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ひまわりの種274 [エッセイ]

先日、ブログのコメントで、創価学会の南無妙法蓮華経と、身延(みのぶ)の日蓮宗や立正佼成会(りっしょうこうせいかい)の南無妙法蓮華経との違(ちが)いについて質問された話しをしましたが、同じ方から、創価学会と日蓮正宗との違いについて、質問されたこともありました。

日蓮正宗というのは、創価学会が昔、守り、外護(げご)していた宗派で、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を純粋(じゅんすい)に受け継(つ)ぎ 広めるために、創価学会が大変に発展させてあげたところですが、今は、創価学会とは完全に別(わか)れ、創価学会では、日顕宗(にっけんしゅう)と呼んでい ます。

はっきり言えば、創価学会が日顕宗と呼んでいる日蓮正宗は、創価学会が呼び名を変えたように、とても、日蓮正宗と言えるようなしろものでは、ありません。
正宗とか言うと聞こえはいいですが、魔性(ましょう)に食い破(やぶ)られ、とらわれた毒蛇(どくへび)のような存在です。悪そのものと言ってもいいでしょう。

昔、創価学会がどれだけ正宗を守り外護(げご)し、発展させてあげたか。その恩(おん)は、計(はか)り知れないはずですが、その恩を仇(あだ)で返すような畜生(ちくしょう)以下のやからです。

彼らは、創価学会員を金になる奴隷(どれい)のようにしか考えられなかった。そして、自分たちの私腹(しふく)が肥(こ)えると、もういいと、かってに創価学会を破門(はもん)してきた。

当時の日蓮正宗のトップだった日顕(にっけん)という男は、創価学会のインターナショナル会長である池田先生への人々の尊敬と賞賛が憎(にく)くて憎くてしょうがなかった。そしていつか、あいつらの首を切ってやろうと機(き)をうかがい、池田先生と創価学会を破門(はもん)してきた。そうすれば、創価学会の半分の人は、日蓮正宗側につき、それだけの信徒がいれば、遊蕩三昧(ゆうとうざんまい)、遊んでくらせると考えたからです。

けれど、創価学会員は、ばかではないので、日蓮正宗側につくものは、ほとんどいなかった。そして、正宗は、没落(ぼつらく)の一途(いっと)をたどり、逆に創価学会は、毒蛇(どくへび)のような、梅毒(ばいどく)のような正宗との縁(えん)が切れたおかげで、世界宗教として自由自在に活動できるようになり、世界が賞賛(しょうさん)し期待し、世界192カ国に広がる創価学会へと飛翔(ひしょう)していった。

なるべくしてなったと言うか、日蓮正宗と切れて本当に良かった。もし正宗が引っ付いていたら、創価学会は、これほど発展できなかったでしょう。

だいたいにおいて、その当時の日蓮正宗のトップ、日顕という男は、売春問題で、最高裁で三度も断罪(だんざい)された男で、裁判所で日顕の言うことを信じる人は、ひとりもいません。ようするに裁判所おすみつきの「大うそつき」です。正宗は、そういう男が権力(けんりょく)をにぎっているようなところですから、だいたい、どんなものか察(さっ)しがつくと思います。

この日顕という男は、創価学会を破門(はもん)すると、創価学会の真心の供養(くよう)でつくられた正本堂という、文化遺産(ぶんかいさん)的にも、建築物としても非常に価値(かち)のある何百年?以上もつであろう素晴らしい建物を、わざわざ金をかけて、いきなりすべて破壊(はかい)し、取り壊(こわ)し、そのあと、くだらない宗教くさい建物を立てている。また、正宗の敷地(しきち)にある美しい桜並木を、切り倒してしまっている。普通の人間のやることではありません。

だから、創価学会では、日蓮正宗とは呼ばす、日顕宗と呼んでいますが、それが日蓮正宗というものです。いくら口で立派(りっぱ)そうなことを言っているとしても、そんなものは糞(くそ)にもなりません。

