ひまわりの種337 [世界]

1973年にノーベル平和賞を受賞し、アメリカの国家安全保障担当補佐官や国務長官を務めた、ヘンリー・A・キッシンジャー博士は、創価学会インターナショナル会長である池田先生と、8度にわたり、対談している。

池田先生は、キッシンジャー博士に質問している。

「人物評価(ひょうか)について、どのような基準(きじゅん)をお持ちでしょうか。」

アメリカの国務長官を務(つと)め、世界各国のリーダーと丁々発止(ちょうちょうはっし)の交渉(こうしょう)を繰(く)り広げてきた、世界を動かす立役者(たてやくしゃ)である。
答えは明快(めいかい)だった。

「私の変わらざる信念は、交渉の相手を理解することが、きわめて重要(じゅうよう)だということです。相手の知性ではなく人格(じんかく)です。知性の程度(ていど)を確かめることはごく簡単(かんたん)です。しかし人生における困難(こんなん)な問題はすべて、賛否両論(さんぴりょうろん)が知的レベルで真(ま)っ二つに分かれた場合に起きるのです。

ですから、いくつかの可能性の中から一つを選択(せんたく)する場合に『人格』がカギとなるのです。」


池田SGI(創価学会インターナショナル)会長とキッシンジャー博士との出会いは、小雪が舞(ま)うアメリカの首都ワシントンだった。国務長官の博士が、国務省の執務室(しつむしつ)で池田SGI会長を待っていた。1975年1月13日である。

池田SGI会長が、73年1月に、ベトナム戦争終結(しゅうけつ)を呼びかけるニクソン大統領宛(だいとうりょうあて)の書簡(しょかん)を、当時、大統領補佐官だったキッシンジャー博士に託(たく)して以来、博士と池田会長との手紙のやりとりが続いていた。訪米の際には立ち寄(よ)ってほしいとの、博士からの歓迎の意が示されたことを受けての訪問となったのである。

あいさつ、会談風景の撮影(さつえい)が終わると、通訳(つうやく)一人だけを介(かい)して、二人は向き合った。

キッシンジャー博士は、たずねた。

「率直(そっちょく)にお伺(うかが)いしますが、あなたたちは、世界のどこの勢力(せいりょく)を支持(しじ)しようとお考えですか。」

博士が直球を投げてきた。

まさに、知識ではなく人格(じんかく)、すなわち、どんな思想、信念(しんねん)で動いているかを見きわめようとする、短いが鋭(するど)い問いである。

もちろん、池田SGI会長が前年にソ連、中国を相次(あいつ)いで訪問し、コスイギン首相、周恩来(しゅうおんらい)総理らと会った事実が前提(ぜんてい)にある。

即座(そくざ)にSGI会長が答えた。

「私たちは、東西両陣営(りょうじんえい)のいずれかにくみするものではありません。中国に味方(みかた)するわけでも、ソ連に味方するわけでも、アメリカに味方するわけでもありません。私たちは、平和勢力(せいりょく)です。人類に味方します。」

キッシンジャー博士の顔に微笑(びしょう)が浮(う)かんだ。

会見を終える時、キッシンジャー博士は言った。

「また、友人としてお会いしたい。これからも連携(れんけい)を取り合いましょう。」


「中国に味方(みかた)するわけでも、ソ連に味方するわけでも、アメリカに味方するわけでもない。
私たちは、平和勢力(せいりょく)です。
人類に味方します。」

人は、このことを、わかろうとしない。

なにか裏があるのではないか・・?
と邪(よこしま)なことを考えてしまう。

そして、創価学会に対して、どうしようもないような下劣(げれつ)なデマを流したりしてきた。

けれど、もしそれらの下劣(げれつ)なデマが正しければ、創価学会(そうかがっかい)は、これほど世界に発展することはなかったでしょう。
また、創価学会の人たちが喜々(きき)として、創価学会の活動に取り組むこともないだろうし、創価学会の信心を真面目に実践(じっせん)することもなかったでしょう。

それに、創価学会の信心と活動を実践することによって、創価学会の人たちが、悩みを解決したり、夢や希望を実現したりして、幸せになっていくこともなかったでしょう。

ところが実際は、創価学会の人たちは、その創価学会の信心と活動によって悩みを解決し、夢や希望を実現して、大いなる幸せをつかんでいる。

それは、創価学会が正しい証拠(しょうこ)であり、世間のデマが間違(まちが)いであることの証明になります。

そう考えていった時、なにか裏があるのではないか・・?と、創価学会に対して、邪(よこしま)なデマを流している連中のほうが、よっぽど、何か裏があり、「邪(よこしま)」なことを企(たくら)んでいると考えるのが、妥当(だとう)なはずです。


キッシンジャー博士の話しに戻ると、博士は、米中接近(せっきん)、米ソの緊張緩和(きんちょうかんわ)、ベトナム戦争からの撤退(てったい)、中東和平交渉(わへいこうしょう)など、まさに、『歴史を書き換(か)えた』その実績は、枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。

博士は、池田SGI会長に語った。

「どんな偉大(いだい)な事業も、はじめは、すべて「夢」にすぎなかったのです。だから必要なのは勇気です。前人未到(ぜんじんみとう)の道をひとりゆくには、勇気が必要なのです。」

それを地(じ)でいったのが、71年7月、極秘裏(ごくひり)に訪中して、中国の周総理と会見し、ニクソン大統領の訪中、米中国交正常化に道筋(みちすじ)を付けたことである。

国務長官を退(しりぞ)いた後も、博士は、米外交に影響力(えいきょうりょく)を持つ重鎮(じゅうちん)として、注目を集め続ける。2007年に発表した、核兵器廃絶(かくへいきはいぜつ)を求める共同提言(ていげん)は、核抑止(よくし)戦略の当事者だった人物の発言として重大な意義(いぎ)をもつ。


博士と池田SGI会長との8度目の会見は、96年6月17日。同月、SGI会長がキューバでカストロ国家評議会長と会う予定を知ると、ニューヨークの宿舎(しゅくしゃ)に滞在中(たいざいちゅう)の池田会長を、博士が訪(たず)ねてきた。同年2月、キューバが米民間機を撃墜(げきつい)し、両国関係は悪化していた。

博士は関係の改善(かいぜん)を願い、池田SGI会長のキューバ訪問に強い期待を寄(よ)せていた。そしてSGI会長は、カストロ議長と会見した際、キッシンジャー博士の真情(しんじょう)を伝えたのである。


