ひまわりの種276 [悩み]

創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰をやってみるきっかけは、いろいろ、あると思うけれど、何かの悩みや問題があって、その解決(かいけつ)のために創価学会の信仰をやりだした場合が、多いかもしれない。

そして、その悩みや問題が、ことごとく解決していくから、創価学会は広がり、世界192カ国にまで、発展(はってん)している。

それは、現実に、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰に、悩みや問題を解決していく、大きな大きな力(ちから)と無限の可能性があるからだけれども、別の観点(かんてん)から、悩みや問題が解決できる理由を考えることもできる。

それは、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰が、間違(まちが)いのない、人々を幸せにできる、本当に正しい、正義(せいぎ)とプラスの信仰だと言うことですが、それとは逆(ぎゃく)に、葬式仏教(そうしきぶっきょう)にしても、神社信仰にしても、観光宗教にしても、日本にはびこっている、それらの宗教は、あきらかに間違(まちが)った宗教であり、人々を不幸にする宗教だということです。

それらの葬式仏教(そうしきぶっきょう)や神社信仰、観光宗教が間違った宗教であることは、ちょっと考えれば、わかりますし、仏法哲学(ぶっぽうてつがく)をひもとけば、完全に間違った宗教であることが、わかります。

間違った宗教に祈るということは、その間違った宗教に、自分の生命と人生を、ゆだね、ささげていくことになります。間違った宗教に自分の生命と人生を、ゆだねていけば、当然(とうぜん)、自分の生命と人生は、間違った、デタラメなものになっていく。

自分の生命と人生が、間違ったデタラメなものになっていったら、その当(あ)たり前の結果として、さまざまな不幸が、もたらされてしまいます。

それが、葬式仏教や神社信仰、観光宗教などの間違った宗教です。

だから、そのような宗教にかかわってきたということは、当然、その間違った宗教の悪影響(あくえいきょう)と害毒(がいどく)を、自分の人生に受けていくことになります。

だから、先祖代々、受け継(つ)がれている宗教が、さっきも言ったように間違った、人を不幸にする宗教である場合、その悪い影響、弊害(へいがい)を、自分の人生と生命に受けてしまうということが、できます。

また、自分が過去世(かこせ/過去に生きていた時代)にかかわった宗教が、間違った悪(あ)しき宗教であったがゆえに、その間違った影響、さまざまな不幸を背負(せお)って、自分が生まれてしまったと、考えることもできます。


人は、悩みの根本原因までは、考えがおよびませんが、さまざまな悩みや苦しみ、不幸は、間違った宗教から起ってくると、断言(だんげん)することができます。

ところが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰につくということは、逆に、その、自分が今までかかわってきた間違った宗教を捨てて、断(た)ち切ることを意味しています。

不幸の根源(こんげん)には、その間違った宗教があるわけですから、悩みや苦しみ、不幸の根本的な原因は、その間違った宗教にあるわけです。ところが、その間違った宗教を捨てるということは、その不幸や悩みの根本原因を、捨てることになります。不幸の根本の原因を捨てたんだから、それは、結果として、不幸や悩みを消(け)し去(さ)ることになります。

原因がなくなれば、それは結局(けっきょく)、悩みや問題を解決することになっていきます。

そう考えると、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰をやっていったとき、ことごとく悩みや問題を解決していけ、それがかりに大変な悩みや問題であっても、創価学会の信仰を真剣にやっていくことによって、解決していけるのも、納得(なっとく)いくかもしれません。


問題は、宗教には、正邪(せいじゃ)がある!ということです。

間違った宗教をやっていけば不幸になるし、正しき宗教をやっていけば、幸せになります。

その間違った、人を不幸にしてしまう宗教が、日本にはびこっている葬式仏教や神社信仰、観光宗教などです。

人は、このことに、早く気づくべきでしょう。

そして、どんな不幸も、悩みも打ち破(やぶ)り、夢や希望をかなえて、太陽のような幸せを勝ち取っていける、唯一(ゆいいつ)、真実に正しい宗教と言えるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!


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ひまわりの種275 [悩み]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『なぜ、自分の人生は、苦悩ばかり続くのだ。あまりにも不公平(ふこうへい)だ!と、暗雲(あんうん)を仰(あお)ぐ思いで宿命(しゅくめい)を嘆(なげ)く人もいよう。

仏法(ぶっぽう/創価学会の南無妙法蓮華経の仏法)では、生命の因果(いんが)の理法(りほう)によって、その原因を明快(めいかい)に説き示(しめ)している。
過去世(かこせ)からの自身の言動や心が、宿業(しゅくごう)を形成する。そして、現在の自身の生き方が、未来を決していく・・・と。

さらに、日蓮仏法では、過去の宿業を今生(こんじょう)で転換(てんかん)し、絶対的幸福を築(きず)く直道(じきどう)を明かしているのだ。しかも、自身のあらゆる「宿命」は、それを転換(てんかん)して幸福の実証(じっしょう)を示し、人びとに希望と勇気を与(あた)えるための、尊(とうと)き「使命」となることを教えているのである。』