日蓮正宗(日顕宗)というのは、僧侶が上、信徒は下、僧侶の言う事は絶対。信徒は金を出せ!それが正宗の本音(ほんね)であり、彼らの心には、それ以外のものはありません。

また、その日蓮正宗についた人間ほど、かわいそうな人もいません。日蓮正宗は、真実に最も近いところで悪逆(あくぎゃく)をしているわけですから、その罪(つみ)と害毒(がいどく)は、はかりしれず、その正宗につくということは、悪に命をささげるようなものなので、当然(とうぜん)、その人は、底知れぬ不幸に陥(おちい)っていきます。

宗教というのは正邪(せいじゃ)と結果を、明確にともなうものです。間違った宗教、悪(あ)しき宗教につくということは、その人がかりに、どんなに善意でやっているにしても、その対象が悪であり害(がい)になるものなので、自分の生命は、どうしても悪害(あくがい)に染(そ)まり、その結果、必ず不幸になっていきます。

だから日蓮正宗につくと、本当に不幸になります。口でどんな理屈(りくつ)を言っても、幸せや功徳(くどく)、効力(こうりょく)がもたらされることはなく、さまざまな形で、あらゆる形で不幸がもたらされます。


それとは反対に、創価学会は、世界192カ国に広がり、世界中の人々を幸せにしている。それは現実に、ひとりひとりのさまざまな悩みを解決し、また、夢や希望をかなえる大きな力となって、さまざまな形で、現実に幸せの結果をもたらしているということです。

結果がでるということは、それがなによりも、正しい証拠(しょうこ)となります。

また、創価学会がひとりひとりを蘇生(そせい)させ、幸せにしていった結果として、世界にどれだけの平和をもたらしたかは、計り知れず、だから世界中の有識者は、創価学会を絶賛(ぜっさん)し、賞賛して、大きな期待と希望をたくしています。

それは、創価学会と日蓮正宗(日顕宗)との違いを、歴然(れきぜん)と、あらわしています。勝負と結果は、明確についているとも、言えます。

だから、南無妙法蓮華経を、となえていれば、なんでもいいということではなく、それが悪に向かい、結果として悪を助けるものならば、いくら南無妙法蓮華経をとなえても、不幸になり、どんなに善意でやっても、真剣にやればやるほど不幸がもたらされます。

それが真実であり、それゆえに、決して日蓮正宗(日顕宗)につくべきではなく、たんなる形式でものごとを考えて、 日蓮正宗で南無妙法蓮華経をとなえていったならば、大きなしっぺ返(がえ)しと、大きな不幸を被(こうむ)ることになります・・・。


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ひまわりの種273 [エッセイ]

以前、ブログのコメントで、創価学会の南無妙法蓮華経と、身延(みのぶ)の日蓮宗や立正佼成会(りっしょうこうせいかい)の南無妙法蓮華経と、違(ちが)いがあるのですか?と質問されたことがあります。

南無妙法蓮華経というのは、どういうものかと言うと、宇宙の法則(ほうそく)であり生命の法則です。 だから、正しい対象(たいしょう)に正しい方向性をもって、南無妙法蓮華経をとなえていけば、幸せをもたらしていけます。それが宇宙の法則にかなっているからです。

けれど、間違った対象に間違った方向性(ほうこうせい)で祈っていけば、それは当然、間違(まちが)った結果、すなわち不幸をもたらすことになります。なぜなら、それが道理(どうり)であり、宇宙の法則だからです。

だから、南無妙法蓮華経をとなえれば、なんでもいいということではありません。

南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を発見し広めたのは、日蓮大聖人ですが、日蓮大聖人は、全世界のはるか未来までの民衆を救(すく)い幸せにしていくために、この南無妙法蓮華経を世界に伝(つた)えたのですが、創価学会が出現するまでは、その生命哲学(せいめいてつがく)と思想、無限の力を正しく理解し把握(はあく)し、正しく実践(じっせん)することができた団体は、存在しなかったと言えます。せいぜい、「ありがたやーありがたやー」という、おすかり信仰や、観光に利用する観光宗教くらいにしか考えられなかったんです。

