ひまわりの種304 [悩み]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『仏法(ぶっぽう)では、「仏(ほとけ)」という最も偉大(いだい)な存在も、人間を離(はな)れ、現実を離れて、どこか遠くにあるのではない。私たちの生命の中にある。この私たち自身(じしん)が、まさに「仏(ほとけ)」なのであると説かれております。

そう言われても信じられない人に、日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、「自分のまつげは近すぎて見えないようなものだよ。」と譬(たと)えられました。

さらに、「美しい桜(さくら)の花は、ごつごつとした木の中から咲(さ)き出てくるではないか。」
「同じように、凡夫(ぼんぷ)である私たちの心の中から、必ず仏の生命を開いていくことができる。」
と教えられている。

結論して申(もう)し上げれば、その最高の生命の花を咲かせていく、究極(きゅうきょく)の力(ちから)が、南無妙法蓮華経です。これは、絶対(ぜったい)に間違(まちが)いのない大法則(だいほうそく)であります。』


悩みや苦悩(くのう)にしても、夢や希望にしても、それらを持ち、抱(いだ)いているのは、自分です。

悩みや苦しみも、夢や希望も、本質的(ほんしつてき)には、『自分の中にある!』ということです。

すべてが自分の中におさまっている。

喜びや感動、怒(いか)りや悲しみにしても、それは自分の中からわき上がってくるものであり、どこか遠くにあるものではない。人の財産(ざいさん)を数えても、決して自分のものにはならないのと、同じ道理(どうり)です。

それと同じように、強くて、あったかくて、やさしくて、どんな困難(こんなん)も乗り越えていける、絶対に負けない、あらゆる悩みも解決(かいけつ)していけ、夢や希望をかなえていける、無限の可能性(かのうせい)を持った最強・最高の生命も、自分の中にある。 どこか遠くにあるものではない・・!

そのどんな困難も乗り越えていける、無限の可能性を持った最強の生命のことを「仏(ほとけ)の生命」という。

そして、その仏の生命は、どこか遠くにあるのではなく、「自分の中にある!」

ただ、まつげが近すぎて見えないように、なかなか、そのことがわからない。

けれど、ごつごつした木の中から、美しい花が咲き誇(ほこ)るように、それは、自分の中にある。
最初に言ったように、悩みや苦悩にしても、夢や希望にしても、それらを持ち、抱(いだ)いているのは、自分です。
悩みも苦しみも、夢や希望も自分の中にある!ということです。

それら、自分の中にあるものに対して、いくら、自分の外にあるものに、その解決策(かいけつさく)を望んでも、それは、他人の財産を数えるのと同じで、なんにもならない。本質的な解決策にはならない!ということです。

自分の中にあるものなんだらか、自分の中に解決策を求めるべきです。

また、そうしていった時、はじめて本質的(ほんしつてき)な解決策となっていく。

悩みや苦しみにしても、夢や希望にしても、自分の中から、自分の生命の中から、解決する方法と力(ちから)を、見いだしていかなければならない。

そして、その力(ちから)が、すべての人にそなわっている、『仏(ほとけ)の生命』だということです。

この『仏の生命』は、すべての人の中に、もともと、そなわっていて、その『仏の生命』を開花していくことによって、悩みや苦しみの解決も、夢や希望の実現も、可能になっていく!ということです。

そして、その『仏の生命』を自分の中から開花していける、唯一(ゆいいつ)の方法と言っていいのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

池田先生が言うように、幸せを勝ち開いていく究極の大法則なんです。
南無妙法蓮華経を真剣にとなえて、仏法の実践活動である創価学会の活動をやっていくことによって、どんな悩みや苦難(くなん)も乗り越(こ)えることができ、夢や希望も実現していけるようになっていくんです。

幸せを勝ち取るこれ以上の力(ちから)はないんです。

そして、それは、自分の中にある!!!

ごつごつした木から、美しい花が咲くように、まつげが近すぎて見えないけれど、確実にあるように、自分の中に、幸福の『仏の生命』は、ある!!

