ひまわりの種105 [願い]

ぼくの友だちが、手相(てそう)を見せて、親指の間接が曲がるところにできる皺(しわ)が、人の目のような形をしていると、それを仏眼(ぶつがん)と言って、なんか・・、人知(じんち)を超えた普通の人にはない力(ちから)があるということで、自慢(じまん)していました。

それが、本当かは知りませんが、その親指の人の目のような形をした皺(しわ)のことを、仏眼というのは、ぼくも、はじめて知りました。

きっと、仏眼というくらいだから、仏(ほとけ)に関係あるんだと思いますが、本当の仏(ほとけ)の教えは、そういうものではない。本当の仏(ほとけ)の教えは、何か特別な人でないと、ないような、そんな、得体(えたい)の知れないものではない・・!

なにか、人知(じんち)を超(こ)えた力(ちから)があるとか、そういう考えかたは、変な宗教に利用されやすい。このお方には、人にはない特別な力があるとか言って、教祖(きょうそ)に祭(まつ)り上げたり、また逆に人には無い力があると、でっちあげ、教祖として、人々を、だましていくことも、多い。人に、人間にない力があると思い込(こ)ませるところに、悪(あ)しき邪宗教(じゃしゅうきょう)が、人々をだまし、はびこる理由がある。

当然のことだけれど、人間にない力があると言いふらす邪宗教は、人を必ず不幸にする。
だから、気をつけないといけない。

もしその宗教が、人間を人間以上に見せようとしていたら、『それは、邪宗教だ!』と、はっきりと、見破(みやぶ)っていかなければならない。

最初のテーマに戻(もど)ると、仏(ほとけ)の教えは、なにか特別な人にしかないような、そんな得体(えたい)の知れないものではない!!

仏(ほとけ)の願いとは、何か?

それは、世界中のすべての人間に、仏(ほとけ)とまったく同じ『幸せの境涯(きょうがい)を、つかんでほしい!!』ということです。

『強くて、あったかくて、やさしくて、なにものにも負けない、あらゆる困難も乗り越えていける、最高に歓喜(かんき)した、最高に幸せな境涯!』

いわば、それは『仏(ほとけ)の境涯』と言えると思いますが、その最高に幸せな仏の境涯を、すべての人に、つかませたい!すべての人間に、その最高の幸せ境涯を、確立してほしい!
ということです。

それが、仏(ほとけ)の願いなんです。

また、その、強くて、あったかくて、やさしくて、なにものにも負けない、あらゆる困難も乗り越えて行ける、最高に歓喜した最高に幸せな生命状態のことを、『仏(ほとけ)の生命』というのだけれど、その『仏(ほとけ)の生命』は、世界中の、すべての人の中に、まったく違いがなく、そなわっているんです!

『必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命は、どんな人でも、すべての人の中に、そなわっている!仏の生命は、すべての人の中にある!!!』

そのことを、伝えるために、仏は、出現した!と言えます。

だから、仏(ほとけ)が伝えたいことは、『どんな人でも、必ず幸せになっていける、無限の力(ちから)が、あなたの中には、あるんですよ!!!』

ということなんです。

実は、その、仏(ほとけ)の力(ちから)とも言える、どんな人でも、必ず幸せになっていける無限の力(ちから)が、創価学会の人たちが、日々、となえている、『南無妙法蓮華経』なんです。

『どんな人でも、必ず幸せになっていける無限の力』、それが、『南無妙法蓮華経』なんです。

だから、仏が本当に伝えたかったことは、この『南無妙法蓮華経』なんです。

だから、創価学会の人たちは、その『南無妙法蓮華経を、となえる』ことによって、あらゆる悩みや問題を、解決でき、さまざまな夢や希望を、かなえていけるんです!

そして、仏(ほとけ)の願いである、最高の幸せと勝利を、つかんでいけるんです!