そんな考え方で南無妙法蓮華経をとなえたところで、効力や功徳(くどく)があらわれるわけがなく、かえって、間違った使い方、間違った方向性で祈っているので、逆に害(がい)になり、間違った結果である不幸をもたらすことになります。

その部類(ぶるい)にはいるのが、身延の日蓮宗や立正佼成会です。日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の本当の意味をまったく理解できず、適当(てきとう)に変えて、観光宗教化、おすかり信仰化して、南無妙法蓮華経を使っているに過(す)ぎませんから、なんの効力(こうりょく)もなく、幸せをもたらすこともありません。かえって南無妙法蓮華経を使って、真理(しんり)に近いところで間違ったことをしていますから、その悪害は大きく、さまざまな不幸をもたらします。 それが道理であり、また宇宙の法則であるとも言えます。

だから、身延の日蓮宗や立正佼成会で南無妙法蓮華経をとなえたところで、効力はなく、不幸になります。それが本当のところです。

人は、このことをわかろうとしないのですが、間違った対象(たいしょう)に、間違った方向性で祈れば、いくら南無妙法蓮華経をとなえても、不幸になります。

それが道理であり真実です。

それに対し、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法を、唯一(ゆいいつ)、正しく理解し、実践(じっせん)することができたのが、創価学会です。いわば、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法を現代によみがえらせたんです。だから、創価学会の中で南無妙法蓮華経をとなえていくと、どんな悩みも解決していけ、夢や希望をかなえて、幸せを勝ち取っていけるんです。また、だから創価学会は、世界192ヵ国に広がっている。

・・それは、結果がでるからです。結果がでるということは、それが正しい証拠(しょうこ)となります。
いわば、創価学会の中に、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法の生命が、脈打(みゃくう)っていると言えます。だから、創価学会の中で南無妙法蓮華経をとなえていくと、幸せになるんです。

現実問題として、身延の日蓮宗や立正佼成会、その他の団体で、南無妙法蓮華経をとなえたところで、幸せにはなりません。逆(ぎゃく)に間違ったことをしていますから、当然の結果として、さまざまな形で、不幸がもたらされます。

だから、他の宗教や団体と区別するために、あえて、『創価学会の南無妙法蓮華経』と言っているわけです。そう言わなかったら、誤解(ごかい)を呼び、南無妙法蓮華経だったら、なんでもいいと間違えて、人を不幸にしてしまう恐(おそ)れがあるからです・・・。


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ひまわりの種89 [エッセイ]

釈迦(しゃか)といえば、ほとんど知らない人は、いないと思う。お釈迦様(おしゃかさま)とか、いうこともあり、釈尊(しゃくそん)とも仏陀(ぶっだ)とも、呼ばれているようです。

その釈尊(しゃくそん)が、僧侶(そうりょ/坊[ぼう]さん)について、言っています。
『僧侶(そうりょ)は、葬式(そうしき)には、出てはいけない。葬式は、親族や親しい人たちで、やるものであって、僧侶が出るものではない!!そんな暇(ひま)があったら、今、現在、苦しんでいる人、困っている人の元(もと)に、行ってあげなさい!』

本来、仏教に坊主(ぼうず)が、葬式に出るなんてことは、ないんです!

ということは、どういうことかと言うと、現在、葬式とかになると、どこかの坊主が、金をもらってお経(きょう)を、あげにやってきますが、あれは、仏教でもなんでもない!!単なる金儲(かねもう)けのゲテモノ宗教だということです。

あんなものが、仏教だと思われたら、釈尊が、あまりにも、かわいそうです。

ようするに、金もうけのために、釈尊の仏教を、利用しているに、すぎません!!
昔の権力者たちが、庶民を隷属化(れしぞくか)するために、葬式と仏教を利用して、今のような儀式(ぎしき)を、つくってしまったに過(す)ぎません。

まあ、儀式があるから、体裁(ていさい)がつくこともあるかもしれませんが、まだ、それだけなら良いのですが、それらの葬式仏教にしろ、観光仏教にしろ、また、神社信仰にしても、それらは、あきらかに間違った宗教だと、いうことです。

