ひまわりの種78 [希望]

池田先生が、創価学会が信じ、祈っている『ご本尊(ごほんぞん)』について、『ご本尊は、自分自身の生命そのものである。だから、ご本尊を信じることは、自分の生命の力を信じることと、同じ!』と、言っています。

『ご本尊』は、自分の生命そのもの・・・。いったい、それのどこが?いいんだ?と思うかもしれませんが、メチャクチャ良いです!!!。

また、『ご本尊を信じることは、自分の生命の力(ちから)を信じるのと同じ』というのなら、べつに、ご本尊を信じなくても、自分の生命の力を信じていれば、いいではないか?と言うかもしれない。

けれど、はたして、それほど自分の生命の力を、信じられるだろうか?生命の力(ちから)は、計り知れない。どんな大きな力が秘(ひ)められているかもわからない。その自分の中にある無限大の生命の力を、ほんとうに、ただ、「自分を信じればいいじゃないか」と言って、信じることができるだろうか?

ぼくが思うに、おそらくは、そこまでは、信じられないと思う。また、困難(こんなん)に、ぶつかったり、障害(しょうがい)があるたびに、あきらめたり、自信を失(うしな)うことも、あるかもしれない。

そんな時、ほんとうに?自分の中にある無限大の生命の力を、信じられるだろうか?また、そんな時、ただ単(たん)に、「自分を信じる」と言って、自分の中にある生命の力(ちから)を、引き出していくことが、できるだろうか?

それが、できるかどうかには、大きな疑問が残る。さまざまな困難や障害によって、自信を失っている時である。・・・そんな時、本当に自分の中にある無限大の生命の力を、信じられるだろうか??

けれど、『ご本尊』という信じる対象があると、話しは、大きく変わってくる!

ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その自分自信の生命に、必ず幸せになることのできる仏(ほとけ)の生命が、そなわっていることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)ですが、・・このご本尊があると、考え方は、飛躍的(ひやくてき)に変わってくる。

ご本尊は、池田先生が言うように、『自分自身の生命そのもの』を、あらわしたものです。
しかも、その自分自身というのは、無限の可能性を秘めた、また、あらゆる困難を乗り越(こ)え、夢や希望を、かなえていける、また最高の人間性を秘めた、『無限の希望としての自分自身』を、あらわしています。

だから、その『ご本尊』を信じるということは、『自分自信の無限の希望と可能性』を信じることになっていきます。

人間の可能性は、計り知れないし、わからない。
その、わからない、はかり知れない、未知(みち)の部分まで、ふくめた無限の可能性を秘めた自分自身。その宇宙大の可能性を秘めた自分自身を、信じることが、『ご本尊を、信じる』ことになってくるんです。

これだけの可能性を信じるということは、ただ単に口で、「自分を信じる」と言っているだけでは、とうてい、できることではありません。

だから、ご本尊が、必要なんです。だから、ご本尊を信じると、大きな希望、大きな可能性、大きな人間性を、開花させていくことが、できるんです!

これは、ただ単なる理屈ではなくて、『ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえていく』ことによって、自分の中の無限の希望と可能性が、自分の人生の中で、現実に、結果として、必ず、花開いていくと、いうことなんです。

だから、世界中の創価学会の人々が、悩みや問題を解決でき、夢や希望を、かなえ、勝利と幸せを、つかむこてが、できているんです・・・!


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