ちなみに、宿業(しゅくごう)とは、自分の人生と生命に宿(やど)ってしまっているような悩みや苦しみ、不幸を形づくる決定的とも言えるような現象(げんしょう)や環境(かんきょう)など、どうしても避(さ)けられないような自分のもっている悩みや苦しみの根本原因のようなものだと思います。


『なぜ、自分の人生は、苦悩ばかり続くのだ。あまりにも不公平だ・・。』

それほど、大げさではなくても、そういうことを考えることも、あるかもしれない・・。

そんなこと、考えたくはないけれど、なぜだか考えてしまうこともある。

けれど、答えは、どこにも見あたらない・・。
人に文句(もんく)を言っても、愚痴(ぐち)を言っても、どうにもならない。

けれど、やはり、それには原因(げんいん)がある。理由がある・・。
だれも、答えようとはしないけれど、なにかの原因が存在(そんざい)している。

その原因と解決策を、明確に、みごとに説(と)いたのが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。

池田先生が言うように、生命には因果(いんが)があり、過去世からの自身の言動や心が、宿業を形成する。そして、それは継続(けいぞく)し、現在の自分の生き方が未来を形づくっていく。

口で言うのは、たやすいけれど、現実は、生(なま)やさしくない。ひとりひとりの抱(かか)える宿業や悩みは、計(はか)り知れないし、大変な苦難をともなうこともある。理屈(りくつ)など、到底(とうせい)、通用(つうよう)しないこともある。

問題は、はたして、その現実の悩み、苦しみ、宿業を、解決することができるかどうか・・・?

これしかない・・!

そして、その『現実』を変えることができるから、創価学会は広がっている・・!

ここに、決定的な創価学会の価値(かち)と必要性が存在している。

世間では、いろいろなことを言う。偉(えら)そうなことを言う人もいる。いかにもそうだと思うような素晴(すば)らしいことを言う人もいる。

けれど、そこに、現実を変えていく確証的(かくしょうてき)なもの、決定的なものは存在しない。

その時まかせの、その時だけの話しとして終わってしまう。

だから、それらは、結局、現実を変える力、悩みや不幸を根本から変える力にはならず、人生は過(す)ぎていく。それが世の中であり、現実のありさまだと言うこともできます。

悩みや苦しみ、不幸を解決する決定的なものを、だれも示(しめ)すことができない。

だから、世の中には、不幸が溢(あふ)れている。

その不幸を打ち破(やぶ)る、悩みや苦しみを、決定的に解決する、現実的に幸せという結果をもたらす唯一(ゆいいつ)の方法といえるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

だから、人々は、創価学会の仏法の信仰を、やるんです!!

理屈がどうとかではなく、どんな人でも、年寄(としよ)りでも子供でも、どんな人の悩みでも解決していける方途(ほうと)と現実の結果が出るから、世界中に創価学会は、広まっているんです。

もっと言えば、不幸を打ち破る、悩みや苦しみを根本から解決できる方法が、これしかないから、創価学会の信仰をやるんです。

ここに、創価学会を、燦然(さんぜん)と輝(かがや)かせる大きな理由がある。また、だから、世界の有識者たちは、創価学会を大絶賛(ぜっさん)し、大きな期待をたくしている。

その、自身の生命を、輝かせ、悩みや困難を解決し、無限の可能性を開いていける、決定的で唯一(ゆいいつ)の力といえるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・。


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ひまわりの種270 [悩み]

日蓮大聖人が、言っています。

『煩悩(ぼんのう)の薪(たきぎ)を焼(や)いて菩提(ぼたい)の慧火(えか)、現前(げんぜん)するなり。』

自分なりに解釈(かいしゃく)してみると、さまざまな煩(わずら)わしい悩みから逃げるのではなく、その煩(わずら)わしい悩みの薪(たきぎ)を燃やしていくことによって、菩提(ぼだい)という悟(さと)りの智慧(ちえ)の炎(ほのお)が、自分の中から現実に現(あらわ)れてくる。

だいたい、こんな意味ではないかと、思う。

この言葉について、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。

『「煩悩(ぼんのう)」とは悩みの根源(こんげん)であり、「菩提(ぼだい)」とは悟(さと)りのことです。悩みを消し去るのではなくて、逆に、それを「燃料(ねんりょう)」として燃やすことで悟りの智慧(ちえ)の炎が現(あらわ)れる。

大きな悩みが、自分を大きく成長させるのです。また、悩みがあるから、同じように苦しむ人の気持ちが分(わ)かる。その人たちのために尽(つ)くしていくこともできる。』

池田先生が言っていますが、これは、悩みを、幸せと勝利に変えていく『変革(へんかく)の原理(げんり)』だそうです。


人は、だれでも悩みはある。

また、正直、なかなか解決しない悩みもある。

人は、悩みが、なかなか解決しないから、苦しみを感じ、不幸を感じることが多い。
また、悩みが大きければ大きいほど、その途方(とほう)もない悩みに、押(お)しつぶされそうな気持ちになり、強い強い不幸を感じる場合もある。
また、悩みから逃げてしまい、すべてを軽(かる)く流し、逃避(とうひ)してしまう場合もある。