博士とSGI会長との初会見から40年。

創価学会は、世界192カ国に広がり、博士と語り合った世界平和の道は、大きく広がったと言える。

2015年には、米国とキューバの国交正常化も実現した。


聞いた話しですが、キッシンジャー博士は、池田SGI会長と会見した後、池田会長を評(ひょう)して、こう言ったそうです。

「グレイト・パーソナル(偉大なる個性・人格)」
・・と。

人格を最も重要視(じゅうようし)する博士の言葉だけに、重みがある・・。

「グレイト・パーソナル・・!」

キッシンジャー博士の池田SGI会長に対する期待とその対応を見るとき、その言葉はまさに真実であり本当なんだ!と、心から思う・・・。

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ひまわりの種329 [世界]

ロシアの元宇宙飛行士である、アレクサンドル・セレブロフ博士が、池田先生(創価学会インターナショナル会長)との対談集の中で、言っています。

宇宙飛行士に最も必要な資質(ししつ)は何か - - -

「それは、『人間としての品性(ひんせい)』をもっていることです。
つまり、ずるいことや卑(いや)しいことをしない『高潔(こうけつ)な人格』です。」

「そして、もう一つ、大切な要件(ようけん)は、『ユーモアのセンス』です。」

置かれた状況(じょうきょう)を笑い飛(と)ばすくらいの度胸(どきょう)が必要だということだそうです。


アレクサンドル・セレブロス博士は、1982年から94年に至(いた)るまで、計4度、372日22時間52分にわたる宇宙飛行を経験。船外活動は10回に及(およ)んだ。その実績は、94年度版のギネスブックにも記録されている。

セレブロス博士は、宇宙飛行の中で、死を覚悟(かくご)したことが三度あったそうです。

1度目は1983年4月、2回目の宇宙飛行。宇宙ステーションとのドッキングに失敗し、衝突(しょうとつ)事故を起こす寸前(すんぜん)だった。

「レバーを下ろせ!」

セレブロフ博士のとっさの判断で、博士の乗った宇宙船「ソユーズT8号」は宇宙ステーションをかすめるように通り過ぎていった。

2度目は93年9月16日、6回目の宇宙遊泳(ゆうえい)のとき。なんと、博士の命綱(いのちづな)が外れてしまったのだ。

「外れてるぞ!」

と船長が叫ぶ。

「そんなことは、わかっている。」と博士。

必死にステーションの一部にしがみつき、宇宙の藻(も)くずとなる運命を免(まぬか)れた。

3度目は94年1月14日。宇宙船「ソユーズ」に乗って、ステーション「ミール」の近くを飛んでいた。すると突然、制御(せいぎょ)レバーが効(き)かなくなった。
ソユーズが、秒速1メートルでミールに近づいていく。

偶然(ぐうぜん)、ソユーズはミールのアンテナに引っかかった。衝撃(しょうげき)が和(やわ)らぎ、博士のいた居住区(きょじゅうく)の壁(かべ)が破壊(はかい)されずに済(す)んだ。

そのセレブロス博士が、池田先生との対談を終えた後、言っています。

「私が経験したことの内実(ないじつ)を吟味(ぎんみ)し、まさに新たな人生哲学(てつがく)に昇華(しょうか)しえたのは、池田先生という並外(なみはず)れた魅力的な、傑出(けっしゅつ)した深い人格と出会い、語り合えたからにほかならい。」

そして、セレブロス博士は、池田先生を、『人生の師(し)』と呼んだ。


宇宙飛行士といえば、エリート中のエリートです。

そのエリート中のエリートでさえ、納得(なっとく)させ、尊敬と共感(きょうかん)を禁じ得(きんじえ)ないのが、創価学会の、『池田先生』だということです。

また、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法(ぶっぽう)には、宇宙を体験したようなエリート中のエリートでさえも、納得させ、大きな感銘(かんめい)を抱(いだ)かせる、明確な哲学がある!ということです。

では、逆(ぎゃく)に、セレブロス博士のようなエリートでないと、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、理解できないか?というと、それも違(ちが)う。

創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、専門的な知識など、まったくないような、おじいちゃんやおばあちゃんであっても、また、子供であっても、納得(なっとく)させられるものがある!

すなわち、どんな人にでも、納得させ、歓喜(かんき)して実践(じっせん)していける、ものすごい力(ちから)であり、エネルギーが、創価学会が実践している南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです。

すなわち、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰を、現実にやってみることによって、理屈(りくつ)や理論など、まったくわからない人であっても、『この創価学会の仏法はスゴイ!!』『この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、本物だ!!』と思えるだけの力とエネルギー、『結果』が、現実にもたらされる!ということです。

すなわち、超エリートから見ても、この創価学会の仏法(ぶっぽう)の生命哲学は、非の打ち所(ひのうちどころ)がなく、また、その仏法を実践した結果としても、非の打ち所のない、大きな『幸せ』という結果がもたらされる!ということです。

単純(たんじゅん)に言えば、世界中のどんな人であっても、幸せにすることができる!!ということです。

どんな人の悩みも解決していけるし、どんな人の夢や希望もかなえていけるだけの、大きな大きな力(ちから)になっていける!ということです。

どんな環境(かんきょう)の、どんな境遇(きょうぐう)の人の悩みにも対応(たいおう)し、どんな人の幸せにも対応して、その人たちの夢や希望をかなえていく、強力で決定的な力になっていく!ということです。

それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。

ゆえに、セレブロフ博士は、池田先生の対談のなかで、大きな共鳴(きょうめい)と感嘆(かんたん)を味わい、池田先生を、『人生の師』と呼んだ。

宇宙から見たとしても、人生という立場から見たとしても、世界の平和から見たとしても、悩みや問題の解決から見たとしても、夢や希望の実現、幸せという観点(かんてん)から見たとしても、非の打ち所がなく、完璧(かんぺき)な生命哲学、宇宙哲学、そして、現実に幸せになる!『幸福哲学』が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・。

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ひまわりの種327 [世界]

世の中には、世界には、優秀(ゆうしゅう)な人がいる。
素晴らしい人がいる。

人道的(じんどうてき)に素晴らしいことをやっている人。
人間性が素晴らしい人。
素晴らしい才能と能力を発揮(はっき)して活躍(かつやく)している人。
世の中を変えるような発明や発見をした人。

どれも、これも、素晴らしいことであり、多いに尊敬すべきであり、賞賛(しょうさん)すべきだと思う。

けれど、本当は・・、それよりも素晴らしいことがある。

それよりも、讃(たた)えられるべきことがある。

それよりも、尊敬(そんけい)していかなければならないことがある。

それが、創価学会(そうかがっかい)の、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を実践し、その具体的な活動である、創価学会の活動を、真面目にやっている人たちです。

はっきり言えば、それは、究極(きゅうきょく)の正義(せいぎ)だからです。
究極の善(ぜん)であるからです。
人類と世界に幸せと平和をもたらす、究極の行動であるからです。

はっきり言えば、人類と世界を、根本から幸福に変えていける、これ以上の行動はないからです。

その人たちは、無名であり、名声も権力(けんりょく)もないかもしれない。

名もない庶民(しょみん)かもしれない。

けれど、根底(こんてい)から、確実に、着実(ちゃくじつ)に、世の中を良くし、幸せにしていく方法を知っている。
そして、それを実践(じっせん)している。

これ以上に尊(とうと)い行動があるだろうか・・・・!!

