ひまわりの種64 [幸せ]

『生命は幸福のために我々に与(あた)えられている』

これは、トルストイの言葉です。


生命を、育(はぐく)むもの・・。生命の存在する目的・・。

それは、幸せにある。


ぼくたちは、幸福になるために、生まれてきた。
なぜならば、生命は、幸福のためにあるからです。

にもかかわらず、世界には、不幸なことが、たくさんある。
自分を幸せだと思っていない人たちも、たくさん、いる・・。
なぜだろうか?

生命は、幸福になるために、与えられているのに・・。

生命が幸福になるためにあるとしたら、そうならないということは、何かが、間違っているからだ。その間違いが、さまざまな不幸を生む。
生命の法則に逆らった何かが、存在し、それが、ねじれを生み、不幸を、もたらしている。

端的(たんてき)に言うと、その不幸の根源には、必ず、間違った宗教、思想がある。
『不幸の根源には、かならず間違った宗教がある!』と言い切ることができる。

人は、このことに、なかなか気づかない。宗教なんて、どうでもいいじゃないか・・と言う。
自分が先祖から受け継いでいる宗教、あるいは、永遠の生命から考えると、過去世(かこせ・前世/ 自分が過去の時代に生きていた時)に自分がかかわった宗教、それらが、間違った宗教であった場合、それらは、間違った影響、すなわち不幸という形で、自分の生命に、刻(きざ)まれてしまう。そして、自分の生命と人生に、歪(ひず)みを生(しょう)じ、さまざまな形で不幸が出現してくる。

本当は、宗教は自分の人生と生命に、大きな影響を与えている。だから、本来、生命は幸福になるためにあるのに、さまざまな歪(ひず)みが生まれ、さまざまな不幸が生まれる。

現代、日本に広められている葬式仏教や、観光仏教など、それらは、ちょっとまともに理屈を考えただけでも、あるいは世間一般的に考えたとしても、それらが間違っていることは、わかりきっている。
にもかかわらず、そんなこと、どうでもいいと、広められている。
けれど、それらの間違った宗教が、実は、不幸の根源なんです。

表面的には、不幸の原因はいくらでも、考えることはできる。では、なぜ、そうなってしまったのか?なぜ、そのような不幸の原因を作ってしまったのか?人は、そのことに気づかない。

けれど言い切るとこができる。その不幸の根源には、必ず、間違った宗教がある!

なぜ、こんなことになったのか?なぜ、こんな不幸な目にあってしまったのか?人は、そこまでは、見当(けんとう)もつかない。また、考えてもいない。だから、宗教の重要性など、まったく気づかない。

だから、逆に、宗教の重要性に気づぎ、真実の宗教を実践していったならば、悪しき不幸の鉄鎖(てっさ)を断(た)ち切って、幸せをつかみとることができる。

その悪(あ)しき不幸の鉄鎖を断ち切り、幸福をつかみとることのできる宗教が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです。

トルストイが言うように、生命は、幸福のために与えられている。
その生命が持っている究極の幸福の力が、実は、『南無妙法蓮華経』なんです。だから南無妙法蓮華経を、となえることによって、生命が本来持っている、幸福になる力が、呼び覚(さ)まされる。そして、その幸福になる力は、生命を歓喜させ、さまざまな活力や希望、勇気や充実感となって、その人に幸福になる力を、呼び覚(さ)まし、行動させ、その人を幸せにしていく。それはやがて、その人の夢や希望をかなえる結果につながり、その人の人生に勝利と幸せを、もたらす。

それが、創価学会が実践している南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんてす。


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