ひまわりの種315 [悩み]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『人は花に学ばなければ・・・。

花はいつも一生懸命(いっしょうけんめい)だからだ。投げやりに咲いている花はない。いやいや生きている花はない。途中(とちゅう)で、へこたれる花はない。笑うことを忘れた花はない。過去にとらわれたり、人のあらを探(さが)したりしている花はない。』


花は、だから、きれいなのかもしれない。
なにものでもない、自分自身を咲かせることに、なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく全力で立ち向かっていく。

その健気(けなげ)な姿に人は、打たれるのかもしれない。

創価学会(そうかがっかい)二代会長の戸田城聖先生が、仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)は、『自分自身に生ききることだ!』と言っていた。

あの人がこう、この人がどうではない。自分が自分自身に生ききるかどうか・・・。

簡単なことのようで、これがなかなかできないのも、現実だと思う。

そして、ああだ、こうだ文句(もんく)を言う。愚痴(ぐち)を言う。そして、世の中を恨(うら)んでしまう・・。

何かかが間違(まちが)っているんだと思う。幸せというものの本質(ほんしつ)が見えなくなっているのかもしれない・・。

何かが狂(くる)っている。人間の生命になにかの間違った思想や考えがこびりつき、花のように、健気(けなげ)に生きられなくしている。

仏法(ぶっぽう)では、これを『宿業(しゅくごう)』という。

『宿業(しゅくごう)』とは、自分の生命に、深く宿(やど)ってしまっている、その人を苦しめている根本原因(こんぽんげんいん)のようなもので、避(さ)けたくても避けることのできない苦しみや悲しみ、自分はどうして、こういう自分に生まれてしまったのか?というような、辛(つら)い境遇(きょうぐう)や環境、なんで自分がと思うような過酷(かこく)な病気や事故など、その人がもって生まれた、どうしようもないような運命などをいいます。

その『宿業(しゅくごう)』が、人を苦しめ、狂わせ、花のように真っ直(まっす)ぐに生きることを、妨(さまた)げている。
そして、その人を不幸にしている。

不幸の根源(こんげん)には、『宿業(しゅくごう)』がある!と言えるかもしれない。

そして、その『宿業』がどこから起ってくるかと言えば、それは、間違った思想(しそう)、間違った宗教から起ってくる。

人は、自分の悩みや不幸について、その原因(げんいん)にたどり着くことはないけれど、人間の不幸は、間違った宗教によって、起こる!!と言えます。

自分は、宗教なんかには、かかわっていないと、言うかもしれない。

けれど、自分の先祖(せんぞ)をたどっていけば、なにかしらの宗教をやっているし、世の中は、間違ったデタラメの宗教だらけなので、日々、その間違った宗教に触(ふ)れていると、言えます。

正月といえば、初詣(はつもうで)だといって、さまざまな神社やお寺に行くし、観光でもさまざまな神社、仏閣(ぶっかく)に祈りをささげる。また、葬式(そうしき)となれば、ほとんど、それらの葬式仏教などに祈りをささげる。

そして、それらの葬式仏教にしても、神社信仰にしても、観光宗教にしても、デタラメな間違った、人を不幸にしてしまう宗教です。それらに、良いことだと思って、祈りをささげる。

それらの、間違ったもの、デタラメなものに祈りをささげるということは、自分の生命に、間違ったもの、デタラメなものを投影(とうえい)することになり、間違ったもの、デタラメなものが、自分の生命に植(う)え付けられることになっていく。その植え付けられた間違った宗教、デタラメな宗教は、自分の生命に、さまざまな不幸なる宿業(しゅくごう)として植え付けられ、その宿業が、時ととともに噴出(ふんしゅつ)して、その人を苦しめることになる。

また、過去世(かこせ/過去に生きていた時代)に、間違った、人を不幸にする宗教にかかわってしまったために、さまざまな不幸なる宿命(しゅくめい)を持って、生まれてきたとも言えます。


人間は、花のように、生きるべきだと、思います。

けれど、それをできなくしているのが、『宿業』だと言えます。

そして、その宿業を打ち破(やぶ)る、決定的で唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、となえることは、自分の中から、花のように生きる力を復活(ふっかつ)させる。

花のように生きようとする生命力が復活し、その人を、真っ直(まっす)ぐに生きさせる。

太陽が昇(のぼ)れば、草木についた、つゆや水滴(すいてき)は、あっという間に消えてしまうように、南無妙法蓮華経をとなえることによって、花のように真っ直ぐに生きることを妨(さまた)げる宿業が、打ち破られ、幸せに向かって、希望にむかって、生きていけるようになっていく。

南無妙法蓮華経には、宿業を打ち破る大きな大きな力(ちから)がある!ということです。

南無妙法蓮華経を真剣にとなえ、仏法(ぶっぽう)の実践活動である創価学会の活動をやっていくことによって、自身の宿命が転換(てんかん)され、悩みや困難(こんなん)を乗り越(こ)え、夢や希望をかなえて、幸せを勝ち取っていくことが、できるようになっていく。

それは、美しい花のように・・・。

『南無妙法蓮華経は蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』というけれど、南無妙法蓮華経をとなえると、自分の生命が蘇生(そせい)していく。

真剣に南無妙法蓮華経をとなえることによって、自分の中から生命力が湧(わ)き上がり、勇気が出てきて、元気と希望がでできて、その人の生命は、文字通り、蘇生(そせい)していく。

その生命の力は、自分の人生と未来を、花のように、真っ直ぐに生きていくエネルギーとなって、その人を動かす。

やがて、種(たね)から花が咲くように、その人の人生に、勝利と幸せの花が咲いていく。


人は、花のように、生きるべきだ・・!

