ひまわりの種232 [幸せ]

世の中に、才能があるひとは、たくさんいる。

けれど、その才能が生かされ、その才能に見合(みあ)う境遇(きょうぐう)や職業、生活や金銭面(きんせんめい)での処遇(しょぐう)を受けているか?といったら、そうでない人の方が多いのではないかと思う。

あれだけ才能があるのにどうして?と思うようなこともあるかもしれない。

才能などを充分(じゅうぶん)に生かし活躍(かつやく)している人と、そうでない人とでは、いったい何が違(ちが)うんだろうか?

それは、『福運(ふくうん)』です!!!

『福運(ふくうん)』とは、幸せをつくる元(もと)みたいなものです。

この『福運』が幸せをつくっていると、言えます。

だから、この福運があると、なぜだか、どんどん幸せになっていく。

福運がないと、どんどん、不幸になっていく。
また、福運がなくなると、どんなに努力しても報(むく)われることはなく、なぜだか落ちぶれていく。

実は、福運がなくなることほど、みじめなことはない。
福運がなくなると、幸せになることは、ないからです。

人は、幸せになるために努力はしているけれど、肝心(かんじん)なことを忘れている。

それは、幸せをつかさどるのは、『福運』だということです。

この福運があると、なぜだか、才能や個性を生かして、どんどん幸せになっていける。

だから、この福運をつけることが、幸せになっていくためにも、夢や希望をつかんでいくためにも、ものすごく重要になってきます。

その福運をつける唯一(ゆいいつ)の方法が、実は創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。
また、その福運をつけ、開花させていくために、仏法(ぶっぽう)の実践活動である、創価学会の活動があります。

理屈(りくつ)はともかく、南無妙法蓮華経をとなえゆくことは、福運をつける唯一(ゆいいつ)の方法なんです。

ほかの何をやっても、この福運だけは、つけることはできません!

創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰と、仏法に直結(ちょっけつ)した創価学会の活動でしか、福運は、ついてきません!

どんなに反発(はんぱつ)しても、これだけは、どうしようもありません・・・!

だから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、どうしても、必要になってくるんです。


その、『南無妙法蓮華経』とは、幸せの元(もと)みたいなものなんです。

南無妙法蓮華経を、となえていくと、自分の中に幸せの元(もと)が、どんどん貯(た)まっていく。幸せを貯金していくようなものです。
その南無妙法蓮華経を、となえていくことによって自分の中に貯まった『幸せの元』は、人生における、さまざまな決定的場面において、その人を助け幸せに導(みちび)き、輝(かがや)かせてくれる。

また、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、自分の中に福運がたまっていくので、さまざまな形で、ラッキーや幸運が引きつけられ、もたらされてくる。

また、その福運は、仏法の実践である創価学会の活動をやっていくことによって、決定的なものになり、人生を幸せに変革していく大きな原動力(げんどうりょく)になっていく。

だから、芸能界などでも、創価学会員の活躍は、めざましい!!


それが、人生において、才能や個性を生かしていくために最も大切な『福運(ふくうん)』であり、その福運をつける唯一の方法が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰であり、福運を現実に、大きく開花させていくための決定的な方法が、仏法の実践活動である、創価学会の活動なんです・・!


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