ひまわりの種313 [悩み]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『人生は宿命(しゅくめい)との戦いといえます。宿命に泣き、宿命に流されて、あきらめてしまう人も多い。しかし、信心(創価学会の信心)ある限(かぎ)り、打開(だかい)できない宿命はありません。

自動車は、エンジンを始動させなければ動かない。しかし、エンジンを回転させれば、右にも、左にも走っていける。同様(どうよう)に、信心のエンジンを回転させていけば、困難(こんなん)の坂(さか)を超(こ)え、過去世(かこせ[過去に生きていた時代])からの罪業(ざいごう)、宿命も転換(てんかん)し、自分が欲(ほっ)する人生の軌道(きどう)を、意気揚々(いきようよう)と進んでいけるんです。』


人は、だれでも、楽しく生きたいと思っている。おもしろおかしく生きたいと思っている。これが人間の本心(ほんしん)だと思う。だれも辛(つら)い人生、苦しい人生を生きたいとは思わない。

「楽しく生きたい!おもしろおかしく生きたい!」
そう思っているのに、そうもいかないことも多い・・・。

それは、人それぞれ、『宿命(しゅくめい)』を持っているからです。

この『宿命』を避(さ)けることが、できない!!!

どんなに、おもしろおかしく生きたいと思っていても、人それぞれ、さまざまな宿命が降(ふ)り掛(か)かってくる・・・。

ゆえに、楽しく生きたいと思っているのに、それができない現実が、のしかかってくる・・。

楽しく生きたいと思っているのに、それができない。時として宿命は、過酷(かこく)なまでに、その人を打ちのめす場合もある。

その現実とのギャップのせいで、命を捨ててしまう人さえいる・・・。

ここに大きな問題がある。

それは、『宿命を乗り越えられない!』ということです。

だから、この『宿命』を乗り越える真実の方法を見いださないかぎりは、本当の幸せはない!!と言える。

その「宿命」を真(しん)に乗り越え、転換(てんかん)していける、唯一(ゆいいつ)の方法が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

この創価学会(そうかがっかい)の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、池田先生が言うように、自動車にエンジンをかけ、始動(しどう)させるように、どんな困難の坂(さか)も超え、宿命を転換(てんかん)して、自分の欲(ほっ)する人生の軌道(きどう)を進んでいけるんです。

すなわち、自分が欲する幸せ、夢や希望をつかんでいけるんです。

もちろん、たいへんなこともあるでしょう。苦しいこともあるでしょう。

けれど、創価学会の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法を実践していった場合、同じ苦しみ、困難であったとしても、生き方、考え方がまったく違(ちが)ってくる。
すなわち、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰によって、必ず乗り越えられるから、『希望』がある!

「よし!必ず乗り越えてみせる!!」
と前向きに勇気を持って挑戦していける。
そして、実際に乗り越えていくこてができる!

その生きることに対する充実感(じゅうじつかん)、歓喜(かんき)、希望が、創価学会の仏法の信仰を知らないのとでは、天国と地獄(じごく)くらい違ってくる。

そして、自身の宿命を乗り越え、転換(てんかん)して、幸せを勝ち取っていける。

それが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

素晴らしい車を手に入れると、快適(かいてき)な気持ちよいドライブができる。

それと同じように、創価学会の仏法の信仰を手に入れるということは、どんな宿命も乗り越え、人生を楽しく、おもしろく生きていけることになっていく。そして、最も大切な幸せをつかんでいける・・!


だれでも、楽しく生きたい・・。

だれでも、おもしろおかしく生きたい・・。

けれど、だれでも、それを阻(はば)もうとする宿命がある。
そして、それを乗り越えられない・・・。

その宿命を乗り越える方法を知らなければ、本当の幸せは、ありえない!

そして、その宿命を、本当に乗り越えられる、宿命を転換して、より良い幸せをつかんでいける、唯一(ゆいいつ)にして真実の方法が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです・・・!!


