ひまわりの種335 [幸せ]
幸せについて考える時、いろいろな基準(きじゅん)や考え方は違(ちが)うと思うけれど、ぼくが思うに、意識する、しないは別にして、幸せになる人というのは、基本的に、本気で幸せになろうとしているのではないか?・・と思う。
幸せになる人というのは、本気で幸せになろうとしているから、幸せになる・・・。
そういう考え方にも、一理(いちり)あるのではないか・・と思う。
ところが、幸せにならない人というのは、確かに幸せにはなりたいけれど、「自分なんか幸せにはなれないのではないか・・」とか、ああだ、こうだ、と余計(よけい)なことを考えて、実は、ほんとうに幸せになろうとは思っていない場合もあるのではないだろうか・・。
ほんとうに幸せになろうと思っていないのだから、結果として、本当に幸せになるはずがない・・・。
そう、言えると思います。
だれでも幸せになりたいけれど、環境(かんきょう)や周りの人々、世間(せけん)のことばかり気にかけて、自分の境遇(きょうぐう)や世の中のせいにして、幸せにならない理由を並(なら)べ立てる。
そこに盲点(もうてん)があるのかもしれない。
幸せになる、ならないは、実は、自分の外にあるものによって決まるのではなく、自分の中にあるものによって決まる。
幸せになるか、ならないかという責任(せきにん)は、自分の外にあるのではなく、『自分の中』にある。
そう言えるかもしれない。
問題は、自分の中にあり、自分の中にある「なにか」を、幸せにしていかなかったら、幸せになるはずがない・・。
自分は本当に幸せになろうとしているのだろうか?
実は、幸せになろうとしていないのではないか?
そこに問題があるのかもしれない。
では、『本当に幸せになろうとする』とは、どういうことだろうか・・?
『本当に幸せになろうとする』といったって、漠然(ばくぜん)としていて、よくわからない。
意味がわからない・・・。
だから、漫然(まんぜん)と生きるしかなくなっていくのかもしれない。
その、『本当に幸せになろうとする』ということ。
自分の生命自体を、『本当に幸せにしよう!とする』ということが、実(じつ)は、創価学会(そうかがっかい)の人たちが実践している、『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、となえる!』と、いうことなんです。
『南無妙法蓮華経をとなえる』ということは、自分の生命自体を、本当に幸せにしようとする!ということなんです。
また、自分の生命自体を、本当に幸せにしてしまう!!のが、『南無妙法蓮華経』だとも言えます。
南無妙法蓮華経をとなえることは、自分の生命自体を、本当に幸せにしてしまうことなんだから、その結果として、幸せにならないわけがないんです。だから、幸せになっていける。現実に、悩みや問題を解決して、夢や希望を、かなえていける。
自分の生命自体を、そういうふうにしてしまう!!のが、『南無妙法蓮華経をとなえる』ということだと思います。
だから、創価学会の人たちが、幸せにならないわけがなく、現実に悩みを解決し、夢や希望をかなえて、世界中の人々が幸せを勝ち取っています。
南無妙法蓮華経の力と可能性は、計り知れないから、一概(いちがい)には言えないけれど、南無妙法蓮華経をとなえることは、自分の生命の中から、本当に幸せになろうとする力を呼び覚(さ)ます。本当に幸せになっていく生命の力を無限に湧(わ)き上がらせ、輝(かがや)かせていく。
その結果として、悩みを解決できたり、生命を蘇生(そせい)させて病気を克服(こくふく)できたり、夢や希望をかなえていけるようになっていく。
それが『南無妙法蓮華経』であり、『南無妙法蓮華経をとなえる』ことではないかと思う。
南無妙法蓮華経をとなえることがスゴイと言っても、いまいち、ピンとこないかもしれないけれど、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、詩の中で、こういうことを言っています。
「だれもが、宇宙の無限(むげん)の力を秘(ひ)めた「小宇宙(しょううちゅう)」である。
だから、あの「太陽」も自分の中にある。
自分の中に輝(かがや)く「銀河(ぎんが)」もある。
星々(ほしぼし)をわたりゆく無数の光が、この胸(むね)の中にある。
「内(うち)なる宇宙」も無限である。
だから、私は言っておきたい。
どんな悩みがあっても、
君は負けるな!
どんな障害(しょうがい)があっても、
夢をあきらめるな!
自分の中に「太陽」を輝かせて生き抜(ぬ)こう!」
ぼくが思うに、南無妙法蓮華経をとなえて生きるとは、こういうことだと思う。
南無妙法蓮華経をとなえて生きるとは、自分の中の内なる宇宙を、無限に輝かせ、どんな悩みも、どんな障害も乗り越えて、夢や希望をかなえ、幸せを勝ち取っていくことだと思う。
また、それができる!のが、南無妙法蓮華経をとなえる生き方だと思う。
だから、『南無妙法蓮華経をとなえる』ということは、自分の生命自体を、本当に幸せにしてしまう究極(きゅうきょく)の行動であり、それゆえに、必ず幸せになっていける・・!
それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです・・・。
幸せになる人というのは、本気で幸せになろうとしているから、幸せになる・・・。
そういう考え方にも、一理(いちり)あるのではないか・・と思う。
ところが、幸せにならない人というのは、確かに幸せにはなりたいけれど、「自分なんか幸せにはなれないのではないか・・」とか、ああだ、こうだ、と余計(よけい)なことを考えて、実は、ほんとうに幸せになろうとは思っていない場合もあるのではないだろうか・・。
ほんとうに幸せになろうと思っていないのだから、結果として、本当に幸せになるはずがない・・・。
そう、言えると思います。
だれでも幸せになりたいけれど、環境(かんきょう)や周りの人々、世間(せけん)のことばかり気にかけて、自分の境遇(きょうぐう)や世の中のせいにして、幸せにならない理由を並(なら)べ立てる。
そこに盲点(もうてん)があるのかもしれない。
幸せになる、ならないは、実は、自分の外にあるものによって決まるのではなく、自分の中にあるものによって決まる。
幸せになるか、ならないかという責任(せきにん)は、自分の外にあるのではなく、『自分の中』にある。
そう言えるかもしれない。
問題は、自分の中にあり、自分の中にある「なにか」を、幸せにしていかなかったら、幸せになるはずがない・・。
自分は本当に幸せになろうとしているのだろうか?
実は、幸せになろうとしていないのではないか?
そこに問題があるのかもしれない。
では、『本当に幸せになろうとする』とは、どういうことだろうか・・?
『本当に幸せになろうとする』といったって、漠然(ばくぜん)としていて、よくわからない。
意味がわからない・・・。
だから、漫然(まんぜん)と生きるしかなくなっていくのかもしれない。
その、『本当に幸せになろうとする』ということ。
自分の生命自体を、『本当に幸せにしよう!とする』ということが、実(じつ)は、創価学会(そうかがっかい)の人たちが実践している、『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、となえる!』と、いうことなんです。
『南無妙法蓮華経をとなえる』ということは、自分の生命自体を、本当に幸せにしようとする!ということなんです。
また、自分の生命自体を、本当に幸せにしてしまう!!のが、『南無妙法蓮華経』だとも言えます。
南無妙法蓮華経をとなえることは、自分の生命自体を、本当に幸せにしてしまうことなんだから、その結果として、幸せにならないわけがないんです。だから、幸せになっていける。現実に、悩みや問題を解決して、夢や希望を、かなえていける。
自分の生命自体を、そういうふうにしてしまう!!のが、『南無妙法蓮華経をとなえる』ということだと思います。
だから、創価学会の人たちが、幸せにならないわけがなく、現実に悩みを解決し、夢や希望をかなえて、世界中の人々が幸せを勝ち取っています。
南無妙法蓮華経の力と可能性は、計り知れないから、一概(いちがい)には言えないけれど、南無妙法蓮華経をとなえることは、自分の生命の中から、本当に幸せになろうとする力を呼び覚(さ)ます。本当に幸せになっていく生命の力を無限に湧(わ)き上がらせ、輝(かがや)かせていく。
その結果として、悩みを解決できたり、生命を蘇生(そせい)させて病気を克服(こくふく)できたり、夢や希望をかなえていけるようになっていく。
それが『南無妙法蓮華経』であり、『南無妙法蓮華経をとなえる』ことではないかと思う。
南無妙法蓮華経をとなえることがスゴイと言っても、いまいち、ピンとこないかもしれないけれど、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、詩の中で、こういうことを言っています。
「だれもが、宇宙の無限(むげん)の力を秘(ひ)めた「小宇宙(しょううちゅう)」である。
だから、あの「太陽」も自分の中にある。
自分の中に輝(かがや)く「銀河(ぎんが)」もある。
星々(ほしぼし)をわたりゆく無数の光が、この胸(むね)の中にある。
「内(うち)なる宇宙」も無限である。
だから、私は言っておきたい。
どんな悩みがあっても、
君は負けるな!
どんな障害(しょうがい)があっても、
夢をあきらめるな!
自分の中に「太陽」を輝かせて生き抜(ぬ)こう!」
ぼくが思うに、南無妙法蓮華経をとなえて生きるとは、こういうことだと思う。
南無妙法蓮華経をとなえて生きるとは、自分の中の内なる宇宙を、無限に輝かせ、どんな悩みも、どんな障害も乗り越えて、夢や希望をかなえ、幸せを勝ち取っていくことだと思う。
また、それができる!のが、南無妙法蓮華経をとなえる生き方だと思う。
だから、『南無妙法蓮華経をとなえる』ということは、自分の生命自体を、本当に幸せにしてしまう究極(きゅうきょく)の行動であり、それゆえに、必ず幸せになっていける・・!
それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです・・・。
ひまわりの種334 [希望]
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。
『御本尊(ごほんぞん)は、なぜ大切なのか ------ 。
それは、御本尊への「信」によって、私どもの胸中(きょうちゅう)の本尊、仏界(ぶっかい)を開けるからです。
この「御本尊」は、自身の「信心」のなかにこそある、と大聖人(日蓮大聖人)は仰(おお)せです。
妙法(南無妙法蓮華経のこと)の当体(とうたい)である自分自身、人間自身が大事なのです。その胸中の妙法を顕(あらわ)すためにこそ、御本尊が、こよなく大切なのです。』
ちなみに「ご本尊」とは、創価学会の人たちが南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえて祈る対象で、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることをあらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。
そのご本尊がなぜ、大切かというと、自分たちの胸中(きょうちゅう)の本尊、自分の中にある本尊、仏界(ぶっかい)を開くためだという。
自分の中にある本尊、仏界(ぶっかい)を開くといっても、わからないと思いますが、自分の中にある幸せを開く力、無限の力、計(はか)り知れない無限の可能性を開いていく!ということです。
その幸せを開く無限の力が、『ご本尊』にはある!!ということです。
そして、それは自分の中にあるのだけれど、その無限の力をどうして開花していっていいかわからない。具体性がない。
その具体性がない自分の中にある無限の力を、形として顕現(けんげん)したものが、御本尊だということです。
そして、御本尊を信じ、南無妙法蓮華経をとなえて真剣に祈っていくとき、その自分の中にある、無限の力、幸せになっていける力、智慧(ちえ)や希望、勇気が、まさに自分の中から湧(わ)き上がってくるということです。
だから、創価学会の「ご本尊」は、おすがりするのとは違(ちが)う。
また、棚(たな)からぼた餅(もち)のようなことを期待するものとも違う。
根本は自分自身なんです。
その根本の自分自身に挑戦するために、「ご本尊」はある。
その根本の自分自身に対して、どんなことがあっても絶対にあきらめず、負けないで、自分の可能性、智慧(ちえ)、希望をどこまでもどこまでも開花していくために、ご本尊はある!!
また、自分では思いもよらない可能性、力、運やチャンス、それらあらゆるものを引き出していけるのが、創価学会が、南無妙法蓮華経をとなえている「ご本尊」だと言えます。
人間には無限の力がある。
だれでも幸せになっていける力がある。
だれでも、困難(こんなん)や悩みを乗り越え、勝利していける力がある。
確かにそれは、あるんだけれど、ややもすると人は、そうは思えなくなっていく。
さまざまな状況(じょうきょう)や悩み、困難に押(お)しつぶされ、自分が幸せになれるとは思えなくなってしまうことが多々(たた)ある。まして、自分の中に、無限の可能性、言い換(か)えれば、「無限の宝(たから)」があるとは、なかなか思えない場合もある。そして、時に流され、人生に流され、一生を終わってしまう。
そういうことも、確かに、多々あると思う。
それを打ち破ることが、どれだけ困難か・・・。
その自分の中の闇(やみ)を打ち破ることが、どけだけ大変なことか・・・。
また、それができないから、多くに人が自分が希望する人生を送れず、不幸に沈(しず)んでいってしまう・・・。
その闇(やみ)、絶望、苦しみ、悩みや困難を、根底から打ち破るために、『ご本尊』はある!
また、それができるのが、創価学会が信じ、祈っている「ご本尊」です。
ご本尊は、自分の中にある、「幸せになる力」を現実に引き出す!!
絶望を消し去り、希望を生み出す!!
本来、人間は幸せになるために生きている。
そして、その幸せになるために無限の力を引き出し、困難を乗り越え、勝利していける。
その本来、人間がもっている、幸せになる力を無限に引き出し、悩みを乗り越え、夢や希望をかなえて勝利していけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰であり、創価学会が信じ祈っている『ご本尊』だと、いうことです・・!