そして、それを可能にする、希望と勇気とどんな困難(こんなん)も打ち破る無限(むげん)の力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです。


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ひまわりの種313 [悩み]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『人生は宿命(しゅくめい)との戦いといえます。宿命に泣き、宿命に流されて、あきらめてしまう人も多い。しかし、信心(創価学会の信心)ある限(かぎ)り、打開(だかい)できない宿命はありません。

自動車は、エンジンを始動させなければ動かない。しかし、エンジンを回転させれば、右にも、左にも走っていける。同様(どうよう)に、信心のエンジンを回転させていけば、困難(こんなん)の坂(さか)を超(こ)え、過去世(かこせ[過去に生きていた時代])からの罪業(ざいごう)、宿命も転換(てんかん)し、自分が欲(ほっ)する人生の軌道(きどう)を、意気揚々(いきようよう)と進んでいけるんです。』


人は、だれでも、楽しく生きたいと思っている。おもしろおかしく生きたいと思っている。これが人間の本心(ほんしん)だと思う。だれも辛(つら)い人生、苦しい人生を生きたいとは思わない。

「楽しく生きたい!おもしろおかしく生きたい!」
そう思っているのに、そうもいかないことも多い・・・。

それは、人それぞれ、『宿命(しゅくめい)』を持っているからです。

この『宿命』を避(さ)けることが、できない!!!

どんなに、おもしろおかしく生きたいと思っていても、人それぞれ、さまざまな宿命が降(ふ)り掛(か)かってくる・・・。

ゆえに、楽しく生きたいと思っているのに、それができない現実が、のしかかってくる・・。

楽しく生きたいと思っているのに、それができない。時として宿命は、過酷(かこく)なまでに、その人を打ちのめす場合もある。

その現実とのギャップのせいで、命を捨ててしまう人さえいる・・・。

ここに大きな問題がある。

それは、『宿命を乗り越えられない!』ということです。

だから、この『宿命』を乗り越える真実の方法を見いださないかぎりは、本当の幸せはない!!と言える。

その「宿命」を真(しん)に乗り越え、転換(てんかん)していける、唯一(ゆいいつ)の方法が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

この創価学会(そうかがっかい)の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、池田先生が言うように、自動車にエンジンをかけ、始動(しどう)させるように、どんな困難の坂(さか)も超え、宿命を転換(てんかん)して、自分の欲(ほっ)する人生の軌道(きどう)を進んでいけるんです。

すなわち、自分が欲する幸せ、夢や希望をつかんでいけるんです。

もちろん、たいへんなこともあるでしょう。苦しいこともあるでしょう。

けれど、創価学会の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法を実践していった場合、同じ苦しみ、困難であったとしても、生き方、考え方がまったく違(ちが)ってくる。
すなわち、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰によって、必ず乗り越えられるから、『希望』がある!

「よし!必ず乗り越えてみせる!!」
と前向きに勇気を持って挑戦していける。
そして、実際に乗り越えていくこてができる!

その生きることに対する充実感(じゅうじつかん)、歓喜(かんき)、希望が、創価学会の仏法の信仰を知らないのとでは、天国と地獄(じごく)くらい違ってくる。

そして、自身の宿命を乗り越え、転換(てんかん)して、幸せを勝ち取っていける。

それが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

素晴らしい車を手に入れると、快適(かいてき)な気持ちよいドライブができる。

それと同じように、創価学会の仏法の信仰を手に入れるということは、どんな宿命も乗り越え、人生を楽しく、おもしろく生きていけることになっていく。そして、最も大切な幸せをつかんでいける・・!


だれでも、楽しく生きたい・・。

だれでも、おもしろおかしく生きたい・・。

けれど、だれでも、それを阻(はば)もうとする宿命がある。
そして、それを乗り越えられない・・・。

その宿命を乗り越える方法を知らなければ、本当の幸せは、ありえない!

そして、その宿命を、本当に乗り越えられる、宿命を転換して、より良い幸せをつかんでいける、唯一(ゆいいつ)にして真実の方法が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです・・・!!