創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を行(おこな)っていくということは、実は、モノスゴイことなんです。

たとえば、地球は自転しながら、太陽のまわりを回っている。

それは、宇宙の、本源的(ほんげんてき)な法則(ほうそく)であり、力だと言える。

それと同じように、生命を、宇宙を、人間を、本源的な部分から幸せにしていく法則がある。力(ちから)がある。

その生命を、宇宙を、人間を、根本的な部分から幸せにしていく法則であり力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)です。

また、「南無妙法蓮華経」とは、地球が自転しながら太陽のまわりを回っているように、宇宙を動かしていく本源的な、究極の力(ちから)だとも言えます。

幸せをもたらす力、宇宙を動かしていく力・・!

それが、「南無妙法蓮華経」なんです。

そして、その「南無妙法蓮華経」を自(みずか)ら、となえて、仏法の実践活動である創価学会の活動をやっていくということは、宇宙を、世界を、人間を、幸せに変革(へんかく)し、幸せを現実にもたらしていくことになる。

それが、創価学会がやっていることです。


世界は、善と悪のせめぎ合いだとも言えます。また、世界は、幸せと不幸のせめぎ合いだとも言えます。

その中で、善の勢力(せいりょく)、幸せの勢力を、現実に増やし拡大(かくだい)しているのが、創価学会の人たちだと言えます。

また、世界に幸せの勢力を、どこまでも増やしていく力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。

世界の鋭(するど)い有識者たちは、そのことに気づいているから、創価学会に、最大の敬意(けいい)と賞賛(しょうさん)を贈(おく)っているわけです。

ある、世界の有識者が、創価学会のひとたちに向かって、言っていた。

「あなたたちは、自分たちが、どれだけスゴイことをやっているか、どれだけ素晴らしいことをやっているか、わかっていない・・・。」

確かに、創価学会の人たちは、そんな大げさなことは考えていない場合もある。
創価学会の理念(りねん)と目標が素晴らしいことはわかっているし、 それを目指(めざ)して、がんばっているとしても、日々やっていることは、地道で目立たないことが多いので、それほどスケールの大きいことは、あまり自覚(じかく)していないこともある。

けれど、その世界の有識者が言うように、創価学会の人たちがやっていることは、実は、スゴイことであり、素晴らしいことなんです。

もっとも、創価学会の人たちは、そんな大げさな自覚はないとしても、素晴らしい賞賛(しょうさん)がなかったとしても、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰と、仏法の実践活動である創価学会の活動を、喜々(きき)として行っている。

なぜなら、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践することは、実質的(じっしつてき)に、ものすごく価値(かち)のあることであり、ものすごい力(ちから)のあることだからです。

それだけの、ものすごい価値と力のあることをやっているのだから、幸せにならないわけがない!からです。

その南無妙法蓮華経の仏法を実践していった結果として、現実に、悩みを解決していけたり、夢や希望をかなえていけたりしてしまうからです。

結果が出てしまう。そして、最終的に、最高の勝利と幸せを勝ち取ることができる。

だから、創価学会の人たちは、喜々として創価学会の活動をすることができる。

また、それが、創価学会がやっていることが、どれだけ素晴らしいか・・!どれだけ偉大か・・・!どれだけスゴイことかの、実質的な証明(しょうめい)になっていると、言えると思います・・・。

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ひまわりの種324 [世界]

中国では、大変な尊敬(そんけい)を集めている、大指導者、周恩来(しゅうおんらい)総理の名前は、歴史などで、知っている人も多いと思う。その周恩来総理は、1972年、日中国交正常化を実現させた。

日中国交正常化というと、日本では、表面上は、その時の総理だった、田中角栄氏が実現させたように言われているけれど、実情(じつじょう)は違っている。

田中角栄総理は、お膳立(おぜんだて)てが、すべて整(ととの)えられて、最後に調印(ちょういん)にサインしたということだけで、実際(じっさい)は、日中国交正常化のために努力してきた人たちが、別にいる。

その日中国交正常化に尽力(じんりょく)した、大功労者(だいこうろうしゃ)が、創価学会インターナショナル会長である、池田大作先生だと、言える。


当時、中国の周恩来総理は、民間交流の着実(ちゃくじつ)な積(つ)み重(かさ)ねの上に、国家関係の改善(かいぜん)を図(はか)ろうとしていた。

『民(たみ)を似(もっ)て、官(かん)を促(うなが)す。』

それが、周恩来総理の外交哲学(がいこうてつがく)であった。

そして、その哲学は、対日政策(たいにちせいさく)にも適用(てきよう)された。

周総理は、「大衆の中に基盤(きばん)を持つ団体」として、「創価学会(そうかがっかい)」に早くから注目していた。1960年代前半のことである。それは、池田先生が、創価学会第3代会長に就任(しゅうにん)し、日本を左右する社会的勢力(せいりょく)へ、大発展する時期である。

周総理は、対日政策(せいさく)の関係者に、創価学会の研究を指示(しじ)した。

また、そのころ、相次(あいつ)いで訪中(ほうちゅう)した、中国との友好を志 (こころざ)す松村謙三氏、高崎達之助氏が、周総理に創価学会を好意的に紹介した。

一方、SGI(創価学会インターナショナル)会長の池田先生は、1961年、東京・両国支部の結成大会で、中国の国連復帰(こくれんふっき)を提唱(ていしょう)。

1964年の11月、公明党結党にあたっては、「創立者からの唯一(ゆいいつ)のお願い」として、日中国交正常化への努力を促(うなが)した。

1966年5月には、作家の有吉佐和子氏を介(かい)して、『中国にご招待(しょうたい)します。』との周恩来総理の伝言が、SGI池田会長に伝えられる。

そして、周総理の信頼を決定づける出来事が起った。

1968年9月8日、東京・日大講堂で、池田先生は、1万数千人の青年を前に、『日中国交正常化提言』を行った。

当時、反対勢力(はんたいせいりょく)もあり、日本と中国の関係は、厳(きび)しいものがあった。そういう意味で、国交正常化を提言(ていげん)することは、自分の身に危険がおよぶ可能性もあった。その中での提言である。

