ひまわりの種296 [幸せ]

ジョン・レノンが、ビートルズを解散(かいさん)したとき、言っているそうです。

『ビートルズは、欲しいだけの富(とみ)と名声(めいせい)を手に入れた。
そして、何も持っていないことに気づいた・・。』


どんなに富(とみ)や名声があったとしても、何も持っていない・・。

それは、富や名声は、普通、一般的に、だれでも欲(ほ)しいと思う。
けれど、それらによって、本当に幸せになるか?といったら、そうではないのかもしれない・・。

人は、何かを求めている・・。
それは、結局(けっきょく)のところ、『幸せ』なんだと思うけれど、その「幸せ」は、富や名声にあるのではない!ということだと思う。

財産や名声は、幸せを感じる一部分のものではあるかもしれない・・。
かといって、財産や名声があるから、幸せということではない!ということだろうか・・。

本当の幸せとは、なんだろうか・・。
本当に人間が持てる幸せとは、なんだろうか・・。

それは、生命の中にほとばしる『歓喜(かんき)』であり、溢(あふ)れんばかりの充実(じゅうじつ)であり、自分の中の確固(かっこ)とした絶対崩(くず)れない太陽のような輝(かがや)きなんだと思う。

人は、本質的に、それを求めているんだと思う。
ジョン・レノンも、そのような何かを、求めていたんだと思う。

けれど、それは、富や名声の中には、なかった。そこには、ジョン・レノンが求めたものはなかったんだと思う。

富や名声を求めている人は、それをつかむことに夢中だろうし、きゅうきゅうとして、それどころではない人々にとっては、富や名声は、憧(あこが)れかもしれない。

けれど、かりに、富や名声にたどり着いたとしても、そこに、本当の幸せはないんだと思う・・。

人は、本当は、それを求めているのではない・・!

人が、求めているのは、本当の幸せです。

実は、その本当の幸せをつかむことのできる場所が、『創価学会(そうかがっかい)』であると、断言(だんげん)することができる。

ここに、創価学会の決定的な存在価値(そんざいかち)がある・・・!!

自分の生きている意味とは、何なのか・・?

自分の存在価値とは、なんなのか・・?

その意味と価値(かち)に目覚(めざ)めた時、人は、躍動(やくどう)し、歓喜して、生命の底(そこ)から幸せを感じる。

その生きている意味と、存在価値を、明確につかみ、開花させていける場所が、創価学会であり、また、それを可能にするのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

それは、ただ単(たん)に、生きている意味と存在価値を感じるというのではなく、そのことによって、自分の生命を飛躍(ひやく)させ、悩みや問題を解決したり、夢や希望を、かなえていく結果となっていく。

その原動力(げんどうりょく)が、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)だということです。


南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、『歓喜の中の大歓喜』だと言う。

それは、南無妙法蓮華経をとなえることによって、本当の幸せを、つかむことのできる証(あかし)だと思う。

また、『南無妙法蓮華経は、蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』という。

それは、南無妙法蓮華経を、となえることによって、生きている意味、自(みずか)らの価値、使命にめざめることによって、根源(こんげん)から、自分の生命が蘇生(そせい)し、そのことによって、さまざまな悩みを克服(こくふく)できたり、壁(かべ)や困難(こんなん)を乗り越(こ)える力となって人生を飛躍(ひやく)させていく。

また、病気などの時は、南無妙法蓮華経を、真剣に、となえていくことによって、本当に病気を克服する、大きな力(ちから)となっていく。

それは、おそらく、生命の根源から、本当の幸せが、目覚めていく結果ではないかと、思う。

また、真剣に南無妙法蓮華経を、となえぬき、創価学会の活動をやりきっていった時の、歓喜と感動、清々(すがすが)しい生命の躍動(やくどう)は、言葉では言いあらわせないほど、計(はか)り知れない。

それは、幸せそのものと言っても、いいと思います。

ジョン・レノンが、
『ビートルズは、欲しいだけの富(とみ)と名声(めいせい)を手に入れた。
そして、何も持っていないことに気づいた・・。』と言いましたが、
富や名声では、決して、つかむことのできないもの・・。
人間が、心の底で、願っている、『本当の幸せ』・・。

その本当の幸せをつかむことのできる場所が、創価学会であり、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だと、いうことができます・・・!!


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