『御本尊(ごほんぞん)は、なぜ大切なのか ------ 。
それは、御本尊への「信」によって、私どもの胸中(きょうちゅう)の本尊、仏界(ぶっかい)を開けるからです。
この「御本尊」は、自身の「信心」のなかにこそある、と大聖人(日蓮大聖人)は仰(おお)せです。
妙法(南無妙法蓮華経のこと)の当体(とうたい)である自分自身、人間自身が大事なのです。その胸中の妙法を顕(あらわ)すためにこそ、御本尊が、こよなく大切なのです。』
ちなみに「ご本尊」とは、創価学会の人たちが南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえて祈る対象で、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることをあらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。
そのご本尊がなぜ、大切かというと、自分たちの胸中(きょうちゅう)の本尊、自分の中にある本尊、仏界(ぶっかい)を開くためだという。
自分の中にある本尊、仏界(ぶっかい)を開くといっても、わからないと思いますが、自分の中にある幸せを開く力、無限の力、計(はか)り知れない無限の可能性を開いていく!ということです。
その幸せを開く無限の力が、『ご本尊』にはある!!ということです。
そして、それは自分の中にあるのだけれど、その無限の力をどうして開花していっていいかわからない。具体性がない。
その具体性がない自分の中にある無限の力を、形として顕現(けんげん)したものが、御本尊だということです。
そして、御本尊を信じ、南無妙法蓮華経をとなえて真剣に祈っていくとき、その自分の中にある、無限の力、幸せになっていける力、智慧(ちえ)や希望、勇気が、まさに自分の中から湧(わ)き上がってくるということです。
だから、創価学会の「ご本尊」は、おすがりするのとは違(ちが)う。
また、棚(たな)からぼた餅(もち)のようなことを期待するものとも違う。
根本は自分自身なんです。
その根本の自分自身に挑戦するために、「ご本尊」はある。
その根本の自分自身に対して、どんなことがあっても絶対にあきらめず、負けないで、自分の可能性、智慧(ちえ)、希望をどこまでもどこまでも開花していくために、ご本尊はある!!
また、自分では思いもよらない可能性、力、運やチャンス、それらあらゆるものを引き出していけるのが、創価学会が、南無妙法蓮華経をとなえている「ご本尊」だと言えます。
人間には無限の力がある。
だれでも幸せになっていける力がある。
だれでも、困難(こんなん)や悩みを乗り越え、勝利していける力がある。
確かにそれは、あるんだけれど、ややもすると人は、そうは思えなくなっていく。
さまざまな状況(じょうきょう)や悩み、困難に押(お)しつぶされ、自分が幸せになれるとは思えなくなってしまうことが多々(たた)ある。まして、自分の中に、無限の可能性、言い換(か)えれば、「無限の宝(たから)」があるとは、なかなか思えない場合もある。そして、時に流され、人生に流され、一生を終わってしまう。
そういうことも、確かに、多々あると思う。
それを打ち破ることが、どれだけ困難か・・・。
その自分の中の闇(やみ)を打ち破ることが、どけだけ大変なことか・・・。
また、それができないから、多くに人が自分が希望する人生を送れず、不幸に沈(しず)んでいってしまう・・・。
その闇(やみ)、絶望、苦しみ、悩みや困難を、根底から打ち破るために、『ご本尊』はある!
また、それができるのが、創価学会が信じ、祈っている「ご本尊」です。
ご本尊は、自分の中にある、「幸せになる力」を現実に引き出す!!
絶望を消し去り、希望を生み出す!!
本来、人間は幸せになるために生きている。
そして、その幸せになるために無限の力を引き出し、困難を乗り越え、勝利していける。
その本来、人間がもっている、幸せになる力を無限に引き出し、悩みを乗り越え、夢や希望をかなえて勝利していけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰であり、創価学会が信じ祈っている『ご本尊』だと、いうことです・・!
ひまわりの種333 [悩み]
以前、聖教(せいきょう)新聞に池田先生(創価学会インターナショナル会長)が掲載(けいさい)てしてくれている「新・人間革命」に、兄が若くして他界(たかい)したある女性の話しが、のっていました。
彼女の兄は、母に語っていた。
「人生って、なんて不公平(ふこうへい)なんだろう。若くして死ぬなら、生まれてこない方がよかった。でも、そこにも、何か深い意味があるのかもしれない。それを教えてくれる、人生をよりよく生きるための、正しい宗教があるように思う。それを探してほしい・・。」
そして、彼女は、創価学会の会合に参加する機会(きかい)にめぐまれ、そこで、兄のことを語り、質問している。
「兄の言うように、正しい宗教が本当にあるのでしょうか。私には、人生も社会も不公平(ふこうへい)だし、正直者が損(そん)をするのが、この世であるとしか思えません。」
それに対して、池田先生は、答えている。
「そうですか。お兄さんは、最後まで、この日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の正法(しょうほう)を探し求めていたんですよ。ご冥福(めいふく)を祈ってあげてください。南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)とお題目(だいもく)をとなえれば、全宇宙に、その力は波動(はど う)していきます。」
「あなたも、ご苦労されたんですね。しかし、人間は、幸福になるために生まれてきたんですよ。仏法(ぶっぽう)によって、必ず幸せになれるんです。あきらめてはいけません。」
「一緒に信心なさいませんか。人生には、幸福になるための軌道(きどう)があるんです。それが大聖人の仏法です。正しい人生の軌道に乗ったうえでの苦労は、すべて実(み)を結(むす)びます。しかし、根本の軌道が誤(あやま)っていれば、苦労も実(みの)りません。穴(あな)が開いた容器(ようき)で水を汲(く)もうと思って奮闘(ふんとう)しても、水が汲めないのと同じです。」
人生には、幸福になるための軌道(きどう)がある・・。
そして、その正しい軌道に乗ったうえでの苦労は、すべて実を結ぶ・・!