きっと、その人にとっては、そうするしかないのかもしれない。

よく、へんな宗教では、煩悩(ぼんのう)を消滅(しょうめつ)するとか、無になるとか言う場合がありますが、あんなのはウソです。デタラメです。

煩悩を消滅して、どうなると言う。無(む)になって、どうなるという。それで生きていけるのか。幸せになっていけるのか?、勝利していけるのか?

答えは、ノーです。
だいたいにおいて、人間である以上、煩悩を消滅するとか、無になるなんてことは、できませんが、それができると言うのなら、その人は、キチガイか、嘘(うそ)つきです。

また、そんなことを言って、偉(えら)ぶっている人がいるとしたら、ペテン師であり、信じたら不幸になります。

池田先生が言うように、本当の仏法(ぶっぽう)は、違う!!創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰は、違(ちが)うんです。

本当の仏法は、悩みから逃げるのではなく、悩みの炎(ほのう)を燃やして燃やして、そこから勝利と幸せを生み出していくんです。

そう言われても、わからないかもしれません。
また、そんなこと、できないと、言うかもしれません。

けれど、実は、悩みの炎を燃やしていくことによって、自分の生命と境涯(きょうがい)を変革し、現実に幸せと勝利を勝ち取っていけるのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

たとえば、困難(こんなん)な悩みがある。その時、創価学会の人たちは、『よし!この悩みを、必ず解決してみせる!!』と決意し、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる信仰と、仏法の実践活動である創価学会の活動に挑戦していく。

南無妙法蓮華経を、となえることは、自分の生命を蘇生(そせい)させ、変革していく行為(こうい)なので、実際、南無妙法蓮華経を、となえていくと、自分の生命が歓喜(かんき)していく。そして、勇気が出てきて、さまざまな知恵がわき上がり、悩みに、人生に、積極的に挑戦していけるようになっていく。そして、仏法の実践活動である創価学会の活動をやっていくことによって、自分の生命と境涯は、現実に変革させていき、境涯がより良く変わっていく!そして、自分の生命と境涯が変革されていくことによって、あらゆる悩みも、解決されていってしまう。

また、自分の境涯が変わっていくので、職場や家庭など、環境(かんきょう)もより良く変わっていき、あらゆることが幸せに変革されていく。

それが、できるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです。

それが、できるから、強いんです。

だから、創価学会の人たちは、悩みがあっても、逃げない!!
立ち向かっていく!!

なぜなら、南無妙法蓮華経の仏法の信仰があるからです。
この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰によって、必ず、乗り越(こ)えていけるからです。

また、それが、「悩みの薪(たきぎ)を燃やしていく」ということなんです。


だから、自分に悩みが降(ふ)り掛(か)かってきた時、もちろん、辛(つら)いけれども、『よし、創価学会の信心で解決してみせる!!』と、逆に 悩みの薪(たきぎ)を燃やして、挑戦していく。

そのことによって、現実に悩みが解決し、自分の人生と生命が、幸せに好転(こうてん)していくからです。

それが、悩みから逃げるのではなく、悩みの薪(たきぎ)を燃やして、逆に、幸せと勝利を勝ち取っていく、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!


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ひまわりの種266 [悩み]

聖教(せいきょう)新聞に、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が掲載(けいさい)してくれている新・人間革命に書いてありましたが、 昔、日本で大学紛争(ふんそう)が、大きなうねりになろうとしていたころの話しですが、ある大学生が、創価学会の座談会(ざだんかい)に参加した感想を語っています。

・・・・・・・・・

『そこには(創価学会の座談会には)、笑いが弾(はじ)け、感動の涙があり、賞賛(しょうさん)と励(はげ)ましの温(あたた)かい拍手(はくしゅ)があった。大病を患(わずら)ったが、信仰を心の支(ささ)えに病に打ち勝ったと、喜びの涙にむせびながら、仏法(ぶっぽう)の偉大(いだい)さを訴(うった)える婦人もいた。
また、僧侶(そうりょ)でもない、「普通のおじさん、おばさん」が、他人の幸福のため、社会のために働く喜びを、力強く語っていた。そうした姿(すがた)に彼は驚嘆(きょうたん)した。

当時、東京大学医学部の紛争(ふんそう)が次第(しだい)に激化(げきか)し、大学紛争が大きなうねりになろうとしていたころである。時代、社会の変革(へんかく)は、多くの学生たちのテーマであり、彼にとっても、大きな人生の課題(かだい)であったのである。

彼は、思った。
学会(創価学会)は、民衆という社会を支える土台(どだい)から変革している!
しかも、人間の精神という内面からの変革を実際に行(おこな)っている!