日中国交正常化を望む、友好の先達(せんだつ)である松村謙三氏は、『百万力の力を得た!』と語っています。

そして、1972年、日中国交正常化は、実現していく。

そして、後に、1974年、池田先生と周恩来総理は、会見する。

その当時、周恩来総理の病状は、大変悪化していて、きびしい状態にあった。

1974年12月5日、場所は北京(ぺきん)の305病院。周総理の入院先は機密事項(きみつじこう)で池田SGI会長は後に、そこが病院だったことを知る。

その日の午前、池田SGI会長は、トウ小平(とうしょうへい)副総理に会っている。
中国側が池田SGI会長を最大に遇(ぐう)した表(あらわ)れだが、同時にそれは、総理自身には会えないことを意味していた。

しかし、12月5日夜の答礼宴(とうれいえん)の席上、中日友好協会の・廖承志(りょうしょうし)会長が、そっと告(つ)げた。

「池田会長、周恩来総理が、待っておられます。」

それは、周総理自身の強い意向(いこう)であることは明らかであった。

SGI池田会長は、総理の健康を心配し、いったんは固辞(こじ)するが、「それでは2、3分だけ。ひと目お会いしたら、失礼をさせてください」と、車上(しゃじょう)の人となった。

実は、その時、周総理は、『会見するなら命の保証(ほしょう)はできない!』と医師団に猛(もう)反対されていた。

だか、総理は、『どんなことがあっても会わねばならない!!』と譲(ゆず)らない。

「周恩来同志(どうし)がそこまで言うのなら・・!」という、トウ頴超婦人(とうえいちょう/周総理夫人)の進言(しんげん)によって、『5分だけ』との条件付きで、認められたのである。

会見上には、池田SGI会長と香峯子婦人(かねこ/池田会長夫人)だけが入った。総理を疲(つか)れさせないよう、SGI会長が、そう希望したのである。

「池田会長とは、どうしてもお会いしたいと思っていました。お会いできて本当にうれしい。」

「池田会長は、中日両国人民の友好関係の発展は、どんなことをしても必要であるということを何度も提唱(ていしょう)されている。そのことが私にはとてもうれしい。」

池田会長は、答える。
「中日友好が今日まで発展できたのは、私たち双方(そうほう)の努力の成果(せいか)であり、そして、私たちは、その努力をこれからも続けて行くことを希望します。」

時に総理76歳、SGI池田会長46歳。

「あなたが若いからこそ、大事に付き合いたいのです。」

総理は言った。

語らいは終始、和(なご)やかに進んだ。「そろそろお休みください。」と書かれた医師団からのメモが総理に渡された。

総理は、メモを制(せい)して話しを続けた。

「ご出身はどちらですか」
「東京です」とSGI会長。
香峯子夫人も「東京です」。
SGI会長が「二人で一人前です」と付け加えると、呵々大笑(かかたいしょう)する総理であった。

だが、中日の未来について語る時、その目は鋭(するど)かった。

「中日平和友好条約の早期締結(ていけつ)を希望します」
「20世紀の最後の25年間は、世界にとって最も大事な時期です。お互(たが)いに平等な立場で助け合い、努力しましょう。」

池田SGI会長は、それを総理の『遺言(ゆいごん)』と受け止めた。

医師団が、5分だけと条件をつけて認められた会見は、周総理の意向(いこう)によって、30分に及(およ)んだ。


会見の後、池田SGI会長が、日中のために最も心血(しんけつ)を注(そそ)いだのは、青年交流だった。

創価大学に、国交正常化後初の国費留学生を受け入れ、その後、創大に学んだ留学生の中から、友好を担(にな)う多くの指導者が育った。

創大と中国の各大学との教員・留学生の交換(こうかん)、全青連(中華全国青年連合会)と創価学会青年部の相互交流(そうごこうりゅう)。- - - その池田会長が築(きず)いた『金の橋』を渡(わた)って、無数の若い友情が生まれた。


思えば周総理も、日本に遊学(ゆうがく)し、青雲(せいうん)の志(こころざし)を燃やした一人である。

「五十数年前、私は、桜の咲(さ)くころに日本を発(た)ちました・・・」

会見で総理は、日本留学の日々を、懐(なつ)かしそうに振(ふ)り返った。

周総理の来日は大正年代。中国人への強い差別(さべつ)にさらされ、抗日(こうにち)運動にも関(かか)わっている。だが、その後の総理の日本へのまなざしには、鋭(するど)い分析(ぶんせき)の一方で、温かいものが通(かよ)っている。

その感情の源(みなもと)には、日本の庶民(しょみん)との触(ふ)れ合いがあった。

異国(いこく)から来た貧(まず)しい周青年に、何かと世話(せわ)を焼いてくれる下宿(げしゅく)のおばちゃんがいた。
「お腹(はら)がすいてるでしょう?」と、いつもご飯(はん)をごちそうしてくれた。

「とくに、その中の豆腐(とうふ)を使った料理が、じつにおいしかった。」
「下宿に帰って、そのあばちゃんと話すとホッとした。」

周総理が、日本の友人に語ったエピソードである。

人間と人間との、温かな触(ふ)れ合いのひとしずくが集まって、やがて国と国の友好の大海へと注(そそ)ぐ。

凪(なぎ)の時も、嵐(あらし)の時も、そのひとしずくに思いをはせたい。

大衆の中で、大衆とともに - - -

周総理が残し、池田SGI会長が受け継(つ)ぎ、広げてきた、友好の永遠の基盤(きばん)である・・・。

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ひまわりの種316 [世界]

聖教(せいきょう)新聞に、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁(そうさい)の話しが、のっていました。

その一部分を抜粋(ばっすい)したいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「言論(げんろん)の獅子(しし)」がそこにいた。
顔に刻(きざ)まれた深いしわ。白く伸びた髪(かみ)。何より、小さい体から発散(はっさん)される威厳(いげん)は、地走る者の王・ライオンを 思わせた。

1993年の2月9日。時間は午後9時。ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁は、貴賓室(きひんしつ)で、2時間も前から待っている。

リオデジャネイロのガレオン国際空港。池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が、27年ぶりに、このブラジルの古都(こと)に降(お)り立とうとしていた。

総裁(そうさい)は94歳。頭脳(ずのう)は明晰(めいせき)だが、さすがに足腰(あしこし)は衰(おとろ)え、ふだんは歩くのに、2人に両脇(りょうわき)を抱(かか)えてもらうことも、たびたびであった。ソファに座(すわ)る総裁に、体調を心配(しんぱい)した周囲(しゅうい)は、別室で休んではどうかと進めた。

だが、総裁は言った。

「私は、94年間も池田会長を待っていたのです。1時間や2時間は何ともありません。」

SGI会長を乗せた旅客機(りょかっき)が着いた。総裁はソファから身を起(お)こし、ドアのほうへ、一人で足を運(はこ)んだ。

扉(とびら)が開いた。池田SGI会長が両手を大きく広げて歩(あゆ)み寄(よ)り、総裁の両腕(うで)を下から支(ささ)えた。

「『世界の宝(たから)の人』です。私が総裁のことを、世界に永遠(えいえん)に残します!」

総裁は応(こた)えた。

「会いたい人にやっと会えました。池田会長は、この世紀(せいき)を決定づけた人です。戦いましょう。2人で力を合わせ、人類の歴史を変えましょう!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ぼくが思うに、映画やドラマ、小説の世界ではなく、現実の生身(なまみ)の人間が、こういう会話をかわしていること自体(じたい)、スゴイことだと思いました。


