ひまわりの種247 [希望]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『人生には、いろいろな試練(しれん)があります。各人(かくじん)が、さまざまな宿命(しゅくめい)ももっています。順風満帆(じゅんぷうまんぱん)な人生などありません。しかし、どんなに深い絶望の闇(やみ)のなかでも、心に希望の火をともしていけるのが信心です。


大打撃(だいだげき)を受け、何もかも行き詰(づ)まったとしても、必ず一切を乗り越(こ)え、崩(くず)れざる幸福を確立していけるのが妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)なんです。』


確かに、人生、試練(しれん)はある・・。さまざまな自分の宿命を感じることも、あるかもしれない。とくに現代という時代は、不況(ふきょう)や災害などが続き、その宿命や試練を強く感じることが多いかもしれない。

嘆(なげ)くこともできる・・。

どうしたものか・・と、なす術(すべ)もなく、生きていくこともできる。

けれど、やはり、生きるとしたら、『打開(だかい)』しなければならない。
その闇(やみ)がどんなに深くても・・・。どんなに深い絶望であっても・・・。

人は、生きるために、心に希望の火を求めている・・。
希望が欲(ほ)しくて欲しくてしょうがない。
強い強い精神の支(ささ)えを、ほんとうは心底(しんそこ)求めている!

にもかかわらず、自分に精神の柱(はしら)を見いだせないでいるのが、現代の多くの人々ではないかと思う。

本当は、こころから強い強い希望が欲しいのに、創価学会と聞くと、反対する人たちもいる。

バカにする人たちもいる・・。

宗教と聞いただけで、毛嫌(けぎら)いし、悪しきものに違(ちが)いないと思い込(こ)む場合もある。

確かに、世間一般的な宗教は、毛嫌いして当然といえる代物(しろもの)です。
それらの世間一般的な宗教が、希望をもたらすことはありません。
逆に、それらの間違った宗教にすがっていくことによって、間違ったものに命をささげていくことになるので、自分の生命は、不幸に陥(おちい)り、 現実にさまざまな形で、不幸を引き起こしてしまう。

それは、世間一般的に認(みと)められている、葬式仏教(そうしきぶっきょう)、観光宗教、神社信仰にしても、同じです。それらの宗教が希望をもたらすことはなく、逆に希望を奪(うば)い、不幸を引き起こす原因にしかなりません。

だから、宗教に希望を求めたくないのは、よくわかる・・。

けれど、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、違(ちが)う。

日本と違って、世界では、信仰心が当然のものであり、信仰を持つことが、人間としての証(あかし)だと考えている人が多い。それらの人が、信仰に悩み、真実の価値(かち)のある信仰を求めていった時、必ず、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法にたどり着く。

当然(とうぜん)です。真実の現実に価値がある信仰といえるものは、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法しかないからです。ほんとうに悩みを解決でき、困難を打開でき、強い強い希望をもって、人生に挑戦していける信仰は、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰しか、ないからです・・!

ゆえに、最終的には、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法に、たどり着く。それが、遅(おそ)いか早いかの違いだけです。

日本では、さまざまな悪(あ)しき宗教の習慣(しゅうかん)からか、島国根性からか、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法に力(ちから)があり、真実の信仰であればあるほど、それに反発(はんぱつ)してしまう傾向(けいこう)がある。

だから、なかなか、信じられない。

けれど、時代は、混沌(こんとん)としてきている。
そんな小さなわだかまりで、迷(まよ)っている暇はない。

確かに、今、深い絶望の闇(やみ)が、身近なものに感じられる世の中になった。さまざまな事象(じしょう)や出来事に、大きな打撃を受けた人たちも多い。悩みも深いかもしれない。

その、どんな深い絶望の闇の中でも、心に強い希望の火を、ともしていけるもの。
大打撃を受けて、何もかも行き詰(づ)まったとしても、必ず乗り越えていけ、崩(くず)れざる幸せを勝ち取っていけるもの・・。

それが、希望と幸せの源泉(げんせん)である、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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