・・・・・・・・・

民衆という社会を支える土台から変革している・・・!
当時の学生らしい表現ですが、ようするに、最も底辺(ていへん)で苦しんでいるような庶民、最も悩み多く、社会から見放(みはな)されがちな多くの庶民を、現実に幸せにしてきた!ということです。それらの人たちの解決することが困難(こんなん)で見放されがちな悩みや問題、貧乏(びんぼう)や病気、家庭不和(ふわ)など、それらの普通だったら解決できず、ほっておくしかないような問題を、ことごとく解決してきた!ということです。

貧乏人は裕福(ゆうふく)になり、病人は、健康になっていった。そして、それぞれが、幸せを勝ち取っていった・・!

それが、『民衆という社会を支える土台から、変革している!』ということです。

彼は、続けて言っている。
『しかも、創価学会は、人間の精神という内面(ないめん)からの変革を実際に行っている!』

内面からの変革と聞くと、あまりピンとこないかもしれません。

実は、さまざまな悩みや不幸の根底(こんてい)には、必ず、自分の内面からの問題があり、この内面からの変革がないかぎり、ほとんどの悩みや不幸は、本当には解決していかないと言えます。

けれど、そんなこと言ったって、自分に降(ふ)り掛(か)かってきた悩みや不幸に対して、そんな難(むずか)しいこと考えている人などいないと思います。現実の悩みや不幸の中、その時その時、生きるのに必死で、それどころではないと思います。

そういう最も苦しんでいる人たちに、そんな難しい理屈(りくつ)は、わからなくても、自分でやってみることによって、現実に結果が出て、自分の生命で体験して、体験すると同時に自分自身をより良く変革していってしまうのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

現実の結果ほど、人の心を動かすものはない。

本当のところは、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰によって、自分の生命が変革され、・・ということは、自分のこころと生命、自分の内面から変革がもたらされるから、さまざまな悩みや問題を解決していけるんですが、そんなこと、考えなくても、実際、やってみることによって、悩みや問題が解決していく。現実に自分の生命が歓喜(かんき)し、感じ、自分の人生において明確な結果が出るから、人は感動し、こころが高揚(こうよう)し、より一層(いっそう)、自身の内面と生命の変革に、挑戦していくようになっていく。そのことによって、さらにまた幸せになっていける。

その大きなうねりが、創価学会を世界192カ国に、広げていった。

それが、その大学生が言う、『創価学会は、人間の精神という内面からの変革を実際に行っている!』ということなんです。

そのことに注目した多くの世界中の識者たちが、創価学会を絶賛(ぜっさん)し、希望と期待を、たくしている・・!

だから、世界の一流の識者たちは、創価学会インターナショナル会長である池田先生に、こぞって、会いたがり、実際に会い、多くの価値的(かちてき)な対談を行っている。

それが、最も苦しんでいる人を幸せにしていくことのできる、最も悩んでいる人の悩みを、現実に解決していくことのできる、そして、自身の生命の根底から変革し、そのことによって、世界中のどんな人でも、人生に勝って幸せにしていける、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!!


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ひまわりの種262 [悩み]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が聖教(せいきょう)新聞に掲載(けいさい)してくれている新・人間革命に、ある婦人の話しが、のっていました。


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彼女は、学会活動(創価学会の活動)に励(はげ)むなかで、仏法(ぶっぽう)対話する先輩(せんぱい)の、確信の強さに驚嘆(きょうたん)した。 どんな大変な悩みを聞かされても、「必ず解決します!」「乗り越(こ)えられます!」と断言(だんげん)するのである。

そして、創価学会の信心をした人には、事実、その言葉通りの結果が表(あらわ)れるのだ。そうした現象(げんしょう)を目(ま)の当(あ)たりにするなかで、彼女もまた、仏法への確信(かくしん)を強めていった。

学会活動に参加し、多くの人の体験を知ることは、確信という信仰の骨格(こっかく)をつくる直道(じきどう)といってよい。

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世の中には、デタラメな宗教が多い。まやかしのデタラメな宗教が氾濫(はんらん)していると言っていいと思います。
だから、創価学会の人が『必ず、解決します!』『乗り越えられます!』と言っても、信じられないかもしれない。また、世の中には、創価学会に対するデマカセのデマが横行(おうこう)しているので、どうしても、創価学会の人が言う話しを信じようとしないのかもしれない。

けれど、どういう気持ちであっても、藁(わら)をもつかむ思いで、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を実際、実践(じっせん)してみた結果、現実にそれらの悩みが解決していく。その結果に感嘆(かんたん)し、歓喜(かんき)して、創価学会の仏法の信仰は、広まってきたわけです。

その現実にもたらされた結果を正しく評価(ひょうか)し、創価学会の仏法の信仰に、人間をより良く向上(こうじょう)させていく力があることを認(みと)めているから、世界の多くの有識者が、創価学会を尊敬し、賞賛(しょうさん)しているわけです。

世の中には、いいかげんなデマが横行(おうこう)しているので、マイナスイメージで創価学会を見る場合も、多いかもしれない。特に、日本は、そのようなマイナスのデマが多すぎる・・。

けれど、よく考えてほしい・・!