アタイデ総裁は、1930、40年代、独裁(どくさい)を真っ向(まっこう)から批判(ひはん)し、3度の投獄(とうごく)、3年間の国外追放(ついほう)に耐(た)えた人物である。70年間以上、ペンを振(ふ)るい、発表したコラムは5万本。テレビに20年、ラジオには30年にわたって毎週出演し、人権擁護(じんけんようご)の『声の弾丸(だんがん)』を放(はな)ち続けた。

その名前は『強靭(きょうじん)なリベラリスト(自由主義者)』として、ブラジルにおいては伝統的な響(ひび)きを持っているそうです。

そのアタイデ総裁が1959年から30年以上にわたって率(ひき)いてきたのが、南米最高の知性の殿堂(でんどう)、ブラジル文学アカデミーです。

在外会員は、トルストイ、エミール・ゾラ、アンドレ・マルローらの名が連なる。

そして、アタイデ総裁が34年間で初めて推薦(すいせん)したのが、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長です。

アタイデ総裁は、言っている。

「私には池田会長の偉大(いだい)さがわかる。」

「民衆のために戦い、苦しみ抜(ぬ)いた者にしか、彼と、彼を支(ささ)える香峯子婦人(池田会長婦人)の心は分からない。」

「迫害(はくがい)を受けた者だけが、池田会長の価値(かち)を知るのだ。」

さらに、アタイデ総裁は言う。

「一人の指導者が道を開けば、皆がその後を従(したが)うものです。」
「未来はひとりでに、やってくるものではありません。人間自身が切り開くものです。その人間の一人が、池田大作氏です。」

アタイデ総裁と池田SGI総裁の2人は、対談集の発刊(はっかん)を目指して、口述筆記(こうじゅつひっき)などを通して、対話を続けることで合意(ごうい)した。

だが、総裁の体調(たいちょう)は思わしくなかった。
総裁の秘書は、率直(そっちょく)に「口述筆記も、タイプライターで原稿(げんこう)を打つことも無理(むり)でしょう。最近は笑(え)みを見せることもないのです」と話した。

93年6月、SGIのスタッフから、「回復するまで、いつまでかかってもお待ちします」との池田SGI会長の伝言が、総裁に伝えられた。

じっと聞いていた総裁が、ほほ笑(え)んだ。

「ありがとうございます。私にはもう時間がありません。すぐに始めましょう。
しゃべって、しゃべって、しゃべり抜きます。人類の未来のため、21世紀のために語り継(つ)ぎましょう!」

口述はそれから、毎週土曜日、リオの総裁の自宅で行われた。SGI会長の書簡(しょかん)での質問に、総裁は毎回2時間、思索(しさく)を重ねながら、身じろぎもせず語り続けた。

SGI会長からは毎回、花束(はなたば)が届けられ、総裁はいつもそれを、応接間(おうせつま)の純銀(じゅんぎん)の花瓶(かびん)に飾(かざ)って、眺めるのだった。

最後の「対談」は8月21日。テーマは「人権の闘士・マンデラに学ぶ」であった。

その6日後に、総裁は入院した。

「私には、やらなければならない大事な仕事がある。早くここを出してください。私は、池田会長との対談を続けなければならないのだ。」

医師や看護士にそう何度も訴(うった)えた。

総裁が逝去(せいきょ)したのは93年9月13日。SGI会長は悲報(ひほう)を聞き、すぐさま弔電(ちょうでん)を送った。

10月には文学アカデミーの強い要請(ようせい)により、2人の出会いを描いた油彩画(ゆさいが)「アタイデ総裁」が同アカデミーに贈られている。

さらに息女(そくじょ)のラウラさんと夫のシィッセロ・サンドローニさん、子息(しそく)のロベルト・アタイデさんを、池田SGI会長は翌年8月、長野研修道場で歓迎(かんげい)した。

「父が毎日、使っていたペンです。父の名前が刻(きざ)まれています。」

席上、ラウルさんから、総裁の「武器」であった金色のボールペンが、池田SGI会長に渡された。友情は、家族と、アカデミーの後継者(こうけいしゃ)たちに受け継(つ)がれたのである。

対談集「21世紀の人権を語る」は95年に日本語版、2000年にポルトガル語版が発刊(はっかん)。

未来を見通(みとお)した総裁の『遺言(ゆいごん』で、語らいは結(むす)ばれた。

『池田会長の存在(そんざい)は、人類の歴史に残り、その運動は時代とともに広がりゆくことでしょう。

そして21世紀は、新たなヒューマニズムが実現された時代として、人類の歴史に深く刻(きざ)まれることになるでしょう。』


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ひまわりの種298 [世界]

創価学会のインターナショナル会長である、池田大作先生は、文字通り、創価学会の指導者(しどうしゃ)であり師匠(ししょう)です。また、創価学会員でなくても、池田先生を師匠とあおぐ人たちは、世界には多くいる。また、世界中の有識者たちが、こぞって池田先生に注目し、賞賛(しょうさん)を贈(おく)っている。

世界の大学が、池田先生に贈った名誉称号(めいよしょうごう/名誉博士とか名誉教授など)は、300をはるかに越(こ)えていますし、世界の都市から贈られた名誉市民の称号も、700を越えている。

それは、池田先生と創価学会に、世界の平和と幸福に関する、卓越(たくえつ)した価値(かち)と行動があるからだと思いますが、日本では島国根性(こんじょう)と未熟(みじゅく)な精神性からか、デタラメなデマ記事は多くても、その真実は、あまり知られていないと言えるかもしれない。

アルメニア芸術家同盟(どうめい)のアガミャン総裁(そうさい)という方が、以前、池田先生に対して、とてもわかりやすい話しをしていますので、紹介いたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人生には、何となく過(す)ぎ去っていく時もあれば、鮮烈(せんれつ)な出来事に出あう時もある。鮮烈な出来事でも、そのうち忘れてしまうものもあれば、思い出の一つとして残(のこ)るものもある。

さらには、消えることのない足跡(そくせき)を残し、価値観(かちかん)を変え、新たな思想を形成(けいせい)する出来事に出あう時もある。私の人生にとって、そのような胸揺(むねゆ)さぶられる出来事が、池田会長(池田先生)との出会いでした。

