ひまわりの種89 [エッセイ]

釈迦(しゃか)といえば、ほとんど知らない人は、いないと思う。お釈迦様(おしゃかさま)とか、いうこともあり、釈尊(しゃくそん)とも仏陀(ぶっだ)とも、呼ばれているようです。

その釈尊(しゃくそん)が、僧侶(そうりょ/坊[ぼう]さん)について、言っています。
『僧侶(そうりょ)は、葬式(そうしき)には、出てはいけない。葬式は、親族や親しい人たちで、やるものであって、僧侶が出るものではない!!そんな暇(ひま)があったら、今、現在、苦しんでいる人、困っている人の元(もと)に、行ってあげなさい!』

本来、仏教に坊主(ぼうず)が、葬式に出るなんてことは、ないんです!

ということは、どういうことかと言うと、現在、葬式とかになると、どこかの坊主が、金をもらってお経(きょう)を、あげにやってきますが、あれは、仏教でもなんでもない!!単なる金儲(かねもう)けのゲテモノ宗教だということです。

あんなものが、仏教だと思われたら、釈尊が、あまりにも、かわいそうです。

ようするに、金もうけのために、釈尊の仏教を、利用しているに、すぎません!!
昔の権力者たちが、庶民を隷属化(れしぞくか)するために、葬式と仏教を利用して、今のような儀式(ぎしき)を、つくってしまったに過(す)ぎません。

まあ、儀式があるから、体裁(ていさい)がつくこともあるかもしれませんが、まだ、それだけなら良いのですが、それらの葬式仏教にしろ、観光仏教にしろ、また、神社信仰にしても、それらは、あきらかに間違った宗教だと、いうことです。

それは、ちょっとまともに考えただけでも、わかりますし、また、仏法哲学(ぶっぽうてつがく)を、ひもとけば、完全に間違った悪(あ)しき宗教であることが、わかります。

それが、間違った宗教だというだけで、済(す)めば良いのですが、間違った宗教というものは、必ず間違った結果を、生み出すんです。原因と結果の法則から、考えれば、それは当然のことです。

すなわち、間違った宗教に祈ったり、供養(くよう)したりしたら、自分は、かりに良いことだと思ってやっていたとしても、必ず不幸という結果が、返(かえ)ってくると、いうことです。

人は、宗教にたいして、あまりにも無頓着(むとんちゃく)ですが、実は、宗教というのは、人間の幸不幸を決定づける重要な部分を,しめているんです!!

ある意味、宗教というものは、とても恐(こわ)いんです!
そのことを、人は、どうしても、わかろうとしない!!

人に降(ふ)り掛(か)かってくる、さまざまな不幸。その不幸の根源には、かならず間違った宗教があるということです!

宗教というのは、かならず、自分の生命に影響を与え、自分の人生に大きな影響を、与えてしまうんです!!

だから、間違った宗教に祈りをささげたり、供養(くよう)をしては、いけない!!と言っているんです。それは、間違った結果、すなわち、なんらかの不幸が、必ず自分の生命と人生に、返ってきてしまうということです。

その重要性に、人は、早く、早く、気づくべきです・・・!

では、その間違った宗教による悪しき影響を、断(た)ち切るためには、どうしたらいいのか?

それは、正しき、人々を現実に幸せにしきることのできる宗教に、つくしかありません。
それ以外に、間違った悪しき宗教の鉄鎖(てっさ)を、断ち切る方法は、ありません!!

その間違った悪しき宗教の鉄鎖(てっさ)を、断ち切る真実の宗教が、実は、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです!!

この正しき真実の仏法である、南無妙法蓮華経の仏法は、太陽のようなものなんです!太陽が昇(のぼ)れば、どんな影(かげ)も消え失(う)せてしまう。
すなわち、南無妙法蓮華経の仏法という幸せの太陽が、昇(のぼ)ったならば、どんな不幸の影も、消え失せてしまうということです。

それだけのスゴイ力(ちから)が、創価学会が実践する南無妙法蓮華経の仏法には、あるんです!
南無妙法蓮華経の仏法は、幸せを生み出す最大最強の力(ちから)であり、法則なんです。
だから、かりにどんな悩みや苦難があったとしていも、この南無妙法蓮華経の仏法によって、悩みや問題を解決し、努力しだいでは夢や希望も、かなえていけるんです!!

それが、創価学会が実践する、どんな不幸の影も消し去ってしまう、幸せの太陽のような、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法の信仰なんです・・・!


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