それにもかかわらず、創価学会は、どんどん広がり発展している。

本当に世の中のデマが正しかったら、創価学会が、これだけ発展することは、ありえない!!!

そう考えたとき、デマは間違(まちが)えであり、偽(いつわ)りであると考えるべきです。

そして、なぜ?創価学会が広がってきたかといえば、それは、現実に結果が出るからです。結果ほど正しいものはないし、結果ほど信じられるものはない。

『悩みを解決できた!』『困難(こんなん)を乗り越えることができた!』という体験が、民衆にあふれ、多くの感動と共鳴(きょうめい)と歓喜(かんき)をもって、人々に広がっていった。

ゆえに創価学会は広がり、現在、世界192カ国に広まっている。

人は、やってみないとわからない。なぜなら、やってみなかったら、絶対、結果は出ないからです。

けれど、やってみて、もし、結果がでたら、それが真実だと認(みと)めることができる。

だから、ともかく、やってみることだと思う。

現実に結果がでる信仰を・・!

悩みを必ず、解決できる信仰を・・!

そして、どんな困難も乗り越えて、幸せを勝ち取っていける信仰を・・!


だから、創価学会の多くの人たちは、言います。
その悩みがどんな大変な悩みであっても、どんな困難な壁(かべ)があったとしても、

『必ず、解決します!!』
『乗り越えられます!!』

・・・と、強い強い確信を込(こ)めて・・・。


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ひまわりの種251 [悩み]

以前、聖教(せいきょう)新聞の、新・人間革命に書いてあったけれど、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、ある創価学会に入会したけれど、ほとんど創価学会の信仰をしていなかった方に、言ったそうです。

『直井君は、何も悩みのない顔をしているね。物事に正面から立ち向かい、悩み、もがいて、前に進もうという覇気(はき)が感じられないんだよ。それでは、本当の力も発揮(はっき)できないし、人生の醍醐味(だいごみ)も、信心の力も、わからずに終わってしまうよ。せっかく入会したんだから、とことんまで信心してみようよ。』

創価学会に入ったからといって、急に悩みがなくなったり、大金が入ってきたりとか、そんな棚(たな)ぼたみたいなことは、当然、ありません。もちろん、創価学会自体が、宇宙の法則(ほうそく)にかなった、生命の法則にかなった幸せのリズムの中に存在していると言えるので、その創価学会に入ったという自分の姿勢(しせい)と心によって、さまざまなことが、より良く幸せの方向に改善(かいぜん)されていくということは、多々、あります。

というのも、創価学会に入る前は、間違(まちが)った宗教などによって、宇宙の法則や生命の法則に逆(さか)らった生き方をしてきたと言えるので、その間違った宗教を捨て、宇宙と生命の、幸せの法則とリズムにかなった創価学会に入ったということで、生命の方向性が、ガラリと変わって幸せに向いたということが、言えるからです。

だから、創価学会に入ったという姿勢によって、人生の方向性が幸せに向いていくことは、事実です。

かといって、創価学会に入ったからといって、何もしなかったら、悩みも解決しないし、自分の望む幸せに向かって、なにも良くなってはいかないとも、言えます。

創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰が、何がスゴイかと言えば、それは、悩みを真っ正面(まっしょうめん)から受け止め、その悩みに立ち向かっていくこができる!ということだと思います。そして、その悩みを解決し乗り越(こ)えていくことができる。

現代という時代は、悩みを悩みとして受け止められないような風潮(ふうちょう)があると思います。悩みを受け止められない。だから、前に進めない。ただ、すべてを軽(かる)く流し、一見(いっけん)、楽しそうだけれど、立ち向かえないで逃げていってしまう。壁(かべ)を乗り越えようとしないし、 乗り越えられない。だから、いざという時に、困(こま)ってしまい、とんでもないことをしでかしたり、命を捨ててしまうようなこともある。

悩みを悩みとして受け止められないから、希望がない。希望が見えない。未来を変えていくことが、できない・・・。

ここに、現代という時代の大きな問題があるのかもしれない・・。

創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰のスゴイところは、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中から強い強い生命力が、湧(わ)き上がってくる。その自分の中からわき上がってきた生命力によって、どんなことでも受け止められるようになってくる。

そのことによって、自分が幸せになることを阻(はば)んでいる悩みを、真正面から見つめることができるようになり、その悩みの解決に挑戦していけるようになっていく。そして、その悩みを現実に解決していける大きな大きな力があるのが創価学会の仏法なので、現実に悩みを解決し乗り越えていくことができる。

それは、自分が、ワンランク上の幸せを、つかんだ!ということです。

そのように、さまざまな悩みに対峙(たいじ)し、それらの解決に挑戦し、より幸せな境涯(きょうがい)に変わっていくことができる!!