人類史上、池田会長ほど充実(じゅうじつ)した豊かな人生を歩(あゆ)み、あらゆる分野で、これほど活躍(かつやく)できる人は、希有(けう)であることは確かです。

大いなる志(こころざし)と努力、精神性と忍耐(にんたい)がなければ、そのような高みに達(たっ)することはできません。ゆえに私は、会長を尊敬してやまないのです。

同時代を生きる偉大(いだい)な人と出会えた2010年という年は、人生観を見直す大きな契機(けいき)となっていることに気付(きづ)きます。自身の世界観や信念(しんねん)に対する確信を深めることができ、その一方で、もっと高い頂上(ちょうじょう)を目指(めざ)すべきではないか、との考えにも駆(か)られました。その新たな目標を、池田会長という卓越(たくえつ)した人格が示(しめ)してくれたのです。

そのような模範(もはん)があればこそ、現状(げんじょう)に甘(あま)んじてはいけない、人間の可能性に限界(げんかい)はない、他者への愛情は無限(むげん)であると理解することができる。その意味で、会長のような偉人(いじん)は、大きな触発(しょくはつ)を与(あた)えているのです。

周囲(しゅうい)と、目の前の一人に対する愛情。平和を愛する心。人間主義。こうした精神こそ、池田会長が示(しめ)しておられる世界観です。

私は、2010年4月、池田会長との出会いを刻(きざ)むことができました。

日本滞在中(たいざいちゅう)、会長の活動が現実にいかに素晴らしい実(みの)りをもたらしているかを目(ま)の当たりにしました。なかでも関西創価学園で受けた歓迎(かんげい)は、生涯(しょうがい)忘れることができません。

そして、創価大学で池田会長とお会いし、握手(あくしゅ)した瞬間(しゅんかん)、感動は頂点(ちょうてん)に達したのです。

池田会長との出会いから2年。思い出は、いまだに語っても語っても尽(つ)くせません。

偉大な哲学者(てつがくしゃ)、作家、詩人、教育者、写真家である池田会長に、これから何度でも頭(こうべ)を垂(た)れる機会(きかい)が持てることを、願わずにはいられません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このような心情(しんじょう)と感動を抱(いだ)くのは、なにも今日、紹介したアガミャン総裁だけでなく、池田先生に会った、あらゆる人が感じ、抱(いだ)くことです。だから、世界は、池田先生を賞賛し、創価学会に大きな期待をいだいている。

そして、その池田先生に会った、庶民であろうと、国家の指導者(しどうしゃ)であろうと、芸術家であろうと、科学者であろうと、その人たちに、どれだけの勇気と希望、蘇生(そせい)のエネルギーをもたらしていったか、計(はか)り知れないと思う。また、そのことによって、もたらされた、平和と幸せも、計り知れないと思う・・・。


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ひまわりの種297 [世界]

創価学会員は、世界中にいますから、どこでも、皆、喜々(きき)として、がんばっています。

以前、聖教(せいきょう)新聞で、ハリウッドで、がんばっている創価学会員の紹介をしていました。
(ハリウッドでがんばっているとは、映画俳優ということではなく、ハリウッドの地域に住んでいるということです。)

ウエスト・ハリウッド支部で副支部長を務める、グレゴリー・リンゴさんが語っています。

「支部の多くのメンバーが、エンターテイメント産業で働いてます。7割(わり)以上はそうじゃないでしょうか。生活リズムがバラバラで、皆、苦労しています。
でも、みんな、忙(いそが)しい中で、学会活動(創価学会の活動)にも頑張っていますよ。」

リンゴさんは、レコーディングアーティストであり、ジャズピアニスト。彼が入会したのは結婚する前。妻の紹介だった。

「ある日、一緒に出かけようと彼女の家に迎(むか)えに行ったら、『夜の勤行(ごんぎょう)をしていない』って言うんです。

※ちなみに、勤行とは、釈尊(しゃくそん/しゃか/ブッダ)の法華経(ほけきょう)の一部分を音読(おんどく)します。だいたい、3分から5分くらいかかりますが、そのあと、好きなだけ、南無妙法蓮華経を、繰り返(くりかえ)し繰り返し、となえます。それを、まとめて、『勤行(ごんぎょう)』といいます。

それで、リンゴさんは、ソファに座(すわ)って待つことにしたそうです。彼女の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる声を聞いていたら、なぜだかすごく感動して、『僕も一緒(いっしょ)に、となえていい?』と尋(たず)ねたそうです。

「今、思えば、彼女は勇気を奮(ふる)い起こして、私に信心(創価学会の信心)のことを教えようとしてくれたんですね。人生で一番忘れられない『デート』の日になりました。」

と、リンゴさん・・。

リンゴさんは、その後、大病(たいびょう)を患(わずら)い、仕事を失(うしな)った時期もありましたが、創価学会の信心のおかげで、「どうして、こんなことに」と受(う)け身に考えていた自分から、『今こそ宿命(しゅくめい)を変える時だ!』と思える自分に変わることができたそうです。

「それが一番の功徳(くどく)です。」
と語っています。

そして、創価学会の同志(どうし)の支(ささ)えの中、病気を乗り越(こ)え、新たな仕事も勝ち取ることができた。

また、ウエスト・ハリウッド本部で、創価学会の男子部本部長を務(つと)めるベン・ジャコブさんは、言っています。

「芸術家の世界では、「こうすればうまくいく」といった方程式(ほうていしき)はありません。だからこそ、信心(創価学会の信心)という人生の指針(ししん)、福運(ふくうん)の土台が必要だと思うんです。

皆、最初の入会動機(どうき)は、仕事での実証(じっしょう/実際に現れる証拠[しょうこ])ですが、創価学会の活動を通して、人のために尽(つ)くす喜びを感じ、仕事に対する使命感そのものが変わるんです。」

ジャコブさんは、ダンスのレッスンに通(かよ)いながら、ダンスショーなどに出演し、夜はバーテンダーとして働いていた。

6年前に創価学会に入会してから、学校のダンス講師(こうし)など、仕事が大幅(おおはば)に増えたそうです。

彼は、語っています。

「この信心(創価学会の信心)を勧(すす)めることが、大切な友人に対する、最高のプレゼントだと思っています。信心を勧める仏法(ぶっぽう)対話は、『今生人界(こんじょうにんかい)の思い出』です。最も偉大(いだい)な、歓喜(かんき)の中の大歓喜です。仏法対話をしている時は、『アイ・アム・アライブ(私は生きている!)』っていう感じなんですよ!」

4年前に入会した、ジョニン・バリスさんは、言っています。

「ニューヨークのブロードウェーで出演していましたが、映画に挑戦するためにハリウッドに来ました。仕事が見つからずにいた時、友人から創価学会の信心の話を聞いたのです。

