ひまわりの種315 [悩み]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『人は花に学ばなければ・・・。

花はいつも一生懸命(いっしょうけんめい)だからだ。投げやりに咲いている花はない。いやいや生きている花はない。途中(とちゅう)で、へこたれる花はない。笑うことを忘れた花はない。過去にとらわれたり、人のあらを探(さが)したりしている花はない。』


花は、だから、きれいなのかもしれない。
なにものでもない、自分自身を咲かせることに、なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく全力で立ち向かっていく。

その健気(けなげ)な姿に人は、打たれるのかもしれない。

創価学会(そうかがっかい)二代会長の戸田城聖先生が、仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)は、『自分自身に生ききることだ!』と言っていた。

あの人がこう、この人がどうではない。自分が自分自身に生ききるかどうか・・・。

簡単なことのようで、これがなかなかできないのも、現実だと思う。

そして、ああだ、こうだ文句(もんく)を言う。愚痴(ぐち)を言う。そして、世の中を恨(うら)んでしまう・・。

何かかが間違(まちが)っているんだと思う。幸せというものの本質(ほんしつ)が見えなくなっているのかもしれない・・。

何かが狂(くる)っている。人間の生命になにかの間違った思想や考えがこびりつき、花のように、健気(けなげ)に生きられなくしている。

仏法(ぶっぽう)では、これを『宿業(しゅくごう)』という。

『宿業(しゅくごう)』とは、自分の生命に、深く宿(やど)ってしまっている、その人を苦しめている根本原因(こんぽんげんいん)のようなもので、避(さ)けたくても避けることのできない苦しみや悲しみ、自分はどうして、こういう自分に生まれてしまったのか?というような、辛(つら)い境遇(きょうぐう)や環境、なんで自分がと思うような過酷(かこく)な病気や事故など、その人がもって生まれた、どうしようもないような運命などをいいます。

その『宿業(しゅくごう)』が、人を苦しめ、狂わせ、花のように真っ直(まっす)ぐに生きることを、妨(さまた)げている。
そして、その人を不幸にしている。

不幸の根源(こんげん)には、『宿業(しゅくごう)』がある!と言えるかもしれない。

そして、その『宿業』がどこから起ってくるかと言えば、それは、間違った思想(しそう)、間違った宗教から起ってくる。

人は、自分の悩みや不幸について、その原因(げんいん)にたどり着くことはないけれど、人間の不幸は、間違った宗教によって、起こる!!と言えます。

自分は、宗教なんかには、かかわっていないと、言うかもしれない。

けれど、自分の先祖(せんぞ)をたどっていけば、なにかしらの宗教をやっているし、世の中は、間違ったデタラメの宗教だらけなので、日々、その間違った宗教に触(ふ)れていると、言えます。

正月といえば、初詣(はつもうで)だといって、さまざまな神社やお寺に行くし、観光でもさまざまな神社、仏閣(ぶっかく)に祈りをささげる。また、葬式(そうしき)となれば、ほとんど、それらの葬式仏教などに祈りをささげる。

そして、それらの葬式仏教にしても、神社信仰にしても、観光宗教にしても、デタラメな間違った、人を不幸にしてしまう宗教です。それらに、良いことだと思って、祈りをささげる。

それらの、間違ったもの、デタラメなものに祈りをささげるということは、自分の生命に、間違ったもの、デタラメなものを投影(とうえい)することになり、間違ったもの、デタラメなものが、自分の生命に植(う)え付けられることになっていく。その植え付けられた間違った宗教、デタラメな宗教は、自分の生命に、さまざまな不幸なる宿業(しゅくごう)として植え付けられ、その宿業が、時ととともに噴出(ふんしゅつ)して、その人を苦しめることになる。

また、過去世(かこせ/過去に生きていた時代)に、間違った、人を不幸にする宗教にかかわってしまったために、さまざまな不幸なる宿命(しゅくめい)を持って、生まれてきたとも言えます。


人間は、花のように、生きるべきだと、思います。

けれど、それをできなくしているのが、『宿業』だと言えます。

そして、その宿業を打ち破(やぶ)る、決定的で唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、となえることは、自分の中から、花のように生きる力を復活(ふっかつ)させる。

花のように生きようとする生命力が復活し、その人を、真っ直(まっす)ぐに生きさせる。

太陽が昇(のぼ)れば、草木についた、つゆや水滴(すいてき)は、あっという間に消えてしまうように、南無妙法蓮華経をとなえることによって、花のように真っ直ぐに生きることを妨(さまた)げる宿業が、打ち破られ、幸せに向かって、希望にむかって、生きていけるようになっていく。

南無妙法蓮華経には、宿業を打ち破る大きな大きな力(ちから)がある!ということです。

南無妙法蓮華経を真剣にとなえ、仏法(ぶっぽう)の実践活動である創価学会の活動をやっていくことによって、自身の宿命が転換(てんかん)され、悩みや困難(こんなん)を乗り越(こ)え、夢や希望をかなえて、幸せを勝ち取っていくことが、できるようになっていく。

それは、美しい花のように・・・。

『南無妙法蓮華経は蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』というけれど、南無妙法蓮華経をとなえると、自分の生命が蘇生(そせい)していく。

真剣に南無妙法蓮華経をとなえることによって、自分の中から生命力が湧(わ)き上がり、勇気が出てきて、元気と希望がでできて、その人の生命は、文字通り、蘇生(そせい)していく。

その生命の力は、自分の人生と未来を、花のように、真っ直ぐに生きていくエネルギーとなって、その人を動かす。

やがて、種(たね)から花が咲くように、その人の人生に、勝利と幸せの花が咲いていく。


人は、花のように、生きるべきだ・・!

そして、それを可能にする、希望と勇気とどんな困難(こんなん)も打ち破る無限(むげん)の力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです。


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