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ひまわりの種306 [悩み]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『苦悩(くのう)し、呻吟(しんぎん/苦しんでうめくこと)する庶民(しょみん)の心に、誰が希望の光を注(そそ)ぐのか。誰が勇気の火をともすのか ・・・
その使命(しめい)を担(にな)ってきたのが創価学会(そうかがっかい)である。』

創価学会は、昔、貧乏人(びんぼうにん)と病人の集まりだと、言われた。

けれど、逆に言えば、それは、だれも見向(みむ)きもしない貧乏人や病人に手を差しのべ、救(すく)ってきたということです。その人たちが、裕福(ゆうふく)になり、健康になり、幸せになっていったから、創価学会は世界192カ国にまで広がり、隆々(りゅうりゅう)たる大発展をしている。


だれも手をつけようがなかった、苦しみや悩み。それは、ほとんどが個人的な問題だけに、外からどうのこうのと言うことはできないし、どうしようもない悩みだとも言える。その、個々人(ここじん)の宿命的(しゅくめいてき)ともいえる悩み、また、人間そのものがもっている悩みとも言えると思いますが、その宿命的な悩みに挑(いど)み、解決してきたのが、創価学会です。

だから、世界は、創価学会を賞賛(しょうさん)し、希望をたくすんです。それだけの、ものすごいムーブメントがあるんです。

だから、世界を真摯(しんし)に考え、平和と幸福を考える人たちは、優秀であればあるほど、創価学会に注目し、期待をたくしている。

それが、創価学会の真実だと思う。

ひとりの人間がいる。そこに、逃(のが)れることのできない悩みがある。そして、切実(せつじつ)な幸せへの欲求(よっきゅう)がある。
そのひとりひとり、ことごとく違(ちが)う、あらゆる悩みを解決でき、個々人の中にある無限の可能性に目覚(めざ)めさせ、開花させていく。しかも、それは、もともと優秀で、だれが見ても、この人は幸せになると思うように人ではない。

だれも見向きもしないような、人から見捨てられたような、名もない貧乏人や病人たちである。そういう人たちを、ことごとく蘇生(そせい)させ、人間革命(にんげんかくめい)させ、幸せにしてきたのが、創価学会です。

いったい、こんなスゴイことを、他のだれが、やったというのだろうか・・・?

それをやったのは、創価学会だけです。

ほんとうに民衆を、庶民を、名もなき人々を、立ち上がらせ、幸せにしていったのは、『創価学会』です。

ここに、創価学会の、かけがいのない存在価値(そんざいかち)と、使命がある。

それが現実にできるのは、今までも、これからも、『創価学会だけ』だと言えるでしょう。


それだけの力(ちから)とエネルギーと幸福という真実の結果をだせるのが、創価学会という場所であり、どんな悩みも解決して、夢や希望をかなえていける真実の力が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです・・!


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ひまわりの種305 [悩み]

親子の断絶(だんぜつ)や、家庭不和(かていふわ)、それは決して近年の問題ではなくて、遠い昔から、多くの人が悩んできた問題だそうです。

そんな大げさなことではなくても、そのような家族のことで、少なからず、悩んだり、気にかけている人も多くいると思う。

それは、親子という最も身近(みぢか)な問題だけに、なかなか解決(かいけつ)しない悩みかもしれない。

その解決について、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、こう言っています。

『この人間関係の亀裂(きれつ)を埋(う)めていくものは、結論(けつろん)から言えば、信心(創価学会の信心)しかありません。信心によって、 自分の境涯(きょうがい)を開き、生命を変え、人間革命(にんげんかくめい)していく以外(いがい)にないんです。

親も、夫(おっと)も、兄弟姉妹も、子どもも、自分の置(お)かれた現実であり、それは、宿縁(しゅくえん)によって結(むす)ばれているんです。その環境(かんきょう)から逃(に)げ出すわけにはいきません。

では、どうすればいいのか。人間関係がうまくいかない理由を、周囲(しゅうい)のせいにするのではなく、自分が変わっていくことです。

たとえば、母親が人間革命(にんげんかくめい)し、子どもさんが、「うちのお母さんは最高だ!」と、心から思うようになれば、子どもさんの母親への態度(たいど)も変わり、親孝行(おやこうこう)するようになります。ご主人だって同じです。』


自分が変わっていく・・!

そのことによって、家族も変わり、親子や家族の間の悩みも、解決していく・・!

けれど、わかると思うけれど、自分が変わることほど、難(むずか)しいこともない。自分が変わることほど、大変なこともない。

だから、人は、自分ではなく、人のせいにしてしまう。それの方が楽(らく)だから・・。

けれど、そう考えている間は、家族間の問題も、他のさまざまな問題も、解決していかない・・・。

『いかにして、自分が変わるか・・!』

それが、もっとも身近で、もっとも難しい難問かもしれない・・。

そして、この難問(なんもん)中の難問を解決する力(ちから)が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です。
この創価学会の信仰には、自分を、根源的(こんげんてき)に変えていく力がある!!ということです。

また、池田先生が言うように、自分を根源的に変えていけるのは、この創価学会の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法の信仰しかない!!と言えます。

だから、この創価学会の信仰が必要になってくる。

また、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰によって、数限りない人たちが、家族間の、のっぴきならない悩みも問題も、解決してきた!とも言えます。

また、子供が、この創価学会の信仰によって変わっていく姿(すがた)に感動して、創価学会に入る親も、多く、いる。

自分が変わることによって、家族や周囲の人々も変わっていく。
自分が変わることによって、環境(かんきょう)が変わり、やがて、社会や世界も、幸せに変えていくことができる。

これが、創価学会の、『人間革命』の法則(ほうそく)だと、思う。


人は、家族間のさまざまな悩みや問題などについて、「あの人が変われば・・」
「あの子が変われば・・」
と思うかもしれない。けれど、なかなか「自分が変われば」とは思えない・・。

なぜならば、自分が変わることが、どれだけ大変なことか、わかっているからです。また、自分には関係ないと思いたいからかもしれません。

けれど、本質的(ほんしつてき)に、それでは、悩みや問題を解決してはいけない。また、実際(じっさい)、さまざまな試練(しれん)や苦難(くなん)の中、夢や希望を、かなえていくことも難しいと思います。

悩みの解決にしても、夢や希望の実現にしても、それには、『自分が変わる!』しかない!!

