ひまわりの種212 [人生]

日蓮大聖人が、有名な『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』を書き起こした当時、その立正安国論にも、

『旅客(りょきゃく)来(き)たりて嘆(なげ)いて曰(いわ)く。近年より近日に至(いた)るまで天変地夭(てんぺんちよう)・飢饉疫癘(ききんえきれい)・あまねく天下に満(み)ち地上にはびこる。』

とありますが、絶(た)え間なく災害が打ち続き、当時の指導層(しどうそう)には、まったく為(な)す術(すべ)もなかった。社会には、苦悶(くもん)と怒り、嘆(なげ)きの哀音(あいおん)が満(み)ちていた。生きる希望も持てない。

時の為政者(いせいしゃ)たちが帰依(きえ)していた既存(きそん)の宗教は「鎮護国家(ちんごこっか)」を標榜(ひょうぼう)してはいた。けれど、いったい何を護(まも)るというのか。その内実(ないじつ)は、権力者たちの保身(ほしん)であり、わが身の安泰(あんたい)に過(す)ぎなかった。

そこには、国土全体を栄(さか)えさせゆく哲学(てつがく)も理念(りねん)もなければ、民衆に尽(つ)くしていこうとする慈愛(じあい)も責任感もなかった。

それゆえに、あきらめと絶望の闇(やみ)が、人びとの心を重く暗く覆(おお)っていた。

その闇(やみ)を鮮烈(せんれつ)に切り裂(さ)く、勇気と希望の師子吼(ししく)こそ、日蓮大聖人の『立正安国論』だったそうです。

通常、「口」の中に「玉」が入って「くに」と読ませている。
すなわち、国の中心は「王」なのだというのか、国という文字になります。

ところが、日蓮大聖人の『立正安国論』の中では、国の中心は「民(たみ)」だとの深い認識(にんしき)から、「国」という文字を、「口」の中に「玉」ではなく、「口」の中に「民」と書いて、「口」+「民」で「くに」と読ませています。

王がいて「くに」があるのではない。民衆がいてこそ「くに」もある!

『立正安国(りっしょうあんこく)』といっても、安(やす)んずるべき『国』とは、あくまで民衆が暮(く)らす社会であり、民衆が生(せい)を営(いとな)む国土です。

護(まも)るべきは、民衆なのだ!との烈々(れつれつ)なる叫(さけ)びが『立正安国論』の中には、刻(きざ)まれている。

それが、日蓮大聖人の思想であり、重要なことは、その日蓮大聖人の仏法(ぶっぽう)には、当時の為政者(いせいしゃ)や既存(きそん)の宗教に、哲学(てつがく)や理念(りねん)、民衆に尽(つ)くそうとする慈愛(じあい)も責任感もなかったのとは反対に、国土全体を栄(さか)えさせる哲学(てつがく)と理念(りねん)があり、そして民衆を現実の上で真実に幸せにする力(ちから)がある!ということです。

悩みや絶望、暗く混沌(こんとん)とした世の中の闇(やみ)を切り裂(さ)く、鮮烈(せんれつ)な力と希望、エネルギーがある!ということです。

その日蓮大聖人の、人々の悩みを現実に解決し、未来を切り開く、大きな大きな力ある宗教が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

ゆえに、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、最高の希望となり最高の勇気となり、また最高の知恵となって、未来を切り開き、どんな困難(こんなん)な状況であろうとも、世界中の人々を、幸せにしてきている。

それが、創価学会が世界192カ国に広がっている理由です。

現実を打開(だかい)できる宗教。
未来を大きく切り開いていける宗教。
悩みを解決していける宗教。
苦悩渦巻(うずま)く世界を、幸せに変革していける宗教。
夢や希望を、かなえていける大きな大きな力(ちから)となる宗教。

そして、なによりも、一人の人間を、必ず、確実に幸せにしていける宗教。

それが、日蓮大聖人の仏法(ぶっぽう)であり、創価学会が実践する、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰です。

だから、創価学会には、世界中に若者が集まり、その人たちの大きな希望と勇気となっている。そして、その若者たちの大きな変化を見て感激(かんげき)し、創価学会に入る親たちも多いそうです。

混沌(こんとん)とした時代の中で、求められているもの・・・。

それは、真実の希望であり、嘘(うそ)のない現実を切り開く力(ちから)です。現実に自分が輝(かがや)き、苦難に生き生きと立ち向かっていける生命の力(ちから)です。

その真実のエネルギーと哲学(てつがく)が、日蓮大聖人の仏法(ぶっぽう)、すなわち、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法にはあるのでしょう。

