ひまわりの種330 [悩み]
オーストリア元文部次官で声楽家のユッタ・ウンカルト・サイフェルト博士が、池田先生(創価学会インターナショナル会長)との対談の中で、言っています。
それは、池田先生が、仏典(ぶってん)の中の『声仏事(ぶつじ)を為(な)す』について語られた後です。
池田先生は、言います。
「仏典にはこうあります。『声仏事(ぶつじ)を為(な)す』と。
他の言葉に言い換(か)えるならば、『仏事(ぶつじ)』とは、誰人(たれびと)にも胸中に尊極(そんごく)な生命があることを教え、人々に「生きゆく力」と「希望」そして「勇気」を贈(おく)るという意義(いぎ)になりましょうか。」
それに対して、サイフェルト博士は言います。
「その一節(いっせつ)、とても素晴らしいと思います。伺(うかが)って、忘れられない思い出が心に浮かびました。
池田香峯子夫人(かねこふじん/池田会長夫人)についてです。私が個人的に悩みを抱(かか)え、本当につらかった時にお会いしたことがありました。
内容はお伝えしなかったのですが、お別れの折(おり)、思わず涙(なみだ)が出てしまいました。その時、香峯子夫人は一言、とても優(やさ)しく寄り添(よりそ)うような言葉で慰(なぐさ)めてくださいました。そして南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)との題目(だいもく)を唱(とな)えてくださったのです。
それまではとても不安で、できれば家に戻(もど)りたくないというのが本心(ほんしん)でしたが、それから帰宅し、全て解決(かいけつ)できました。
あの時、香峯子夫人の声に救(すく)われました。思い返すと、今でも涙が出てきます。本当に感謝しています。私に日本語ができれば自由にお話がしたいのですが。」
・・・・・・・・・・・・・
ぼくが、かってに思うに、池田会長夫人(香峯子夫人)は、サイフェルト博士と別れるときに、南無妙法蓮華経をとなえただけではなく、その後もきっと、サイフェルト博士の悩みの解決と幸せのために、ご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経をとなえてくれたのではないか・・と思います。
ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることをあらわしたものが、ご本尊で、創価学会の人たちは、その「ご本尊(ほんぞん)」に日々、南無妙法蓮華経をとなえて祈っています。
そして、先ほど言ったように、ぼくのかってな思い込みではありますが、池田会長夫人(香峯子夫人)は、サイフェルト博士の幸せを願って、ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえたにちがいないと思えてならないんです・・。
何を言いたいかというと、池田会長夫人(香峯子夫人)がとなえた『南無妙法蓮華経』、創価学会の人たちがとなえている『南無妙法蓮華経』には、力(ちから)がある!ということです。
人間の悩みを解決する力、人間に幸せをもたらす力が、南無妙法蓮華経には、確実に、現実に、『ある!!』ということです。
それゆえに、サイフェルト博士の悩みも、解決していった。そう思えてなりません。
また、『南無妙法蓮華経』には、人間の生命を変革(へんかく)していく力がある!ということです。
それは、南無妙法蓮華経をとなえている自分自身の生命だけでなく、自分が思い願っている人、その相手の人の生命、その相手の人の心さえも、変えていける!ということです。
ゆえに、サイフェルト博士の心が変わり、そのことによって、サイフェルト博士の悩みも解決していった。
そう言えるのではないかと思います。
また、南無妙法蓮華経をとなえる、その音声(おんじょう)は、部分的、局所(きょくしょ)的な人だけでなく、世界そのものに伝わっていく。その人が住む、家庭や地域、職場にも伝わり、間接的(かんせつてき)にも、直接的にも、その人や周りの人々を幸せにしていく。
大きく言えば、南無妙法蓮華経の音声(おんじょう)は、全宇宙に通(つう)じていく。
また、生命の次元(じげん)から言えば、死んでいった人々の生命、自分の家族や先祖(せんぞ)、今は亡(な)き人々の生命にも伝わっていく。たとえ、その死んでいった人の生命が、地獄(じごく)のような苦しみを味わっていたとしても、その苦しみを消し去り、昇華(しょうか)して、その亡くなっていった人々の生命を幸せにすることができる。
たとえて言うなら、その亡くなった生命が、地獄にいたとしても、その人の生命を救いだし、幸福の世界へと導くことができる!
それが、『南無妙法蓮華経』です。
ともかく、南無妙法蓮華経の力は、計(はか)り知れない。
たったひとことの『南無妙法蓮華経』であったとしても、無限の力と可能性を秘(ひ)めている。
まして、その南無妙法蓮華経をとなえた人の真心(まごころ)と愛情が強ければ強いほど、その真心は伝わり、相手の心を変え、生命を幸せに変え、その人を幸せにしていける。
ゆえに、サイフェルト博士の悩みも解決していった。
そう言えると思います。
また、その創価学会(そうかがっかい)の人たちがとなえる『南無妙法蓮華経』によって、どれだけの人の心が幸せに変わり、蘇生(そせい)していったかは、計り知れない。
それは、もの凄(すご)いことであり、まさにそれは、生命の『幸せの革命(かくめい)』と言っていいと思います。
そういう「幸せの革命」を世界中の人々の中に起こし、現実に悩みを解決させ、現実に夢や希望をかなえる力となって、人々を幸せにしてきたのが、 『創価学会』です。
そして、その悩みを解決し、夢や希望をかなえていく、無限(むげん)の『幸せの力』が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!