わかっているけれど、それが、なかなか、できない・・。

だから、人は苦しみ、不幸に沈(しず)んでいく人もいる。

その『自分が変われない不幸』を打ち破(やぶ)り、根底(こんてい)から自分を変え、夢や希望に向かって、大きく境涯(きょうがい)を開いて、幸せになっていけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです・・・!!


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ひまわりの種304 [悩み]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『仏法(ぶっぽう)では、「仏(ほとけ)」という最も偉大(いだい)な存在も、人間を離(はな)れ、現実を離れて、どこか遠くにあるのではない。私たちの生命の中にある。この私たち自身(じしん)が、まさに「仏(ほとけ)」なのであると説かれております。

そう言われても信じられない人に、日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、「自分のまつげは近すぎて見えないようなものだよ。」と譬(たと)えられました。

さらに、「美しい桜(さくら)の花は、ごつごつとした木の中から咲(さ)き出てくるではないか。」
「同じように、凡夫(ぼんぷ)である私たちの心の中から、必ず仏の生命を開いていくことができる。」
と教えられている。

結論して申(もう)し上げれば、その最高の生命の花を咲かせていく、究極(きゅうきょく)の力(ちから)が、南無妙法蓮華経です。これは、絶対(ぜったい)に間違(まちが)いのない大法則(だいほうそく)であります。』


悩みや苦悩(くのう)にしても、夢や希望にしても、それらを持ち、抱(いだ)いているのは、自分です。

悩みや苦しみも、夢や希望も、本質的(ほんしつてき)には、『自分の中にある!』ということです。

すべてが自分の中におさまっている。

喜びや感動、怒(いか)りや悲しみにしても、それは自分の中からわき上がってくるものであり、どこか遠くにあるものではない。人の財産(ざいさん)を数えても、決して自分のものにはならないのと、同じ道理(どうり)です。

それと同じように、強くて、あったかくて、やさしくて、どんな困難(こんなん)も乗り越えていける、絶対に負けない、あらゆる悩みも解決(かいけつ)していけ、夢や希望をかなえていける、無限の可能性(かのうせい)を持った最強・最高の生命も、自分の中にある。 どこか遠くにあるものではない・・!

そのどんな困難も乗り越えていける、無限の可能性を持った最強の生命のことを「仏(ほとけ)の生命」という。

そして、その仏の生命は、どこか遠くにあるのではなく、「自分の中にある!」

ただ、まつげが近すぎて見えないように、なかなか、そのことがわからない。

けれど、ごつごつした木の中から、美しい花が咲き誇(ほこ)るように、それは、自分の中にある。
最初に言ったように、悩みや苦悩にしても、夢や希望にしても、それらを持ち、抱(いだ)いているのは、自分です。
悩みも苦しみも、夢や希望も自分の中にある!ということです。

それら、自分の中にあるものに対して、いくら、自分の外にあるものに、その解決策(かいけつさく)を望んでも、それは、他人の財産を数えるのと同じで、なんにもならない。本質的な解決策にはならない!ということです。

自分の中にあるものなんだらか、自分の中に解決策を求めるべきです。

また、そうしていった時、はじめて本質的(ほんしつてき)な解決策となっていく。

悩みや苦しみにしても、夢や希望にしても、自分の中から、自分の生命の中から、解決する方法と力(ちから)を、見いだしていかなければならない。

そして、その力(ちから)が、すべての人にそなわっている、『仏(ほとけ)の生命』だということです。

この『仏の生命』は、すべての人の中に、もともと、そなわっていて、その『仏の生命』を開花していくことによって、悩みや苦しみの解決も、夢や希望の実現も、可能になっていく!ということです。

そして、その『仏の生命』を自分の中から開花していける、唯一(ゆいいつ)の方法と言っていいのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

池田先生が言うように、幸せを勝ち開いていく究極の大法則なんです。
南無妙法蓮華経を真剣にとなえて、仏法の実践活動である創価学会の活動をやっていくことによって、どんな悩みや苦難(くなん)も乗り越(こ)えることができ、夢や希望も実現していけるようになっていくんです。

幸せを勝ち取るこれ以上の力(ちから)はないんです。

そして、それは、自分の中にある!!!

ごつごつした木から、美しい花が咲くように、まつげが近すぎて見えないけれど、確実にあるように、自分の中に、幸福の『仏の生命』は、ある!!