それは、ちょっとまともに考えただけでも、わかりますし、また、仏法哲学(ぶっぽうてつがく)を、ひもとけば、完全に間違った悪(あ)しき宗教であることが、わかります。

それが、間違った宗教だというだけで、済(す)めば良いのですが、間違った宗教というものは、必ず間違った結果を、生み出すんです。原因と結果の法則から、考えれば、それは当然のことです。

すなわち、間違った宗教に祈ったり、供養(くよう)したりしたら、自分は、かりに良いことだと思ってやっていたとしても、必ず不幸という結果が、返(かえ)ってくると、いうことです。

人は、宗教にたいして、あまりにも無頓着(むとんちゃく)ですが、実は、宗教というのは、人間の幸不幸を決定づける重要な部分を,しめているんです!!

ある意味、宗教というものは、とても恐(こわ)いんです!
そのことを、人は、どうしても、わかろうとしない!!

人に降(ふ)り掛(か)かってくる、さまざまな不幸。その不幸の根源には、かならず間違った宗教があるということです!

宗教というのは、かならず、自分の生命に影響を与え、自分の人生に大きな影響を、与えてしまうんです!!

だから、間違った宗教に祈りをささげたり、供養(くよう)をしては、いけない!!と言っているんです。それは、間違った結果、すなわち、なんらかの不幸が、必ず自分の生命と人生に、返ってきてしまうということです。

その重要性に、人は、早く、早く、気づくべきです・・・!

では、その間違った宗教による悪しき影響を、断(た)ち切るためには、どうしたらいいのか?

それは、正しき、人々を現実に幸せにしきることのできる宗教に、つくしかありません。
それ以外に、間違った悪しき宗教の鉄鎖(てっさ)を、断ち切る方法は、ありません!!

その間違った悪しき宗教の鉄鎖(てっさ)を、断ち切る真実の宗教が、実は、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです!!

この正しき真実の仏法である、南無妙法蓮華経の仏法は、太陽のようなものなんです!太陽が昇(のぼ)れば、どんな影(かげ)も消え失(う)せてしまう。
すなわち、南無妙法蓮華経の仏法という幸せの太陽が、昇(のぼ)ったならば、どんな不幸の影も、消え失せてしまうということです。

それだけのスゴイ力(ちから)が、創価学会が実践する南無妙法蓮華経の仏法には、あるんです!
南無妙法蓮華経の仏法は、幸せを生み出す最大最強の力(ちから)であり、法則なんです。
だから、かりにどんな悩みや苦難があったとしていも、この南無妙法蓮華経の仏法によって、悩みや問題を解決し、努力しだいでは夢や希望も、かなえていけるんです!!

それが、創価学会が実践する、どんな不幸の影も消し去ってしまう、幸せの太陽のような、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種53 [エッセイ]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。
『政財界、産業界、教育、学術界、文化・芸術界 --------いずこでも、「創価学会の青年は素晴らしい!」という感嘆(かんたん)の声が無数に聞かれます。

豊(ゆた)かな実力と人間性を兼(か)ね備(そな)え、社会に貢献(こうけん)する逸材(いつざい)を地球規模(きぼ)で育成しゆく、前代未聞(ぜんだいみもん)の人材革命! これこそが我ら創価の大連帯であります。』

べつに、創価学会の人たちが、何か特別だということではありません。まったく同じ人間です。ということは、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経の仏法の信仰が、人間性や能力、社会に貢献(こうけん)しゆく、やる気や積極性(せっきょくせい)、向上心(こうじょうしん)、平和にたいする前向きな関わり方や姿勢を、大きく向上(こうじょう)させて、ひとりひとりの人間を、輝(かがや)かせている!と言うことだと思います。

人間に、それだけのプラスの変化をもたらす、大きな力(ちから)が、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰には、ある!!ということです。

だから、創価学会からは、世界中から、人々が感嘆(かんたん)するような、素晴らしい青年たちが、続々と出てくるんです!

