ひまわりの種81 [希望]

うちの会社で、忙しくて人が足りなくなったので、社員を募集することになった。それで一週間、応募の方が、何人も来て、面接だけでも、会社が、ごったがえしていました。

そんな中、応募の後半になって、ある入社希望の方から電話があった。その方が言うには、「応募の方は、たくさん来ているでしょうか?あんまり、競争率が高いと、行っても無駄(むだ)だと思うので・・・」という話しだった。当然、こちら側(がわ)としては、応募の方は、たくさん来ているのでと、お断(ことわ)りしました。

だれでも、わかると思いますが、このような姿勢(しせい)で、今の大変な時期、たくさんの応募の中から、入社を勝ち取ることは、難(むずか)しいと思う。

なぜなら、最初から、心が負けているのだから。

不思議だけれど、人というのは、「希望がある!」と思えば、希望が出てくるし、「希望がない!」と思えば、希望は、なくなっていく。

希望がゼロだったら、そこから希望が生まれることは、ない!未来は、真っ暗闇(まっくらやみ)、けれど、たとえ、ほんのわずかでも、希望があるのだったら、その希望の方向に、突(つ)き進んでいけば、希望は、無限に大きくなっていく可能性を、秘(ひ)めている。

それが、人間の心と希望のシステムだと思う。

希望は、自分の心の中からしか、生まれない。
だから、自分の心で、希望を生み出し、その希望に向かって、行動し、生きていかないかぎり、希望は、大きくはならないし、かなってはいかない。

だから、心が、何よりも、大切になってくる。

実は、その自分の心の中から、希望を、泉(いずみ)のように、無限に湧(わ)き上がらせていける方法が、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです。

どんな時でも、希望を、見いだしていける!決して、行き詰(づ)まりがないのが、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)なんです。

心に希望は、大切だ!。心の持ち方が大切だ!と、いくら口で言ってみても、現実の荒波(あらなみ)のなか、さまざまな障害(しょうがい)によって、自分自身が,傷(きず)ついてしまったりして、なかなか、希望を見いだせない場合もあるかもしれない。また、あまりの人生の過酷(かこく)さに、自暴自棄(じぼうじき)になってしまう場合も、あるかもしれない。

けれど、たとえ、どんな状況(じょうきょう)の人であろうとも、ご本尊に(ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自信の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわしたものが、ご本尊です)・・・そのご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえていくと、自分の中から、希望が、ふつふつと、湧(わ)き上がってくるんです!そして、自分の中に生命力が、みなぎってきて、どんな困難な状況にあろうとも、それを乗り越え、打ち勝っていけるようになっていくんです!

南無妙法蓮華経は、希望の法なんです!

昔は、創価学会は、貧乏人と病人の集まりと、言われてきました。
ようすにも、みんな、普通だったら、とても希望など見つからない困難な状況にあったはずです。その人たちが、この創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰によって、希望を燃やし、輝(かがや)いて、ことごとく、貧乏人は裕福(ゆうふく)になり、病人は、病気を克服(こくふく)していき、健康になっていった。

そして、現在の、人材が続々と出てくるような、世界が認める素晴らしい創価学会に発展していった。

この結果を見れば、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、どけだけ素晴らしい法則であり哲学(てつがく)であり、大きな力(ちから)ある宗教であるかが、一目瞭然(いちもくりょうぜん)です。

だから、たとえ、どんな状況の人であっても、かならず、無限の希望を、湧(わ)き上がらせていける、希望の源泉(げんせん)と言えるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経を、となえる仏法の信仰なんです・・!!


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