そして、その『仏の生命』を無限に開き、花咲かせていけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種300 [悩み]

ある人は、言う。

「宗教なんかには、とらわれたくない・・!」

確かに、そうかもしれない。日本には、何万という宗教があり、99.9%、それらは常識(じょうしき)から考えれば、くだらないものであり、また、お金をせびり、人びとを不幸にしていった例は、数えきれないからです。また、それらの宗教が、人びとをだまし、単(たん)なる金儲(かねも う)けに利用されてきたのも事実だと思う。

だから、宗教なんかには、かかわりたくない!、とらわれたくない!と考えるのが普通だろう。

けれど、創価学会(そうかがっかい)のことを、とりあげて、「宗教なんかには、とらわれたくない。」と言っているとしたら、話しは違(ちが)ってくる。

もし、創価学会に向かって、「宗教なんかには、とらわれたくない。」と言っているとしたら、まず、その人に言ってあげたいと思う。

「それでは、あなたは、自分に突(つ)き付けられた、さまざまな宿命(しゅくめい)に対して、それらを乗り越(こ)える手段(しゅだん)と手だてを持っているのだろうか?」


人は、皆、全力で生きていると思う。
人それぞれ、夢や希望があり、また幸せになるためにベストを尽(つく)くしているとは思う。

けれど、人生は、やはり、山あり谷ありです。それぞれの人に、さまざまな難問(なんもん)があり、大きな悩みに突(つ)き当たることもある。大変な宿命(しゅくめい)の嵐に見舞(みま)われることもある。

それらの悩みや自分の宿命に対して、人は、当然、なんとかしようと思い、また努力もしていくと思う。

けれど、ほんとうにそれらを解決できるか?、それらの宿命を乗り越(こ)え、幸せを勝ち取っていけるのか?と言えば、当然、なんとかなればいいと、がんばって生きるとは思うけれど、正直なところ、その場その場を、なんとか凌(しの)ぎ、人生をなんとなく、やり過ごしてしまうというのが、 本当のところではないだうか?

根本的な解決策(かいけつさく)がない・・・!
どうしようもないから、なんとか、その日その日、生きるしかない。
簡単に言えば、なるようになるしかない・・。

そんな生き方をするしかないのではないだろうか?

それが、根本的(こんぽんてき)な解決策を持たない人の生き方だと思う・・。

そうではなく、自分の力で、宿命を転換(てんかん)していける!
宿命や悩みを現実に打ち破(やぶ)り、大きな幸せと勝利をもたらしていける!
自身の境涯(きょうがい)をより良く変革(へんかく)していくことによって、自分も、家族も、職場や地域など、自分の周(まわ)りの人びとまで幸せにしていってしまう。その生き方と力(ちから)が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

根本的な解決策を持たない生き方とは、全然(ぜんぜん)違うんです!!

どこまでも宿命を変え、どこまでも幸せになっていける!
それが、創価学会の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法の信仰です。

だから、どんな苦難(くなん)の中でも、希望を持っていける!負けない!!


また、もう一つ言いたいのは、「宗教なんかには、とらわれたくない・・!」と言うけれど、もし、その人が、さまざまな悩みや苦しみ、自身の宿命に苦しんでいるとしたら、その悩みや苦しみ、宿命がどこから来るかと言えば、根本的には、それは、自分が今までたずさわってきた間違(まちが)った宗教が原因(げんいん)になって起っていると言えます。また過去世(かこせ/自分が過去に生きていた時代)に、間違った宗教にたずさわってしまったことが原因で、さまざまな悩みや苦しみ、宿命をもって生まれてしまったと言うこともできます。

不幸の根源(こんげん)には、間違った宗教がある!ということです。

自分がたずさわった間違った宗教が、さまざまな宿命や悩みとなって、自分を苦しめている。
そう、言い切ることができます。

だから、「宗教なんかには、とらわれたくない・・!」と言っていても、その人が、宿命や、さまざまな悩みに苦しめられているとしたら、不幸の根源には間違った宗教があるのだから、その間違った宗教のせいで、さまざまな宿命や悩みに苦しんでいると、言うことができます。

だとしたら、「宗教なんかには、とらわれたくない・・!」と言っていながら、その人は、すでに、『間違った宗教の害毒(がいどく)に、とらわれている!!』と言うことができます。

不幸や悪(あ)しき宿命、悩みの根源(こんげん)には、間違った宗教がある!

だから、「宗教なんかには、とらわれたくない・・!」じゃなくて、すでに、悪しき宗教の害毒(がいどく)にとらわれているのだから、その悪しき宗教の害毒から、自分を、解(と)き放(はな)たなければいけない!ということです。

そして、その悪しき宗教の害毒から、自分を解き放つ唯一(ゆいいつ)の方法が、真実の正しい宗教につく!ということです。

その、真実に正しい宗教というのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

だから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を実践するのは、自分のさまざまな宿命や悩み、苦しみから、解き放つためであり、自己の生命を、どこまでも開花させ、夢や希望に向かって、大いなる幸せをつかんでいくためです。

だから、よく言う「宗教などには、とらわれたくない」というのとは、逆(ぎゃく)の意味合いになるのが、創価学会の信仰です。

どういうことかというと、自分のさまざまな宿命や悩み、苦しみを打ち破り、大きく解放し、飛翔(ひしょう)して、幸せをつかんでいく行為(こうい)が、創価学会の信仰だということです。

宗教にとらわれるのではなく、逆に、自分をどこまでも解放していくこと。悩みや問題を解決して、夢や希望をつかむために、どこまでも自分を変えていくこと。それが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっほう)の信仰なんです。

