)』『幸せの原料』から出る、香りや、匂い(におい)は、法華経を実践する人から、できてくるので、『幸せの元(もと)』『幸せの原料』から出る、香りや、匂い(におい)を、食べたいので、法華経を実践している人がいる、その土地、その場所に、居座(いすわ)っていると、いうわけです。

ところが、人々が、法華経に違背(いはい)して、でたらめな宗教に走ったり、法華経自体を、捨て去っているために、神々は、法華経の行者を守るという、契約(けいやく)を、守ることも、できず、好物の『幸せの元(もと)』『幸せの原料』を、食べることが、できないので、愛想(あいそ)が、つきて、とうとう、その土地、その場所を、離(はな)れ、天上界に、帰ってしまうという、話しです。

これが、仏法(ぶっぽう)で説かれる、『神天上(かみてんじょう)の法門』です。


今、日本に、はびこっている、神社、仏閣(ぶっかく)は、すべて、真実の法華経とは、かけ離(はな)れた、でたらめなことを、やっています。

ようするに、金儲け(もうけ)しか、考えていないし、教義(きょうぎ)なんて、デタラメで、無いに等しいというか、無いより、まだ悪い、かってに、教義を、ねじまげて、金儲けに、利用しているだけです。

だから、神々は、愛想(あいそ)が、つきて、天上に、去(さ)ってしまっていますから、いくら、神社、仏閣を、立てたところで、そこに、神々など、いません!

じゃあ、神々が去った、空(から)になった神社、仏閣に、何が?いるかと、いうと、神々が去(さ)ってしまって、空き家になっているので、「これは、ちょうどいい!」と、悪鬼、魔神、化け物、ゲテモノが、住み着くことに、なります。

だから、神社、仏閣だと思って、手を合われたり、願い事を、したところで、それは、悪鬼や魔神、化け物、ゲテモノに、祈りを、ささげることになり、そういう、化け物に、祈りを、ささげるということは、化け物に、命をささげる結果になり、自分の生命に、悪魔や化け物が、乗り移る形になり、さまざまな形で、その人の人生に、不幸が出現してきます。

これが、宗教における、不幸になる原理です。

だから、正月などに神社や仏閣(ぶっかく)に初詣などに行きますが、人々は新年なので良い事があるように神社や仏閣に行きますが、新年早々、不幸になる原因を作りに行っているに過(す)ぎません。実際、真剣に祈れば祈るほど、どんどん不幸になっていきます。

ひどいことを言っているようですが、本当のことだから、しょうがありません。間違った宗教に祈るということは、自分の生命と人生を、不幸にしてしまうんです。
神社だから、仏閣だから、神聖(しんせい)なのではないか・・と考えるのは、間違えで、本当は、逆に、神社や仏閣などの間違った宗教が、不幸の根源(こんげん)には、あります・・。

これが、本当のところです。

そのことに、早く早く、気づいてほしい・・・。


それとは、逆に、さきほどの『神天上の法門』から、考えるならば、神々は、法華経(ほけきょう)の行者を守る契約(けいやく)を、結(むす)んでいるわけだし、ようするに、自分が、法華経の行者になれば、神々は、その人を、守るために、天上から、戻(もど)ってくるわけです。

その重要な『法華経(ほけきょう)』ですが・・・、法華経といっても、その時代時代によって、その表現の仕方が、違います。

そして、今の時代の法華経とは、実は『南無妙法蓮華経』の七文字なんです!

この『南無妙法蓮華経』の七文字が、法華経なんです。

だから、この『南無妙法蓮華経』の七文字が、生命における、『幸せの元(もと)』『幸せの原料』に、なるわけです。
そして、神々は、その『幸せの元』『幸せの原料』を食べた、残りかす、(香り(かおり)とか、匂い(におい))を、食べて生きているわけなので、ぼくたちが、その『幸せの原料』を、たくさん、たくさん、食べれば食べるほど、神々が、自分の周り(まわり)に、集まってくるわけです。

神々が、自分の周りに、集まってくるので、当然、その自分は、幸せになっていくわけです!!!

