ひまわりの種236 [人生]

日蓮大聖人が、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の若き後継(こうけい)の弟子である南条時光に、言っています。

『しばらくの苦(く)こそ候(そうろう)とも、ついには、たのしかるべし。国王一人の太子(たいし)のごとし。いかでか位(くらい)につかざらんと、おぼしめし候(そうら)へ。』

通解(つうかい)すると、

『しばらく苦しみが続いたとしても、最後には必ず楽しい境涯(きょうがい)になるのである。たとえば、国王のたった一人の太子(たいし)のようなものである。どうして、最後には国王の位につかないことがあるだろうか、あるはずがないと確信されるがよい。』


創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、ひとりひとりの人間を王者にする。
なんの王者かというと、人間の王者であり幸福の王者であり、勝利の王者です。
そうなっていけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰なんです。

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。

『今がどんなに苦しくとも、必ず勝利する。揺(ゆ)るぎない大確信が「宿命(しゅくめい)」を「使命」に変える。勇気ある信心が「苦難」を「歓喜(かんき)」に変える。ここにこそ、仏法の透徹(とうてつ)した楽観主義があるのだ。』

たとえ、どんなに苦しいことがあろうと、どんな困難(こんなん)なことがあろうと、もし、その人が国王のたった一人の子供であったならば、かならず、国王の位(くらい)につく。
それと同じように、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を信仰していくことは、その人を、国王のたった一人の子供にしていく。すなわち、必ず、位(くらい)につき王者となってく!ということです。

すなわち、南無妙法蓮華経を、となえゆくことは、自分の生命に王冠(おうかん)をさずけるのと同じなんです。自分の生命に王冠がさずけられたならば、その人は、王となってゆく。すなわち、どんな苦難うずまく人生にあろうとも、必ず、王者のごとく、幸せと勝利を、つかんでいける。

自分の生命に王冠をさずける行為(こうい)・・!

それが、南無妙法蓮華経を、となえるということなんです。

すなわち、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の生命に王冠がさずけられたならば、どんな悩みも、どんな困難も解決でき、王者のごとく人生に挑戦し、夢や希望も、かなえていけるようになっていく。

南無妙法蓮華経を、となえることは、まさに、生命の変革(へんかく)なんです。

絶望は希望に、
あきらめは、挑戦の勇気に、
悩みは、乗り越(こ)えるべき使命に、
苦難さえ、人生の歓喜に変えていってしまう。

生命の変革から、すべてが変わり、すべてが生まれていく。

その生命の変革を成し遂(と)げていける、決定的で唯一(ゆいいつ)の方法が、一人一人の生命に王冠(おうかん)をさずけ、王者と輝(かがや)かせていく、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!


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