その幸福になるための軌道が、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。
自分の人生が、うまくいかない・・。
また、悩みや苦しみだらけである。
また、どうせ俺の人生なんか・・と、あきらめてしまう場合もあるかもしれない。
それらは、すべて、自分の人生が、幸福の軌道に乗っていないことの証明(しょうめい)だとも言えると思います。
では、なぜ?、自分の人生は幸福の軌道に乗っていないのか・・?
それは、その人が、間違った思想、間違(まちが)った宗教の上に、生きているからだと表現できます。
そしてその、間違った宗教が、日本にはびこっている葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰などです。
その間違った宗教の影響(えいきょう)のもとで、生きているとすると、その間違った当然(とうぜん)の結果として、自分の人生も、間違ったものになっていく。
自分の人生が間違ったものになっていったなら、悩みが解決しない。苦悩が絶(た)えない。不幸だらけの人生になっていく。
その根底(こんてい)の原因(げんいん)が、葬式仏教や観光宗教、神社信仰などの間違った宗教だと言えます。また、自分は、そんな宗教などにかかわってはいないと言うのならば、自分の過去世(過去に生きていた時代)に、間違った宗教にかかわってきたために、さまざなな悩み、苦しみをもって生まれてきてしまったと、とらえることもできます。
ともかく、悩みが絶えない。
苦しみだらけだ。
自分の人生は、幸せではない!と思っているとしたら、それは自分が、幸福になるための軌道に乗っていないと、考えるべきです。
では、どうしたらいいか・・?
当然(とうぜん)、正しい軌道、幸福になるための軌道に乗るしかない。
その決定的で、唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です。
これしかありません。
小手先(こてさき)で、ああだ、こうだとやってみたところで、無理です。何かの宣伝文句に誘(さそ)われ、どんなにお金を使ったところで、無理です。
自分の人生を、自分の生命を、本当に、正しい軌道、幸せの軌道に乗せる方法は、この、創価学会の、『南無妙法蓮華経の仏法』しかありません。
これだけは、言えます。
だれでも、始めは半信半疑(はんしんはんぎ)かもしれない。
けれど、それでも、勇気をもって、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰をやってみたとき、確かに、幸せに変わる。確信が生まれる。そして、真剣にやっていくことによって、悩みや問題を解決し、夢や希望も、かなえていけるようになっていく。
だから、世界192カ国に、創価学会は広がり、世界中の人々を現実に幸せにしている。
今日、話しをした女性の、亡くなった兄は、言っていた。
「人生をよりよく生きるための、正しい宗教があるように思う。それを探してほしい・・。」
そして、それは現実に存在する。
そして、それが、人生を勝利していくために、幸福の軌道に乗っていく道です。
幸福の軌道をつかむ道です。
そして、それが、宿命(しゅくめい)も悩みも乗り越(こ)えていける、夢や希望をかなえていける、幸せと勝利をつかんでいける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・!
彼女の兄は、母に語っていた。
「人生って、なんて不公平(ふこうへい)なんだろう。若くして死ぬなら、生まれてこない方がよかった。でも、そこにも、何か深い意味があるのかもしれない。それを教えてくれる、人生をよりよく生きるための、正しい宗教があるように思う。それを探してほしい・・。」
そして、彼女は、創価学会の会合に参加する機会(きかい)にめぐまれ、そこで、兄のことを語り、質問している。
「兄の言うように、正しい宗教が本当にあるのでしょうか。私には、人生も社会も不公平(ふこうへい)だし、正直者が損(そん)をするのが、この世であるとしか思えません。」
それに対して、池田先生は、答えている。
「そうですか。お兄さんは、最後まで、この日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の正法(しょうほう)を探し求めていたんですよ。ご冥福(めいふく)を祈ってあげてください。南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)とお題目(だいもく)をとなえれば、全宇宙に、その力は波動(はど う)していきます。」
「あなたも、ご苦労されたんですね。しかし、人間は、幸福になるために生まれてきたんですよ。仏法(ぶっぽう)によって、必ず幸せになれるんです。あきらめてはいけません。」
「一緒に信心なさいませんか。人生には、幸福になるための軌道(きどう)があるんです。それが大聖人の仏法です。正しい人生の軌道に乗ったうえでの苦労は、すべて実(み)を結(むす)びます。しかし、根本の軌道が誤(あやま)っていれば、苦労も実(みの)りません。穴(あな)が開いた容器(ようき)で水を汲(く)もうと思って奮闘(ふんとう)しても、水が汲めないのと同じです。」
人生には、幸福になるための軌道(きどう)がある・・。
そして、その正しい軌道に乗ったうえでの苦労は、すべて実を結ぶ・・!