そして、青年にかかわらず、南無妙法蓮華経の仏法の信仰を実践した、世界中の創価学会の人々に、勝利と幸せを、もたらしています。


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ひまわりの種47 [エッセイ]

昔、創価学会は、貧乏(びんぼう)人と、病人の集まりだと言われ、世間から、ばかにされた。けれど創価学会二代会長の戸田城聖先生は、叫んだ。『貧乏人と病人を救うのが、宗教の役目ではないか!創価学会は、宗教界の王者である!!』

その通りだと思う。最も苦しんでいる人、最も悩んでいる人を救うのが宗教だと思う。また、それができなかったら本当の宗教とは言えないし、そんなものは、単なる金もうけでしかないし、マイナスにしかならない。

そして、戸田先生の言う通り、病人は健康になり、貧乏人は裕福(ゆうふく)になり、現実に病人や貧乏人の悩める人々を、救ってきたのが創価学会です。

だから、どういうことかというと、昔、創価学会は、「貧乏人と病人の集まり」だと言われた。
もし、その創価学会の人々が、健康になり裕福になり、幸せを勝ち取って勝利していき、素晴らしい人材が、続々と出てくるような、人もうらやむような創価学会に大発展していったならば、この創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法は、真実に人々の悩みを解決し、夢や希望をかなえ、真実に人々を幸せにできる宗教だ!!ということの証明になるわけです。

だから、もし現在、創価学会が、世間もうらやむような大発展を、遂(と)げていたとしたら、まともな人間だったら、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、人々を幸せにすることにできる、真実の宗教であることを、素直に認め、賞賛(しょうさん)すべきなんです。

そして、現在、創価学会は、その通りに、偉大な素晴らしい大発展を、遂(と)げている!!!

ところが、日本の三流のマスコミなどは、昔は、「貧乏人と病人の集まりだ」とバカにしていたくせに、創価学会が大発展してくると、こんどは「金の亡者(もうじゃ)だ」とか、「金をばらないているカルト宗教だ」などと、アホらしい非難中傷を、あびせる。

ここに、日本人の心の狭(せま)さ、いやらしさを、感じないわけにはいかない。

発展してくれば、当然、創価学会もメディアに登場する機会も増えるでしょう。本当の宗教というものは、世間や社会に打って出て、積極的に社会とかかわり、平和や幸福を、築(きず)いていくものだからです。もし、宗教が洞窟(どうくつ)にこもって、社会との関わりを遮断(しゃだん)するものだったら、そんなものはカルト宗教でしかないし、何のたしにもなりません。

真実の宗教は、社会と大きく関わっていくものなんです!それを、創価学会がメディアに出てくると、あんなに金があるのはおかしいとか、金もうけの悪質宗教なのだ・・・。とか、それこそ、本当にアホらしい嫉妬(しっと)の、いやらしい文句(もんく)を、言う。そこに日本人の、心の貧(まず)しさ、いやらしさ、大きな偏見(へんけん)が、あると思う。

現在、創価学会は、世界192カ国に広がって、世界の平和と幸福に、大変な貢献(こうけん)をしている。その創価学会を、世界の有能は識者たちは、最大に讃(たた)え、最大に尊敬し、未来の希望は、「創価学会にある!!」と言わんばかりに、大絶賛(だいぜっさん)している。

この現実の結果を、日本も、もっともっと、しっかりと見つめ、正しく誠意(せいい)をもって、評価し、認めていくべきだと、思う・・・。


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ひまわりの種43 [エッセイ]

まえに、こういう話しを聞きました。
ある創価学会の婦人が、いつも野菜などを買っている、なじみの八百屋(やおや)に、創価学会の機関紙(きかんし)である聖教新聞の購読(こうどく)を、すすめたそうです。なじみの八百屋さんは、その婦人がいつも、買ってくれているので、聖教新聞を、購読したそうです。その八百屋さんは、聖教新聞に、何の興味(きょうみ)もなかったので、ただ、とっているだけで読みもしませんでした。