また、それが現実にでき、世界中の人々の悩みや不幸を打ち破り、人々の夢や希望をかなえて幸せにしてきたのが、創価学会です。

ゆえに、宗教にとらわれるのではなく、逆に、苦しみや悩み、不幸や宿命から、解き放ち、どこまでも幸せを開花していけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです・・・。


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ひまわりの種294 [悩み]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『現実の社会には、嫉妬(しっと)もある。虚偽(きょぎ)もある。しかし、師子(しし)は負けない。恐れない。

・・・・ 
幸福とは、何の悩みもないことではない。いかなる苦難(くなん)にも屈(くっ)しない「師子王(ししおう)の心」に、真の幸福は光るのだ。』

幸福とは、何もないことではない・・。

現代という時代は、さまざまな喧噪(けんそう)やかかわり、面倒(めんどう)なことを避(さ)けて生きようとする風潮(ふうちょう)があるかもしれない。けれど、それらを避(さ)けきれるものでもない。また、逃げて生きるわけにもいかない。

どんなに逃げたとしても、結局、悩みはついてくるし、逃げれば逃げるほど、悩みは大きくなっていくかもしれない・・。

幸福とは、何の悩みもないことではない・・・。

そうではなく、いかなる苦難にも負けないで立ち向かっていける、その生命の輝(かがや)きに、幸福はあるのかもしれない。
そう、言えると思います。

そのいかなる苦難にも負けない生命の輝きに、満(み)ち満ちていった時、本当の意味での幸福をもたらしていける。

そして、そのいかなる苦難にも負けない生命の輝きを、創価学会(そうかがっかい)では、『師子王(ししおう)の心』と表現している。

師子王の心とは、百獣(ひゃくじゅう)の王の心であり、なにものにも負けない、どんな困難にも打ち勝ち、幸せをつかんでいく心であり、強く、やさしく、自分だけでなく、周(まわ)りの人々も幸せにしていくことのできる心だと思う。

その心を、いかにして出していくか・・・?
そこに、人生を勝っていくキーワードがある。

その師子王の心、どんな苦難にも負けないで幸せを勝ち取ってけてる心を出していく、究極(きゅうきょく)にして、唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

ここに、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の決定的な必要性が、生(しょう)じてくる。

人生には、いろいろ、ある。楽しいこともあるし、幸せなこともある。才能や能力、人気や財力に恵(めぐ)まれた人もいる。けれど、人は、どんなに逃げてみたところで、逃(のが)れられない苦しみをもっている。また、人知れず悩むこともあるかもしれない。

そして、その苦しみや悩みを、本当の意味で乗り越(こ)え、勝っていくことは、どんな人でも、至難(しなん)の技(わざ)であり、人には言わなくても、表面的にはわからなくても、人は、その根本的(こんぽんてき)な悩みと苦しみと、戦っていると言えると思います。

そして、先ほども言ったように、その、だれもが、決して逃(のが)れることのできない、苦しみ、悩み、その苦しみや悩みを、本当の意味で解決していける、あらゆる困難を乗り越え、太陽のような幸せを勝ち取っていける、現実的で決定的な方法が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、 仏法の信仰だということです・・。


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ひまわりの種282 [悩み]

ある夫婦(ふうふ)がいて、その夫婦は、奥(おく)さんが創価学会に入会していて、その奥さんに勧(すす)められて、ご主人も創価学会に入会したそうです。

それから、数十年が経(た)ち、そのご主人は、奥さんに言ったそうです。

「創価学会という、こんなに素晴(すば)らしい世界があることを、ぼくに教えてくれて、ありがとう・・!」

その夫婦は、その数十年の間、経済的な悩みも、病気の悩みも、自分の子供の悩みも、また孫(まご)の悩みも、あらゆる困難(こんなん)、試練(しれん)を、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰と、仏法の実践(じっせん)活動である創価学会の活動によって、ことごとく解決(かいけつ)し、乗り越(こ)えてきたそうです・・!

その結論(けつろん)とも言える言葉が、上にあげた言葉だと思う。

「創価学会という、こんなに素晴(すば)らしい世界があることを、ぼくに教えてくれて、ありがとう・・!」

重みのある、真実のこもった言葉だと思う。

世間では、いろいろなことを言う。
知りもしないくせに、適当(てきとう)なデマを、まき散(ち)らし、創価学会が、まるで悪そのもののようなデタラメを、平気で言うやからもいる。 創価学会をバカにするような風潮(ふうちょう)の流れも、まだ、あるような気がする。

そんなデマは、当然(とうぜん)、創価学会の人たちの耳にも入り、伝(つた)わるはずです。

にもかかわらず、創価学会は、どんどん発展し、世界192カ国にまで、広がっている。

それは、たとえ、どんなデマが世間に広がろうと、創価学会が、素晴らしい!からです。
創価学会に、真実と正義(せいぎ)があるからです。

もっと言えば、創価学会が、世界中の、どんな人の、どんな困難な悩みでも解決し、ひとりひとりの夢や希望をかなえる大きな大きな力(ちから)となって、その人たちを現実に幸せにしてきたからです。

真実の幸せ・・・!

その真実の幸せを、もたらしていける場所が、創価学会です。

だから、世界中の人たちが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰を、やるんです!!。

そこには、ウソがないからです・・!!