その幸福になるための軌道が、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。
自分の人生が、うまくいかない・・。
また、悩みや苦しみだらけである。
また、どうせ俺の人生なんか・・と、あきらめてしまう場合もあるかもしれない。
それらは、すべて、自分の人生が、幸福の軌道に乗っていないことの証明(しょうめい)だとも言えると思います。
では、なぜ?、自分の人生は幸福の軌道に乗っていないのか・・?
それは、その人が、間違った思想、間違(まちが)った宗教の上に、生きているからだと表現できます。
そしてその、間違った宗教が、日本にはびこっている葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰などです。
その間違った宗教の影響(えいきょう)のもとで、生きているとすると、その間違った当然(とうぜん)の結果として、自分の人生も、間違ったものになっていく。
自分の人生が間違ったものになっていったなら、悩みが解決しない。苦悩が絶(た)えない。不幸だらけの人生になっていく。
その根底(こんてい)の原因(げんいん)が、葬式仏教や観光宗教、神社信仰などの間違った宗教だと言えます。また、自分は、そんな宗教などにかかわってはいないと言うのならば、自分の過去世(過去に生きていた時代)に、間違った宗教にかかわってきたために、さまざなな悩み、苦しみをもって生まれてきてしまったと、とらえることもできます。
ともかく、悩みが絶えない。
苦しみだらけだ。
自分の人生は、幸せではない!と思っているとしたら、それは自分が、幸福になるための軌道に乗っていないと、考えるべきです。
では、どうしたらいいか・・?
当然(とうぜん)、正しい軌道、幸福になるための軌道に乗るしかない。
その決定的で、唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です。
これしかありません。
小手先(こてさき)で、ああだ、こうだとやってみたところで、無理です。何かの宣伝文句に誘(さそ)われ、どんなにお金を使ったところで、無理です。
自分の人生を、自分の生命を、本当に、正しい軌道、幸せの軌道に乗せる方法は、この、創価学会の、『南無妙法蓮華経の仏法』しかありません。
これだけは、言えます。
だれでも、始めは半信半疑(はんしんはんぎ)かもしれない。
けれど、それでも、勇気をもって、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰をやってみたとき、確かに、幸せに変わる。確信が生まれる。そして、真剣にやっていくことによって、悩みや問題を解決し、夢や希望も、かなえていけるようになっていく。
だから、世界192カ国に、創価学会は広がり、世界中の人々を現実に幸せにしている。
今日、話しをした女性の、亡くなった兄は、言っていた。
「人生をよりよく生きるための、正しい宗教があるように思う。それを探してほしい・・。」
そして、それは現実に存在する。
そして、それが、人生を勝利していくために、幸福の軌道に乗っていく道です。
幸福の軌道をつかむ道です。
そして、それが、宿命(しゅくめい)も悩みも乗り越(こ)えていける、夢や希望をかなえていける、幸せと勝利をつかんでいける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・!
ひまわりの種332 [幸せ]
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。
『ともあれ、これからも、我らの世界広布(せかいこうふ)の前進は、決して止まらない。
なぜか?
それは、幸福を求め、平和を願う友が待(ま)っているからです。
仏法(ぶっぽう)の生命尊厳(そんげん)の哲理(てつり)を、世界の民衆が渇仰(かつごう)してやまないからです。』
ちなみに、世界広布(せかいこうふ)とは、創価学会(そうかがっかい)が実践している、仏法(ぶっぽう)の哲学(てつがく)と思想を基調(きちょう)にして、世界に平和と幸福をもたらしていくことを言います。
創価学会が実践(じっせん)していることは、なにか特別なことではない。一部の人だけに必要となるものでもない。
すべての人が求め、欲(ほ)しているもの・・!!
それが、創価学会の『仏法(ぶっぽう)』です。
池田先生が言うように、世界には、幸福を求め、平和を願う友が待っている。
その、世界の民衆が渇仰(かつごう)してやまない、生命尊厳(そんげん)の哲理(てつり)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法の哲学(てつがく)だということです。
だから、創価学会は広がり続ける。
疑(うたが)いや偏見(へんけん)があったとしても、すべての人は平和と幸せを求めている。
ゆえに、最終的には、疑いや偏見を乗り越(こ)え、この創価学会の仏法の哲理(てつり)にたどり着く・・!
