ひまわりの種141 [希望]

マヤ文明では、ゼロは無いことではなくて、新しい始まりを意味したそうです。

希望がある良い発想だと思います・・。

ゼロは無いことではなく、新しい始まり・・。

何かを失(うしな)うことは、辛(つら)いし悲しい。

けれど、ゼロは無いことではなく、新しい始まりだと思えれば、心も楽(らく)になるし、希望を持つことができる。

また、人生、時々、すべてをリセットして、ゼロから出発したいと思うこともある。

けれど、ゲームでもないかぎり、そんなこと、できるものではない。

人生にリセットはきかない。

過去に生きてきたという年輪(ねんりん)は、確実に自分の生命に刻(きざ)まれている。

けれど、未来は決まっていない。

今という瞬間(しゅんかん)を、ゼロと考え、新しい始まりだと考えて、出発したならば、その希望の力(ちから)によって、未来はより素晴らしいものになっていく。

失うことは、とても辛(つら)いし、また、人生をリセットすることも、できない。
けれど、明(あき)らかに、今という瞬間は、存在している。

だから、今という瞬間を『ゼロ』と考え、ある意味、心をリセットして、大きな希望を持って、未来に立ち向かっていけたなら、未来は広がり、人生は、希望に満(み)ちてくる。


ゼロは無いことではなくて、新しい始まり・・・。

だから、現実にできる良い意味でプラスになるリセット方法としては、過去はもう、しょうがない・・。また関係ないものとして、今の瞬間をゼロという出発点として、新しい始まりと考え、未来に立ち向かっていく!!

それが、本当にできたら、未来は素晴らしいものになる。

けれど、現実問題、それはなかなか、できない。人間には、さまざまな感情があり、その感情があるから、人間なんだと言えます。

けれど、良い意味で、希望を持って、心をリセットしたいし、新しい始まりだと思って、未来に立ち向かっていきたい・・。

実は、それを、最高の形で、無限の可能性を、生み出して、可能にしていく方法が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、過去はどうであれ、今を出発点として、心に無限の希望と無限の情熱を、湧(わ)き上がらせて、生きていける、最高にして最大の方法なんです。

南無妙法蓮華経を、となえていくことは、本当は、自分の生命を、本来の本源的(ほんげんてき)な生命としての自分に、立ち帰らせてくれるんです。ほんとうの自分を思い出し、本来の生命力を、自分の中に復活させてくれるんです。

だから、南無妙法蓮華経を、となえていると、自分の生命が歓喜してきます。元気になってきて、楽しくなってきて、希望がふつふつと湧(わ)き上がってくるんです。

すなわち、それは、まるでゲームで、リセットしたように、自分の生命を本来の自分に立ち戻(もど)らせ、まさに、『新しい始まり』として今を、とらえ、『新しい出発』として、今から未来に向かって、立ち向かっていけるように、するんです!!

南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、生命が蘇生(そせい)し、心に希望と情熱が、満(み)ち満ちてくれば、その情熱と希望の力(ちから)によって、未来は大きく開け、人生に幸せと勝利が、もたらされてくるんです。

それが、南無妙法蓮華経なんです。

だから、南無妙法蓮華経を、となえていく時、いままで、どうしても解決しなかった悩みや問題が解決できたり、また、自分が望んでいた夢や希望も、かなえていけるように、なっていくんです。


ゼロは、無いことではなく、新しい始まり。
また、心を、未来に向かって、最高にリセットしていきたい。

その、今を新しい始まりとして、心をリセットし、最高の希望と情熱をもって、人生に勝利と幸せを、もたらす方法・・・。

それが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!!!


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