ひまわりの種20 [祈り]

日蓮大聖人が『法華経(ほけきょう)の行者(ぎょうじゃ)の祈りの、かなはぬ事はあるべからず』と言っています。「祈り」というと淡(あわ)い夢や願望のように感じるかもしれませんが、そうではない!そうです。

「祈り」とは、「必ず、こうしてみせる!」「絶対に勝つ!」という誓願(せいがん)なんだそうです。そういう祈りが、かなわないことは、ない!!ということです。

ここで重要なのが、日蓮大聖人が、「法華経の行者の祈りの、かなはぬ事はあるべからず」と言っているように、『法華経(ほけきょう)の行者の祈り』ということです。法華経の行者というのは、人間を完全に幸せにしきることのできる生命哲学(てつがく)である、仏法の神髄(しんずい)である、法華経を行(ぎょう)ずる人のことです。仏法の神髄である法華経とは、現代では南無妙法蓮華経のことをいい、『南無妙法蓮華経』が、仏法の神髄の『法華経』なんです。だから法華経の行者とは、『南無妙法蓮華経を、となえる人』のことです。

けれど、ただ南無妙法蓮華経を、となえていれば良いというのではなく、南無妙法蓮華経の生命哲学を、正しく実践(じっせん)し、正しく広げていかなくてはなりません。だから、南無妙法蓮華経の生命哲学を、正しく実践し、広めている人が、法華経の行者ということです。そして、結論から言うと、南無妙法蓮華経の生命哲学を、正しく実践し、広めているのは、「創価学会」しかありません!!

だから、「法華経の行者」とは、現代では、創価学会の中で、真面目に南無妙法蓮華経を、となえる信仰を実践し、仏法の実践活動である創価学会の活動を、真面目にやっている人のことを、指します。

だから、最初のテーマに戻ると、『法華経の行者の祈りの、かなはぬ事はあるべからず』とは、創価学会の中で、真剣に南無妙法蓮華経の仏法を実践し、仏法の実践活動である創価学会の活動をしている人の祈りの、かなわない事は、ない!!ということです。

それほど、スゴイのが、創価学会の人たちが、実践している南無妙法蓮華経の仏法なんです。
また、南無妙法蓮華経の生命哲学を、正しく実践し、広めているのは、「創価学会」だけなので、南無妙法蓮華経の仏法を、『創価学会の中で、創価学会に入って、実践する』ということが、『祈りを、かなえる』重要なポイントになります!!


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