理想(りそう)や希望を言うことは、いくらでもできる。

けれど、現実の苦難渦巻(うずま)く悩み、現実の苦しみを解決していくことは、至難(しなん)の技(わざ)です。一人一人に突(つ)き付(つ)けられた現実。それは時として壮絶(そうぜつ)なものがある・・。

その壮絶なる現実の悩み、苦しみを、ことごとく解決していけるから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、やるんです。また、真剣にやればやるほど、本当に悩みが解決し、自分の宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)して、大きな幸せをつかんでいけるんです。

この現実を変えていける力ほど、価値(かち)のあることはない・・・!

現実を変える・・・、これは、全人類の夢であり、全人類に共通する願いです。

この願いをかなえることができるから、人々は、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を、やるんです。

そして、その創価学会の信仰をやりきった結論として出た言葉が、

「創価学会という、こんなに素晴らしい世界があることを、ぼくに教えてくれて、ありがとう・・!」

だと思う。

また、創価学会には、他では決してない、人間と人間との絆(きずな)、ほかでは、なかなか感じることのできない人間愛に満(み)ちているもの事実です。

これほど、素晴らしい世界は、ないんです。

だから、池田先生(創価学会インターナショナル会長)は、言った。

『創価学会は、幸せの安全地帯だよ・・!』

それは、事実(じじつ)であり、それは世界が認(みと)めることであり、世界の有識者が、こぞって創価学会を賞賛(しょうさん)し、大きな期待を抱(いだ)いています。

ゆえに、この創価学会のご主人は、言った。

「創価学会という、こんなに素晴らしい世界があることを、ぼくに教えてくれて、ありがとう・・!」

と・・・!


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ひまわりの種281 [悩み]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『苦しみを根本的に解決する力は、自分の外にあるのではない。内なる無限の可能性に目覚(めざ)め、それを開花させる中で自身が変わり、周囲(しゅうい)の人々をも「幸福」と「安心」の方向へ導(みちび)いていく。----- その一人の偉大(いだい)な蘇生(そせい)のドラマの中に、自己の苦しみさえも、「社会をより良くするための糧(かて)」にする道が開けてくると仏法 (ぶっぽう)では説(と)くのです。』

苦しみを解決する力は、自分の外にあるのではない。

苦しみ、悩み、辛(つら)い不幸、さまざまな苦境(くきょう)は、人生には、つきものだ。その苦しみを解決(かいけつ)する力は、決して自分の外にあるものではない・・・。だから、根本的には、苦しみの解決を自分の外に求めていったところで、解決しようがない。

よく、あそこの神様は、何々にご利益(りやく)があるから、拝(おが)んでみようとかいう場合がありますが、それこそ、自分の外に、悩みや苦しみの解決を望む典型(てんけい)と言えます。それが、日本にはびこっている観光宗教や神社信仰、葬式仏教(そうしきぶっきょう)だと言えます。

根本から言って、自分の苦しみを解決する力は、自分の外ではなく自分の中にあるのだから、それらの観光宗教や神社信仰、葬式仏教などは、出だしの始めから間違(まちが)っていると言えます。

ただ、間違っているだけならいいのですが、間違ったものに祈るということは、間違ったものに命を捧(ささ)げていく。間違ったものに自分の人生と生命を、ゆだねていくことになるので、当然、間違った結果、不幸や悩み、苦しみをもたらすことになります。それが本当のところであり、根源的(こんげんてき)には、不幸や苦しみの原因は、間違った宗教にあるということも、できます・・。

そうではなく、苦しみの解決には、自分の中の無限の可能性に目覚(めざ)め、それを開花させて、自分自身が変わっていく必要がある・・・!

言葉では、わかるけれど、そんな難(むずか)しいこと、やろうとしても、できた話しではありません。

でも、苦しみを解決する力は、自分の中にある・・!

その力を開花するしかない。

実は、自分の中の力を開花していける、決定的で唯一(ゆいいつ)の方法と言ってもいいのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

この創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法のスゴイところは、「苦しみの解決のために、自分の中の無限の可能性に目覚(めざ)め、それを開花させて自分自身が変わっていく」・・とか、小難(こむずか)しいことなど考えなくても、実際に、創価学会のご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、現実に自分自身が変わっていく!ということです。ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、現実に自分の中から、無限の可能性が開花していく!ということです。

ここに、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の、他の宗教とは決定的に違(ちが)う、大きな価値(かち)と必要性がでてくる。

理屈(りくつ)など、なんにもわからなくても、素直に、真剣に南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、現実に悩みや苦しみを解決していける!ということです!

