ひまわりの種322 [幸せ]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『御書(ごしょ)に、「教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)をうごかし奉(たてまつ)れば、ゆるがぬ草木(そうもく)やあるべき・さわがぬ水やあるべき・・」と仰(おお)せの通り、ご本尊(ほんぞん)への必死の祈りは、一切(いっさい)を動かしていく。』

ちなみに、御書(ごしょ)とは、日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が書かれた、論文や手紙をすべて集めたものです。

また、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることをあらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。

ここで、まず引っかかるのは、当然(とうぜん)これは、創価学会(そうかがっかい)の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰のことを言っていますが、創価学会の信仰と、『釈尊(しゃくそん)』は関係あるのか??ということです。

釈尊とは、ブッダとも釈迦(しゃか)とも言われていますが、いわゆる仏教の創始者(そうししゃ)ですから、知っていると思います。日本のさまざまな仏教の大元(おおもと)は、この釈迦(しゃか/釈尊)から来ていると言えます。

ただし、現代の日本の仏教は、釈迦(しゃか)の仏法(ぶっぽう)とは、かけはなれたもので、単なる形だけです。釈尊(しゃくそん)の教えのかけらもない!と言ってもいいでしょう。だいたい、釈尊は、『坊主は葬式(そうしき)に出てはいけない!葬式というものは親しい知人や家族でやるものだ。 そんな暇(ひま)があったら、今、苦しんでいる人のもとに行ってあげなさい。』と言っているので、坊主が葬式でお経(きょう)をあげるのは、仏教でもなんでもない。ただの金儲(かねもう)けのエセ宗教だと言えます。

形だけ真似(まね)て、お金儲けに利用しているだけですから、かえって害(がい)になり、そんな害になるものを人々に信じ込ませていれば、その人々に害毒(がいどく)が伝わり、その人たちを不幸にしてしまう!ということです。

どういうことかというと、間違(まちが)ったデタラメの宗教に祈るということは、その間違ったデタラメの宗教に、自分の生命と人生をささげることになります。間違ったデタラメの宗教に自分の生命と人生をささげていけば、当然(とうぜん)、自分の生命と人生は、間違ったデタラメなものになっていく。自分の生命と人生が、間違ったデタラメのものになっていったならば、その結果として、さまざまな不幸がもたらされてしまう!ということです。

不幸の根源(こんげん)には、形骸化(けいがいか)した仏教にかぎらず、神社信仰や観光宗教など、それらの間違った宗教がある!ということです。


話しを戻(もど)しますが、釈尊は、仏教の創始者(そうししゃ)です。そして、釈尊が、何を伝えようとしたか?というと、それは、『生命の法則(ほうそく)』であり『宇宙の法則』です。簡単(かんたん)に言えば、それは、『幸せになるための法則』です。

それを、釈尊は、伝えようとしました。

そして、その幸せになるための究極(きゅうきょく)の法則がこめられたものが、釈尊の『法華経(ほけきょう)』です。
だから、釈尊の法華経には、その生命における、あるいは宇宙における、『幸せになるための法則』が込(こ)められています。

だったら、その釈尊の法華経(ほけきょう)をやればいいじゃないか・・!と思うかもしれませんが、それも違(ちが)います。

法華経というと、釈尊の法華経を思い浮(う)かべますが、法華経というのは、さっきも言ったように、幸せになるための法則です。そして、それは時代時代によって、表現の仕方(しかた)が違ってきます。

釈尊の時代であれば、その、釈尊の法華経をやれば、幸せになれましたが、現代では、なれません。この現代に、釈尊の法華経をいくら、やったとしたも、幸せにはなれないし、何の効力(こうりょく)もありません。

これは、釈尊自身が言っていることですが、釈尊が亡(な)くなってから2000年以上経(た)った、この現代という、思想・人心が乱(みだ)れた時代では、釈尊の法華経は、返って害(がい)になり、人々を不幸にする原因(げんいん)にしかなりません。

だから、現代の日本のさまざまな仏教は、良く見積(みつ)もっても、その釈尊の仏教の域(いき)をでていないし、はっきり言えば、釈尊の仏教を適当(てきとう)に変え、めちゃくちゃにしたような宗教ですから、なんの効力もなく、幸せにもなれません。 返(かえ)って、でたらめなメチャクチャな宗教ですから、そのメチャクチャの当然の結果として、害になり、人々を不幸にしてしまう!ということです。


では、釈尊が、本当に伝えようとした『幸せの法則』とは何なのか?

さきほど、法華経といっても、時代時代によって、表現の仕方(しかた)が違うと言いましたが、今生きている人々を、現実に幸せにしていける『現代の法華経(ほけきょう)』とは何なのか??ということになっていきます。

実は、その答えが秘(ひ)められているのが、釈尊の法華経だと言えます。

その釈尊の意図(いと)と隠(かく)れたメッセージをくみとり、唯一(ゆいいつ)正しく理解し、その現代の人々が幸せになっていける『真実の法華経』を発見し広めたのが、日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)です。

そして、現代の人々が幸せになっていける、『真実の幸せの法則』『生命の法則』『宇宙の法則』が、『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』なんです。

だから、『南無妙法蓮華経』とは、釈尊が本当に伝えたかったものなんです。

そして、『南無妙法蓮華経』が、今生きている人々が真(しん)に幸せになっていける、『現代の法華経』なんです。

だから、今、現実に効力(こうりょく)のある、悩みを解決していける、夢や希望をかなえていける、力(ちから)ある幸せの法則が『南無妙法蓮華経』であり、それが、『現代の法華経』です。

ですから、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる信仰は、釈尊が真に伝えたかった法華経であり、人々を幸せにしていける、仏法(ぶっぽう)の究極(きゅうきょく)の真髄(しんずい)なんです。

だから、創価学会と釈尊は、深く密接(みっせつ)な関係があり、釈尊が望み、伝え、実現したかったものが、創価学会の中にある!!!
ということです。

釈尊が望んだもの、釈尊が望み実現したかったものが、まさしく、創価学会によって実現されている!!ということです。

だから、最初に

「『教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)をうごかし奉(たてまつ)れば、ゆるがぬ草木(そうもく)やあるべき・さわがぬ水やあるべき・・』と仰(おお)せの通り、ご本尊(ほんぞん)への必死の祈りは、一切(いっさい)を動かしていく。」

と話したように、創価学会のご本尊への必死の祈りは、そのまま『釈尊』に通じていく。なぜなら、創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、釈尊の望み、願いそのものであり、『南無妙法蓮華経』が釈尊が伝えたかったことだからです。

ゆえに、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、釈尊のいう宇宙の法則、生命の法則、幸せの法則を実行することになり、それはいわば、釈尊自身をうごかすような大きな結果を生み、その結果、悩みを解決できたり、夢や希望をかなえていけたり、さまざまな困難(こんなん)も乗り越(こ)えて、幸せになっていけるわけです。

それが、創価学会の祈りなんです。

ゆえに、池田先生が言うように、
『教主釈尊を動かすことができれば、ゆるがぬ草木はない!さわがぬ水はない!』
そして、祈りをかなえ、幸せになっていける!!


それが、釈尊が本当に伝えたかった宇宙と生命の幸せの法則であり、究極の力(ちから)である、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!

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