だから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、絶望の闇(やみ)を切り裂(さ)き、重く暗く覆(おお)われた心を打ち破ることができる。そして、真実の希望と幸せを、もたらすことができる。

それが、時代が、人間が、幸せと希望のために本当の意味で求めている、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・。


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ひまわりの種177 [人生]

ドイツの社会学者のマックス・ウェーバーは、尊敬する伯母(おば)から、よく、聞かされたそうです。

『私の生(せい)は重い生だった!』

重いとは、決して、つらいとか、苦しいという意味ではないそうです。

ウェーバーは言っています。叔母が言った重(おも)い生とは・・、

『「わたしはよい戦いを戦った」という意味であった。』

・・と。

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『「よい戦い」を戦い抜き、自分らしく、悔(く)いない価値ある人生を飾(かざ)った人が勝利者であろう。』

よい戦いを戦い抜き、自分らしく、悔(く)いない価値ある人生を飾(かざ)りたい・・。

だれでも、そう思う。

それは、生命の充実(じゅうじつ)であり、本当の意味での喜びだと思う。
そして、それは、真実の幸せを意味する。

けれど、自分は、本当に良い戦いを、戦い抜けたか?と、問いただした時、ほんとうには、そう思えない場合もある。多(おお)かれ少なかれ、なぜか空虚(くうきょ)な時間を過ごしてしまう場合もある。正直、ほんとうの意味での悔(く)いない価値のある人生だとは、思えない場合もある・・・。

本当に良い戦いを戦い抜けたかと、問いただした時、心に、殺伐(さつばつ)とした虚(むな)しさが残る場合も、あるかもしれない。

けれど、本当は、だれもが思っている。

よい戦いを戦い抜き、自分らしく、悔(く)いない価値ある人生を飾(かざ)りたい・・。

実は、それが、現実に、確実にできる究極(きゅうきょく)の方法が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!

創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、その人に、本来の使命に目覚(めざ)めさせ、最高の充実(じゅうじつ)を持って、その人の生命を、蘇生(そせい)させる!

それは、歓喜(かんき)となって、その人の人生を飾(かざ)り、その人のさまざなな悩みや問題を、打ち破(やぶ)り、その人が本当に生きたいと思っている夢や希望に向かって、進ませてくれる。

南無妙法蓮華経を、となえることは、その人に、本当の価値に目覚(めざ)めさせ、人生に、真実の幸せを、もたらしてくれる。ようするに、なんだかわからないけれど、生きていること事態(じたい)に、幸せを感じるようになり、輝(かがや)いてくる。

それは、その人の持っている無限の可能性を、目覚めさすことにつながり、あらゆる面で、幸せと勝利を勝ち取ることができるようになってくる。

それが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の実践です。

ようするに、これ以上の幸せは、ないんです。

これ以上の充実も、ないんです。

また、これ以上の喜びも、ないんです。

それは、
『よい戦いを戦い抜き、自分らしく、悔(く)いない価値ある人生を飾(かざ)ることが、できたか?』
と、自分に問いただした時、なんのためらいもなく、心から、『自分は、本当によい戦いを戦い抜くことができた!!』
と、にっこり微笑(ほほえ)んで言える、最高の満足です・・。

その最高の満足・・!最高に価値のある充実(じゅうじつ)した人生を送っていけるのが、『歓喜の中の大歓喜』と言える、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!!


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ひまわりの種131 [人生]

人間は、ほんのちょっとのことで、変わることがある。

ほんのちょっと、何かが変わっただけで、未来が大きく開けてくる場合がある。

勝利と敗北、それは、タッチの差かもしれない。
実際、スポーツの世界では、ボールが、あとほんの1センチ、中に入っていたら、勝っていた。あと1センチ、ボールが外に出ていたら打たれなかったというのが、常識(じょうしき)です。

人生も同じだと思う。何かが、あとほんの少しあったら、勝てたかもしれない。

なにかが、ほんのちょっと変わっていたら、幸せになれたかもしれない・・・。

それが、人生だと思う。

光にしても、ほんのちょっとだけ角度が変わっただけで、時間とともに、その光がとどく場所は、大きく変わってきてしまう。

ほんのちょっと、変わるだけでいい。
それが、未来を開く『鍵(かぎ)』かもしれない。

けれど、その、『ほんのちょっと変わる』ということが、どれだけ大変なことか・・!
人間が変わるということは、実は、至難(しなん)の技(わざ)なんです。

だから、人生は、難(むずか)しい・・・。
だから、人生は、なかなか思うようにならない場合が多い。

その『変わる』ということを、現実の人生の中で、可能にし、しかも、無限に変わっていける法則(ほうそく)であり、力(ちから)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の実践なんです。

だから、創価学会の人たちは、幸せになっていけるんです・・!