それは、池田先生が、仏典(ぶってん)の中の『声仏事(ぶつじ)を為(な)す』について語られた後です。
池田先生は、言います。
「仏典にはこうあります。『声仏事(ぶつじ)を為(な)す』と。
他の言葉に言い換(か)えるならば、『仏事(ぶつじ)』とは、誰人(たれびと)にも胸中に尊極(そんごく)な生命があることを教え、人々に「生きゆく力」と「希望」そして「勇気」を贈(おく)るという意義(いぎ)になりましょうか。」
それに対して、サイフェルト博士は言います。
「その一節(いっせつ)、とても素晴らしいと思います。伺(うかが)って、忘れられない思い出が心に浮かびました。
池田香峯子夫人(かねこふじん/池田会長夫人)についてです。私が個人的に悩みを抱(かか)え、本当につらかった時にお会いしたことがありました。
内容はお伝えしなかったのですが、お別れの折(おり)、思わず涙(なみだ)が出てしまいました。その時、香峯子夫人は一言、とても優(やさ)しく寄り添(よりそ)うような言葉で慰(なぐさ)めてくださいました。そして南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)との題目(だいもく)を唱(とな)えてくださったのです。
それまではとても不安で、できれば家に戻(もど)りたくないというのが本心(ほんしん)でしたが、それから帰宅し、全て解決(かいけつ)できました。
あの時、香峯子夫人の声に救(すく)われました。思い返すと、今でも涙が出てきます。本当に感謝しています。私に日本語ができれば自由にお話がしたいのですが。」
・・・・・・・・・・・・・
ぼくが、かってに思うに、池田会長夫人(香峯子夫人)は、サイフェルト博士と別れるときに、南無妙法蓮華経をとなえただけではなく、その後もきっと、サイフェルト博士の悩みの解決と幸せのために、ご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経をとなえてくれたのではないか・・と思います。
ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることをあらわしたものが、ご本尊で、創価学会の人たちは、その「ご本尊(ほんぞん)」に日々、南無妙法蓮華経をとなえて祈っています。
そして、先ほど言ったように、ぼくのかってな思い込みではありますが、池田会長夫人(香峯子夫人)は、サイフェルト博士の幸せを願って、ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえたにちがいないと思えてならないんです・・。
何を言いたいかというと、池田会長夫人(香峯子夫人)がとなえた『南無妙法蓮華経』、創価学会の人たちがとなえている『南無妙法蓮華経』には、力(ちから)がある!ということです。
人間の悩みを解決する力、人間に幸せをもたらす力が、南無妙法蓮華経には、確実に、現実に、『ある!!』ということです。
それゆえに、サイフェルト博士の悩みも、解決していった。そう思えてなりません。
また、『南無妙法蓮華経』には、人間の生命を変革(へんかく)していく力がある!ということです。
それは、南無妙法蓮華経をとなえている自分自身の生命だけでなく、自分が思い願っている人、その相手の人の生命、その相手の人の心さえも、変えていける!ということです。
ゆえに、サイフェルト博士の心が変わり、そのことによって、サイフェルト博士の悩みも解決していった。
そう言えるのではないかと思います。
また、南無妙法蓮華経をとなえる、その音声(おんじょう)は、部分的、局所(きょくしょ)的な人だけでなく、世界そのものに伝わっていく。その人が住む、家庭や地域、職場にも伝わり、間接的(かんせつてき)にも、直接的にも、その人や周りの人々を幸せにしていく。
大きく言えば、南無妙法蓮華経の音声(おんじょう)は、全宇宙に通(つう)じていく。
また、生命の次元(じげん)から言えば、死んでいった人々の生命、自分の家族や先祖(せんぞ)、今は亡(な)き人々の生命にも伝わっていく。たとえ、その死んでいった人の生命が、地獄(じごく)のような苦しみを味わっていたとしても、その苦しみを消し去り、昇華(しょうか)して、その亡くなっていった人々の生命を幸せにすることができる。
たとえて言うなら、その亡くなった生命が、地獄にいたとしても、その人の生命を救いだし、幸福の世界へと導くことができる!
それが、『南無妙法蓮華経』です。
ともかく、南無妙法蓮華経の力は、計(はか)り知れない。
たったひとことの『南無妙法蓮華経』であったとしても、無限の力と可能性を秘(ひ)めている。
まして、その南無妙法蓮華経をとなえた人の真心(まごころ)と愛情が強ければ強いほど、その真心は伝わり、相手の心を変え、生命を幸せに変え、その人を幸せにしていける。
ゆえに、サイフェルト博士の悩みも解決していった。
そう言えると思います。
また、その創価学会(そうかがっかい)の人たちがとなえる『南無妙法蓮華経』によって、どれだけの人の心が幸せに変わり、蘇生(そせい)していったかは、計り知れない。
それは、もの凄(すご)いことであり、まさにそれは、生命の『幸せの革命(かくめい)』と言っていいと思います。
そういう「幸せの革命」を世界中の人々の中に起こし、現実に悩みを解決させ、現実に夢や希望をかなえる力となって、人々を幸せにしてきたのが、 『創価学会』です。
そして、その悩みを解決し、夢や希望をかなえていく、無限(むげん)の『幸せの力』が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!
ひまわりの種329 [世界]
ロシアの元宇宙飛行士である、アレクサンドル・セレブロフ博士が、池田先生(創価学会インターナショナル会長)との対談集の中で、言っています。
宇宙飛行士に最も必要な資質(ししつ)は何か - - -
「それは、『人間としての品性(ひんせい)』をもっていることです。
つまり、ずるいことや卑(いや)しいことをしない『高潔(こうけつ)な人格』です。」
「そして、もう一つ、大切な要件(ようけん)は、『ユーモアのセンス』です。」
置かれた状況(じょうきょう)を笑い飛(と)ばすくらいの度胸(どきょう)が必要だということだそうです。
アレクサンドル・セレブロス博士は、1982年から94年に至(いた)るまで、計4度、372日22時間52分にわたる宇宙飛行を経験。船外活動は10回に及(およ)んだ。その実績は、94年度版のギネスブックにも記録されている。
セレブロス博士は、宇宙飛行の中で、死を覚悟(かくご)したことが三度あったそうです。
1度目は1983年4月、2回目の宇宙飛行。宇宙ステーションとのドッキングに失敗し、衝突(しょうとつ)事故を起こす寸前(すんぜん)だった。
「レバーを下ろせ!」
セレブロフ博士のとっさの判断で、博士の乗った宇宙船「ソユーズT8号」は宇宙ステーションをかすめるように通り過ぎていった。
2度目は93年9月16日、6回目の宇宙遊泳(ゆうえい)のとき。なんと、博士の命綱(いのちづな)が外れてしまったのだ。
「外れてるぞ!」
と船長が叫ぶ。
「そんなことは、わかっている。」と博士。
必死にステーションの一部にしがみつき、宇宙の藻(も)くずとなる運命を免(まぬか)れた。
3度目は94年1月14日。宇宙船「ソユーズ」に乗って、ステーション「ミール」の近くを飛んでいた。すると突然、制御(せいぎょ)レバーが効(き)かなくなった。
ソユーズが、秒速1メートルでミールに近づいていく。
偶然(ぐうぜん)、ソユーズはミールのアンテナに引っかかった。衝撃(しょうげき)が和(やわ)らぎ、博士のいた居住区(きょじゅうく)の壁(かべ)が破壊(はかい)されずに済(す)んだ。
そのセレブロス博士が、池田先生との対談を終えた後、言っています。
「私が経験したことの内実(ないじつ)を吟味(ぎんみ)し、まさに新たな人生哲学(てつがく)に昇華(しょうか)しえたのは、池田先生という並外(なみはず)れた魅力的な、傑出(けっしゅつ)した深い人格と出会い、語り合えたからにほかならい。」
そして、セレブロス博士は、池田先生を、『人生の師(し)』と呼んだ。
宇宙飛行士といえば、エリート中のエリートです。
そのエリート中のエリートでさえ、納得(なっとく)させ、尊敬と共感(きょうかん)を禁じ得(きんじえ)ないのが、創価学会の、『池田先生』だということです。
また、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法(ぶっぽう)には、宇宙を体験したようなエリート中のエリートでさえも、納得させ、大きな感銘(かんめい)を抱(いだ)かせる、明確な哲学がある!ということです。
では、逆(ぎゃく)に、セレブロス博士のようなエリートでないと、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、理解できないか?というと、それも違(ちが)う。
創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、専門的な知識など、まったくないような、おじいちゃんやおばあちゃんであっても、また、子供であっても、納得(なっとく)させられるものがある!
