ひまわりの種95 [生命]

仏法(ぶっぽう)に『神天上(かみてんじょう)の法門(ほうもん)』という法則が、説かれています。

仏法(ぶっぽう)でいう、神々は、法華経(ほけきょう)の行者を、守るという契約(けいやく)を、しています。その法華経とは、すべての人に、最高の幸せを、もたらす、幸せの根本法則のようなものです。

すなわち、法華経(ほけきょう)とは、すべての人を、幸せにすることのできる、生命における、『幸せの元(もと)』『幸せになるための、根本原料』のようなものです。

幸不幸から、考えるならば、生命というのは、その『幸せの元(もと)』『幸せの原料』を、どれだけ、たくさん、とり、どれたけ、たくさん、食べるか?で、幸せになれるか、なれないかが、決まると、言えます。

その『幸せの元(もと)』『幸せになるための、根本原料』が、『法華経(ほけきょう)』なんです。ということは・・・『幸せの元(もと)』『幸せになるための、根本原料』を、たくさん、とり、食べるということは、『法華経』を、どれだけ、たくさん実践(じっせん)したか?どれだけ、真剣に実践したか?ということに、なってきます。

だから、『法華経』を、真剣に、たくさん、実践していくことが、『幸せの元(もと)』『幸せになるための、根本原料』を、たくさん、とり、食べることになります。

そして、神々は、その『幸せの元(もと)』、『幸せの原料』を、人々が食べたあとの、「残りかす」・・ようするに、幸せに、ただよう匂い(におい)、幸せに、まとわりつく香り(かおり)を、食べて、生きていると、されています。

だから当然、神々は、幸せの原料、幸せの元が、たくさん、あるところに、集まってくるわけです。

これは、なんとなく、わかると思います。人間だって、幸せの人の周(まわ)りには、人が、たくさん、集まってきますが、不幸の人の周りからは、どんどん、人が、去(さ)っていきます。

これと、同じ原理です。

神々は、法華経(ほけきょう)の行者を、守ると、契約(けいやく)を立てているわけだし、だいいち、神々の好物である、『幸せの元(もと)』『幸せの原料』から出る、香りや、匂い(におい)は、法華経を実践する人から、できてくるので、『幸せの元(もと)』『幸せの原料』から出る、香りや、匂い(におい)を、食べたいので、法華経を実践している人がいる、その土地、その場所に、居座(いすわ)っていると、いうわけです。

ところが、人々が、法華経に違背(いはい)して、でたらめな宗教に走ったり、法華経自体を、捨て去っているために、神々は、法華経の行者を守るという、契約(けいやく)を、守ることも、できず、好物の『幸せの元(もと)』『幸せの原料』を、食べることが、できないので、愛想(あいそ)が、つきて、とうとう、その土地、その場所を、離(はな)れ、天上界に、帰ってしまうという、話しです。

これが、仏法(ぶっぽう)で説かれる、『神天上(かみてんじょう)の法門』です。


今、日本に、はびこっている、神社、仏閣(ぶっかく)は、すべて、真実の法華経とは、かけ離(はな)れた、でたらめなことを、やっています。

ようするに、金儲け(もうけ)しか、考えていないし、教義(きょうぎ)なんて、デタラメで、無いに等しいというか、無いより、まだ悪い、かってに、教義を、ねじまげて、金儲けに、利用しているだけです。

だから、神々は、愛想(あいそ)が、つきて、天上に、去(さ)ってしまっていますから、いくら、神社、仏閣を、立てたところで、そこに、神々など、いません!

じゃあ、神々が去った、空(から)になった神社、仏閣に、何が?いるかと、いうと、神々が去(さ)ってしまって、空き家になっているので、「これは、ちょうどいい!」と、悪鬼、魔神、化け物、ゲテモノが、住み着くことに、なります。

だから、神社、仏閣だと思って、手を合われたり、願い事を、したところで、それは、悪鬼や魔神、化け物、ゲテモノに、祈りを、ささげることになり、そういう、化け物に、祈りを、ささげるということは、化け物に、命をささげる結果になり、自分の生命に、悪魔や化け物が、乗り移る形になり、さまざまな形で、その人の人生に、不幸が出現してきます。

これが、宗教における、不幸になる原理です。

だから、正月などに神社や仏閣(ぶっかく)に初詣などに行きますが、人々は新年なので良い事があるように神社や仏閣に行きますが、新年早々、不幸になる原因を作りに行っているに過(す)ぎません。実際、真剣に祈れば祈るほど、どんどん不幸になっていきます。

ひどいことを言っているようですが、本当のことだから、しょうがありません。間違った宗教に祈るということは、自分の生命と人生を、不幸にしてしまうんです。
神社だから、仏閣だから、神聖(しんせい)なのではないか・・と考えるのは、間違えで、本当は、逆に、神社や仏閣などの間違った宗教が、不幸の根源(こんげん)には、あります・・。

これが、本当のところです。

そのことに、早く早く、気づいてほしい・・・。


それとは、逆に、さきほどの『神天上の法門』から、考えるならば、神々は、法華経(ほけきょう)の行者を守る契約(けいやく)を、結(むす)んでいるわけだし、ようするに、自分が、法華経の行者になれば、神々は、その人を、守るために、天上から、戻(もど)ってくるわけです。

その重要な『法華経(ほけきょう)』ですが・・・、法華経といっても、その時代時代によって、その表現の仕方が、違います。

そして、今の時代の法華経とは、実は『南無妙法蓮華経』の七文字なんです!

この『南無妙法蓮華経』の七文字が、法華経なんです。

だから、この『南無妙法蓮華経』の七文字が、生命における、『幸せの元(もと)』『幸せの原料』に、なるわけです。
そして、神々は、その『幸せの元』『幸せの原料』を食べた、残りかす、(香り(かおり)とか、匂い(におい))を、食べて生きているわけなので、ぼくたちが、その『幸せの原料』を、たくさん、たくさん、食べれば食べるほど、神々が、自分の周り(まわり)に、集まってくるわけです。

神々が、自分の周りに、集まってくるので、当然、その自分は、幸せになっていくわけです!!!

その『幸せの元』『幸せの原料』を、食べるということが、実は、『南無妙法蓮華経を、となえる!』と、いうことです。

だから、南無妙法蓮華経を、となえれば、となえるほど、『幸せの原料』を、たくさん、食べることになり、当然、幸せの、残りかす、幸せの香(かお)りや匂(にお)いが、たくさん、でるので、神々は、大いに喜び、どんどん、集まってくるわけです。

そして、神々が、集まれば、集まるほど、当然、自分は、守られ、幸せになっていきます。

それが、創価学会が、実践している、『南無妙法蓮華経を、となえる!』という、生命を『幸せ』に変革していく、仏法の実践(じっせん)です。
だから、神々は、神社、仏閣にいるのでは、なく、『南無妙法蓮華経を、となえる人』のもとに、いるんです。
『南無妙法蓮華経を、たくさん、となえる人』のもとに、神々は、たくさん、集まってくるわけです。

しかも、南無妙法蓮華経の法華経を、現実に正しく実践しているのは、創価学会だけなので、『創価学会の中で、南無妙法蓮華経を、となえる仏法を、実践している人』のものに、神々は、集まってくることになります。だから、創価学会の人たちは、幸せになっていけるわけです。


この話しは、具体的に、人間のような形をした、神々が、いるという説明ではなくて、『幸せになるための、生命の原理』を、説明したものです。

そして、実際に、そうなります!!!!

それは、幸福と勝利の姿(すがた)を通(とお)して、世界192ヶ国の創価学会の人たちが、証明しています・・・!


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