南無妙法蓮華経を、となえることによって、自分の生命が、パッと変わっていくんです。その変化は、仮(かり)に、ほんのちょっとであったとしても、光の角度が、ほんのちょっと変わっただけでも、大きな違(ちが)いが、でてきてしまうように、南無妙法蓮華経を、となえたことによって起こる変化は、現実の本当の変化であるために、人生が、確実に、幸せの方向に変わっていくんです。

やがて、その変化は、生命の根源(こんげん)からの変化であるために、自分のさまざまな悩みや困難を、解決することに、つながっていきます。

いままで、どうしても解決しなかった悩みが、南無妙法蓮華経を、真剣にとなえていくことによって、不思議(ふしぎ)なくらい解決していくんです。

そして、その生命の変化は、自分のさまざまな夢や希望をかなえる力(ちから)となり、自分の人生を、大きく幸せに開いていってくれることになります。

それが、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。

自分の生命を、本源(ほんげん)から、変えることのできるのは、この、創価学会が実践している『南無妙法蓮華経を、となえる』ということだけなんです。

生命を根源から変える唯一(ゆいいつ)の方法が、この『南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。

だから、創価学会は、世界192カ国に広がり、世界中の人たちを、幸せにしている。
また、それだけの力(ちから)があるから、創価学会は世界に広がり、世界中の識者から、賞賛(しょうさん)され、大きな期待を集 めている。

それが、創価学会が、実践している、人生にとって最も困難で、最も大切な、『変わる』ということを、現実に可能にする、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。


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ひまわりの種130 [人生]

創価学会二代会長の戸田城聖先生が、
『人間にとって大切なのは、いかなる思想(しそう)を持ち、いかなる行動をしているかだ。
ゆえに人類最高の思想(しそう)を学び、人々の幸福のために行動している創価の青年は、どんな人に対(たい)しても、胸を張(は)って、堂々(どうどう)と、わが信念を語っていくのだ。』

と、言っています。

人間は、当然、幸せを求め、人間として素晴らしいと思える生き方をしたいと思う。そのために、さまざまなことを学び、また、書物などを読んだりして、自分を高めようとする。

けれど、思想(しそう)を探(さが)し、求めようとしているか?というと、そうでもないように思う。

すなわち、『思想(しそう)』とか言うと、あんまり、おもしろくないからです。

人は、おもしろいことが好きだから、堅苦(かたくる)しい思想とかを、真面目(まじめ)に求めるような人は、なかなか、いないと思う。

けれど、戸田先生は、『いかなる思想を持ち、行動するかだ』と言っています。

だから、思想(しそう)は、確かに大切なんです。

そんな「思想」なんて考えなくても、普通に生きていれば、それなりの思想が身につくんだ・・と、言う人も、いるかもしれません。

けれど、それで、本当に幸せになれるかというと、なれないことが多いのも事実だと思う。

本当に幸せにはなれないということは、やはり、何かが、欠(か)けている!ということだと思う。

本当は幸せになるために、欠けているもの・・・・。
実は、それが、『思想』だと思う。

すなわち、最高の思想は、最高の行動を生むことになり、それは、そのまま、最高の幸せにつながっていくからです。

その人類最高の思想が、戸田先生が言うように、創価学会が実践している、『南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)』なんです。

しかも、創価学会が実践している『南無妙法蓮華経の仏法』は、単なる思想というよりも、最高の思想を生み出すパワーであり、エネルギーであり、力(ちから)なんです。

南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を実践することに よって、自(みずか)らの生命に、人生において勝利し幸福になるための『最高の思想』が、自分の中から、湧(わ)き上がってくる!ということです。

そうなれば、その湧(わ)き上がった思想は、行動へとつながり、自分の人生を、幸福へ、勝利へと、大きく動かしていくことになります。

それが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。


最高の思想が、生命の底から湧(わ)き上がり、その素晴らしい思想を発散(はっさん)して、生きる!!