その『幸せの元』『幸せの原料』を、食べるということが、実は、『南無妙法蓮華経を、となえる!』と、いうことです。

だから、南無妙法蓮華経を、となえれば、となえるほど、『幸せの原料』を、たくさん、食べることになり、当然、幸せの、残りかす、幸せの香(かお)りや匂(にお)いが、たくさん、でるので、神々は、大いに喜び、どんどん、集まってくるわけです。

そして、神々が、集まれば、集まるほど、当然、自分は、守られ、幸せになっていきます。

それが、創価学会が、実践している、『南無妙法蓮華経を、となえる!』という、生命を『幸せ』に変革していく、仏法の実践(じっせん)です。
だから、神々は、神社、仏閣にいるのでは、なく、『南無妙法蓮華経を、となえる人』のもとに、いるんです。
『南無妙法蓮華経を、たくさん、となえる人』のもとに、神々は、たくさん、集まってくるわけです。

しかも、南無妙法蓮華経の法華経を、現実に正しく実践しているのは、創価学会だけなので、『創価学会の中で、南無妙法蓮華経を、となえる仏法を、実践している人』のものに、神々は、集まってくることになります。だから、創価学会の人たちは、幸せになっていけるわけです。


この話しは、具体的に、人間のような形をした、神々が、いるという説明ではなくて、『幸せになるための、生命の原理』を、説明したものです。

そして、実際に、そうなります!!!!

それは、幸福と勝利の姿(すがた)を通(とお)して、世界192ヶ国の創価学会の人たちが、証明しています・・・!


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ひまわりの種85 [生命]

よく、人が亡(な)くなったりすると、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と、となえることがある。昔からの習(なら)わしで、なんとなく、人が亡くなったら、南無阿弥陀仏と、となえると、いいんだと思っているように人も、いるかもしれない。

けれど、この南無阿弥陀仏ととなえる、これほど、ひどい宗教は、本当は、ありません。

南無阿弥陀仏と、となえるのは、念仏宗(ねんぶつしゅう)で、浄土宗(じょうどしゅう)や浄土真宗(じょうどしんしゅう)が、それに当(あ)たります。

この浄土宗や浄土真宗の念仏宗(ねんぶつしゅう)は、この世では幸せになれないから、極楽浄土(ごくらくじょうど)という架空(かくう)のあの世で、幸せになろうという宗教です。

ようするに、完全な現実逃避(げんじつとうひ)です!!

だから、念仏宗の人たちは、自分の人生に、なにか大変に事や困難があると、まともに立ち向かうことができず、すぐ現実逃避してしまいます。そして、その最終の形として、自殺を選んでしまいます。

だから、世の中で、自殺してしまう人の多くは、この念仏宗の悪影響を、色濃(いろこ)く受けていると思って、間違いありません。

また、念仏宗というのは、ちょっと良くなったと思ったら、ドーーンと落ちて、またちょっと良くなったと思ったら、またドーーンと落ちるという連続で、地獄(じごく)のような人生になっていきます。

これを、念仏無限地獄(ねんぶつむげんじごく)と、いいます。

このように、世間では、なんとなく、知れ渡(わた)っていますが、南無阿弥陀仏と、となえる念仏宗(浄土宗・浄土真宗)を、やって良いことは、ひとつも、ありません。
逆に、不幸の根源だ!ということが、できます。

ハツカネズミを使った実験によると、ハツカネズミに念仏(南無阿弥陀仏)を、聞かせていると、ハツカネズミは、普通により、早く死んでしまうそうです。


このように、宗教というのは、実は、人生に大きく影響(えいきょう)を、与えていて、自分が、かかわっている宗教が、念仏宗のように、間違った宗教であった場合、自分の人生を、不幸へと落し入れてしまいます。

