ひまわりの種65 [祈り]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、『祈りに勝(まさ)る力(ちから)はない。祈りは、一切を変えていく原動力である。勝利への強き祈りの一念(いちねん)から、大確信も、緻密(ちみつ)な計画も、勇気ある行動も生まれるのだ。』

と言っています。

「祈り」というと、一般的には、「おまけ」みたいにしか考えられていない。「まあ、気晴らしにちょっと、祈ってみるか・・」とか、なにかに挑戦している時、「たんなる願掛け(がんかけ)に、祈っておこう」みたいに、祈り自体に期待しているのではなく、宝くじみたいなオマケである遊び感覚で、祈りというものを、考えている人が、ほとんどだと思う。

実際、そんな祈りは、くだらないし、なんの役にも立たない。かえって、祈る対象が何であるかも考えないで、間違ったものに祈っているので、害になり、自分の人生に不幸をもたらす原因にしかなりません。

このへんが、人は、わからないのだけれど、間違ったものに祈るということは、間違った結果を生むということなんです。だから、不幸になる原因にしかならない。たとえば、世間一般に広められている葬式仏教や観光仏教などは、あきらかに間違った宗教で、そんなものに祈ったところで、不幸を招(まね)くだけです。

ところが、創価学会の人たちの祈りは、違う!!!それは、正しき対象に正しき祈りを、しているということです。それは、正しい結果、すなわち『幸せ』を、もたらします。

だから、正しき仏法である、創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法には、人を幸せにしていく大きな力があるということです。具体的に言うと、『ご本尊(ほんぞん)に、無妙法蓮華経を、となえて祈る』という行動には、あらゆるものを動かす、無限の大きな力がある!ということです。

(ちなみに、ご本尊[ほんぞん]とは、創価学会が信じ祈っている対象の本尊で、仏[ほとけ]の生命そのものを、あらわしたものでもあり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏[ほとけ]の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊[ほんぞん]です。)

だから、その『ご本尊(ほんぞん)に、無妙法蓮華経を、となえて祈る』という創価学会の人たちの祈りは、世間一般的な祈りに対する考え方とは、まったく違って、池田先生が言うように、『一切を変えていく原動力となる!』ということです。

南無妙法蓮華経の力は、無限大なので、ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえて祈る時、その勝利への強き祈りの一念(いちねん)から、『大確信』が生まれ、そこから『緻密(ちみつ)な計画』が、わきあがり、その結果、『勇気ある行動』として現実の人生を切り開くことになっていきます。

だから、創価学会が実践している、『南無妙法蓮華経を、となえて祈る』ということは、一切の幸せを生み出す原点となり、またそれは、一切の幸せを生み出す最高の行動となるんです。

それほど、重要で大切なのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる『祈り』なんです!!。


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