それで、聖教新聞の購読期間が過ぎて、その創価学会の婦人は、また、その八百屋に聖教新聞を続けてとることを、すすめてみました。すると、その八百屋さんは、ほかの客にも、聖教新聞を、すすめられたらしく、ちょっとムカッときて、「もう、うんざりだ!二度 と聖教新聞なんか、とらない!!」とさんざん文句(もんく)を言って、断(ことわ)ったそうです。

それから、その創価学会の婦人は、その八百屋さんに、聖教新聞をすすめるのは、やめましたが、ある時、八百屋さんにお買い物にいくと、その八百屋さんが、自分から「聖教新聞をとる!」と、言ったそうです。

なぜか?と言うと、聖教新聞を、とっていた時は、お客がホントによく来て繁盛(はんじょう)したそうです。ところが、聖教新聞をとるのをやめたら、パタリとお客が来なくなったそうです。だから、聖教新聞を、とる!と・・・。

こういうことは、確かによくあることです。創価学会は、仏法という世界最高の幸せの法則であり、平和の法則を、広めている団体です。その創価学会が、創(つく)り広めている聖教新聞は、文字通り、平和と幸福を広める新聞なんです。

仏法というのは、単なる理屈(りくつ)ではなく、宇宙の法則であり生命の法則なんです。その宇宙の法則であり生命の法則にしたがって、平和と幸福を広める新聞が、聖教新聞なんです。

だから、聖教新聞を、ただ単に、とっているだけでも、 生命の法則にもとづいて、宇宙の法則にしたがって、その人やその家族は、守られていくんです!だから、さっきの八百屋さんのように、聖教新聞をとっただけで、商売が繁盛(はんじょう)するようなことも、あるわけです。

また、聖教新聞をとっている人が多いほど、その地域は治安(ちあん)が良く、犯罪が少ないと言われています。

創価学会が実践している仏法というのは、ほんとうにスゴイんです!!!。ほんとうに力(ちから)があるんです。だから、ただ単に創価学会の機関誌(きかんし)の聖教新聞を、とっているだけでも、その人やその家族は、守られ、幸せが寄(よ)ってくるんです。

だから、聖教新聞は、『幸せを呼(よ)ぶ新聞』といえるかも、しれません・・・。

ともかく、それほど素晴らしく、偉大で、計(はか)り知れない無限の力(ちから)があるのが、創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法なんです・・!!。


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ひまわりの種32 [エッセイ]

創価学会が実践している仏法というものは、『因果(いんが)の法則(ほうそく)』なんです。因果(いんが)の法則とは、原因と結果が、はっきりしていて、原因があれば、必ず結果が出てくる法則ということです。

それが、『因果の法則』です。しかも、創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法は、厳然(げんぜん)とした明確(めいかく)な結果をともなう『因果の法則』なんです。

だから、創価学会の中で、仏法の信仰を根本に、地域、社会、世界の平和や幸せのために、活動し貢献(こうけん)してきた功徳(くどく)は、本当に計り知れないんです。

功徳というのは、結果として自分にもたらされる幸運や勝利、あらゆる幸せとして人生に現(あらわ)れてくる幸せの結果だと思います。

だから、創価学会の仏法の信仰と活動を、真面目にやっている、その功徳は、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言うには、はるか万年先の未来まで、一家一族に伝わっていくそうです。

逆に、悪事を働き、創価学会の人たちを苦しめる人間は、絶対に大罰(だいばち)を、受けるそうです。永遠に地獄の業火(ごうか)に焼(や)かれるような厳(きび)しい報(むく)いを、受けるそうです。

なんか、迷信(めいしん)めいて、変な気分になるかもしれませんが、迷信でもなんでもないんです。本当なんです。功徳も罰(ばち)も『絶対』にあらわれる。それが仏法の力なんです。

池田先生も言っています。『仏法は、感傷論(かんしょうろん)でもなければ、単なる理論でもない。そんな底の浅いものではない。仏法の因果律(いんがりつ)が、どれほど厳(きび)しいか』