これが、宗教の恐(こわ)いところです。

また、自分は宗教には関係ないと思っていたとしても、自分の先祖をたどれば、なにかしらの宗教に、かかわっています。また、生命の永遠性を考えると、自分の過去世(かこせ/自分が過去に生きていた世の中/前世)に、なにかしらの宗教 に、かかわっていたと考えるべきです。

その宗教が、念仏宗のように間違った宗教であった場合、それは、自分の人生に大きな悪影響を、もたらしてしまいます。

普段は、まったく気にかからないし、気にしなかったとしても、間違(まちが)った宗教の悪影響は、あるとき、ふっと自分の人生に、なにがしらの不幸という形で、降(ふ)り掛(か)かってくる場合も、あるでしょう。

それが、間違った宗教というものです。

では、その間違った宗教の悪影響を、いったい断(た)ち切ることは、できるのか?
それが、もっとも重要な問題です!!

その悪(あ)しき間違った宗教の悪影響を、断(た)ち切り、逆に大きな幸せを、もたらしてくれる宗教が、実は、創価学会が実践している南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです。

はっきり言って、悪しき間違った宗教による不幸を、断ち切る方法は、これしかありません!
ほかの何をやっても、だめでしょう・・!
この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法しかないんです!!

たとえば、太陽が出た後では、どんな暗闇(くらやみ)も消え去ってしまうように、南無妙法蓮華経の仏法は、間違った宗教による不幸を、消し去ってしまうんです!
そして、サンサンと輝(かがや)く太陽のように、大きな幸せを、もたらしてくれるんです。

それが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法なんです!

間違った宗教が、、人生に悪い影響を与えるんだから、逆に、正しいプラスの宗教が、人間の人生に良い影響を、与えることは、容易(ようい)に想像(そうぞう)がつくと思います。

その最高にして最強の正しきプラスの宗教が、幸福の太陽とも言える、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです。


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ひまわりの種77 [生命]

人生、長く生きていると、『死にたい』と思うことが、一度や二度は、あるかもしれない。それは、きっと、『死』によって何かから、解放(かいほう)されると思っているからだと思う。

それは、浅(あさ)はかな、浅薄(せんぱく)な生命観から、来ているんだと思う・・・。

そこで 、生命の永遠性について、考えていきたいと思います。

死んだら、どうなるのか?死んだら、きれいさっぱり、無くなって楽になるのだろうか?

仏法では、『永遠の生命』を、説(と)いています。
永遠の生命といっても、幽霊(ゆうれい)や霊魂(れいこん)のようなものが、残るわけではない。仏法で説く永遠の生命は、そういう形の残るものではない。

けれど、かといって、なんにも無くなるか?というとそうではなく、死んでも、自分の生命の核(かく)といえる我(が)という存在は残り、宇宙に溶(と)け込(こ)んでいく。そして、宇宙に溶け込んだ生命は、あるとき、なにかの縁(えん)によって、フッとまた生きた生命として、誕生していく。人が疲れたら、眠り、そして朝、起きるように、疲れた生命は、休まなければならない。
そして、元気な生命として、また、誕生していく。

だからといって、まったく生まれ変わるということではない。自分がいままで生きてきた喜び、歓喜(かんき)、悲しみや苦しみという自分を形成してきた核(かく)である、その人の境涯(きょうがい)ともいえるものは、そのまま残り、その境涯のまま、宇宙に溶(と)け込んでいく。

だから、たとえば、ものすごい苦しみを持って死んでいった生命は、死んでも、そのものすごい苦しみを持った生命として宇宙に溶け込んでいく。歓喜して幸せそのもので、死んでいった生命は、その歓喜と幸せそのものの状態で、宇宙に溶け込んでいく。

だから、永遠の生命から考えると、死んでも、その人の境涯を、そのまま、持ったまま、宇宙に溶け込んでいくことになります。歓喜と幸せをもって生きた生命は、歓喜と幸せの生命として、宇宙に溶け込み、地獄の苦しみをもって生きた生命は、地獄の苦しみを持った生命として、宇宙に溶け込む。

