ひまわりの種155 [世界]

創価学会の会館が、海外のある都市に建設され、創価学会員が出入りするようになって、創価学会でない海外の人が、不思議(ふしぎ)がったことが、あるそうです。

それは、海外の人にとって、宗教の会館というと、なんかキンキラの仰々(ぎょうぎょう)しい格好(かっこう)をした人たちが、出入りするはずなのに、 創価学会の会館には、普通のどこにでもいるような、いわゆる普通の格好をした人たちが、出入りしている。『なぜ、宗教なのに、普通の格好をした普通の人たちが、こんなに出入りするんだろう?』と思ったそうです。

海外の人にとっても、一般的に宗教は、形骸化(けいがいか)したものであり、一般の人たちには、あまり関係ない、社会とは、かけはなれたものが、 宗教だと考える人が、多いということです。

だから、仰々(ぎょうぎょう)しい、キンキラの格好をした人たちが、宗教の会館に出入りするのなら、納得(なっとく)もいくそうなんです。要(よう)するに、自分とは 関係ない、かけはなれたことを、やっているんだな・・!ということで、軽く、見過(みす)ごすことが、できる。

ところが、創価学会は、違う。普通の一般の社会にいる、何の変わりもない人たちが、出入りしている。しかも、その人たちの職業も年齢も、バラバラ。特に、創価学会の場合、若い青年が多いのも、特徴(とくちょう)です。
その普通の社会に生きている、当たり前の人たちが、創価学会の会館に、出入りしている。

それが、すごく不思議だということです。

要(よう)するに、創価学会は、一般的な宗教の概念(がいねん)とは、正反対の存在であり、一般的に他の宗教が、あまり社会に根(ね)ざしていないのに対して、 創価学会は、現実の社会に、どっしりと根(ね)を張(は)っている。現実に社会で働き、苦闘(くとう)している普通の人たちが、この創価学会の仏法(ぶっぽう)を、実践していると、いうことです。

それは、なぜかといえば、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)が、人生と社会の中で、そこに生きている人々の、現実を切り開く大きな力(ちから)となり、大きな希望と原動力になっていると、いうことです。

現実に、自分の悩みや問題を、解決でき、現実の人生の中で、自分の夢や希望を、かなえていける力(ちから)が、あるということです。

だから、普通に生きている普通の人々の中に、創価学会は根(ね)ざし、広がっているんです。

いわば、世間一般的な宗教が、形骸化(けいがいか)した形だけの宗教だとしたら、創価学会は、人生を幸せに変革していける、現実を切り開き、人生の中で幸せという結果が出る、真実の価値のある宗教だと、言えます。

この違いに、世界は、驚(おどろ)くわけです。

だから、世界の鋭(するど)い有識者たちは、創価学会を、大絶賛し、大きな期待を、いだいているわけです。

それが、現実の中で、息(いき)づく、現実に悩みや問題を解決でき、今生きている自分の夢や希望を、かなえていける大きな大きな力(ちから)となる、創価学会が実践する、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・!!


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