よく、三流雑誌の創価学会に対するデタラメな中傷(ちゅうしょう)記事などを読んで、軽はずみに創価学会をバカにしたり、非難(ひなん)したりする人が、いますが、やめた方がいいです!仏法の因果の法則は、本当に厳(きび)しいんです!!それだけでも自分の人生において、大きな悪影響(あくえいきょう)を、もたらし、さまざまな不幸という大変なしっぺ返しが、帰ってきます。

この因果の法則だけは、どうにもなりません!ようするに、絶対、避(さ)けることは、できない!ということです。だから、『創価学会の非難中傷は、しないほうが、いいですよ!!!』と言っているんです。

この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰を、実践していけば、必ず幸せになれることは 、わかっています。けれど、かりにそれが、できないにしても、創価学会の味方になったほうが良いです。

人生において、創価学会の味方になるか、敵になるか、それによって、天国と地獄くらいの差が、自分の人生に出てきてしまいます。それほどスゴクて、厳然(げんぜん)とした因果(いんが)の結果が出るのが、仏法の法則なんです。

だから、自分と、自分の人生のことを、深く、強く、考えるならば、『創価学会の味方になることを、強く強く、お勧(すす)めいたします!!!!』。


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ひまわりの種30 [エッセイ]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、『私は、あらゆる機会、あらゆる瞬間をとらえ、一人また一人と、激励(げきれい)を続けた。今日の出会い、今この時の対話が未来を決する』と言っています。

池田先生という人は、まるで激励(げきれい)マシーンのような人だそうです。どんなに自分の体調が悪くても、その時その時、今そこにいる人、会っている人を、激励(げきれい)せずにはいられない。そういう無私(むし)の人だそうです。

その池田先生の命がけの激励によって、どれだけ多くの人が、希望を持ち、立ち上がり、蘇生(そせい)して、幸せを勝ち取ることができたか、ほんとうに、計(はら)り知れないと思います。
これは、創価学会の内部、外部にかかわらず、池田先生に会った人、会った人が、言っていることです。

また、それは、政治家であろうと学者であろうと、名もない庶民であろうと変わりがないそうです。
それは、池田先生に会った人、だれもが、池田先生に持つ大きな共感であり、共鳴(きょうめい)であり、感動のようです。

海外のあるの都市の市長が、池田先生を顕彰(けんしょう)するとこになり、池田先生と日本で会うことになったそうです。そのとき、その都市の創価学会員が、その都市の市長に言ったそうです。「池田先生という人は、想像を絶(ぜっ)する人だから、会って驚(おどろか)ないように」と・・・。

そして、その都市の市長は、池田先生に会い、池田先生が、その都市の創価学会員が言ったとうりの想像を絶(ぜっ)する素晴らしい人だったことに、感動を禁じ得ず、すぐ「池田先生は、想像を絶する人だ」といった創価学会の方に、日本から電話したそうです。そして、言ったそうです。「君は、池田先生に会えなくて、ほんとうに、かわいそうだ。」と・・・・。

そういう、人のこころを、揺(ゆ)り動かさずにはいられない、人間性の塊(かたまり)のような人が、池田先生なんです。

ガンジーの血をひく、インドの故・ラジブ・ガンジー首相は、池田先生に会った後、言っています。『ほんとうの日本人に、会った!』
これは、人間として最高の日本人に会った!本当の偉大な日本人に会った!真実の人間の輝(かがや)きをもった日本人に会った!という意味だと思う。

また、アメリカの昔の国務長官だったキッシンジャー氏も、池田先生に会った感想を、こう表現している。それは『グレイト・パーソナル(偉大なる、個性、人格)』 だそうです。

ともかく、人間性の塊(かたまり)のような池田先生の励ましによって、世界中のどれだけ多くの人たちが、励まされ、勇気を持ち、蘇生(そせい)し、希望と指針(ししん)を持って人生を、立ち上がっていったかは、計り知れないと思う。ぼくが思うに、何百万、何千万におよぶ人たちに、希望と勇気と幸福を、もたらしたのではないかと思う。

それが、池田先生という人間なんです・・・!!!!。


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ひまわりの種27 [エッセイ]

