ひまわりの種235 [挑戦]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、ある方に言っています。

『信心は感傷(かんしょう)ではない。泣いたからといって、何も解決しないではないか!
あなたには、ご本尊(ほんぞん)があるではないか!迷(まよ)ってはいけない。

ハンディを嘆(なげ)いて、なんになるのか。いらく嘆いても、事態(じたい)は何も変わりません。
また、すべての人が、なんらかの悩みをかかえているものだ。いっさいが恵(めぐ)まれた人間などいません。
学会っ子ならば、どんな立場や状況(じょうきょう)にあろうが、果敢(かかん)に挑戦し、人生に勝っていくことだ。どうなるかではなく、自分がどうするかです。』

※ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊です。


創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰に、感傷(かんしょう)はない。感傷やなぐさめ・・。そんな、なんの解決策にもならないことなら、やらない方がいい!

また、南無妙法蓮華経を、となえることは、そんなあきらめや感傷にひたる弱き命を、打ち破(やぶ)る行為(こうい)だと言えます。感傷やあきらめ、絶望を打ち破り、真実の希望、真実の勇気と知恵を、わき上がらせて、人生に真っ向(まっこう)から挑戦していく無限の生命力、無限の勇気が、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)だと言えます。

だから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法には、感傷はいらない!人生を勝っていくために南無妙法蓮華経の仏法はある!
現実の中で夢や希望をつかんでいくために、創価学会の信仰はある!

ここに、他の宗教と創価学会の南無妙法蓮華経の仏法との、決定的な違(ちが)いがある!!

また、他の宗教を、どんなに真剣にやってみたところで、悩みを解決し、夢や希望をかなえていく力には、なりません。
たとえば、葬式仏教(そうしきぶっきょう)にしろ観光宗教にしろ、神社信仰にしても、はっきり言って間違った宗教であるがゆえに、どんなに真剣に祈ってみたことろで、逆に間違っているがゆえに、自分の意志とは反対に、祈れば祈るほど、その人を不幸にしていってしまう。

それが、それらの宗教です。

たとえていうならば、それらの葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰は、感傷やあきらめ、絶望を生む宗教だといっても、言い過(す)ぎではありません。

それらの宗教とは、真っ向から対峙(たいじ)し、真に人間の悩みを解決し、人生を切り開き、夢や希望をかなえていく大きな力(ちから)となる宗教が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえゆくことによって、まず、自(みずか)らの生命が変革されていく。あきらめや絶望、感傷が打ち破られ、生命が希望へ勇気へと歓喜(かんき)していく。それは、現実にさまざまな知恵や行動となって、その人の人生を幸せに向かって動かしていく。

それが、創価学会の信心なんです。

ゆえに、ハンディを嘆(なげ)くことはない。自分らしく、自分しかつかめない最高の幸せを、つかんでいける!

それが、なぐさめや感傷ではなく、現実と自分自身を、真っ直(まっす)ぐに向上していける、悩みを解決し、夢や希望を自分の力でつかんでいける、 創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!


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