ここに、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の素晴(すば)らしさ、スゴさ、幸せになっていける決定的な力とエネルギーがあると思います。

悩みは、だれでもあるでしょう。

けれど、その悩みから逃げていたら、幸せに変わっていくことは、できない。なんとなくフワフワと生きていくことはできるかもしれないけれど、本当の人生の醍醐味(だいごみ)、歓喜(かんき)、感動を味わうことはできない。

それは、本当の幸せをつかめないことを、意味しています。

でも、それでは、かわいそうだ。

本当の歓喜。
本当の充実(じゅうじつ)。
本当の生きる価値(かち)。
本当の生きる力(ちから)

そのいい知れない歓喜・・! 感動・・ 清々(すがすが)しい幸せ・・!

その計(はか)り知れない喜びを味わって生きていけるのが、悩みに立ち向かい、解決し、夢や希望に向かって、無限に向上(こうじょう)していける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!


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ひまわりの種229 [悩み]

近代日本を代表する思想家・吉野作造が、言っています。

『生命の力(ちから)が実は一切(いっさい)の矛盾衝突(むじゅんしょうとつ)を解決していくものであることを忘れてはならない。したがって又(また)我々の生活に於(おい)ては、この生命力の涵養(かんよう)を怠(おこた)ってはならない。』

ちなみに、涵養(かんよう)とは、水が自然に染(し)み込(こ)むように、無理をしないでゆっくりと養(やしな)い育てることだそうです。

生命の力が、実は、一切の矛盾や衝突を解決していく!

昔の人なので、表現は古いかもしれないけれど、この言葉は、確かに真理(しんり)をついているし、また重要な示唆(しさ)を含(ふく)んでいると思う。

生命の力が矛盾や衝突を解決していく・・・。

矛盾とか衝突というと、わかりにくいかもしれないけれど、ようするに、人生における、さまざまな悩み、また人生で出くわす困難(こんなん)やさまざまな問題。また、病気など健康上の問題も含(ふく)まれると思う。

それらの悩みや問題、あるいは、夢や希望をかなえていくためのさまざまな問題にしても、実はその問題の解決には、『生命の力(ちから)』が必要だということだと思う。

本質的には、この『生命の力』によって、あらゆる問題や悩みの解決が可能であり、・・ということは、人生において幸せをつかんでいくためには、どうしても、この『生命の力』『生命力』が必要となってくると、いうことです。

また、『生命力』には、無限の可能性があり、生命力しだいでは、大きな希望や夢も、つかんでいけることになる。

だから、人生において、本質的に、決定的に、どうしても必要となってくるのが、『生命力』なんです!!

ところが、この『生命力』を強くしていく方法が、わからない・・。
「生命力」を強く元気にしていく、具体的な方途(ほうと)が見当(みあ)たらない。

だから、人は、生命力が重要だということがわかったとしても、そんなことは考えず、なるがままにしか、生きていくことができないのも、現実だと思う。

だから、その『生命力』を決定的に強くしていく方法が、見つかれば良いわけです・・!

なぜなら、それは、幸せをつかんでいく、決定的なものに、なっていくからです・・!!

その生命力を、無限に強く、元気にしていける、決定的で唯一(ゆいいつ)の方法といっていいのが、実は、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!

結論から言うと、だから、創価学会の人たちは、幸せになっていけるんです!
悩みや問題を解決し、そして、夢や希望をつかんでいけるんです!!

思想家・吉野作造が言うように、生命の力によって、実は一切の矛盾衝突(むじゅんしょうとつ)を解決していくことが、できる!
ゆえに、創価学会の人たちは、南無妙法蓮華経をとなえゆく信仰によって、病気など身体的な悩みにしても、貧乏など経済的な悩みにしても、人間関係の悩みなど環境(かんきょう)をはらんだ悩みにしても、その、あらゆる悩みや問題を、ことごとく解決し、幸せを、つかんでいけるんです。

それが、悩みの解決や夢の実現のために、一切の矛盾や衝突を解決していける、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰であり、 また、生命力を無限に強くしていける唯一(ゆいいつ)の方法であると、言っていいでしょう・・!