それは、だれでも、幸せを求めているからです。平和を求めているからです。
その明確な哲学(てつがく)、人生を幸せにしていくエネルギー、力(ちから)が、創価学会の仏法(ぶっぽう)には、確実にある!!ということです。
だれでも、夢があり、希望がある。
また、だれでも、さまざまな現実の悩みがある。
その夢や希望、現実の悩みに対して、いったい、どうしたらいいのか?
だれでも、夢や希望の実現や、悩みの解決に向かって、一生懸命(いっしょうけんめい)、努力していくと思う。
けれど、ほんとうに悩みや問題を解決できるのか・・?
ほんとうに、夢や希望をかなえていけるのか・・?
と考えた時、そこには、さまざまな問題があり障壁(しょうへき)がある。
また、どうしても越えられない宿命(しゅくめい)がある場合もある。
いったい、その宿命に対して、それを明確に打ち破(やぶ)り、解決していく方途(ほうと)があるのか・・?
世間は、それを、だれも示(しめ)していない・・。
だれも、明確な答えを出してくれない。
その宿命に泣き、不幸に落ちていった人たちが、どれだけ多いことか・・。
その宿命に対して、明確な解決方法と力(ちから)を持ち、人生を希望へ幸福へと、確実にもっていっていくことのできる哲学であり力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです。
だから、創価学会は、世界に広がり続ける。
それは、当たり前の結果だからです。
必然(ひつぜん)の結果として、創価学会は、また一人、また一人と、広がり続ける。
それは、創価学会が、本当に、世界中の、どんな「ひとり」であろうと、その人の悩みを解決し、夢や希望をかなえる、現実的な、決定的な力であることの、証明(しょうめい)になっていると、心から思う・・・。
『ともあれ、これからも、我らの世界広布(せかいこうふ)の前進は、決して止まらない。
なぜか?
それは、幸福を求め、平和を願う友が待(ま)っているからです。
仏法(ぶっぽう)の生命尊厳(そんげん)の哲理(てつり)を、世界の民衆が渇仰(かつごう)してやまないからです。』
ちなみに、世界広布(せかいこうふ)とは、創価学会(そうかがっかい)が実践している、仏法(ぶっぽう)の哲学(てつがく)と思想を基調(きちょう)にして、世界に平和と幸福をもたらしていくことを言います。
創価学会が実践(じっせん)していることは、なにか特別なことではない。一部の人だけに必要となるものでもない。
すべての人が求め、欲(ほ)しているもの・・!!
それが、創価学会の『仏法(ぶっぽう)』です。
池田先生が言うように、世界には、幸福を求め、平和を願う友が待っている。
その、世界の民衆が渇仰(かつごう)してやまない、生命尊厳(そんげん)の哲理(てつり)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法の哲学(てつがく)だということです。
だから、創価学会は広がり続ける。
疑(うたが)いや偏見(へんけん)があったとしても、すべての人は平和と幸せを求めている。
ゆえに、最終的には、疑いや偏見を乗り越(こ)え、この創価学会の仏法の哲理(てつり)にたどり着く・・!
それは、だれでも、幸せを求めているからです。平和を求めているからです。
その明確な哲学(てつがく)、人生を幸せにしていくエネルギー、力(ちから)が、創価学会の仏法(ぶっぽう)には、確実にある!!ということです。
だれでも、夢があり、希望がある。
また、だれでも、さまざまな現実の悩みがある。
その夢や希望、現実の悩みに対して、いったい、どうしたらいいのか?
だれでも、夢や希望の実現や、悩みの解決に向かって、一生懸命(いっしょうけんめい)、努力していくと思う。
けれど、ほんとうに悩みや問題を解決できるのか・・?
ほんとうに、夢や希望をかなえていけるのか・・?
と考えた時、そこには、さまざまな問題があり障壁(しょうへき)がある。
また、どうしても越えられない宿命(しゅくめい)がある場合もある。
いったい、その宿命に対して、それを明確に打ち破(やぶ)り、解決していく方途(ほうと)があるのか・・?