そして、その『仏の生命』を無限に開き、花咲かせていけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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ひまわりの種303 [人生]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『時には、「どうして自分ばかりが・・・・・」とグチをこぼしたくなることもあるかもしれない。しかし、煩(わずら)わしい試練(しれん)と、祈り戦うからこそ、仏(ほとけ)の力が出せる。泥(どろ)が深ければ深いほど、やがて美事(みごと)な幸福勝利の大輪(だいりん)を咲(さ)かせていけるのが、『如蓮華在水(にょれんげざいすい)』の妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)である。』

『如蓮華在水(にょれんげざいすい)』というのが難(むずか)しいですが、蓮(はす)の花が、泥沼(どろぬま)の水の上に、美しい花を咲かせるように、苦悩・渦巻(うずま)く、どんな泥沼のような環境(かんきょう)や人生からも、美しい、勝利と幸せの花を咲かせることができる!との譬(たと)えだと思います。


人の人生は、さまざまだ。

けれど、美しく澄(す)んだ水の上に、優雅(ゆうが)に浮(う)かんでいられるような人など、ほとんどいないと思う。
また、表面的には、優雅に見えたとしても、内面的には、どろどろの苦悩(くのう)と戦っているような場合も多いと思う。

どっちにしろ、そんじょそこらのことでは、にっちもさっちもいかないのが、人生だと思う。

皆、現実と人生の、さまざまな苦難や苦悩、現実と理想(りそう)のギャップに悩み、その中で戦っていると思う。

その中で、泥沼に咲く蓮の花(はすのはな)のように、花を咲かせ、光り輝(かがや)いていかなければならない。

それが多くの人の人生だとも言えます。

池田先生が言うように、『どうして、自分ばかりが・・・』と思いたくなるようなこともあるかもしれない。
グチをこぼしたくなることもあるかもしれない。

けれど、それでは、花は咲かせていけない。

その泥沼の上に、美しい花を咲かせなければならない。

そのための絶対の力(ちから)、無限の力、どんな苦難も幸せに変えていける力が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

泥が深ければ深いほど、美しい花を咲かせていける。

それが、究極(きゅうきょく)の幸せの力、『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法』だと思う。


世の中が悪い。環境(かんきょう)が悪い。あの人が悪い・・。

確かにそうなのかもしれないけれど、そう思っても、どうにもなっていかない・・。

その世の中、その厳(きび)しい環境の中でも、幸せになっていかなければならない。勝っていかなければならない。

まさに、泥沼(どろぬま)のような環境や状況(じょうきょう)であっても、それでも、花を咲かせなければならない。

それは確かに、至難の技(しなんのわざ)であり、どうにも手がつけられない難問でもあると思う。

いったい、どうしたらいいのか?

理屈(りくつ)で、ああだ、こうだ言うことはできる。けれど、はたして、それができるのか?

蜘蛛(くも)の網(あみ)のように絡(から)まった人間模様(にんげんもよう)やさまざまな状況・・・。

それを、プラスの方向、幸せの方向、勝利の方向にもっていくことが、どれだけ困難であり、奇跡(きせき)といっていいくらい難(むずか)しいことであることはわかっている。

あらゆるものが、微妙(びみょう)に絡(から)み合い、複雑極(ふくざつきわ)まりない状況を作っている。

その中で、「あみだくじ」のように道をたどり、幸せをつかんでいかなければならない・・・。

確かに、困難な道だといえる。

けれど、その困難な道を実現できる方法がある・・・!

蜘蛛(くも)のからまった糸のような複雑な人間関係と状況、環境、人生・・。

その、蜘蛛の糸のように複雑な編み目(あみめ)の中でも、そこを完璧(かんぺき)にくぐり抜け、誤(あやま)りなく、勝利と幸せをつかんでいける秘宝(ひほう)・・!

それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと言える。

この創価学会の、南無妙法蓮華経の仏法が、どけだけスゴイか・・・!

あらゆるものを幸せに結びつけ、あらゆるものを、あらゆる人々を幸せに向かわせ、たどり着かせる。確かに、普通、考えたら、不可思議(ふかしぎ)としか思えない幸せの奇跡(きせき)を、もたらしていけるのが、この南無妙法蓮華経の仏法です。

にっちもさっちもいかないような人間関係、またその環境や状況、それを完璧に調和(ちょうわ)させ幸せに導(みちび)いていってしまう力(ちから)が、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法にはある・・!

まさに、それは不思議(ふしぎ)であり、宇宙の力、生命の力、宇宙の本源的な法則(ほうそく)に導(みちび)かれているとしか表現できないけれど、そういう、とてもできない芸当(げいとう)をやってのけてしまう力が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰には、あるということです。

ゆえに、蓮が、泥沼の中から美しい花を咲かせるように、人生を勝利していける。幸せになっていける。

もろもろの悩みも困難(こんなん)も、さまざまな人間関係や状況も、すべて乗り越え、勝利していける。

そういう生き方が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです・・。


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