ひまわりの種179 [希望]

日蓮大聖人が、言っています。

『すべて一代(いちだい)八万の聖教(せいきょう)・三世十方(さんぜじっぽう)の諸仏菩薩(しょぶつぼさつ)も我が心の外(ほか)に有りとは、 ゆめゆめ思ふべからず。』

釈尊(しゃくそん)が説(と)いた八万法蔵(はちまんほうぞう)といわれる膨大(ぼうだい)な仏法(ぶっぽう)の教えも、一切(いっさい)の仏(ほとけ)や菩薩(ぼさつ)も、自分の心の中にある!!ということだそうです。

このご文(もん)について、聖教新聞(せいきょうしんぶん)の小説・新人間革命に、こう書いてありました。

『つまり、自分という人間は、君自身が想像(そうぞう)もできないほど、尊(とうと)く、崇高(すうこう)な、無限の力を備(そな)えた存在なんだよ。しかも、君は、君にしかできない使命(しめい)をもって、この世に出現してきた地涌(じゆ)の菩薩(ぼさつ)だ。誰も、君の代(か)わりは、できない。この世の中に、たった一人しかいない、かけがいのない存在なんだ!』

釈尊(しゃくそん/釈迦[しゃか]とかブッダとも言われている)といえば、まず、知らない人はいないと思う。釈尊が広めた教えであり哲学(てつがく)が、日本に一般的に知られ広まっている仏教です。

その釈尊の仏法(ぶっぽう)の教えは、八万法蔵(はちまんほうぞう)と言われる。

ようするに、釈尊が広めた仏法の教えは、計(はか)り知れないほど膨大(ぼうだい)だということです。

また、その釈尊の仏法(ぶっぽう)の中に出てくる仏(ほとけ)や菩薩(ぼさつ)も、数限(かぎ)りない・・。

そして、その八万法蔵(はちまんほうぞう)といわれる仏法(ぶっぽう)の教えも、また一切(いっさい)の仏(ほとけ)や菩薩(ぼさつ)も、自分の外にある架空(かくう)のものではない・・!

自分とは関係ない、どこかの話しではなく、それは、すべて、自分の中にある・・・!!!

実は、自分という存在の中には、あらゆる可能性が備(そな)わっていて、無限とも言える尊(とうと)い存在である。

そして、なぜ、それだけの可能性があるか?というと、すべての人が、それだけの使命を持って、生まれてきたからだ!!
・・・ということです。

単純(たんじゅん)に考えると、釈尊は、このことを伝(つた)えるために、出現してきたとも、言えるかもしれません。


人間の生命は、尊い。ひとりひとりの人間は、かけがいのないものだ・・!

それは、当然のことであり、だれでも、わかることだと思います。

けれど、それは、そんなものではない・・・。もっとスゴイことであり、もっと偉大(いだい)で、もっと計り知れない可能性を秘(ひ)めている。

日蓮大聖人が言うように、釈尊の八万法蔵(はちまんほうぞう)といわれる仏法の教えも、一切の仏(ほとけ)や菩薩(ぼさつ)も、すべてが自分の心の中にある・・!!!

それが、自分自身だと、いう・・。

けれど、そんなこと言われても、わからない。

理解できない・・・。

また、それだけの可能性を、引き出せなければ、何の意味もない・・。

実は、それだから、『南無妙法蓮華経』が必要なんです。

それだから、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰が必要なんです。

『南無妙法蓮華経』とは、釈尊がいう八万法蔵の仏法や一切の仏(ほとけ)、菩薩(ぼさつ)をすべて集めたような力(ちから)であり法則(ほうそく)であり、エネルギーなんです。

南無妙法蓮華経が、自分の中の無限の宝(たから)そのものなんです。

だから、南無妙法蓮華経を、となえていく時、自分の中から、無限の宝が引き出され、さまざまな悩みを、解決できたり、また、さまざまな夢や希望も、かなえていけるように、なっていくんです。

そして、それは、自分の使命に目覚(めざ)めさせ、その人しかできない使命を開花させていくことにもなります。

それが、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。

だから、南無妙法蓮華経を、となえることが、大切であり、南無妙法蓮華経を、となえることによって、すべての人が、幸せになっていけると、いうことです。

だから、創価学会は、世界192カ国に広がり、世界中の人を、幸せにしていけるんです。

それが、自分の中の無限の宝と言える『南無妙法蓮華経』であり、悩みを解決し、夢や希望に向かって、無限の宝を引き出していける、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・・!!


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