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ひまわりの種226 [悩み]

19世紀のフランスの文豪(ぶんごう)・デュマの名作『モンテ・クリスト伯(はく)』の中で、こう言っています。

『人智(じんち)のなかにかくれている、ふしぎな鉱脈(こうみゃく)を掘(ほ)るためには、不幸というものか必要なのだ。』

・・・と。

不幸はいやだし、嫌(きら)いだけれど、悩みや苦しみは、確かにそれを乗り越(こ)えようとしていった時、真剣に挑戦していくことによって、大きなものを学び、自分にとっての大きな財産を手に入れられることが多いと思う。

池田先生(創価学会インターナショナル会長)も言っています。

『皆も、苦しみに負けてはいけない。言うに言われぬような苦難と戦ってこそ、「智慧(ちえ)の鉱脈(こうみゃく)」を見つけることができる。』

苦難(くなん)は、その人から、大きな力(ちから)を引き出してくれる・・。

確かに人間の可能性は、無限(むげん)だし、計(はか)り知れない。
その無限の力を引き出していくためには、確かに、苦難や悩みが必要なのかもしれない。

人は、不思議(ふしぎ)と、悩みや苦しみがあるほうが、真剣になるからです。

そう考えると、デュマが言うように、不幸というものが時には、必要なのかもしれない。

といっても、別に不幸を賛嘆(さんたん)しているわけではない。絶対、不幸はないほうがいいし、不幸が好きな人なんていない!

別の言い方をすれば、不幸の中に幸せの鉱脈が、かくされているというのなら、たとえ、現在、自分に不幸が降(ふ)りかかってきたとしても、それは、「不幸」ではなく、幸せをつかむための「試練(しけん)」と考えることもできる。

そう考えて、希望を持ち、心を強く、人生を挑戦していった時、その試練を乗り越えた時、人は大きな幸せを、つかむことができるのかもしれない。

けれど、人は、状況(じょうきょう)に左右されやすい。自分に不幸が降(ふ)りかかってきた時、その状況だけが、心を覆(おお)い、意気消沈(いきしょうちん)し、絶望してしまうことも、まま、ある・・・。

また、心情的(しんじょうてき)に、人は、そういう生き物なのかもしれない。

けれど、本当は、不幸の中に幸せが、かくれている。不幸の中に、ふしぎな幸せの鉱脈(こうみゃく)がある・・!

だから、その鉱脈を、掘(ほ)り当てなければならない!

だから、状況や環境(かんきょう)、絶望や苦難に負けない、強い強い、生命の力(ちから)が、求められる!!

その鉱脈を掘(ほ)り当てる、絶望や苦難を必ず乗り越えていける決定的な方法が、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!

これほど、スゴイ力(ちから)は、ないんです・・!

ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中から、強い強い生命力、勇気や知恵が、湧(わ)き上がってくるんです!その生命の力は、計り知れない。そして、デュマが言うように、ふしぎな幸せの鉱脈を、つかんでいくことが、できるようになっていくんです。

※ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。

そのご本尊に南無妙法蓮華経を、となえていくことは、自分の生命の中の、幸せの鉱脈を掘り当て、開花させていくことと同じなんです。自分の中の無限の可能性、無限の力を引き出していく!

それが、南無妙法蓮華経を、となえていくことなんです。

だから、創価学会の人たちは、どんな苦難、どんな不幸な状況にあろうとも、真剣に、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、実際、ことごとく、苦難や不幸を打ち破(やぶ)り、幸せを勝ち取ってきているんです。

その勝利と幸せの証(あかし)が、世界192カ国に広がる創価学会になっているんだと思う。

・・・
だから、嘆(なげ)くことはない。
落ち込むことはない。
決して、絶望することはない。

この、創価学会の『ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰』があれば・・・!!!


それが、どんな不幸も、悩みも、苦難も乗り越え、その中から、幸せの鉱脈を無限に掘り出していける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種219 [悩み]

創価学会のある婦人が、言っていたそうです。

『貧乏(びんぼう)や病気で苦しんでいた私たちを、誰が励(はげ)ましてくれましたか。誰が立たせてくれましたか。
世間の政治家でも、評論家(ひょうろんか)でも、坊主(ぼうず)でもありません。

みんな学会じゃないですか。池田先生(創価学会インターナショナル会長)じゃないですか。たとえ、すべてを失(うしな)ったって、私は、先生の思いに応(こた)えるために、何度だって立ち上がりますよ!何度だってね!』

創価学会が、池田先生が、やってきたことは、架空(かくう)の話しでもなんでもない。単なる理屈(りくつ)や理想論(りそうろん)でもない。評論家や口だけの政治家が言うデマカセの耳障(みみざわ)りの良い話しでもない。

現実です・・!!
現実の人間です・・!!
現実の人間の悩みを解決し、蘇生(そせい)させ、その一人一人を幸せにしきってきたのが、創価学会であり、池田先生です。

病気や貧乏で、世の中から見捨てられたような人々を、だれが励(はげ)ましたか・・!

それらの病気や貧乏など、困難(こんなん)きわまりない問題を、解決する方途(ほうと)を示(しめ)し、現実に貧乏人は裕福(ゆうふく)となり、病人は健康に なっていった。また、そんな限定(げんてい)した話しではなく、ひとりひとり違(ちが)う、あらゆる悩みを、ことごとく解決し、また、人それぞれ違う夢や希望を、現実にかなえていく大きな力(ちから)となっていった。

それが、創価学会です。

ゆえに、創価学会は強い・・!