だから、創価学会は、世界192カ国に広がっていると言えます。

そして、もっとスゴイことは、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰によって、自身が変わっていくことによって、周囲の人々や社会をも幸福にしていくことができる!ということです。

べつに、そんな立派(りっぱ)なことは考えないとしても、自分の悩みや苦しみを解決するために、真剣にご本尊に南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、それは、自分の中から苦しみや悩みを解決する力を湧(わ)き上がらせることになり、そのことによって、自分自身をより良く変革(へんかく)していってしまう。

自分が変わることによって、周(まわ)りの人たち、家族や会社、地域や社会をも変えていくことにつながり、やがて、世界を平和に幸せにしていくことに、つながっていく。

それが、創価学会の、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)なんです。

世界に平和と幸せをもたらす、これほど確実で、これほどスゴイ力(ちから)はないんです。

一人一人の悩み、苦しみを解決していく。そして、ひとりひとりの夢や希望をかなえていく。そのひとりひとりを着実(ちゃくじつ)に幸せにしていくことによって、その幸せの影響力(えいきょうりょく)は、また一人、また一人へと伝わり、やがて大きな幸せの波動(はどう)となって、世界を満(み)たしていく。

それができる、決定的で唯一(ゆいいつ)の法則(ほうそく)であり、力であり、エネルギーと言えるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです。

だから、人々を、世界を幸せにしていくことができる。


池田先生が言うように、苦しみを根本的に解決する力は、自分の外にあるのではない。内なる無限の可能性に目覚(めざ)め、それを開花させる中で自分が変わっていくしかない。

その自分の中にある可能性を、無限に、どこまでも開花させていけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰なんです・・。


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ひまわりの種279 [悩み]

創価学会のある婦人が、言っていたそうです。

「自己(じこ)の宿命(しゅくめい)に泣き、赤貧洗(せきひんあら)うが如(ごと)き生活状況から信心を始めた私たちが、人を救い、社会を変えるために歩き回るようになるなんて、夢のような話でした。
しかし、それが、そのまま現実に功徳(くどく)の実証(じっしょう)となって、見事(みごと)なる常勝の源流(げんりゅう)を築(きず)いていったのです。」

池田先生が、言っています。

『妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)の功力(くりき)は絶対である。
自分が苦しみながら、祈り悩んだ分だけ、仏(ほとけ)の智慧(ちえ)と力を出せる。』

現在はどうかわからないけれど、昔は、創価学会に入る人は、決して、恵(めぐ)まれた人とは言えなかった。
世間からは、創価学会のことを「貧乏人(びんぼうにん)と病人の集まりだ」と言われもした。

けれど、その人たちが、世界192カ国に広がり、世界中が賞賛(しょうさん)する、素晴らしい創価学会を、作り上げてきた。

それはなぜか?と言えば、創価学会の信仰が、完全に現実と直結(ちょっけつ)しているからです。

苦しければ、苦しい分、真剣に創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰をやっていくと、その分、大きな力と智慧(ちえ)が出て、悩みや問題を解決でき、幸せになっていける。すべての悩みが、幸せになるバネとなって、その人を飛翔(ひしょう)させ、開花していける。

人間として、なんの矛盾(むじゅん)もなく、ありまままの自分で、南無妙法蓮華経をとなえ、仏法の実践活動である創価学会の活動をやっていくことによって、その分、すべて、自分にプラスの、幸せの結果として返(かえ)ってくる。

すなわち、悩みや問題を解決でき、夢や希望も、かなえていけるようになっていく。
ひとりひとりの人生と直結し、それぞれが違(ちが)う現実の悩みを、それがどんな悩みであっても、ことごとく解決していける。

人は、悩みや苦しみ、困難(こんなん)があると、たしかに辛(つら)いです。けれど、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、ただ辛(つら)いだけでは終わらない。

もし、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践(じっせん)していなかったとしたら、普通は、悩み、苦しみ、困難に対して、悩みはするし、なんとかしたいとは思うけれど、それを、どういうふうに克服(こくふく)していいか、わからない。ただ、ほっとくか、そのまま、引きずって生きるしかない。また、それを現実的に開いていく活路(かつろ)がないのが、世の中だと思う。

だから、ほとんどの人が、そのまま、人生を終わってしまうのが、世の常(つね)だということもできます。

ところが、創価学会の人たちは、違う!

創価学会の人たちには、ご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰があるからです。

苦しければ、苦しいほど、辛(つら)ければ辛いほど、その分、人は、必死になる。
だから、必死に、ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえて祈ることができる。

創価学会のご本尊は、幸せを増幅(ぞうふく)する幸福製造機(せいぞうき)のようなものだから、真剣に、ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえることができたなら、その人の生命から無限のエネルギーを引き出す結果となり、大きな幸せと勝利をもたらすことができる。

だから、悩みや辛さ、苦しさが大きいと、その分、真剣にご本尊に南無妙法蓮華経をとなえていけるので、勝利のエネルギー、幸せのエネルギーを、その分、余計(よけい)に、無限に引き出していくことができるようになる。

だから、悩みや苦しみが大きければ、大きいほど、逆にそれをエネルギーにして、幸せを勝ち取ることができる。

だから、ありのままでいい。ありのままの自分が、幸せをつかむ宝塔(ほうとう)となって、輝(がかや)き、勝利していける。

そういうスゴイご本尊であり、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)が、創価学会の信仰なんです。

現実のままに、ありのままの自分で、ありのままの思いを、ご本尊にぶつけ、祈っていく。そのことが、そのまま、自分の最高の幸せ、最高の勝利、最高の結果へと、つながっていく。

そういう現実と完全に直結(ちょっけつ)した、自分の人生と完全にマッチしていける、完全無敵(むてき)の幸せ製造機(せいぞうき)のような信仰が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰なんです・・・!


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