そして、『南無妙法蓮華経』という、生命を幸福にするエネルギーは、自分のさまざまな悩みや問題を、解決していき、やがてその生命の底からの思想の力(ちから)によって、自分の夢や希望を、かなえていくことになっていきます。

それが、現実の生活と完全に直結(ちょっけつ)した、南無妙法蓮華経の仏法という、『最高の思想』なんです。

だから、戸田先生が言うように、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)という、人類最高の思想を学び、人々の幸福のために行動している創価の青年は、どんな人に対しても、堂々(どうどう)と、胸を張(は)って、生きて行くことができます。

なぜならは、その創価学会の南無妙法蓮華経の仏法という、人類最高の思想は、世界を幸せに変え、その人に、最高の勝利と幸せを、もたらすからです。


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ひまわりの種103 [人生]

世界中に、素晴らしい人は、たくさん、いるでしょう。また、素晴らしい生き方をしている人も、たくさん、いると思います。

けれど、生命に感じる『歓喜(かんき)』ということに関して言えば、『創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰』を、実践(じっせん)している人ほど、『歓喜』を、感じて生きることのできる人は、いません。

これだけは、どうしようもありません。

創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、生命における究極(きゅうきょく)の幸せの法(ほう)です。ようするに、これ以上の幸せは、ないんです。

だから、結局、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法を、実践している人は、最高の究極の幸せを、感じて、生きることになります。

また、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、ただ単(たん)に、幸せを感じるということではなくて、究極の幸せの法則であるがゆえに、あらゆる悩みや問題を、解決でき、また、南無妙法蓮華経の仏法は、あらゆるものを幸せに変革していく究極の力(ちから)であるので、その南無妙法蓮華経の仏法を実践していくことによって、夢や希望も、かなえていけるようになっていくんです。

また、南無妙法蓮華経の仏法は、世界を、幸せに、平和にしていく究極の法則でもあるので、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を、実践している人は、おのずから、環境を、世界を、幸せに変革していく人となっていきます。

だから、世界の幸福と平和という観点(かんてん)から言っても、真面目に創価学会の仏法(ぶっぽう)を実践し、創価学会の活動をしている人は、とても、大切で重要な、素晴らしい人だと言えます。

それほど、素晴らしく、スゴイのが、創価学会が、実践してる南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです。

世界に、これ以上の幸せの力(ちから)は、ないんです!

だから、世界中に、素晴らしい人は、たくさん、いるし、素晴らしい生き方をしている人も、たくさん、いると思いますが、本当は、創価学会の中で、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を、実践していくことほど、素晴らしい生き方は、ないんです!

結局、それは、人生と生命における、究極の幸せと勝利を、つかむことになっていき、生命の上から、論(ろん)ずれば、創価学会の中で、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰を、実践している人ほど、素晴らしい人は、いないということに、なります。


そう断言しても、まったく問題がない、究極の素晴らしい力(ちから)であり、法則が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種97 [人生]

まえに、ブログで、簡単に言うと、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰によって、人生を勝利し、幸せになっていける!という話しを、したら、そのコメントで、「宗教のくせに、人生を勝利するなんて、野蛮(やばん)だ」・・・と言われてしまいました。

どちらが、野蛮(やばん)か、わかりませんが、だったら、宗教は何のためにあると、いうのだろうか?

宗教が、人生の勝利にも幸せにも、役に立たないものだったら、いったい、何のために宗教を、やっているのだろうか?宗教が、そんな、くだらないものだったら、やる価値はないし、その宗教をやる人も、いないでしょう。

宗教を、たんなる慰(なぐさ)めや、苦悩や苦しみを、なぐさめ、あきらめさせるものだとでも、思っているのだろうか?

そんなものは、やらない方がいいし、現実の中で戦っている人間にとって、害(がい)にしかならない・・!

もっとも、世間一般に広められている宗教が、なんの役にも立たない石にも棒(ぼう)にも、かからないような、くだらない宗教だから、また、そういう宗教は、何の力(ちから)もないので、いかにも、やさしそうな、やんわりとした偽(いつわ)りや、ごまかしによって、人々を、たぶらかしているから、そういうものが、宗教だと思っているのかも、しれない・・。

けれど、本物の宗教は、違う!!

真実の本物の宗教である、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、違うんです!!