入会後、仕事も増え、経済的に安定するようになりました。最近では「ラブ・アゲイン」という映画にも出演しましたよ。今は、プロデュースの仕事もしています。私の大叔父(おおおじ)がマリリン・モンローを撮影(さつえい)していた写真家なので、彼についてのドキュメンタリーを制作しています。

女優の仲間に、仏法対話(ぶっぽうたいわ)をすると、すごく共感(きょうかん)してくれるんです。

一番大きな功徳(くどく/悩みが解決したり希望がかなったりする現実に現れる幸運)だと感じるのは、女性として生きるための、『生命の根(ね)っこ』を得(え)られたことです。自分の内面に、何ものにも壊(こわ)されない価値(かち)がある、幸福になる力があると学べたことです。特に、ハリウッドの女性は周囲(しゅうい)の評価(ひょうか)に左右される世界にいるので、どうしても、精神的に不安定になりやすい。表面的なことに幸福を求めてしまうのです。私は、創価学会の信心を通して、『人のため』『社会のため』という芸術家としての真の使命を知ることができたと思っています。」


確かに、人は、表面的なことを気にする。表面的なことや、世間の評判(ひょうばん)、それらも確かに大切だけれど、それに振(ふ)り回されてしまうと、自分が見えなくなっていく。本当の幸せが見えなくなっていく。

けれど、本当の幸せは違(ちが)う!

幸せは、どこにあるのでもなく、自分の中にある!
そして、自分の中にある幸せを確立(かくりつ)していった時、はじめて本当の幸せが見えてくる。

その自分の中にある幸せを確立し、本当の幸せをつかんでいけるのが、創価学会であり、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いえます。

また、自分の中の確固(かっこ)たる幸せが確立していったとき、おのずから、表面的な幸運や幸せ、ラッキーが、磁石(じしゃく)のように、ついてくる!とも言えます。

ジョニン・バリスさんが言うように、自分の内面に、何ものにも壊(こわ)されない価値(かち)がある!

その『生命の根っこ』にある幸せをつかみ、どこまでも開花していけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!!


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ひまわりの種293 [世界]

以前、聖教(せいきょう)新聞に、ペルー工科大学に、創価学会インターナショナル会長である池田先生の名を冠(かん)した、『池田大作講堂(こうどう)』が誕生したという記事がのっていた。

創価学会の初代会長は、牧口常三郎、二代会長は戸田城聖、そして三代が池田大作先生だけれど、こうゆう創価学会の代々の会長の名前のついた「牧口常三郎通り」「戸田城聖通り」「池田大作公園」などが、世界各地にできている。それは創価学会とは直接、関係ない人たちが、その地域や都市で公的(こうてき)に決めたものです。インドでは、創価学会員でもないのに創価池田女子大学という大学を作ってしまった人もいます。

また、世界の大学が池田先生に与えた名誉学術称号(めいよがくじゅつしょうごう/名誉博士や名誉教授など)は、300をゆうに越(こ)えている。また、世界各地の都市が、池田先生に贈(おく)った名誉市民称号も、700を越えている。

なぜ、そのような現象(げんしょう)が起っているかというと、創価学会と、池田先生、代々の会長を讃(たた)えることのできる人たちは、理論(りろん)と理屈(りくつ)で、池田先生と創価学会がやっていることが、どれだけスゴイことかが、わかる!からです。冷静(れいせい)に理屈と理論で見極(みきわ)め、また、実際の行動を誠実(せいじつ)に判断(はんだん)して、それが、どれだけ偉大(いだい)で素晴らしいことかが、わかるからです。

だから、世界は、創価学会と池田先生を、最高に賞賛(しょうさん)し、讃(たた)えるんです。

また、世界が賞賛し讃えている、その根底(こんてい)にあるものが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

その素晴らしさを、世界の知性たちは、池田先生の書物などから、理屈で納得(なっとく)し、そして、創価学会と池田先生の行動を誠実に見極めて、判断しているわけです。

だから、創価学会と池田先生の素晴らしさがわかる・・・!

だから、世界は、池田先生と創価学会を、賞賛してくれるわけです。

けれど、よほど優秀(ゆうしゅう)な人でもないかぎり、理屈と理論で、創価学会と池田先生の素晴らしさをわかる人は、少ない・・。

けれど、創価学会は、これだけ広まっている。

それは、なぜか?と言えば、実際(じっさい)にやってみると、わかるからです。
実際にやってみたら、結果が出るからです。

なんにもわからなくても、素直(すなお)に創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を、真剣にやっていったとき、悩みが解決されたり、夢や希望がかなっていったりして、『現実に幸せになった』という結果が出るからです。

だから、理屈でわからなくても、その素晴らしさがわかる・・・!
だから、創価学会は、世界192カ国に広がっている。

それを、理屈と理論でわかる、世界の優秀な有識者たちが、創価学会を、こぞって賞賛し、大きな期待をいだいているわけです。

また、はっきり言えば、理屈や理論で理解するより、現実にやってみて納得(なっとく)する方が、はるかに上です。
現実にやってみて、実際に結果を勝ち取るほうが、はるかに優(すぐ)れているし、素晴らしいことです。

だからこそ、創価学会は広がり、創価学会の人々は、創価学会の仏法を、実践(じっせん)しているんです。

それが、世界が賞賛し、かりに理屈や理論でわからなくても、真剣にやっていくことによって、どんな人でも、悩みや問題を解決でき、夢や希望をかなえていける、力(ちから)ある真実の法則(ほうそく)と言える、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種290 [世界]

創価学会は、世界192カ国に広がっているので、世界中に創価学会の人たちがいる。世界の創価学会の人たちの話しも聖教(せいきょう)新聞にのっているけれど、海外の人の話しは、わかりやすいので、紹介したいと思います。

以前、スペインの創価学会員の話しがのっていました。

その、学会員である、エステファニアさんは、言っています。

「信心(創価学会の信心)は、私の人生を完全に変えました。入会する前、私の人生はジェットコースターのように不安定でした。私の否定的(ひていてき)な考え方が、人生を楽しめず、幸せを感じさせないようにしていたんです。

信心のおかげで、今は「幸福とは何か」が分(わ)かります。苦難(くなん)は乗り越(こ)えるためにあり、価値(かち)は生み出すためにあること。自分が変わる時に、周囲(しゅうい)も変わること。そして、仏法(ぶっぽう)の実践(じっせん)を通して、周りの人々をも励(はげ)ましていくことを学びました。」

また、創価学会の女子部の部長を務(つと)めるアルムデナ・ソラナさんは、言っています。

「スペインの若者は、宗教は自分を強くするもの、前進させるものでなくてはならないと思っています。だからこそ、日蓮仏法(にちれんぶっぽう/創価学会の南無妙法蓮華経の仏法のこと)を弘(ひろ)める私たちの使命は大きいと感じています。女子部にとって仏法の魅力(みりょく)とは、自分と向(む)き合い、自分の人生の意味を知り、自分を変革(へんかく)できることです。