すなわち、どんな人にでも、納得させ、歓喜(かんき)して実践(じっせん)していける、ものすごい力(ちから)であり、エネルギーが、創価学会が実践している南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです。
すなわち、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰を、現実にやってみることによって、理屈(りくつ)や理論など、まったくわからない人であっても、『この創価学会の仏法はスゴイ!!』『この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、本物だ!!』と思えるだけの力とエネルギー、『結果』が、現実にもたらされる!ということです。
すなわち、超エリートから見ても、この創価学会の仏法(ぶっぽう)の生命哲学は、非の打ち所(ひのうちどころ)がなく、また、その仏法を実践した結果としても、非の打ち所のない、大きな『幸せ』という結果がもたらされる!ということです。
単純(たんじゅん)に言えば、世界中のどんな人であっても、幸せにすることができる!!ということです。
どんな人の悩みも解決していけるし、どんな人の夢や希望もかなえていけるだけの、大きな大きな力(ちから)になっていける!ということです。
どんな環境(かんきょう)の、どんな境遇(きょうぐう)の人の悩みにも対応(たいおう)し、どんな人の幸せにも対応して、その人たちの夢や希望をかなえていく、強力で決定的な力になっていく!ということです。
それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。
ゆえに、セレブロフ博士は、池田先生の対談のなかで、大きな共鳴(きょうめい)と感嘆(かんたん)を味わい、池田先生を、『人生の師』と呼んだ。
宇宙から見たとしても、人生という立場から見たとしても、世界の平和から見たとしても、悩みや問題の解決から見たとしても、夢や希望の実現、幸せという観点(かんてん)から見たとしても、非の打ち所がなく、完璧(かんぺき)な生命哲学、宇宙哲学、そして、現実に幸せになる!『幸福哲学』が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・。
宇宙飛行士に最も必要な資質(ししつ)は何か - - -
「それは、『人間としての品性(ひんせい)』をもっていることです。
つまり、ずるいことや卑(いや)しいことをしない『高潔(こうけつ)な人格』です。」
「そして、もう一つ、大切な要件(ようけん)は、『ユーモアのセンス』です。」
置かれた状況(じょうきょう)を笑い飛(と)ばすくらいの度胸(どきょう)が必要だということだそうです。
アレクサンドル・セレブロス博士は、1982年から94年に至(いた)るまで、計4度、372日22時間52分にわたる宇宙飛行を経験。船外活動は10回に及(およ)んだ。その実績は、94年度版のギネスブックにも記録されている。
セレブロス博士は、宇宙飛行の中で、死を覚悟(かくご)したことが三度あったそうです。
1度目は1983年4月、2回目の宇宙飛行。宇宙ステーションとのドッキングに失敗し、衝突(しょうとつ)事故を起こす寸前(すんぜん)だった。
「レバーを下ろせ!」
セレブロフ博士のとっさの判断で、博士の乗った宇宙船「ソユーズT8号」は宇宙ステーションをかすめるように通り過ぎていった。
2度目は93年9月16日、6回目の宇宙遊泳(ゆうえい)のとき。なんと、博士の命綱(いのちづな)が外れてしまったのだ。
「外れてるぞ!」
と船長が叫ぶ。
「そんなことは、わかっている。」と博士。
必死にステーションの一部にしがみつき、宇宙の藻(も)くずとなる運命を免(まぬか)れた。
3度目は94年1月14日。宇宙船「ソユーズ」に乗って、ステーション「ミール」の近くを飛んでいた。すると突然、制御(せいぎょ)レバーが効(き)かなくなった。
ソユーズが、秒速1メートルでミールに近づいていく。
偶然(ぐうぜん)、ソユーズはミールのアンテナに引っかかった。衝撃(しょうげき)が和(やわ)らぎ、博士のいた居住区(きょじゅうく)の壁(かべ)が破壊(はかい)されずに済(す)んだ。
そのセレブロス博士が、池田先生との対談を終えた後、言っています。
「私が経験したことの内実(ないじつ)を吟味(ぎんみ)し、まさに新たな人生哲学(てつがく)に昇華(しょうか)しえたのは、池田先生という並外(なみはず)れた魅力的な、傑出(けっしゅつ)した深い人格と出会い、語り合えたからにほかならい。」
そして、セレブロス博士は、池田先生を、『人生の師(し)』と呼んだ。
宇宙飛行士といえば、エリート中のエリートです。
そのエリート中のエリートでさえ、納得(なっとく)させ、尊敬と共感(きょうかん)を禁じ得(きんじえ)ないのが、創価学会の、『池田先生』だということです。
また、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法(ぶっぽう)には、宇宙を体験したようなエリート中のエリートでさえも、納得させ、大きな感銘(かんめい)を抱(いだ)かせる、明確な哲学がある!ということです。
では、逆(ぎゃく)に、セレブロス博士のようなエリートでないと、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、理解できないか?というと、それも違(ちが)う。
創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、専門的な知識など、まったくないような、おじいちゃんやおばあちゃんであっても、また、子供であっても、納得(なっとく)させられるものがある!
