ひまわりの種242 [こころ]

以前、聖教(せいきょう)新聞の名字の言(みょうじのげん)というコラムに、良い話しがのっていました。

それは、20代で関節リウマチを患(わずら)い、寝たきりとなった女性の話しでした。

彼女は、心が荒(すさ)み、周囲への不満が募(つの)っていった。
ある日、激励(げきれい)に訪(おとず)れた創価学会の女子部の部長が、枕元(まくらもと)で歌った。
ナポリ民謡「オ・ソレ・ミオ(私の太陽よ)」。
それもイタリア語だった。

面食(めんく)らう彼女に部長が一言。

「どんなにつらいことがあっても、生涯(しょうがい)、嵐が続くことはないのよ。」

涙があふれ、周囲に感謝する心が生まれた。その後、彼女は自力で立てるようになり、友のために祈り走る広宣流布(こうせんるふ)のヒロインに成長していった。

※ちなみに広宣流布とは、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の思想と哲学(てつがく)を基調(きちょう)として、世界に平和と幸福をもたらしていくことを言います。


創価学会の強いところ、素晴(すば)らしいところは、こういうところにあるんだと思う。
ひとりの人間が、ひとりの人間に、一対一で対峙(たいじ)し、徹(てっ)して励(はげ)ましていく。
そして、ひとりを蘇生(そせい)さて、立ち上がらせていく。

それができる土壌(どじょう)と哲学(てつがく)と生命のエネルギーが、創価学会にはあるんだと思う。

無限の蘇生(そせい)のドラマを生み出す場所が、創価学会ではないかと思う。

とかく、孤立化(こりつか)しやすい現代という世界。

華(はな)やかに見える人もいるかもしれない。幸せそうに見える人もいるかもしれない。
けれど、精神の底にある孤独の闇(やみ)が、どこかに潜(ひそ)んでいるのではないだろうか・・・。

表面的には幸せそうに見えても、心の底に闇(やみ)が隠(かく)れている。その闇を押(お)し隠して生きているような人も、いるかもしれない。

その闇を、打ち破(やぶ)る場所が、創価学会だと思う。

欲(ほっ)しても欲しても、満(み)たされない何か?がある。
どんなに楽しく、幸せそうに振る舞(ふるま)っても、心の底に満たされない何かがある。

人間が人間であることの証(あかし)・・・。
人間が人間であることの希望・・・。
人間が人間であることに尊厳(そんげん)・・・。

そのだれもが心の底で、本当は欲している人間としての証(あかし)をつかむことのできる場所がある。

自分が人間であることの明確な希望と尊厳(そんげん)を、心の底から感じ取ることのできる場所がある。

それが、創価学会だと思う。

自分が自分であることの希望。
自分が自分であることの尊厳(そんげん)。
自分が自分であることの証(あかし)。

それを、明確に、心の底から歓喜(かんき)して、感じ、味わい、楽しんでいける場所が、『創価学会』であり、それを可能にする、哲学であり力(ちから)であり、エネルギーが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと、心から思う・・・。


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