ひまわりの種317 [日常]

「裸の王様」の物語は、皆さん、知っていると思います。

裸(はだか)の王様は、アンデルセンの童話です。

ある、おしゃれ好きな王様に、詐欺師(さぎし)の仕立(した)て屋が「バカには見えない布地」で服を作ります。自分が馬鹿者(ばかもの)だと思われたくない家来(けらい)や王様たちは、あるはずもない服を称賛(しょうさん)します。王様は、その服を着てパレードに出かけますが、やはり、バカだとは思われたくないので、誰一人『見えない』とは言えません。そんな中、子どもが『王様は裸だ!』と真実を言います。これで我(われ)に返った観衆も一転(いってん)して、『そうだ、王様は裸だ。』と言い出します。そして、ついに一人残らず、王様は裸だとさけぶようになります。

王さまは大弱(おおよわ)り。王さまだってみんなの言うことが正しいと思ったからです。でも、「いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない。」と思ったので、そのまま、今まで以上にもったいぶってパレードを続けたという話しです。


これは、人間がよく陥(おちい)りやすい感情の風刺(ふうし)だと思いますが、探(さが)せは、似(に)たようなことが世の中には、あると思います。

たとえば、日本にはびこっている、さまざまな宗教・・。

それは、葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰などですが、それらは、だれも本当に力や効力(こうりょく)、ご利益(ごりやく)があるとは思っていないけれど、かといって、だれも言わない。表面上は、いかにも、ご利益や効力があるように、もてはやす。あそこは、何々にご利益(りやく)がある。あそこはなんとかにご利益があるとかいっても、現実には、確証的(かくしょうてき)なものは、なにひとつない・・!

だれも「王様は裸だ!」と言わないように、ただ、なんとなく、あがめたて、もてそやす。そして、「きっといい事があるに違(ちが)いない」とか言って、 祈ったところで、そんなことは、まず、起らない・・。

宗教の虚構(きょこう)が通常(つうじょう)となり、それこそ、王様が裸で町をねり歩くような行為(こうい)が、まかり通ってしまう。

それが、世間一般的な宗教だと思う。

ところが、子供が、『王様は裸だ!』と言ったように、唯一(ゆいいつ)、真実を言ったのが、創価学会(そうかがっかい)です。

「それらの宗教は、間違(まちが)っている。そんな宗教に祈ったところで、幸せになどならない。返(かえ)って、でたらめな宗教に祈るということは、自分の生命と人生に害(がい)をもたらし、不幸になる原因(げんいん)になってしまう!」

そう、はっきりと明言(めいげん)したのが、創価学会の人たちだと言えます。

事実、その通りです。

それらの葬式仏教や神社信仰、観光宗教などは、明(あき)らかに間違っているがゆえに、その間違った宗教に祈るということは、自分の生命と人生を、その間違ったデタラメの宗教に、ささげることになる。間違ったデタラメの宗教に自分の生命と人生をささげていけば、当然、自分の生命と人生は、間違ったデタラメなものになっていく。自分の生命と人生が、間違ったデタラメなものになっていったならば、その結果として、さまざまな不幸が、もたらされてしまう。だから、真剣に祈れば祈るほど、逆(ぎゃく)に、不幸になる原因がつくられていき、その人の人生に、大きな害をもたらしてしまう。

それが、真実だと言えます。

不幸の根源(こんげん)には、間違った宗教がある!ということです。

そして、間違いのない、人々に幸せをもたらしていける、真実の宗教が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

それが正しい証拠(しょうこ)として、創価学会は、どんどん発展し、世界192カ国に広がっている。そして、その創価学会の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法(ぶっぽう)を実践した、世界中の人たちを現実に幸せにしている。

それは、ひとりひとりの悩みを解決した結果であり、ひとりひとりの夢や希望を実現(じつげん)していけた結果であり、ひとりひとりが現実に『幸せになった!』という結果として、創価学会は世界中に広まっている。


あたかも、それは、童話(どうわ)・裸の王様で、子供が『王様は裸だ!』と叫(さけ)んだあと、みんなが、『そうだ、王様は裸だ』と言い、最後は、すべての人が『王様は裸だ』と言ったように、ひとりの勇気の声が、まわりに広がり、世界に広がり、その真実の証明(しょうめい)として、これからも、創価学会は、広がり続けていくことでしょう・・・!


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