仏(ほとけ)の力(ちから)というものは、なにか特別の人だけにあるものではない!
すべての人に、そなわっている。

そのどんな人でも、必ず幸せになっていける無限の力(ちから)を引き出していく唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会の人たちが実践している、『南無妙法蓮華経を、となえる』、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・。


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ひまわりの種69 [願い]

加藤夏希は、1111と1が並ぶと、一個、願いが、かなうというので、ビックカメラなどの時計売場に行くと、つい、目覚まし時計の針を、11時11分に合わせて、願いを、ひとつ、かけ、また他の目覚まし時計の針を11時11分に合わせて、願いをかけ、売場にある目覚まし時計、全部、11時11分に合わせてしまうらしいです。

願いが、かなうか、かなわないかは、別にして、気持ちは良くわかります。けれど、それで実際、願いが、かなうかというと、その可能性は少ないと思うのが、普通だと思う。

一般的に考えて、願いが、かなうためには、やはり、それなりの原因があると思う。まず、願いを叶(かな)えるための現実的な努力を、徹底的にする必要がある。また、人が、その人の願いを、かなえることに援助(えんじょ)したくなるような、その人の人間性もあると思う。そして、どうしても必要なのが、『ラッキー』すなわち『運』これも必(かなら)ず必要となる。また願いを叶(かな)えるための強烈(きょうれつ)な情熱も、必要になってくると思う。きっと、ほかにも願いをかなえるために必要なものは、たくさんあると思う。

それらの、願いをかなえる、あらゆる条件が、重(かさ)なって、結果として願いが、かなっていく。だから、『願いを、かなえる』といっても、棚(たな)からぼた餅(もち)のようなことはなく、さまざまな必然性(ひつぜんせい)が、重(かさ)なって、願いが、かなっていくんだと思う。

逆に言えば、それらのさまざまな願いを叶(かな)える条件が、そろえば、願いは、かなっていくということだと思う。だから、それらの願いを叶える、さまざまな条件を揃(そろ)え、満(み)たす方法があれば、いいわけです。

その願いを、かなえる、あらゆる条件を満(み)たし、揃(そろ)えていく決定的方法が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです!!

創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰は、ご本尊に(ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになってけてる仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊です)・・・そのご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえて真剣に祈っていくと、自分自身の中から、強い強い生命力が、わき上がってくる。そして、それは必ず願いを、かなえるんだ!という強い情熱となり、具体的に願いを、かなえる知恵や行動として、あらわれてきます。

また南無妙法蓮華経は、福運(ふくうん/幸せをもたらす運)を、つける唯一(ゆいいつ)の方法といっていいので、結果として自分の人生に、ラッキーを運ぶことになる。

また、南無妙法蓮華経を、となえることは、自分の中から最高の人間性を、開花させることになるので、人を引き付ける人間性も開花していくことになる。

そして、仏法の実践活動である、創価学会の活動をしていくことによって、自分の境涯(きょうがい)は、より大きくなっていき、宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)して、幸せに向かって、人生を開いていけるようになっていく。

不思議だけれど、南無妙法蓮華経を、となえていき、仏法の実践活動である創価学会の活動をやっていくと、願いを、かなえる、あらゆるものが、自分に備(そな)わっていき、願いを、かなえる、あらゆるものが、自分の方に、寄(よ)ってくる。そして、その必然(ひつぜん)の結果として、願いが、かなっていくんです!。

南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰は、自分に、願いをかなえる、あらゆるものを、備(そな)わせてくれる、無限の力(ちから)なんです。だから、その結果として、願いが、かなっていく!。

それが、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえて祈る、仏法の信仰なんです!!。


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ひまわりの種1 [願い]

創価学会が祈ってるご本尊は、祈りとして、かなわざるなしのご本尊なんだよ! といっても当然、願いをかなえる努力と行動は必要だけどね!

ご本尊に真剣に、南無妙法蓮華経を、となえて祈っていると、いろんな知恵やアイデアが、わいてきて、自分の中から勇気や希望、挑戦しようとする気力、行動力が、わき上がってくるから、結果として祈りが、かなっていくんだよ!

ほんとにスゴい、ご本尊なんだ!!!


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