それは、現実に、必ず結果のでる宗教であり、現実に生きている人々を、必ず幸せにし、勝利していける力(ちから)がある宗教なんです。

ようするに、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰は、人々の悩みや問題を、現実に解決させ、そして、現実に夢や希望を、かなえていける、大きな大きな力(ちから)ある宗教だと、いうことです。

それでなかったら、だれが?宗教を、やろうとするだろうか?

実際に悩みや問題を解決でき、夢や希望を、かなえていける力(ちから)ある宗教だから、創価学会は、世界192カ国に、広がっているわけです。

人間は、現実的でスルドイものです。特に世界の宗教に対する見方(みかた)は、鋭(するど)い!!

その宗教に関してスルドイ世界の人々が、大いに共感し、絶賛(ぜっさん)して、最大の期待と賞賛(しょうさん)を与(あた)えているのが、一人一人に、必ず幸せという結果が出る、また世界を確実に幸せにしていける、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種96 [人生]

創価学会初代会長の牧口常三郎先生の願望は、『いかなる社会の波瀾(はらん)にも打ち勝っていける人間を創(つく)りたい』ということであったそうです。

いかなる波瀾(はらん)にも打ち勝っていける人間・・・。それは、決定的な勝利を意味する。それは、人生の途上(とじょう)で、さまざまな困難があったとしても、必ず乗り越え幸福境涯(こうふくきょうがい)を、勝ち取っていける人間。

単純(たんじゅん)に言うと、牧口先生は、どんな人でも、絶対的な幸せを、つかんでほしい!と願ったのかも、しれません・・。

そして、絶対的幸福を、現実に、すべての人に可能にしたのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんだと思う。

確かに、創価学会は、昔、貧乏人(びんぼうにん)と病人の集まりだと、バカにされた。けれど、その人たちが、どうなったか?と言えば、貧乏人は、裕福(ゆうふく)になり、病人は、健康になっていった。そして、現実の結果として、幸せの姿(すがた)を、あらわしている!!

これは、創価学会の実践する南無妙法蓮華経の仏法が、実際に、あらゆる人の悩みや問題を、解決し、どんな困難も社会の波瀾(はらん)も、乗り越えさせ、一人一人を最高に輝(かがや)かしい人間として、幸福にしきってきた!ということです。

それだけのパワーと力(ちから)とエネルギーが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰には、ある!!ということです。

だから、創価学会は、世界192カ国に広がり、素晴らしい人材が、続々と社会で、活躍(かつやく)している!


たしかに、社会には、さまざまな困難がある。壁(かべ)がある。どんな波瀾(はらん)が、押(お)しよせてくるかも、わからない。

けれど、それらを乗り越えないかぎり、幸せを、つかむことば、できない・・!

だから、幸せになるためには、社会のあらゆる波瀾(はらん)に打ち勝っていける人間になるしかない!!!

そのどんな社会の波瀾(はらん)にも打ち勝っていける人間に、確実に、必ず、なっていける、最高にして究極(きゅうきょく)の方法が、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです・・!


タグ:創価学会初代会長の牧口常三郎先生の願望は、『いかなる社会の波瀾(はらん)にも打ち勝っていける人間を創(つく)りたい』ということであったそうです。 いかなる波瀾(はらん)にも打ち勝っていける人間・・・。それは、決定的な勝利を意味する。それは、人生の途上(とじょう)で、さまざまな困難があったとしても、必ず乗り越え幸福境涯(こうふくきょうがい)を、勝ち取っていける人間。 単純(たんじゅん)に言うと、牧口先生は、どんな人でも、絶対的な幸せを、つかんでほしい!と願ったのかも、しれません・・。 そして、絶対的幸福を、現実に、すべての人に可能にしたのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんだと思う。 確かに、創価学会は、昔、貧乏人(びんぼうにん)と病人の集まりだと、バカにされた。けれど、その人たちが、どうなったか?と言えば、貧乏人は、裕福(ゆうふく)になり、病人は、健康になっていった。そして、現実の結果として、幸せの姿(すがた)を、あらわしている!! これは、創価学会の実践する南無妙法蓮華経の仏法が、実際に、あらゆる人の悩みや問題を、解決し、どんな困難も社会の波瀾(はらん)も、乗り越えさせ、一人一人を最高に輝(かがや)かしい人間として、幸福にしきってきた!ということです。 それだけのパワーと力(ちから)とエネルギーが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰には、ある!!ということです。 だから、創価学会は、世界192カ国に広がり、素晴らしい人材が、続々と社会で、活躍(かつやく)している! たしかに、社会には、さまざまな困難がある。壁(かべ)がある。どんな波瀾(はらん)が、押(お)しよせてくるかも、わからない。 けれど、それらを乗り越えないかぎり、幸せを、つかむことば、できない・・! だから、幸せになるためには、社会のあらゆる波瀾(はらん)に打ち勝っていける人間になるしかない!!! そのどんな社会の波瀾(はらん)にも打ち勝っていける人間に、確実に、必ず、なっていける、最高にして究極(きゅうきょく)の方法が、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです・・!
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ひまわりの種94 [人生]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。
『仏法に無駄(むだ)はない。仏眼(ぶつげん)・法眼(ほうげん)で見れば、信心の途上(とじょう)でぶつかる苦悩や課題は全部、意味がある。祈り、戦い、負けずに進んでいけば、あとで振(ふ)り返ったとき、一番良い方向に進んでいたことがわかります』

