ひまわりの種24 [祈り]

『祈れば、かなう』っていうと、そんなバカなことあるかって思うけど、『祈れば、かなう』っていうのは、当たり前なことなんだそうです。

なぜかというと、祈るということは、自分が願いをかなえたいことに、心と生命を集中させるということです。願いをかなえたいことに心と生命を集中させた結果 、自分の生命は、願いをかなえる方へ、かなえる方へと、動き出す。その生命の当然の法則の結果、願いが、かなっていく!ということです。

ただし 、問題があります。なんでもいいから、祈れば、かなうっていう訳ではありません。間違ったものに祈れば、祈りが、かなうどころか、間違ったものに祈っているので、祈れば祈るほど、逆に、どんどん、不幸になってしまうんです。ここが宗教の恐(こわ)いところです。だから、祈りを、かなえるためには、正しい対象に、正しい祈り方を、しなければいけません。

実は、そういうことを、徹底的(てっていてき)に究明(きゅうめい)し、本当に祈りのかなう仏法の信仰を世界に伝えたのが日蓮大聖人であり、それが南無妙法蓮華経の仏法なんです。そして、その日蓮大聖人の真実の仏法を、一点の誤(あやま)りもなく正しく広めているのが、創価学会なんです。だから、祈りを、かなえるためには、創価学会の、南無妙法蓮華経の仏法を実践して、創価学会の、ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえて祈るということが、必要不可欠になっていきます。

結論からいうと、『祈れば、かなう』んですが、そのためには、正しき対象に、正しき祈りを、実行しなければなりません。それが、創価学会が、実践している南無妙法蓮華経の仏法であり、祈りを、かなえるためには、創価学会の中で、創価学会のご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえて祈ることが、絶対条件になってきます。


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ひまわりの種20 [祈り]

日蓮大聖人が『法華経(ほけきょう)の行者(ぎょうじゃ)の祈りの、かなはぬ事はあるべからず』と言っています。「祈り」というと淡(あわ)い夢や願望のように感じるかもしれませんが、そうではない!そうです。

「祈り」とは、「必ず、こうしてみせる!」「絶対に勝つ!」という誓願(せいがん)なんだそうです。そういう祈りが、かなわないことは、ない!!ということです。

ここで重要なのが、日蓮大聖人が、「法華経の行者の祈りの、かなはぬ事はあるべからず」と言っているように、『法華経(ほけきょう)の行者の祈り』ということです。法華経の行者というのは、人間を完全に幸せにしきることのできる生命哲学(てつがく)である、仏法の神髄(しんずい)である、法華経を行(ぎょう)ずる人のことです。仏法の神髄である法華経とは、現代では南無妙法蓮華経のことをいい、『南無妙法蓮華経』が、仏法の神髄の『法華経』なんです。だから法華経の行者とは、『南無妙法蓮華経を、となえる人』のことです。

けれど、ただ南無妙法蓮華経を、となえていれば良いというのではなく、南無妙法蓮華経の生命哲学を、正しく実践(じっせん)し、正しく広げていかなくてはなりません。だから、南無妙法蓮華経の生命哲学を、正しく実践し、広めている人が、法華経の行者ということです。そして、結論から言うと、南無妙法蓮華経の生命哲学を、正しく実践し、広めているのは、「創価学会」しかありません!!

だから、「法華経の行者」とは、現代では、創価学会の中で、真面目に南無妙法蓮華経を、となえる信仰を実践し、仏法の実践活動である創価学会の活動を、真面目にやっている人のことを、指します。

だから、最初のテーマに戻ると、『法華経の行者の祈りの、かなはぬ事はあるべからず』とは、創価学会の中で、真剣に南無妙法蓮華経の仏法を実践し、仏法の実践活動である創価学会の活動をしている人の祈りの、かなわない事は、ない!!ということです。

それほど、スゴイのが、創価学会の人たちが、実践している南無妙法蓮華経の仏法なんです。
また、南無妙法蓮華経の生命哲学を、正しく実践し、広めているのは、「創価学会」だけなので、南無妙法蓮華経の仏法を、『創価学会の中で、創価学会に入って、実践する』ということが、『祈りを、かなえる』重要なポイントになります!!


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ひまわりの種11 [祈り]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、ご本尊に祈るときのことについて、(ご本尊とは、創価学会が祈る対象としている本尊[ほんぞん]で、人間の生命を文字で表現しきった曼陀羅[まんだら]で、仏[ほとけ]の生命の象徴[しょうちょう]であり、また、その仏の生命が自分自身の中にあることを表(あらわ)した、自分自身の生命の象徴でもあります)・・・そのご本尊に祈るときは、『何でもいい!お金持ちになりたいでも、なんでも、祈りたいことを祈りなさい!!』と言っていました。ちなみに、ご本尊に祈るとは、ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえながら祈るということです。

ご本尊に祈るときに形式なんかない。思う通り、ありのままの自分で祈ればいい。それは、創価学会が祈っているご本尊が、絶対に人を選ばす、あらゆる人に対応し、あらゆる人の祈りを受け止め、対応していけるスゴい!ご本尊であることを、表(あらわ)している。

また、真剣にご本尊に南無妙法蓮華経をとなえぬき、仏法の実践活動である創価学会の活動をやっていけば、その人の思い、祈りを、その人にとって最高の形で、実現することができるスゴい、ご本尊であり、スゴい南無妙法蓮華経の仏法であり、スゴい創価学会であることを、表わしている。

また、人生の師匠である池田先生が、創価学会の会員のみんなのことを思い、命がけで行動し命がけで祈っているから、創価学会は守られ、創価学会の人たちの願いや祈りが、かなっていくと、言うこともできます。


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