ひまわりの種201 [幸せ]

幸せといっても、いろいろある。

ある人は、自分は幸せだと言う。また、人から見たら幸せそうでも、本人は幸せだとは思っていない場合もある。
また、人から見たら、華(はな)やかな生活に見えても、ものすごい悩みや苦しみを、かかえている場合もある。

ある人は、生きていければ幸せだという。
また、ともかく、おもしろおかしく生けていければ、幸せだという。

日々の生活の中で、幸せに対する考え方は、まちまちだ。

けれど、幸せに対して、確証的(かくしょうてき)なものがない・・・。

それは、幸せに対する確固(かっこ)たる生命観、哲学(てつがく)がないからでは、ないだろうか・・。


はっきり言えば、創価学会の人ほど、幸せな人は、いない。

それは、幸せに対して、明確に哲学(てつがく)を持っているからだ。
そして、自(みずか)らの生命で感じる歓喜(かんき)と共に、生きているからだ。

この生きることに対する歓喜を、これほど感じて生きていける方法は、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰によるよりほかは、ない!と言えます。

それほど、スゴイのが、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の実践は、その人の生命を蘇生(そせい)させる。その人の生命を歓喜させる。
そして、南無妙法蓮華経をとなえることによって、自分の中の本来(ほんらい)持っている使命感(しめいかん)に目覚(めざ)め、自分のためにも、 世界や人々のためにも、使命感を持って生きる生き方が、できるようになってゆく。

そして、それは、自分のこころと生命に、最高の充実(じゅうじつ)と価値(かち)を生む。

その充実と価値が、いっそう自分の人生を輝(かがや)かせ、幸せなものにしていく。

そして、自分のためにも人々のためにも、自分の使命を果(は)たそうと生きる生き方は、自分の中から無限の可能性を開花させゆくことに、つながり、結果としてさまざまな悩みや問題を、解決していけることになり、また、夢や希望も、かなえていけるようになっていく。

その決定的で最も確実な方法が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。


南無妙法蓮華経を、となえることは、歓喜(かんき)の中の大歓喜だと言う。

そして実際そうであり、創価学会の中で、南無妙法蓮華経を、となえて生きることは、結局、最高の充実、最高の満足、最高の歓喜、そして最高の幸せを感じて生きることになっていく。

ゆえに、最初に言ったように、創価学会の人ほど、幸せな人はいない・・。
創価学会の人ほど、幸せを味(あじ)わい、幸せを感じて生きていける人はいない。

もちろん、人それぞれ、才能や個性、華(はな)やかに見える人、見えない人は、いるでしょう。
けれど、それは表面的なことであり、本当の幸せの見方とは、言えない。

そして、本当の意味で、心からの最高最大の幸せを、つかんでいける生き方が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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