ひまわりの種223 [人生]

詩人、宮沢賢治が、物語の中で、描いているそうです。

それは、ある小さな野に咲(さ)く花が、たとえ誰(だれ)も見なくとも、また、どんな嵐(あらし)があっても、自(みずか)らの命を自分らしく立派(りっぱ)に咲かせていった。その強く美しき魂(たましい)を貫(つらぬ)き通したがゆえに、やがて「花の王」と讃(たた)えられる、最も光り輝(かがや)く存在へ生まれ変わったという話しです。

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。

『一人の人間が、どれだけ勇敢(ゆうかん)に忍耐強(にんたいづよ)く、自分自身の生命の花を咲かせていけるか。』

本質的(ほんしつてき)には、ここに、人生の勝敗が、分かれてくるんだと思う。

自分という存在は、他の人とは違(ちが)う。当然(とうぜん)、どんなにうらやんだとしても、他の人には、なりえない。

自分以外の人も、同じで、その人が自分と同じようになることは、ない。すべての人が違う運命や宿命(しゅくめい)、境遇(きょうぐう)や環境(かんきょう)、違う個性や人格(じんかく)、才能や能力をもって生まれてきている。

だから、あの人はいい、この人はいいと言ってみたことろで、どうにもならない。

そして、宮沢賢治が言うように、自らの命を自分らしく咲かせていくしかない・・!!

そしてその自分自身を貫(つらぬ)き通していった時、光り輝く存在に変わっていく。

勝負は、そこにあり、原因も希望も、幸せも、やはり、自分の中にあり、自分の中から出発していくしかない。

だから、池田先生は、言っている。
『一人の人間が、どれだけ勇敢(ゆうかん)に忍耐強いく、自分自身の生命の花を咲かせていけるか。』
・・・と。

ところが、これほど難(むずか)しいことは、ない。これほど困難(こんなん)なことは、ない。それは、難事中の難事(なんじ)と言ってもいいと思います。

だから、その難事中の難事を可能にしていく、明確で確実な哲学(てつがく)とパワーとエネルギーが、求められる。

その勇気と忍耐(にんたい)を持って、自分自身の生命の花を、無限に咲かせていける、唯一(ゆいいつ)の方法と言っていいのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

逆に言えば、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰があるから、創価学会の人たちは、自分自身の最高の花を咲かせ、幸せと勝利を、勝ち取っていけるんです。

誰も見ていなくても、どんな嵐があっても、自(みずか)らの立派(りっぱ)な花を、咲かせていく。

それは、確かに困難なことであり、また、世間一般的には、自分らしく立派な花を咲かせていきたいという気持ちはあっても、結局(けっきょく)それができず、そのまま、埋(う)もれてしまうことも、数限りなくある。また、そういう人の方が多いとも言えると思います。

だから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、どうしても必要になってくる!

そして、この南無妙法蓮華経の仏法は、自分がやったこと、自分の努力が、すべて、必ず、花開いていく法則(ほうそく)だから、人が見ていようが、いまいが、自分がやったことが、必ず、最高の形で報(むく)われていく結果となります。

そういうスゴイ法則であり、力(ちから)であり、エネルギーが、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

はっきり言えば、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰をやりながら、人生に挑戦し努力していくのと、創価学会の南無妙法蓮華経の信仰をやらないで、努力していくのとでは、天と地くらいの差(さ)がでてくるんです。

これは、おどろくべき違いなんです。

それは、新しく創価学会に入って、仏法(ぶっぽう)の信仰を実践している多くの人たちが、体験していることであり、感じていることでもあります。

また、だから、創価学会の人たちは、南無妙法蓮華経の仏法を、実践するんです。そして、だから勝っていけるんです。幸せになっていけるんです。

そしてそれは、宮沢賢治の物語のように、自分の人生の中で、「花の王」と輝き、最も光り輝く存在へと、自分を変えていってくれるんです。

その力(ちから)でありパワーでありエネルギーが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0