だから、仏法では、自殺は、無意味だと説く。自殺したとしても、その地獄のような苦しみは、そのままで、永遠にその苦しみをもったまま、その人の生命は宇宙に溶け込み存在し続ける。また、自殺という悪い業(ごう/宿命[しゅくめい])を作ることになるので、また、なにかの縁(えん)で、人間として生まれてきたとしても、以前よりもっとひどい!地獄のような苦しみを味わい、以前よりもっとひどい、自殺したいような苦しみを味わうことになる。

だから、永遠の生命から考えると、自殺は、自分に最悪の業(ごう/悪い宿命・運命)を、つくるだけで、どんどん悪い境涯(きょうがい)の生命になっていくことになる。

そうすると、じゃあ、いったい、どうしたらいいんだ?という問題に、たどり着く。永遠の生命から考えたとしても、自分の悪い宿命や運命を、断ち切り、幸せになっていける方法が、求められる。

その永遠の生命の上からも、悪い宿命や運命を、断ち切り、必ず幸せになっていける方法が、創価学会が、実践している南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです!

永遠の生命の上から、ひとりの人間を、確実に幸せにしきる方法は、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法によるしか、ありません。これだけは、他の何をやっても、だめです。

だからこそ、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践すると、いい知れない歓喜と充実感、満足感を味わう事ができ、あらゆる悪い宿命を、打ち破ることができるからこそ、どんな困難も乗り越えて、幸せになっていけるんです!

そして、その幸せは、その場かぎりのものではなく、永遠に続く、永遠の生命の上での幸せとなっていき、その人の人生を、かざっていきます。

その永遠の生命の上での幸せを勝ち取った証拠(しょうこ)として、今、現在、生きている人生において、夢や希望が、かなったり、悩みや困難が、解決できたりして、今現在の人生を、勝利し幸せになっていけるんです!

だからこそ、永遠の生命に立脚(りっきゃく)した、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、世界中で、求められ、また、必要になっていくことになります。


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ひまわりの種68 [生命]

ブラジルの天文学者モウラン博士が『「南無妙法蓮華経」という音律(おんりつ)には、宇宙が創(つく)り上げられていくような根源のエネルギーを、感じます。』

と言っています。

確かにそうだと思う。
創価学会の人たちが、日々、となえている南無妙法蓮華経は、宇宙を創(つく)りあげていくような根源的なエネルギーだと思う。

それは、生命を育(はぐく)むエネルギー。生命を蘇生(そせい)させるエネルギー。また、生命を変革するエネルギーであり、生命の中から、希望や勇気を、生み出すエネルギーだと言えると思います。

だから、南無妙法蓮華経を、となえていると、自(みずか)らの生命の中から、希望と勇気が、わきあがってくる!そして歓喜を感じ、人生を前向きに挑戦していく気概(きがい)が、あふれてくる。それは、やがて強い強い祈りとなり、自分の夢や希望を、かなえていく大きな大きな力となっていく。

この南無妙法蓮華経という、宇宙を創(つく)りあげていくような無限のエネルギーに、際限(さいげん)はない。だから、真剣に南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、どこまでもどこまでも幸せになっていける。たとえ、どんな試練(しれん)が、行く手を阻(はば)もうとも、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中から無限の生命力を、わきあがらせて、瞬間瞬間(しゅんかんしゅんかん)、最高の希望をもって立ち上がり、人生を勝利していける。

南無妙法蓮華経は、勝利のエネルギーであり、幸せのエネルギーなんです!

その幸せと勝利の根源的なエネルギーを、日々、瞬間瞬間、わき上がらせて、人生を勝利していける方法。

それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえて生きる、仏法の信仰です!

そして、それは、
世界中の創価学会の人たちが、実感していることであり、そのことによって、世界中の創価学会の人たちが、勝利と幸せを、勝ち取っています!!


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