ひまわりの種146 [幸せ]

創価学会二代会長の戸田城聖先生が、

『仏法(ぶっぽう)はあまりにも深いのだから、「ああ、そうですか」と簡単(かんたん)にわかるものではない。そして、わかってから実践(じっせん)するよりも、最初に信じて実践して、後でわかったほうが得(とく)じゃないか。』

と、言っています。

仏法(ぶっぽう)を理屈(りくつ)で理解しようとしても、難(むずか)しい。

仏法は、そう簡単に理屈で理解できるほど、浅(あさ)いものでもないし、簡単なものでもない。

かりに、自分は優秀だと自負(じふ)しているような人であっても、仏法(ぶっぽう)を理屈で理解するのは、無理です。また、仏法を理屈で理解しようとして、鼻(はな)で笑って、あとで、とんでもない「しっぺ返し」を、くうこともあるようです。

釈迦(しゃか・釈尊・ブッダ)の弟子で、天才中の天才と言われたシャリホツでさえ、仏法(ぶっぽう)を理屈で理解することは、できなかったそうです。

じゃあ、どうして、理解したかと言うと、『信じる』ことによって、初めて、理解することができ、得道(とくどう)できたそうです。

ようするに、天才中の天才であっても、理解することのできないほど、深くて、スゴイ法則(ほうそく)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

それを、理屈で、わかったような顔をして、鼻(はな)で笑うことなんて、できるわけがないんです・・!

よく使う譬(たと)えとして、たとえば、リンゴがあったとする。そのリンゴを、ジ~~っと見て、成分がどうなど、どうやってリンゴができているかなど、どんなに調べてみたところで、実際のところ、なんの足(た)しにもならない。

そんなこと、あーだこーだと理屈をこねているより、リンゴを手に取って、ガブリと食べてしまえば、『うん!おいしい!!』と、その食べ物の価値が、一発でわかってしまう。

創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)も、それと同じで、信じて、やってみるしかない!!やってみないかぎり、一生、わからないし、永遠にその価値を、理解することは、できない。

ところが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、幸福をつかむ、世界最高の宇宙の法則であり、生命の法則であり、幸せの究極(きゅうきょく)の力(ちから)なんです。

だから、その究極の幸せの力(ちから)である南無妙法蓮華経の仏法を、信じず実践しないで、いくら、理屈を考えようとしても、一生かかっても理解できないし、究極の幸せの力(ちから)を、つかむことは、できない・・!

当然です。目の前にある美味しい食べ物を、食べないで、腐(くさ)るまで、ただ、じ~~っと見ているだけなのだから。

永遠に、一生、その素晴らしい価値と味(あじ)を、わかり、感じることは、できない・・・。

ようするに、本当の意味での最高の幸せを、つかめないまま、人生を終わってしまうということです。

だから、信じるとこが、重要になってきます。
ともかく、信じて、やってみる!

その時に、さまざまな悩みが解決し、あらゆる困難を克服(こくふく)していけ、その結果として、夢や希望を、かなえていけるようになっていくんです。

創価学会が世界192カ国に広がっているということは、リンゴを食べるのと同じで、世界中の人々が、ともかくやってみて、実際、さまざまな悩みが解決したり、願いを、かなえたりして、幸せになったという結果を味(あじ)わったから、広がったんです。それでなかったら、絶対広まりません!!

リンゴを食べて、みんながマズイと思ったら、リンゴを食べる人など、いません!リンゴを食べて、おいしいと思ったから、リンゴにかぎらず、さまざまな食べ物が、食べられているんです。

ただ、言えることは、食べ物には、好き嫌(きら)いがあり、好(この)みがあります。だから、人それぞれ、美味しいと思う食べ物も違います。

ところが、この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法だけは、違いがないんです!!!どんな人でも、必ず幸せになっていける!ということです。どんな人でも、自分らしい最高の幸せを、つかんでいける!!ということです。

だから、本物の幸せの宗教だと、言うことができます。

その、どんな人でも必ず、自分にとっての、最高の勝利と幸せを、つかんでいけるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!!!


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