アメリカの公民権運動で有名なキング博士、そのキング博士と共に戦った著名な歴史学者のビンセント・ハーディング博士が、池田先生(創価学会インターナショナル会長)と創価学会について、語られています。

ハーディング博士は、キング博士と共に公民権運動を戦った正義と平和の本物の闘士(とうし)です。本物は本物を知ります。その本物の平和の闘士が、語っていることですから、真実が込められています。

その平和と正義の闘士、ハーディング博士がいうには、『池田SGI会長は、私たちに、一切(いっさい)の差異(さい)を乗り越え、平和と共感は築(きず)けるのだ、ということを身をもって示(しめ)してくださっております。そのSGI会長の指導力によって、創価学会は堅固(けんご)な砦(とりで)を築(きず)かれました。しかしその砦(とりで)は、他を寄(よ)せ付けない「孤塁(こるい)」ではなく、世界へと平和を広げていく「跳躍台(ちょうやくだい)」なのだ、との感銘(かんめい)を深くしております。』『SGI(創価学会インターナショナル)のような正義と真実のために戦う、世界の人々の善意を今こそ結集(けっしゅう)すべきです。』

ハーディング博士の言うように、これが、池田先生と創価学会に対する、世界の正しい真実の評価です。

このように、世界中の善意ある有職者たちは、創価学会の真実を、鋭(するど)く見抜き、創価学会に最大の尊敬と期待、最高の希望と賞賛を、いだいています!!


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ひまわりの種19 [エッセイ]

よく、創価学会を知らない人などは、「宗教などに熱中して、しょうがない・・・」とか、「宗教などに無駄(むだ)な時間を使って、あほらしい・・・」とか考えたりする場合がある。

ところが、実情は違って、創価学会の人たちは、宗教に熱中している訳ではなくて、「自分の人生を切り開くことに熱中している」のであり、「自分の夢や希望を達成することに熱中している」のであり、「自分の悩みや問題を解決することに熱中している」のであり、そして、それら自分の重要な問題と同時に、なんの抵抗(ていこう)もなく、正比例する形で「世界の平和や幸福を成し遂げる」ことに熱中しているのです。

だれだって自分は大切です。その自分にとってもっとも大切な課題は自分の幸せであり夢や希望であり、その幸福に向かって、だれでも最高の形で生きていきたいし、行動していきたい!その、あたりまえで最も自分にとって大切なことに、最も確実に最も早く最も素晴らしく最高の形で、だどりつく方法が、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰であり、仏法の実践である創価学会の活動なんです。

ようするに、創価学会の生き方は、だれもが望んでいる、人間にとって最も望ましいものを、つかむための、最も合理的で、最も完璧で、最も素晴らしい方法であり、生き方なんです。だから、そのことが、わかっている創価学会の人たちは、創価学会の仏法の信仰と創価学会の活動に、全力で挑戦しているんです。

当然、自分の夢や希望をかなえるためには、そのための具体的な努力は、必要です。けれど、それだけで夢や希望が、かなうほど、人生、生やさしいものでは、ありません!それらにプラスアルファする形で、真面目に創価学会の信仰と活動を、やっていると、ありとあらゆるものが、磁石(じしゃく)に引き寄(よ)せられるように、自分のもとに、よってきて、夢や希望を実現できるようになっていくんです!!

また、もっと言えば、世間的な幸福の次元を、はるかに超えた最高の絶対的幸福を、つかめるのが、創価学会の仏法の信仰であり、創価学会の活動なんです。

結論から言えば、自分と自分の人生を、何よりも大切に考え、幸せに向かって真剣に行動することを、望むのならば、創価学会の仏法の信仰と創価学会の活動以上のものはなく、あらゆる面で、自分と自分の人生の幸福を考えて行動するならば、この創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰と、仏法の実践である創価学会の活動に、真剣に挑戦していく意外、方法はない!!と断言(だんげん)することができます。

それほど、価値があり、素晴らしくて、偉大な行動が、創価学会が実践する南無妙法蓮華経の仏法の信仰であり、その仏法に直結(ちょっけつ)した創価学会の活動なんです!!


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