すなわち、どんな人にでも、納得させ、歓喜(かんき)して実践(じっせん)していける、ものすごい力(ちから)であり、エネルギーが、創価学会が実践している南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです。
すなわち、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰を、現実にやってみることによって、理屈(りくつ)や理論など、まったくわからない人であっても、『この創価学会の仏法はスゴイ!!』『この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、本物だ!!』と思えるだけの力とエネルギー、『結果』が、現実にもたらされる!ということです。
すなわち、超エリートから見ても、この創価学会の仏法(ぶっぽう)の生命哲学は、非の打ち所(ひのうちどころ)がなく、また、その仏法を実践した結果としても、非の打ち所のない、大きな『幸せ』という結果がもたらされる!ということです。
単純(たんじゅん)に言えば、世界中のどんな人であっても、幸せにすることができる!!ということです。
どんな人の悩みも解決していけるし、どんな人の夢や希望もかなえていけるだけの、大きな大きな力(ちから)になっていける!ということです。
どんな環境(かんきょう)の、どんな境遇(きょうぐう)の人の悩みにも対応(たいおう)し、どんな人の幸せにも対応して、その人たちの夢や希望をかなえていく、強力で決定的な力になっていく!ということです。
それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。
ゆえに、セレブロフ博士は、池田先生の対談のなかで、大きな共鳴(きょうめい)と感嘆(かんたん)を味わい、池田先生を、『人生の師』と呼んだ。
宇宙から見たとしても、人生という立場から見たとしても、世界の平和から見たとしても、悩みや問題の解決から見たとしても、夢や希望の実現、幸せという観点(かんてん)から見たとしても、非の打ち所がなく、完璧(かんぺき)な生命哲学、宇宙哲学、そして、現実に幸せになる!『幸福哲学』が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・。
ひまわりの種328 [希望]
アメリカの良心と言われる、ノーマン・カズンズ博士が、言っています。
『世界中で原爆(げんばく)よりも強力なのは、人間の精神の力(ちから)だけです。』
創価学会インターナショナル会長である、池田先生が、言っています。
『一人の生命が最も尊厳(そんげん)であり、宇宙大の力と智慧(ちえ)と可能性を秘(ひ)めていることを明確に説(と)き明かしたのが、私たちが探求(たんきゅう)し実践する大仏法(だいぶっぽう)です。』
ノーマン・カズンズ博士が言うように、人間の精神には、計(はか)り知れない強力な力がある。
また、池田先生が言うように、一人の人間の中には、宇宙大の力と智慧(ちえ)と可能性が秘められている。
創価学会(そうかがっかい)の人たちがやっていることは、その一人の人間の中にある、無限(むげん)の力と可能性、その一人の人間に秘(ひ)められた、精神の力がどれだけスゴイか!ということの証明(しょうめい)だと思う。
すなわち、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰には、人間の中に秘められた、知恵と力、可能性を、無限に引き出していく力がある!ということだと思う。
確かに、人間の中には、無限の知恵と力、可能性が秘(ひ)められいる。
それは、だれだってわかる。
けれど、それは単(たん)なる一般論(いっぱんろん)であり、世間でいうところの、「人間の中には、無限の知恵と力、可能性が秘(ひ)められいる。」というのには、具体性(ぐたいせい)がなく、それが直接的(ちょくせつてき)に、悩みの解決や夢の実現、さまざまな環境(かんきょう)や世界を変えていく現実的な方途(ほうと)とはならない。
「確かにそうだよね~」
「人間には無限の可能性があるよね~~。」
ということであり、何の解決策(かいけつさく)にも、人生を切り開く力にもなっていかない・・。
けれど、創価学会が言うところの、『人間の中には、無限の知恵と力、可能性がある!!』というのは、まったく意味が違(ちが)ってくる。
それは、現実であり、現実に実行可能なことであり、現実に、無限の智慧(ちえ)と力、可能性を切り開いていける!!ということです。
ようするに、現実に、悩みを解決していけるし、夢や希望をかなえていける!し、環境と世界を、より良く、平和に、幸福にしていくことができる!! ということです。
その現実を変えていくことのできる力(ちから)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。
たとえば、なにかの悩みがある。
どうしても解決(かいけつ)したい・・!
そんな時、創価学会の人たちは、「よし、創価学会の信心によって、必ず解決してみせる!」と決め、真剣にご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経をとなえていく。
ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。
そして、仏法の実践活動である創価学会の活動に挑戦していく。
そうしていった時、本当に悩みが解決していく。そして、より幸せになっていける!
また、なにかの夢や希望がある。
その時、創価学会の人たちは、当然、その夢や希望の実現のための具体的な努力はするとして、それにプラスアルファするかたちで、創価学会の信心に挑戦していく。
『必ず、この願いをかなえてみせる!!』と真剣にご本尊に南無妙法蓮華経をとなえ、仏法の実践である創価学会の活動にも、真剣に挑戦していく。
そうしていったとき、さまざまなことが積(つ)み重(かさ)なり、運を引き付け、まわりの人たちも味方(みかた)にして、本当に夢や希望をかなえることができていく。
それが、創価学会(そうかがっかい)の信心です。
どんな過酷(かこく)な運命であったとしても、どんな絶体絶命(ぜったいぜつめい)のピンチであったとしても、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信心によって、『悩みを解決することが、できた!!』『夢や希望を、かなえることができた!!』と、歓喜(かんき)の声をあげることが、できる。
現実に、そうなっていけるのが、創価学会の信心です。
また、それが、創価学会の歴史です。
その、ひとりひとりが、悩みを解決し、夢や希望をかなえていった積(つ)み重(かさ)ねが、世界192カ国に広がる、創価学会になったわけです。
ノーマン・カズンズ博士が言うように、人間の精神には、原爆(げんばく)よりも強力な力がある。
また、池田先生が言うように、一人の人間の中には、宇宙大の力と智慧(ちえ)と可能性が秘められている。
その生命の無限の力を、自分の人生の中で開花させ、自分の生命で体験し、勝利と幸せをもって、味わっていけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!
『世界中で原爆(げんばく)よりも強力なのは、人間の精神の力(ちから)だけです。』
創価学会インターナショナル会長である、池田先生が、言っています。
『一人の生命が最も尊厳(そんげん)であり、宇宙大の力と智慧(ちえ)と可能性を秘(ひ)めていることを明確に説(と)き明かしたのが、私たちが探求(たんきゅう)し実践する大仏法(だいぶっぽう)です。』
ノーマン・カズンズ博士が言うように、人間の精神には、計(はか)り知れない強力な力がある。
また、池田先生が言うように、一人の人間の中には、宇宙大の力と智慧(ちえ)と可能性が秘められている。
創価学会(そうかがっかい)の人たちがやっていることは、その一人の人間の中にある、無限(むげん)の力と可能性、その一人の人間に秘(ひ)められた、精神の力がどれだけスゴイか!ということの証明(しょうめい)だと思う。
すなわち、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰には、人間の中に秘められた、知恵と力、可能性を、無限に引き出していく力がある!ということだと思う。
確かに、人間の中には、無限の知恵と力、可能性が秘(ひ)められいる。
それは、だれだってわかる。
けれど、それは単(たん)なる一般論(いっぱんろん)であり、世間でいうところの、「人間の中には、無限の知恵と力、可能性が秘(ひ)められいる。」というのには、具体性(ぐたいせい)がなく、それが直接的(ちょくせつてき)に、悩みの解決や夢の実現、さまざまな環境(かんきょう)や世界を変えていく現実的な方途(ほうと)とはならない。
「確かにそうだよね~」
「人間には無限の可能性があるよね~~。」
ということであり、何の解決策(かいけつさく)にも、人生を切り開く力にもなっていかない・・。
けれど、創価学会が言うところの、『人間の中には、無限の知恵と力、可能性がある!!』というのは、まったく意味が違(ちが)ってくる。
それは、現実であり、現実に実行可能なことであり、現実に、無限の智慧(ちえ)と力、可能性を切り開いていける!!ということです。
ようするに、現実に、悩みを解決していけるし、夢や希望をかなえていける!し、環境と世界を、より良く、平和に、幸福にしていくことができる!! ということです。
その現実を変えていくことのできる力(ちから)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。
たとえば、なにかの悩みがある。
どうしても解決(かいけつ)したい・・!