なぜなら、現実に一人一人の人間を幸せに変えていったからです。
現実にひとりひとりの悩みを解決してきたからです。
また、現実にひとりひとりの夢と希望を、かなえてきたからです。

これ以上の偉業(いぎょう)があるでしょうか・・・。

だから、たとえ、世間が、どんなデマで中傷(ちゅうしょう)しようとも、ひとりひとりが現実に幸せになっていった生命の輝(かがや)きと歓喜(かんき)が、こわされるはずがないんです。

それが、創価学会が、やってきたことです。

そして、その歓喜のうねりは、世界中に広がり、創価学会は、世界192カ国に広がっている。

そして、どこの国でも、どんな環境(かんきょう)でも、そのひとりひとりの悩みや問題を解決し、蘇生(そせい)させ、幸せにしているんです。

それが、創価学会であり、池田先生がやってきたことであり、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!!


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ひまわりの種215 [悩み]

スイスの哲学者(てつがくしゃ)、ヒルティが言っています。

『人間のなすあらゆる偉大(いだい)な精神的進歩というものは、まず信仰にもとづくものだ。』

また、池田先生(創価学会インターナショナル会長)も言っています。

『状況(じょうきょう)にのまれ、流されていくのか。状況に立ち向かい、改革(かいかく)していくのか。・・・それは、常に、人間に突(つ)き付けられている課題(かだい)である。
しかし、改革は至難(しなん)である。本当の信念と強靭(きょうじん)な意思力が求められるからだ。それを引き出す力が、信仰なのである。』

確かに、現代という時代、状況は厳(きび)しいことが多いかもしれない。その状況に流されていくのか・・。立ち向かい改革していくのか・・。これが人生における幸不幸を分(わ)ける分岐点(ぶんきてん)になると思う。

けれど、状況を改革していくためには、強靭(きょうじん)な意思と信念(しんねん)が必要となってくる。それこそ、ものすごいエネルギーが必要となってくると思う。

そのエネルギーを引き出す力(ちから)が、信仰なのだという。

けれど、信仰といっても、いろいろある。現実に状況を改革してける信仰。困難を打開(だかい)し、夢にむかって突き進んでいける信仰。そういう現実に即(そく)した力(ちから)ある信仰でないかぎり、なんの役(やく)にも立たない。

たとえば、日本の葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、また神社信仰にしても、現実に即(そく)した、現実を変えていける力など、ないことは明白(めいはく)です。それらの信仰は、ちょっと考えただけでも、デタラメな間違った宗教であるし、仏法哲学(ぶっぽうてつがく)をひもとけば、完全に間違った宗教であることが、わかります。

だから、それらの葬式仏教や観光宗教、神社信仰を、どんなに真剣にやってみたとしても、また仮(かり)に命がけでやったとしても、状況を改革する力などには、なりません。逆に、間違った宗教であるがゆえに、真剣にやればやるほど、さまざまな形で不幸という結果が出てきてしまいます。

だから、そんな信仰を、やるべきではない・・。

けれど、ヒルティは言っています。
『人間のなすあらゆる偉大な精神的進歩というものは、まず信仰にもとづくものだ。』
と・・。

池田先生も言っている。
『状況を改革していける強靭(きょうじん)な意志力を引き出すための力が信仰なのだ』と。

本当の信仰とは、そういうものなのだろう・・!

問題は、その状況を改革していける、強靭な意志力を引き出していける本物の信仰が、あるのか?ということです。

そういう信仰が求められる。

そして、その状況に立ち向かい、改革していける、強靭な意志力を引き出していける本物の信仰が、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

マスコミや世間には、流れないかもしれないけれど、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰が、どれだけ世の中を改革してきたか!どれだけ、人々の悩みや困難(こんなん)を打開し解決し、人々を幸せにしてきたか!本当に計(はか)り知れないと思う。

その創価学会の人たちの南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰による改革は、最高の信念による改革であるがゆえに、直接的にしろ、間接的にしろ、環境(かんきょう)や地域、世間に影響(えいきょう)を及(およ)ぼし、波及(はきゅう)し、どれだけ勇気と希望と幸せの力になってきたか、計り知れない。

それが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと思う。

ヒルティが『人間のなすあらゆる偉大な精神的進歩というものは、まず信仰にもとづくものだ。』と言いましたが、一人一人の人間にその偉大な精神的進歩を、成(な)し遂(と)げさせていくのが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法なんです。


・・・
確かにひとりひとりの状況や悩みは、困難なことが多い。

けれど、その一人一人の状況や悩みを打ち破り改革していける力(ちから)が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰にはあるんです。

池田先生が言う強靭(きょうじん)な意思力を引き出す力があるんです。

ゆえに世界中の創価学会の人たちが、さまざなな困難な悩みや状況を打ち破り、夢や希望をかなえて、幸せになっているんです。

それが、ヒルティが言う『偉大な精神的進歩』を可能にする、ひとりひとりが悩みや問題を解決していける、そして夢や希望に向かって、強靭(きょうじん)な生命力で突き進んでいける、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!


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