ひまわりの種271 [幸せ]

創価学会の人たちは、創価学会が信望(しんぼう)しているご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経をとなえて祈る、仏法(ぶっぽう)の信仰をしているわけですが、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、その、『ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる』ということについて、次のようなことを言っています。

『ありのままの姿(すがた)でいい。ご本尊(ほんぞん)を「根本中の根本(こんぽん)」と尊敬して、素直(すなお)に、子どもが「お母さーん」と抱(だ)きついていくような気持ちで、ぶつかっていくことです。
苦しければ苦しいまま、悲(かな)しければ悲しいまま、つくろわず、飾(かざ)らず、背伸(せの)びせず、ありのままの心で唱題(しょうだい/南無妙法蓮華経をとなえること)していけばいいのです。』

※ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。


創価学会の南無妙法蓮華経をとなえて祈る信仰のスゴイところは、べつに難(むずか)しい理屈(りくつ)は、いらないということです。ありのままの自分で、ありのままに、ご本尊に祈っていくことによって、結果が出てくる。すなわち、悩みや問題を解決できたり、夢や希望をかなえていけるようになっていく!ということです。

ご本尊に祈るということに対して、まったく差別(さべつ)がない。だれが祈っても、だれがこの創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰をやったとしても、幸せになっていける。勝利していける。

それは、この創価学会のご本尊と、南無妙法蓮華経の仏法が、絶対に人を選ばず、どんな人のどんな願いにも対応(たいおう)して、最高の答えを出してくれるということです。

もちろん、めちゃくちゃな願いが、かなうことはないし、棚(たな)からぼた餅(もち)みたいなこともない。なぜなら、それらの願いがかなわないことが、その人にとって最高の結果だからです。努力や行動をしないで幸せになることはないと、いうことです。

ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえていくと、自分が幸せになるためには、どうしたらいいかが、わかってくる。自分にとって、最高の努力と行動が、なぜだかできるようになっていく。どうしてそうなるかと言うと、南無妙法蓮華経をとなえることによって、自分の中から、本当の使命(しめい)をはたすための生命力が、わき上がってくるからです。そして、夢や希望に向かって、本当の挑戦、ほんとうの人生の戦いが、できるようになってくる。

だから、幸せになるんです!
だから、勝利していけるんです!

その無限の生命力と知恵、人生に勝っていくための、さまざまなアイデア、また、情熱や行動力が、なぜだか、自分の中から、湧(わ)き上がってくる。そして、現実に努力し、行動していくことができるようになっていき、やがて、悩みを解決できたり、夢や希望をかなえて、幸せになっていけるんです。

その究極(きゅうきょく)にして無限の生命力であり、創造力(そうぞうりょく)であり、エネルギーであり、幸せを引きつける引力(いんりょく)のような力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです。

単純(たんじゅん)なようで、ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえることほど、スゴイことはないんです。これほど確実で、これほど効果(こうか)があり、これほど人生の勝利の道を歩んでいける方法は、ないんです。

創価学会二代会長の戸田先生が、
『ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえる祈ることが、幸せになっていく最も近道になる!』
と言っていましたが、その通りなんです。

しかも、それは人を選ばない。

だれが祈っても、どんな環境(かんきょう)の人が祈っても、またどんな悩みがあったとしても、どんな問題をかかえていても、すべての人が、やったらやっただけ、 一人も残らす、幸せになっていけ、勝利の道を歩んでいける。

しかも、それは、難(むずか)しいことはいらない。

ありのままの自分で、自分の思いそのままを、ぶつけて祈っていけばいい。

そうしていった時、どんな人でも、最高の幸せの結果をもたらしていけるのが、創価学会の、ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえて祈る、仏法の信仰なんです・・・!


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