そんな時、創価学会の人たちは、「よし、創価学会の信心によって、必ず解決してみせる!」と決め、真剣にご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経をとなえていく。
ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。
そして、仏法の実践活動である創価学会の活動に挑戦していく。
そうしていった時、本当に悩みが解決していく。そして、より幸せになっていける!
また、なにかの夢や希望がある。
その時、創価学会の人たちは、当然、その夢や希望の実現のための具体的な努力はするとして、それにプラスアルファするかたちで、創価学会の信心に挑戦していく。
『必ず、この願いをかなえてみせる!!』と真剣にご本尊に南無妙法蓮華経をとなえ、仏法の実践である創価学会の活動にも、真剣に挑戦していく。
そうしていったとき、さまざまなことが積(つ)み重(かさ)なり、運を引き付け、まわりの人たちも味方(みかた)にして、本当に夢や希望をかなえることができていく。
それが、創価学会(そうかがっかい)の信心です。
どんな過酷(かこく)な運命であったとしても、どんな絶体絶命(ぜったいぜつめい)のピンチであったとしても、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信心によって、『悩みを解決することが、できた!!』『夢や希望を、かなえることができた!!』と、歓喜(かんき)の声をあげることが、できる。
現実に、そうなっていけるのが、創価学会の信心です。
また、それが、創価学会の歴史です。
その、ひとりひとりが、悩みを解決し、夢や希望をかなえていった積(つ)み重(かさ)ねが、世界192カ国に広がる、創価学会になったわけです。
ノーマン・カズンズ博士が言うように、人間の精神には、原爆(げんばく)よりも強力な力がある。
また、池田先生が言うように、一人の人間の中には、宇宙大の力と智慧(ちえ)と可能性が秘められている。
その生命の無限の力を、自分の人生の中で開花させ、自分の生命で体験し、勝利と幸せをもって、味わっていけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!
ひまわりの種327 [世界]
世の中には、世界には、優秀(ゆうしゅう)な人がいる。
素晴らしい人がいる。
人道的(じんどうてき)に素晴らしいことをやっている人。
人間性が素晴らしい人。
素晴らしい才能と能力を発揮(はっき)して活躍(かつやく)している人。
世の中を変えるような発明や発見をした人。
どれも、これも、素晴らしいことであり、多いに尊敬すべきであり、賞賛(しょうさん)すべきだと思う。
けれど、本当は・・、それよりも素晴らしいことがある。
それよりも、讃(たた)えられるべきことがある。
それよりも、尊敬(そんけい)していかなければならないことがある。
それが、創価学会(そうかがっかい)の、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を実践し、その具体的な活動である、創価学会の活動を、真面目にやっている人たちです。
はっきり言えば、それは、究極(きゅうきょく)の正義(せいぎ)だからです。
究極の善(ぜん)であるからです。
人類と世界に幸せと平和をもたらす、究極の行動であるからです。
はっきり言えば、人類と世界を、根本から幸福に変えていける、これ以上の行動はないからです。
その人たちは、無名であり、名声も権力(けんりょく)もないかもしれない。
名もない庶民(しょみん)かもしれない。
けれど、根底(こんてい)から、確実に、着実(ちゃくじつ)に、世の中を良くし、幸せにしていく方法を知っている。
そして、それを実践(じっせん)している。
これ以上に尊(とうと)い行動があるだろうか・・・・!!
創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を行(おこな)っていくということは、実は、モノスゴイことなんです。
たとえば、地球は自転しながら、太陽のまわりを回っている。
それは、宇宙の、本源的(ほんげんてき)な法則(ほうそく)であり、力だと言える。
それと同じように、生命を、宇宙を、人間を、本源的な部分から幸せにしていく法則がある。力(ちから)がある。
その生命を、宇宙を、人間を、根本的な部分から幸せにしていく法則であり力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)です。
また、「南無妙法蓮華経」とは、地球が自転しながら太陽のまわりを回っているように、宇宙を動かしていく本源的な、究極の力(ちから)だとも言えます。
幸せをもたらす力、宇宙を動かしていく力・・!
