ひまわりの種226 [悩み]

19世紀のフランスの文豪(ぶんごう)・デュマの名作『モンテ・クリスト伯(はく)』の中で、こう言っています。

『人智(じんち)のなかにかくれている、ふしぎな鉱脈(こうみゃく)を掘(ほ)るためには、不幸というものか必要なのだ。』

・・・と。

不幸はいやだし、嫌(きら)いだけれど、悩みや苦しみは、確かにそれを乗り越(こ)えようとしていった時、真剣に挑戦していくことによって、大きなものを学び、自分にとっての大きな財産を手に入れられることが多いと思う。

池田先生(創価学会インターナショナル会長)も言っています。

『皆も、苦しみに負けてはいけない。言うに言われぬような苦難と戦ってこそ、「智慧(ちえ)の鉱脈(こうみゃく)」を見つけることができる。』

苦難(くなん)は、その人から、大きな力(ちから)を引き出してくれる・・。

確かに人間の可能性は、無限(むげん)だし、計(はか)り知れない。
その無限の力を引き出していくためには、確かに、苦難や悩みが必要なのかもしれない。

人は、不思議(ふしぎ)と、悩みや苦しみがあるほうが、真剣になるからです。

そう考えると、デュマが言うように、不幸というものが時には、必要なのかもしれない。

といっても、別に不幸を賛嘆(さんたん)しているわけではない。絶対、不幸はないほうがいいし、不幸が好きな人なんていない!

別の言い方をすれば、不幸の中に幸せの鉱脈が、かくされているというのなら、たとえ、現在、自分に不幸が降(ふ)りかかってきたとしても、それは、「不幸」ではなく、幸せをつかむための「試練(しけん)」と考えることもできる。

そう考えて、希望を持ち、心を強く、人生を挑戦していった時、その試練を乗り越えた時、人は大きな幸せを、つかむことができるのかもしれない。

けれど、人は、状況(じょうきょう)に左右されやすい。自分に不幸が降(ふ)りかかってきた時、その状況だけが、心を覆(おお)い、意気消沈(いきしょうちん)し、絶望してしまうことも、まま、ある・・・。

また、心情的(しんじょうてき)に、人は、そういう生き物なのかもしれない。

けれど、本当は、不幸の中に幸せが、かくれている。不幸の中に、ふしぎな幸せの鉱脈(こうみゃく)がある・・!

だから、その鉱脈を、掘(ほ)り当てなければならない!

だから、状況や環境(かんきょう)、絶望や苦難に負けない、強い強い、生命の力(ちから)が、求められる!!

その鉱脈を掘(ほ)り当てる、絶望や苦難を必ず乗り越えていける決定的な方法が、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!

これほど、スゴイ力(ちから)は、ないんです・・!

ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中から、強い強い生命力、勇気や知恵が、湧(わ)き上がってくるんです!その生命の力は、計り知れない。そして、デュマが言うように、ふしぎな幸せの鉱脈を、つかんでいくことが、できるようになっていくんです。

※ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。

そのご本尊に南無妙法蓮華経を、となえていくことは、自分の生命の中の、幸せの鉱脈を掘り当て、開花させていくことと同じなんです。自分の中の無限の可能性、無限の力を引き出していく!

それが、南無妙法蓮華経を、となえていくことなんです。

だから、創価学会の人たちは、どんな苦難、どんな不幸な状況にあろうとも、真剣に、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、実際、ことごとく、苦難や不幸を打ち破(やぶ)り、幸せを勝ち取ってきているんです。

その勝利と幸せの証(あかし)が、世界192カ国に広がる創価学会になっているんだと思う。

・・・
だから、嘆(なげ)くことはない。
落ち込むことはない。
決して、絶望することはない。

この、創価学会の『ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰』があれば・・・!!!


それが、どんな不幸も、悩みも、苦難も乗り越え、その中から、幸せの鉱脈を無限に掘り出していける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0