ひまわりの種180 [生活]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『砂漠(さばく)のように乾(かわ)ききった現代社会を潤(うるお)す、真心と励(はげ)ましの泉(いずみ)が、創価学会といってよい。』

確かに、そうだと思う。

ぼくの経験からしても、仕事や、さまざまな辛(つら)いことが重(かさ)なって、心が、荒(すさ)んでいるとき、創価学会の人たちとの交(まじ)わりや、ふれ合いによって、どれだけ、救われたことか・・・。

なぜだか、創価学会の人たちと接(せっ)していると、すさんだ心が消えさり、清々(すがずか)しい、きれいな心になって、帰っていくことが、できる。不思議といえば不思議だけれど、それは、確かにそうだと思う。

なぜ、創価学会の人たちと接していると、すさんだ心が消えさり、清々(すがすが)しい、きれいな心になっていくのか・・・?

それは、まず、創価学会の人たちが、南無妙法蓮華経を、となえているからだと思う。

南無妙法蓮華経とは、生命を蘇生(そせい)させる本源的(ほんげんてき)なエネルギーだと言えると思う。だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、自分の生命が蘇生(そせい)し歓喜(かんき)してくる。そして自分の生命は、清々しく歓喜した状態になっていく。

また、南無妙法蓮華経は、幸せの法則(ほうそく)であり、平和の法則でもあるので、南無妙法蓮華経を、となえて行動していくと、その人の生命は、幸せへ、平和へと向かっていく。

その人々を平和へ幸せへと向かわせる生命の連帯(れんたい)が、創価学会だとも言えると思う・・。
その平和と幸せの連帯である創価学会の活動の中に、身をおいたとき、自分の生命も、平和へ幸せへと、蘇生(そせい)していく。

だから、創価学会の人たちに、ふれていくことによって、すさんだ心や傷(きず)ついた生命は、癒(いや)され、清々しく幸せな生命状態へと、変わっていく・・!

それは当然、自分と自分の人生を、幸せへと、導(みちび)いていくことになる・・!!

だから、創価学会の会合などにいき、創価学会の人たちと接していると、疲(つか)れていた生命が、なぜだか、歓喜して、すがすがしく元気になって、帰っていくことができる。


ある創価学会の婦人が、言っていた。

『創価学会員でなかったら、どれだけ殺伐(さつばつ)とした人生になっていたことか・・・。』


世の中を見ていると、華(はな)やかで、きらびやかなことに、目を引(ひ)かれ気味(ぎみ)です。それはそれで、いいと思うけれど、もしかしたら、人が本質的に求めているものに、欠(か)けているのかもしれない。

ほんとうの意味での生命のぬくもり・・。本当の意味での生命の充実感(じゅうじつかん)・・。本当の意味での人間としての証(あかし)・・。

人は、そういうものを求めて、生きているのかもしれない。

けれど、過酷(かこく)な世間という人生の中に生きていると、ふと気づくと、殺伐(さつばつ)とした心の虚(むな)しさ、空虚感(くうきょかん)を、感じることがあるかもしれない。

池田先生が、言っていたそうです。

『現代の地獄(じごく)は、孤独地獄なんだ。』・・・と。

なんともいえない生きていることに対する空虚感(くうきょかん)、殺伐(さつばつ)とした心・・。こころを埋(う)めることのできない砂漠(さばく)のような当(あ)てどころのない心情・・・。

その絶望的な心情が、人を苦しめ、さいなむことも、あるかもしれない。

その絶望的な心情、空虚感・・、殺伐(さつばつ)とした心を、本当の意味で埋(う)めることのできる場所が、創価学会だと言えると思う。

また、人間が求めている本当の意味での価値(かち)。ほんとうの充実。心の底から感じる満足と幸せを味わうことのできるのが、創価学会だとも、言えると思います。

人間が求めているもの・・・。
人間が心から欲(ほっ)し、つかもうとしているもの。

その真実の意味での価値と充実(じゅうじつ)と幸せの力(ちから)が、創価学会の中には、溢(あふ)れていると、いうことです。

その、真実の意味での幸せと充実を、つかむことのできる唯一(ゆいいつ)の力(ちから)でありエネルギーが、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だとも、言えると思います・・・。


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