それが、「南無妙法蓮華経」なんです。
そして、その「南無妙法蓮華経」を自(みずか)ら、となえて、仏法の実践活動である創価学会の活動をやっていくということは、宇宙を、世界を、人間を、幸せに変革(へんかく)し、幸せを現実にもたらしていくことになる。
それが、創価学会がやっていることです。
世界は、善と悪のせめぎ合いだとも言えます。また、世界は、幸せと不幸のせめぎ合いだとも言えます。
その中で、善の勢力(せいりょく)、幸せの勢力を、現実に増やし拡大(かくだい)しているのが、創価学会の人たちだと言えます。
また、世界に幸せの勢力を、どこまでも増やしていく力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。
世界の鋭(するど)い有識者たちは、そのことに気づいているから、創価学会に、最大の敬意(けいい)と賞賛(しょうさん)を贈(おく)っているわけです。
ある、世界の有識者が、創価学会のひとたちに向かって、言っていた。
「あなたたちは、自分たちが、どれだけスゴイことをやっているか、どれだけ素晴らしいことをやっているか、わかっていない・・・。」
確かに、創価学会の人たちは、そんな大げさなことは考えていない場合もある。
創価学会の理念(りねん)と目標が素晴らしいことはわかっているし、 それを目指(めざ)して、がんばっているとしても、日々やっていることは、地道で目立たないことが多いので、それほどスケールの大きいことは、あまり自覚(じかく)していないこともある。
けれど、その世界の有識者が言うように、創価学会の人たちがやっていることは、実は、スゴイことであり、素晴らしいことなんです。
もっとも、創価学会の人たちは、そんな大げさな自覚はないとしても、素晴らしい賞賛(しょうさん)がなかったとしても、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰と、仏法の実践活動である創価学会の活動を、喜々(きき)として行っている。
なぜなら、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践することは、実質的(じっしつてき)に、ものすごく価値(かち)のあることであり、ものすごい力(ちから)のあることだからです。
それだけの、ものすごい価値と力のあることをやっているのだから、幸せにならないわけがない!からです。
その南無妙法蓮華経の仏法を実践していった結果として、現実に、悩みを解決していけたり、夢や希望をかなえていけたりしてしまうからです。
結果が出てしまう。そして、最終的に、最高の勝利と幸せを勝ち取ることができる。
だから、創価学会の人たちは、喜々として創価学会の活動をすることができる。
また、それが、創価学会がやっていることが、どれだけ素晴らしいか・・!どれだけ偉大か・・・!どれだけスゴイことかの、実質的な証明(しょうめい)になっていると、言えると思います・・・。
素晴らしい人がいる。
人道的(じんどうてき)に素晴らしいことをやっている人。
人間性が素晴らしい人。
素晴らしい才能と能力を発揮(はっき)して活躍(かつやく)している人。
世の中を変えるような発明や発見をした人。
どれも、これも、素晴らしいことであり、多いに尊敬すべきであり、賞賛(しょうさん)すべきだと思う。
けれど、本当は・・、それよりも素晴らしいことがある。
それよりも、讃(たた)えられるべきことがある。
それよりも、尊敬(そんけい)していかなければならないことがある。
それが、創価学会(そうかがっかい)の、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を実践し、その具体的な活動である、創価学会の活動を、真面目にやっている人たちです。
はっきり言えば、それは、究極(きゅうきょく)の正義(せいぎ)だからです。
究極の善(ぜん)であるからです。
人類と世界に幸せと平和をもたらす、究極の行動であるからです。
はっきり言えば、人類と世界を、根本から幸福に変えていける、これ以上の行動はないからです。
その人たちは、無名であり、名声も権力(けんりょく)もないかもしれない。
名もない庶民(しょみん)かもしれない。
けれど、根底(こんてい)から、確実に、着実(ちゃくじつ)に、世の中を良くし、幸せにしていく方法を知っている。
そして、それを実践(じっせん)している。
これ以上に尊(とうと)い行動があるだろうか・・・・!!
創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を行(おこな)っていくということは、実は、モノスゴイことなんです。
たとえば、地球は自転しながら、太陽のまわりを回っている。
それは、宇宙の、本源的(ほんげんてき)な法則(ほうそく)であり、力だと言える。
それと同じように、生命を、宇宙を、人間を、本源的な部分から幸せにしていく法則がある。力(ちから)がある。
その生命を、宇宙を、人間を、根本的な部分から幸せにしていく法則であり力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)です。
また、「南無妙法蓮華経」とは、地球が自転しながら太陽のまわりを回っているように、宇宙を動かしていく本源的な、究極の力(ちから)だとも言えます。
幸せをもたらす力、宇宙を動かしていく力・・!
それが、「南無妙法蓮華経」なんです。
そして、その「南無妙法蓮華経」を自(みずか)ら、となえて、仏法の実践活動である創価学会の活動をやっていくということは、宇宙を、世界を、人間を、幸せに変革(へんかく)し、幸せを現実にもたらしていくことになる。
それが、創価学会がやっていることです。
世界は、善と悪のせめぎ合いだとも言えます。また、世界は、幸せと不幸のせめぎ合いだとも言えます。
その中で、善の勢力(せいりょく)、幸せの勢力を、現実に増やし拡大(かくだい)しているのが、創価学会の人たちだと言えます。
また、世界に幸せの勢力を、どこまでも増やしていく力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。
世界の鋭(するど)い有識者たちは、そのことに気づいているから、創価学会に、最大の敬意(けいい)と賞賛(しょうさん)を贈(おく)っているわけです。
ある、世界の有識者が、創価学会のひとたちに向かって、言っていた。
「あなたたちは、自分たちが、どれだけスゴイことをやっているか、どれだけ素晴らしいことをやっているか、わかっていない・・・。」
確かに、創価学会の人たちは、そんな大げさなことは考えていない場合もある。
創価学会の理念(りねん)と目標が素晴らしいことはわかっているし、 それを目指(めざ)して、がんばっているとしても、日々やっていることは、地道で目立たないことが多いので、それほどスケールの大きいことは、あまり自覚(じかく)していないこともある。
けれど、その世界の有識者が言うように、創価学会の人たちがやっていることは、実は、スゴイことであり、素晴らしいことなんです。
もっとも、創価学会の人たちは、そんな大げさな自覚はないとしても、素晴らしい賞賛(しょうさん)がなかったとしても、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰と、仏法の実践活動である創価学会の活動を、喜々(きき)として行っている。
なぜなら、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践することは、実質的(じっしつてき)に、ものすごく価値(かち)のあることであり、ものすごい力(ちから)のあることだからです。
それだけの、ものすごい価値と力のあることをやっているのだから、幸せにならないわけがない!からです。
その南無妙法蓮華経の仏法を実践していった結果として、現実に、悩みを解決していけたり、夢や希望をかなえていけたりしてしまうからです。
結果が出てしまう。そして、最終的に、最高の勝利と幸せを勝ち取ることができる。
だから、創価学会の人たちは、喜々として創価学会の活動をすることができる。
また、それが、創価学会がやっていることが、どれだけ素晴らしいか・・!どれだけ偉大か・・・!どれだけスゴイことかの、実質的な証明(しょうめい)になっていると、言えると思います・・・。
ひまわりの種326 [悩み]
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。
『人が同情(どうじょう)してくれない。理解してくれない。
- - - あまりにも、ちっぽけなことである。
正々堂々(せいせいどうどう)と、汝自身(なんじじしん)に生き抜(ぬ)き、祈りと行動で、この人生を飾(かざ)っていただきたい!諸天善神(しょてんぜんじん)を揺(ゆ)り動かしていく、自分自身になっていただきたい!』
ちなみに、池田先生が言う『祈り』とは、世間一般的な葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教の祈りではなく、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうけんげきょう)をとなえて祈る、『祈り』のことです。
また、『諸天善神(しょてんぜんじん)』とは、自分を守ったり、助けたり、人生を導(みちび)いてくれるような、あらゆる働(はたら)きをいい、 諸天善神となるのは、人であったり、さまざまな環境や状況(じょうきょう)であったり、さまざまな運(うん)であったり、人生におこるさまざなな事柄(ことがら)が、自分にとっての諸天善神になっていきます。そういう自分に幸せをもたらす、あらゆる働きを『諸天善神』と言います。
人が同情してくれない。理解してくれない。そんなことは小さなこと。とるに足(た)らないこと!!そんなことは、大きく見下(みお)ろして、自(みずか)らの、南無妙法蓮華経をとなえる祈りと、行動によって人生を飾(かざ)っていく・・!