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ひまわりの種312 [幸せ]

最近は、あまり使わないかもしれないけれど、『哲学(てつがく)』という言葉がある。

『哲学(てつがく)』とは、辞書(じしょ)で調べると、世界・人生などの根本原理(こんぽんげんり)を追求(ついきゅう)する学問とあり、もう少し現実的に言うと、各人の経験に基(もと)づく人生観(じんせいかん)や世界観を言い、物事を統一的(とういつてき)に把握(はあく)する理念(りねん)だそうです。

たとえば、「仕事に対して哲学をもつ」とか、「人生の哲学」などのように使うことが多い。

わかりやすく言えば、たとえば、「おれは男だから、男らしく生きるんだ!」というのも哲学だと思う。

「私は、女性だから、女性らしい生き方をしたい。」というのも哲学だと思う。

ひとつの世界観や人生観から、ものごとを考え、行動して生きる・・・。
それが、哲学だと思う。

だから、根本的(こんぽんてき)には、意識(いしき)する、しないは別として、自分の信じる哲学に基(もと)づいて行動し、生きていると言えると思う。

逆(ぎゃく)に、その哲学がないと、人の生き方は、フラフラした、行き当(あ)たりばったりの人生になってしまうと言えます。

また、その自分の哲学が、浅(あさ)はかだと、自分の人生は、思うようにならない、すなわち、なかなか幸せにはなれない人生、生き方になってしまうと言えます。

また、もっと怖(こわ)いことに、自分がもっている哲学が、間違(まちが)っていたとしたら、その人は、間違った生き方、人生を歩(あゆ)むことになり、幸せとは正反対の人生、すなわち、不幸なる人生を歩(あゆ)むことになる。

だから、意識する、しないは別(べつ)として、人間にとって、人生にとって、『哲学(てつがく)』とは、重要(じゅうよう)な意味と結果を、ともなってしまうと、いうことです。

『哲学』とは、本当は、ものすごく重要なんです!

その哲学いかんによって、自分の生き方が決まり、人生が決まっていくと言えます。

もし、自分の人生は、うまくいっていない・・。自分の人生は不幸だと思っているのだったら、それは、自分の持っている『哲学(てつがく)』が間違(まちが)っていると、考えるべきでしょう。

そして、ほんとうに正しい哲学、ほんとうに幸せになっていける哲学を、求めるべきでしょう。


その、ほんとうに正しい哲学、ほんとうに幸せになっていける哲学。
悩みや問題を解決していけ、夢や希望を実現(じつげん)していける哲学が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと言えます。

この創価学会(そうかがっかい)が実践する『南無妙法蓮華経の仏法』ほど優(すぐ)れた、素晴らしい哲学は、この世界に存在(そんざい)しません。

それが、創価学会の、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法です。

この、創価学会の仏法(ぶっぽう)の哲学は、どんな角度から見たとしても、非(ひ)の打(う)ち所(どころ)のない、完璧(かんぺき)な哲学です。

たとえば、宇宙的な規模(きぼ)で考えたとしても、あるいは、生命という次元(じげん)から考えたとしても、あるいは、幸福という観点(かんてん)から考えたとしても、正しい人生、最高の人生ということから考えたとしても、環境(かんきょう)や自然、平和という観点から考えたとしても、あるいは、悩みや問題の解決ということから考えたとしても、また、夢や希望の実現ということから考えたとしても、人生の充実感(じゅうじつかん)、喜び、人生にもたらす歓喜(かんき)から考えたとしても、すべてにおいて、完璧(かんぺき)で、無駄(むだ)が なく、あらゆるすべての現象(げんしょう)において、最高の結果、最高の満足をもたらすものが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の哲学です。

ゆえに、当然(とうぜん)、勝っていける!
幸せになっていける!
悩みを解決していける!
夢や希望をかなえていける!

それが、創価学会の仏法の哲学です。


さきほど、話したように、人生において、生きることにおいて、『哲学(てつがく)』は重要です。
人生を左右します。

そして、その哲学の中で、必ず勝っていける、必ず、幸せになっていける、絶対にして、唯一(ゆいいつ)の法則(ほうそく)と言える哲学が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・。


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