創価学会が実践している南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰は、本当に『無駄(むだ)がない』んです!!ようするに、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰を根本にして、人生に挑戦していくと、やったことすべてが、報(むく)われていく!ということです。

努力が、すべて、幸せと勝利の結果として、花開き、実(み)を結(むす)ぶということです。
そうなるのが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法なんです。

普通、人生、だれも未来は見えない。どうなるかも、わからない。もちろん、タイムマシンなんて無い・・・。もちろん、人それぞれ、未来を良くするために努力はするけれど、最高の結果と未来を生むには、どうしたらいいかなんて、本当には、わからい。

けれど、この創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰を、実践していくと、見えないはずの未来が、なぜだか見えてるように行動することが、できるようになってくる。まるで、タイムマシンで未来を見てきたみたいに、最高の結果を生む方向に行動し進んでいける。それは、自分では気がつかないかもしれないけれど、結果として、一番良い方向に進んでいける!

単純(たんじゅん)に言うと、自分にとっての最高の幸せ、最高の勝利を、つかめる!!ということです。

なぜだか、必ずそうなっていけるのが、創価学会が実践している南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです。


未来は、どうなるか、わからない。まして、最高の結果を生む方向に進めるか?なんて、普通は、わからない。

けれど、この南無妙法蓮華経の仏法の信仰を、つらぬいていった時、まるで、未来を見る事のできる千里眼(せんりがん)のように、あたかも、タイムマシンで未来を見てきたように、結果として、一番良い方向に進んでいける!

そうなっていけるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種82 [人生]

創価学会二代会長の戸田城聖先生が、
『創価の師弟(してい)に一生を賭(か)けてごらん。後悔(こうかい)は絶対にない。勝利の笑顔で、この人生を必ず飾(かざ)っていけるよ。』

と、言っています。

戸田先生を、少しでも知っている人だったら、この言葉が、どれだけ重く、どれだけの真実が、こもっているかが、わかると思う・・・。

創価学会の初代会長は、牧口常三郎先生、二代会長が、戸田城聖先生、そして三代会長が、池田大作先生です。牧口先生と戸田先生、戸田先生と池田先生が、この創価の師弟に一生を賭(か)けてきたから、今の世界が賞賛(しょうさん)してやまない、人材が続々と出てくるような素晴らしい創価学会が、できあがっている。

師弟とは、何だろうか?
一般的に、師弟というと、芸や技術をきわめるような場合でないと、なかなか存在しないように思われる。だから、世間一般的には、師弟を意識して生きているということは、あまり無いように思われる。

たしかに、なにかの道を、きわめようとした場合、師匠(ししょう)と呼べる存在は、大切だと思う。師匠は、道を示(しめ)し、道を開いてくれるような人だと思う。

だから、師匠が大切なのは、わかる。

けれど、世間一般的に、人々は、あまり、この師匠ということを、意識することなく、師弟という関係が、あいまいで、あまり関係ないような世の中になっているのかもしれない・・・。

けれど、世界でも、一流とされている人々は、必ず自分の師匠と呼べる人を、持っている。・・ということは、やはり、師匠は、人間にとって、とても大切で重要なものなんだと思う。

おそらく、師弟というものは、人間性の結晶(けっしょう)のようなものなんだと思う。だから師匠を持ち、師弟を、貫(つらぬ)いていくと、その人の人間性が鍛(きた)えられ、輝(かがや)いていき、その人の人間性が、開花していくんだと思う。

師弟が人間性の結晶(けっしょう)であるならば、その師弟を貫(つらぬ)くことは、自分の人間性そのものを、貫(つらぬ)くことになっていくんだと、思う。すなわち、それは、人間としての最高の勝利、最高の充実(じゅうじつ)、最高の幸せを、つかむことになっていく。

それが、師弟なんだと思う。

では、創価の師弟とは、何だろうか?