すなわち、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、自分自身を太陽と輝(かがや)かせる!
自分自身が太陽と輝いたならば、人がどうあろうと、もう関係ない!!
なぜなら、自分自身が、もう、輝いているのだから・・!
もう、自分自身から光が発(はっ)せられているのだから、人が同情してくれなかろうと、理解してくれなかろうと、関係ない。逆(ぎゃく)に、自分自身の輝きの光によって、周りの人々、環境(かんきょう)や世界に光をあて、輝かせ、幸せにしていくことができる。
それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です。
自(みずか)らが、主体(しゅたい)となって、一国の王のように、人生に立ち向かい、そして勝っていく。それを可能にするのが、南無妙法蓮華経をとなえることを根本(こんぽん)とした、創価学会の信仰であり、活動です。
そして、池田先生が言うように、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を根本にして、人生に立ち向かっていったとき、南無妙法蓮華経は、あらゆるものを動かしていく力、あらゆるものを幸せにしていく力、あらゆる幸せを自分に引きつけ、引き込(こ)んでいく力(ちから)なので、結果として、必ず幸せになっていく。
また、南無妙法蓮華経は、あらゆるものを変革(へんかく)していく力なので、自分自身が大きく変わり、より良く境涯革命(きょうがいかくめい)していくことができる。
そうなれば、さまざまな悩みを解決することができるし、あらゆる困難(こんなん)も乗り越(こ)えていくことができる。そして、夢や希望をかなえていける自分になっていくことができる。
それとともに、さきほど言ったように、南無妙法蓮華経は幸せをもたらす力なので、「運(うん)」が自分に引き寄(よ)せられ、幸せをつかむ上で、とても重要(じゅうよう)だと言える、ラッキーや運をつかむことができる。
だから、人が同情してくれなくても、理解してくれなくても、関係ない!!
自分自身が、この創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰によって、自(みずか)らが輝き、自らの運命を切り開き、一国の王者のごとく、 あらゆる幸せのエネルギーを引き寄(よ)せ、人生を勝利していける。
それが、自分自身の祈りと行動によって、最高の人生、最高の勝利をつかんでいける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです・・・!
『人が同情(どうじょう)してくれない。理解してくれない。
- - - あまりにも、ちっぽけなことである。
正々堂々(せいせいどうどう)と、汝自身(なんじじしん)に生き抜(ぬ)き、祈りと行動で、この人生を飾(かざ)っていただきたい!諸天善神(しょてんぜんじん)を揺(ゆ)り動かしていく、自分自身になっていただきたい!』
ちなみに、池田先生が言う『祈り』とは、世間一般的な葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教の祈りではなく、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうけんげきょう)をとなえて祈る、『祈り』のことです。
また、『諸天善神(しょてんぜんじん)』とは、自分を守ったり、助けたり、人生を導(みちび)いてくれるような、あらゆる働(はたら)きをいい、 諸天善神となるのは、人であったり、さまざまな環境や状況(じょうきょう)であったり、さまざまな運(うん)であったり、人生におこるさまざなな事柄(ことがら)が、自分にとっての諸天善神になっていきます。そういう自分に幸せをもたらす、あらゆる働きを『諸天善神』と言います。
人が同情してくれない。理解してくれない。そんなことは小さなこと。とるに足(た)らないこと!!そんなことは、大きく見下(みお)ろして、自(みずか)らの、南無妙法蓮華経をとなえる祈りと、行動によって人生を飾(かざ)っていく・・!
すなわち、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、自分自身を太陽と輝(かがや)かせる!
自分自身が太陽と輝いたならば、人がどうあろうと、もう関係ない!!
なぜなら、自分自身が、もう、輝いているのだから・・!
もう、自分自身から光が発(はっ)せられているのだから、人が同情してくれなかろうと、理解してくれなかろうと、関係ない。逆(ぎゃく)に、自分自身の輝きの光によって、周りの人々、環境(かんきょう)や世界に光をあて、輝かせ、幸せにしていくことができる。
それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です。
自(みずか)らが、主体(しゅたい)となって、一国の王のように、人生に立ち向かい、そして勝っていく。それを可能にするのが、南無妙法蓮華経をとなえることを根本(こんぽん)とした、創価学会の信仰であり、活動です。
そして、池田先生が言うように、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を根本にして、人生に立ち向かっていったとき、南無妙法蓮華経は、あらゆるものを動かしていく力、あらゆるものを幸せにしていく力、あらゆる幸せを自分に引きつけ、引き込(こ)んでいく力(ちから)なので、結果として、必ず幸せになっていく。
また、南無妙法蓮華経は、あらゆるものを変革(へんかく)していく力なので、自分自身が大きく変わり、より良く境涯革命(きょうがいかくめい)していくことができる。
そうなれば、さまざまな悩みを解決することができるし、あらゆる困難(こんなん)も乗り越(こ)えていくことができる。そして、夢や希望をかなえていける自分になっていくことができる。
それとともに、さきほど言ったように、南無妙法蓮華経は幸せをもたらす力なので、「運(うん)」が自分に引き寄(よ)せられ、幸せをつかむ上で、とても重要(じゅうよう)だと言える、ラッキーや運をつかむことができる。
だから、人が同情してくれなくても、理解してくれなくても、関係ない!!
自分自身が、この創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰によって、自(みずか)らが輝き、自らの運命を切り開き、一国の王者のごとく、 あらゆる幸せのエネルギーを引き寄(よ)せ、人生を勝利していける。
それが、自分自身の祈りと行動によって、最高の人生、最高の勝利をつかんでいける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです・・・!