幸福になるために、何か自分の外にあるものに依存(いぞん)するのではありません。重要なのは内(うち)なる力(ちから)をどう引き出すかであり、勝利は自分にかかっている------- そこが仏法の魅力なのだと思います。」

ソラナさんは現在、公務員として働いてるそうですが、彼女が信心で変わっていく友人の姿に触(ふ)れて入会したのは2004年だそうです。彼女は美容サロンで働いていましたが、2007年に転職(てんしょく)を決意。唱題(南無妙法蓮華経をとなえること)と勉強に励(はげ)む中で難関(なんかん) を突破(とっぱ)して勝ち取ったそうです。

ソラナさんは言います。
「私のきょうだいも失業中です。多くの人の不満(ふまん)は、いつも政治家に集中しています。スペインでは雇用(こよう)がなく、青年が成長するための可能性がないと言っています。

でも青年部(創価学会青年部)は、この状況(じょうきょう)を、信心の実証(じっしょう)を示(しめ)すチャンスだと捉(とら)えていくべきだと思うんです。私たちは「祈り」と「希望」、そしてすべてを変えていけるとの「確信」を一切の根本(こんぽん)にしてい前進します。」

また、創価学会の男子地区リーダーのビクトル・パストルさんは、失業中だった昨年秋に、就職を勝ち取ろうと決意。10月29日に予定されていた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長のスペイン訪問50周年記念の総会までに結果を出そうと決めた。

しかし、失業率の高さは尋常(じんじょう)ではない。客観的(きゃっかんてき)には、再就職など「不可能」な状況だった。その中で創価学会の同志の激励(げきれい)を胸に学会活動に全力を注(そそ)ぎながら、就職活動に取り組んだ。

「総会前日の10月28日の朝、就職を希望していた会社から電話がかかってきました。面接を受けて、11月から採用(さいよう)が決まったんです!」

とパステルさん。

信心を始めてから今年で5年。
「かつては不平(ふへい)ばかり言っていましたが、私の人生は180度変わりました」と喜(よろこ)びを語る。

スペインは、歴史的には仏教と関(かか)わりの薄(うす)い国です。そうした中で、仏法(ぶっぽう)を弘(ひろ)めるのは大変だったのではないでしょうかとの質問に、婦人部本部長のチェロ・パスクアルさんは答えています。

「確かにスペインの人々は一般的に、仏法は自分たちと縁遠(えんどお)い宗教だと見ています。
でも、人間の尊厳(そんげん)に根(ね)ざした平和の精神に引かれて、仏法に興味(きょうみ)を持つ人が増えています。また、一人一人の生命に仏界(ぶっかい/仏[ほとけ]の生命)という偉大(いだい)な可能性があるとの教えに、人々は大きな自由を感じるのです。」

最後の「自由を感じる」というのは、象徴的(しょうちょうてき)だと思う。

過去の宗教というのは、規律(きりつ)が多くあったり、儀式(ぎしき)ばかりの宗教だったり、人間のための宗教というより、儀式のための宗教、宗教のために人間が縮小(しゅくしょう)し、人間的に狭(せば)められていく感(かん)が強い。

そうではなく、逆に人間を自由にしていく!
それは、ただ単に自由ということではなく、本当の意味での自由です。

幸せをつかむ自由、
夢をかなえる自由、
人生を切り開く自由、
悩みや苦難(くなん)を乗り越(こ)える自由、
成長していける自由、
さまざまな壁(かべ)を打ち破(やぶ)る自由、
人間的に境涯(きょうがい)を高め、広げる自由、
どんなことがあっても負けない自由・・。

その本当の意味での自由をつかむ力(ちから)が、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)にはあるんです。

だから、創価学会は世界に認められ、世界中の人が、喜々(きき)として実践(じっせん)している。

スペインの方が、「私の人生は180度変わった」と言うように、人生をより良く変革(へんかく)し、夢や希望をかなえ、本当の意味での自由と幸せを勝ち取っていけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種230 [世界]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『太陽が昇(のぼ)れば光が満遍(まんべん)なく行きわたるのと同じように、一人、純真(じゅんしん)にして強盛(ごうじょう)な信心をしていけば、全家族に伝わっていきます。焦(あせ)らず、確信をもって、悠々(ゆうゆう)たる信心をしてください。』

創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、太陽のようなものだと、言っています。太陽は、ひとつだけれど、その光は、全世界を照(て)らすことができる。どんな環境のどんな境遇(きょうぐう)の人も、照らしていける。たった一つの太陽であっても、全世界を照らすことができる。

それが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰だと、言っています。だから、家族に一人だけでも、創価学会の信心に立ち、真面目に真剣に実践している人がいれば、家族全体を幸せにすることができる。家族全体を守っていくことができる。その光は、やがて家族のみならず、地域や社会、あるいは職場や自分の周(まわ)りにいる人たちを照らし、幸せにしていくことができる。

それだけの、ものすごい力(ちから)があるのが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

これは、だれがなんと言おうと、まぎれもない事実です!!

ぼく自身も、それは痛切(つうせつ)に感じているところです。

この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践していくことが、どれだけスゴイことか!
どれだけ、世界を幸せに変革してきたことか、計(はか)り知れない・・。

日本も戦後、創価学会の発展とともに、それにともなって、発展していったと言われています。
また、逆に、日本のつたないマスコミたちが、創価学会を非難中傷(ひなんちゅうしょう)すればするほど、日本は不況(ふきょう)に陥(おちい)り、良くない状況(じょうきょう)になっていったと言うことも、できます。

そんなこと、あるものかと言ってみたところで、それが本当のところでしょう。

創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法は、単なる一宗派(いちしゅうは)の教義(きょうぎ)ではなく、全宇宙に共通する、本源的な幸せの法則(ほうそく)であり生命の法則です。

ようするに、この南無妙法蓮華経の仏法の法則に逆(さか)らって生きていける人など、世界にひとりもいない!ということです。全宇宙に共通する、 すべての人が当てはまる生命の法則!・・それが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法です。

だから、その創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が栄(さか)えていけば、その太陽の輝(かがや)きによって、世界は良くなり幸せに輝いていきます。逆に、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法をバカにし、蔑(さげす)んでいけば、世界は暗く不幸になっていきます。

これは、当然の道理(どうり)です。

その当然の道理にもとづいて行動しているから、創価学会の人たちは、幸せになっていけるんです。また、自身の生命を照らす太陽の輝きによって、さまざまな悩みや問題を解決し、夢や希望もかなえていけるようになっていくんです。

それが、自身の生命を照らす太陽、人生の未来を照らす太陽のような、また、世界を平和に照らす太陽といえる、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・!


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