創価学会は、『仏法(ぶっぽう)』という世界最高の人間哲学(てつがく)、生命哲学、あるいは最高の勝利の哲学であり幸せの哲学を、実践している団体です。

その創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、必ず、人々に勝利と幸せをもたらす、無限にして最大の法則であり力(ちから)だとも言えます。

だから、その『創価の師弟』は、その人々に必ず勝利と幸せを、もたらす、無限にしてい最大の法則であり力(ちから)を、貫(つらぬ)くことになっていきます。

創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、世界最高の人間哲学(てつがく)であり生命哲学であり、また、世界最高の勝利と幸せの哲学なんだから、それを、貫(つらぬ)こうとする師弟は、当然、世界最高の勝利と幸せを、つかむことになっていきます。

それが、創価学会の師弟なんだと思う。

前に、創価学会の先輩が、仏法とは何ですか?という質問に対して、「仏法とは、ひとことで言うと、『師弟』だ」と言っていた。

その時は、よくわからなかったけれど、今思うと確かに 、そうなんだと思う。

師弟とは『人間性の結晶(けっしょう)』
そして、その中でも創価学会の師弟は、最高無二(さいこうむに)とも言える、最高最大の勝利と幸せを、もたらす『師弟』なんだと思う。

だから、戸田先生は、言った!

『創価の師弟(してい)に一生を賭(か)けてごらん。後悔(こうかい)は絶対にない。勝利の笑顔で、この人生を必ず飾(かざ)っていけるよ。』

・・・と!!


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ひまわりの種70 [人生]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。
『歴史を残(のこ)せるのが、人間です。そして、最も尊(とうと)き歴史を残せるのが、仏法なのです』

人間は、人それぞれ、歴史を残すことが、できる。自分が生きてきた証(あかし)として、何かの歴史を、残すごができる。それが、人間なのかもしれない。

また、自分が生きてきた証(あかし)を、なにかしら残したいと思うのが、人間の心情かもしれません。

もし、かりに、自分が生きてきた証(あかし)を、何も残せないとしたら、こんなに、わびしいことはないかもしれません。どんなに財産があっても、「自分は、世の中に、これを残すことが、できた!」と言えるようなものがないと、確かに、わびしいかもしれません。

けれど、そんなこと、いちいち、考えていれない、きびしい現実があるのも、事実かもしれない。それどころではない!現実の中で、戦うのに必死だからです。

けれど、どんな人でも、必ず、自分は、本当にやったんだ!と思えるような不滅(ふめつ)の歴史を残す方法がある!

それが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経の仏法なんです!

この創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法は、世界最高の平和と幸福の法(ほう)です。
ようするに、この南無妙法蓮華経の仏法を実践していくこと、そのものが、世界の平和のために、世界の幸福のために、最高に貢献(こうけん)することに、なっていくんです!だから、スゴイんです!!

しかも、この南無妙法蓮華経の仏法の実践は、世界を最高に平和に、幸せに導(みちび)くと共に、自分自身も同時に、最高に幸せにしていく力(ちから)が、あるんです!

ようするに、南無妙法蓮華経の仏法には、世界を最高に平和に幸せに変えていけると同時に、その功徳(くどく/現実にあらわれる幸せの結果)によって、自分自身の悩みや問題も、解決し、夢や希望を、かなえていける、大きな力(ちから)が、あるということです。

だから、この南無妙法蓮華経の仏法を実践していくと、自分自身が、輝(かがや)いてくる。歓喜(かんき)してくる。そして、生きることに最高の充実(じゅうじつ)を感じて生きることが、できます。だから、楽しいんです!だから、素晴らしいんです!

それは、結局、池田先生が言うように、『人間として最も尊(とうと)い歴史を、永遠に残していく』ことになっていきます。

それは、最高の充実、最高の幸せ、最高の勝利を、つかんでいく!ということです。

人は、だれでも望んでいるはずです!『自分の人生に最高の歴史を残したい』『自分が生きてきた最高の証(あかし)が欲(ほ)しい』

それが、確実に、最高の形で実現できるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・・!!


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