ひまわりの種325 [希望]
以前、聖教(せいきょう)新聞に、ある創価学会(そうかがっかい)に新しく入会した壮年の体験がのっていました。
その壮年(そうねん)の入会のきっかけは、六年前の東日本大震災(だいしんさい)の被災地(ひさいち)で目(ま)の当たりにした創価学会員の医師や看護士(かんごし)はじめ、創価の友の献身(けんしん)の姿だったそうです。
彼は語っています。
「その創価学会の人たちの言葉は苦しんでいる人々の心に染(し)み入る誠実(せいじつ)さに溢(あふ)れていました。
その姿を見る度(たび)に、私は何度も目頭(めがしら)が熱くなりました。」
「疲(つか)れを知らない情熱の根拠(こんきょ)を知りたいと思いました。」
彼は、自分の生き方を根底(こんてい)から変えようと創価学会に入会。さっそく、二人の友も入会に導(みちび)き、共に黄金(おうごん)の人生を歩(あゆ)まれているそうです。
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。
『創価の友の「人の振舞(ふるまい)」ほど、雄弁(ゆうべん)に仏法(ぶっぽう)の素晴らしさを物語るものはない。
友のため、地域のため、社会のため、真心を尽(つ)くす、わが同志の「振舞」の積(つ)み重ねが、知らず知らすのうちに、無数の仏縁(ぶつえん)を結(むす)び、育(はぐくみ)み、広げてきたのだ。
時代は一段(いちだん)と我らの価値創造(かちそうぞう)の行動を求めている。』
人の振舞(ふるまい)は、ウソをつけない。
人の振舞には、真実が込(こ)められている。
とくに、何かあって、大変な時は、そうかもしれない。
そんな時、光るのが、創価学会の人たちの、仏法(ぶっぽう)の信仰によって培(つちか)った生命の輝(かがや)きであり、その振舞だと思う。
確かに、いいかげんな三流雑誌などを読んで、創価学会を良く思っていなかった人であっても、なにかの機会に、創価学会の人たちの振舞にふれ、見方が180度変わったということは、たくさんある・・!!
創価学会の人たちの振舞が、多くの感動をもたらしたことも、多々(たた)あると思う。
それは、人間としても、人生という道からしても、創価学会が間違(まちが)っていない!ことを表(あらわ)している。
また、間違っていないだけでなく、人生にとっても、人間にとってもプラスになり、幸せと希望と勝利をもたらす、大きな大きなエネルギーであることがわかる。
率直(そっちょく)に言えば、それが、創価学会の人たちが実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、 仏法の信仰なんだと思う。
もとより、その創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、人間にとっても人生にとっても、生き方としてプラスになるだけでなく、現実に悩みや苦しみを解決する力(ちから)となっていく。現実に、夢や希望をつかむ強力なエネルギーになって、その人々に夢や希望をかなえさせ、幸せを実現している。
要(よう)するに、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰は、人間としても生き方としても素晴らしいだけでなく、人間として、人生として、素晴らしい生き方をするがゆえに、その素晴らしい結果として、悩みを解決できたり、夢や希望をかなえていけるようになっていく!ということです。
すべてにわたって、人間としても、人生としても、自分の夢や希望にとっても、自分の悩みの解決のためにも、なんの矛盾(むじゅん)もなく、すべてを叶(かな)え、実現していける、ものすごい法則(ほうそく)であり、力(ちから)だということです。
それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰です。
ともかく、池田先生が言うように、時代は、創価学会の哲学(てつがく)を求めている。生きることに対する確固(かっこ)たる価値(かち)と希望と力(ちから)を求めている。
その絶対の価値となるもの。絶対の希望となるもの。どんな悩みや困難があったとしても乗り越(こ)え、解決していける、夢や希望をかなえていける決定的な法則(ほうそく)であり力となるものが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・。
その壮年(そうねん)の入会のきっかけは、六年前の東日本大震災(だいしんさい)の被災地(ひさいち)で目(ま)の当たりにした創価学会員の医師や看護士(かんごし)はじめ、創価の友の献身(けんしん)の姿だったそうです。
彼は語っています。
「その創価学会の人たちの言葉は苦しんでいる人々の心に染(し)み入る誠実(せいじつ)さに溢(あふ)れていました。
その姿を見る度(たび)に、私は何度も目頭(めがしら)が熱くなりました。」
「疲(つか)れを知らない情熱の根拠(こんきょ)を知りたいと思いました。」
彼は、自分の生き方を根底(こんてい)から変えようと創価学会に入会。さっそく、二人の友も入会に導(みちび)き、共に黄金(おうごん)の人生を歩(あゆ)まれているそうです。
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。
『創価の友の「人の振舞(ふるまい)」ほど、雄弁(ゆうべん)に仏法(ぶっぽう)の素晴らしさを物語るものはない。
友のため、地域のため、社会のため、真心を尽(つ)くす、わが同志の「振舞」の積(つ)み重ねが、知らず知らすのうちに、無数の仏縁(ぶつえん)を結(むす)び、育(はぐくみ)み、広げてきたのだ。
時代は一段(いちだん)と我らの価値創造(かちそうぞう)の行動を求めている。』
人の振舞(ふるまい)は、ウソをつけない。
人の振舞には、真実が込(こ)められている。
とくに、何かあって、大変な時は、そうかもしれない。
そんな時、光るのが、創価学会の人たちの、仏法(ぶっぽう)の信仰によって培(つちか)った生命の輝(かがや)きであり、その振舞だと思う。
確かに、いいかげんな三流雑誌などを読んで、創価学会を良く思っていなかった人であっても、なにかの機会に、創価学会の人たちの振舞にふれ、見方が180度変わったということは、たくさんある・・!!
創価学会の人たちの振舞が、多くの感動をもたらしたことも、多々(たた)あると思う。
それは、人間としても、人生という道からしても、創価学会が間違(まちが)っていない!ことを表(あらわ)している。
また、間違っていないだけでなく、人生にとっても、人間にとってもプラスになり、幸せと希望と勝利をもたらす、大きな大きなエネルギーであることがわかる。
率直(そっちょく)に言えば、それが、創価学会の人たちが実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、 仏法の信仰なんだと思う。
もとより、その創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、人間にとっても人生にとっても、生き方としてプラスになるだけでなく、現実に悩みや苦しみを解決する力(ちから)となっていく。現実に、夢や希望をつかむ強力なエネルギーになって、その人々に夢や希望をかなえさせ、幸せを実現している。
要(よう)するに、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰は、人間としても生き方としても素晴らしいだけでなく、人間として、人生として、素晴らしい生き方をするがゆえに、その素晴らしい結果として、悩みを解決できたり、夢や希望をかなえていけるようになっていく!ということです。
すべてにわたって、人間としても、人生としても、自分の夢や希望にとっても、自分の悩みの解決のためにも、なんの矛盾(むじゅん)もなく、すべてを叶(かな)え、実現していける、ものすごい法則(ほうそく)であり、力(ちから)だということです。
それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰です。
ともかく、池田先生が言うように、時代は、創価学会の哲学(てつがく)を求めている。生きることに対する確固(かっこ)たる価値(かち)と希望と力(ちから)を求めている。
その絶対の価値となるもの。絶対の希望となるもの。どんな悩みや困難があったとしても乗り越(こ)え、解決していける、夢や希望をかなえていける決定的な法則(ほうそく)であり力となるものが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・。