世間は、それを、だれも示(しめ)していない・・。
だれも、明確な答えを出してくれない。
その宿命に泣き、不幸に落ちていった人たちが、どれだけ多いことか・・。
その宿命に対して、明確な解決方法と力(ちから)を持ち、人生を希望へ幸福へと、確実にもっていっていくことのできる哲学であり力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです。
だから、創価学会は、世界に広がり続ける。
それは、当たり前の結果だからです。
必然(ひつぜん)の結果として、創価学会は、また一人、また一人と、広がり続ける。
それは、創価学会が、本当に、世界中の、どんな「ひとり」であろうと、その人の悩みを解決し、夢や希望をかなえる、現実的な、決定的な力であることの、証明(しょうめい)になっていると、心から思う・・・。
ひまわりの種331 [幸せ]
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。
『生きるということは、宿命(しゅくめい)との壮絶(そうぜつ)な格闘(かくとう)といってよい。
それに打ち勝ってこそ、幸せはある。勝つか、負けるか - - - - その避(さ)けがたき現実を直視(ちょくし)する時、信仰という生命の力の源泉(げんせん)をもち、何ものにも揺(ゆ)るがぬ人間の芯(しん)を確立する必要性を、痛感(つうかん)せざるを得(え)ない。』
信仰といっても、葬式仏教(そうしきぶっきょう)や神社信仰、観光宗教のようなものとは、まったく違う。
それらの葬式仏教や神社信仰、観光宗教が、なんの足(た)しにもならないことは、わかりきっているし、かりに、どんなに真剣にやったとしても、なんの効力(こうりょく)もないでしょう。かえって、それらの宗教は、デタラメな間違った宗教であるがゆえに、逆に、真剣にやればやるほど、その間違ったデタラメの結果として、その人に害(がい)をもたらし、その人を不幸にしてしまう・・!
それが、本当のことろです。
そうではなくて、生命の力の源泉(げんせん)をとなるもの、何ものにも揺(ゆ)るがぬ人間の芯(しん)を確立できるものが、真実の信仰であり、それが、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。
人は、だれでも、おもしろおかしく生きたいと思っている。
楽しく、軽快(けいかい)に、幸せに生きたいと思っている。
また、世間は、その表面上の華(はな)やかさ、軽快さ、スマートなかっこ良さをもてはやし、宣伝(せんでん)しているようにも思う。
けれど、現実は違う。すべての人に宿命(しゅくめい)がある・・。
そして、その宿命との壮絶な戦いがある。
そして、その宿命に勝つか、負けるか。
この避(さ)けがたい現実がある。
実は、幸せとは、見た目の華やかさや、きらびやかさではなく、その宿命に勝っていけるのか?いけないのか?
ここにあるのでは、ないだろうか・・・!
宿命に勝っていけるのか?いけないのか?
ここに、幸せか、そうでないかの境目(さかいめ)があるのでは、ないだろうか!
おそらく、幸せとは、どんな宿命も、悠々(ゆうゆう)と乗り越えていける境涯(きょうがい)、また、そのどんな宿命も乗り越えていける大生命力(だいせいめいりょく)の中にあるのではないだろうか・・。
その大生命力を持ち、生ききっていくところに、本当の幸せはあるのではないだろうか。
では、その大生命力を湧(わ)き上がらせて、悠々(ゆうゆう)と生きていく、その「生命力」は、いかにして湧き上がらせ、つかんでいくことができるだろうか・・・?
その生命力を無限に湧(わ)き上がらせ、苦難を乗り越え、人生を勝っていけるのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです。
現実問題として、宿命を乗り越え、勝っていける方法は、この創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰しかない!!ということです。
南無妙法蓮華経は歓喜(かんき)の中の大歓喜だという。
南無妙法蓮華経をとなえること以上の遊楽(ゆうらく)はない!とも言う。
それは、文字通り、南無妙法蓮華経をとなえることほど楽しいことはない!ということであり、南無妙法蓮華経をとなえることほど有意義(ゆういぎ)なこともない!ということです。
なぜならば、南無妙法蓮華経をとなえることは、宿命を打ち破り勝っていける、唯一(ゆいいつ)の方法だからです。
宿命を打ち破り勝っていける方法がこれしかない!ということは、南無妙法蓮華経をとなえることは、本当の幸せをつかむ、唯一の方法だ!ということです。
だから、これ以上楽しいこともないし、これ以上幸せなこともない。
だから、南無妙法蓮華経をとなえると、自分の生命が歓喜してくるんだと思う。
それは、自分が幸せをつかんでいる証拠(しょうこ)であり、宿命に打ち勝っている証拠だと思う。
ゆえに、悩みを乗り越え、困難を打ち破り、夢や希望をかなえて、幸せになっていける!
池田先生が言うように、生きるということは、宿命との壮絶な格闘です。
それに打ち勝ってこそ、幸せはある。
そして、その宿命に勝っていける生命の力の源泉(げんせん)、何ものにも負けない、幸せの芯(しん)を確立していけるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです・・!
『生きるということは、宿命(しゅくめい)との壮絶(そうぜつ)な格闘(かくとう)といってよい。
それに打ち勝ってこそ、幸せはある。勝つか、負けるか - - - - その避(さ)けがたき現実を直視(ちょくし)する時、信仰という生命の力の源泉(げんせん)をもち、何ものにも揺(ゆ)るがぬ人間の芯(しん)を確立する必要性を、痛感(つうかん)せざるを得(え)ない。』
信仰といっても、葬式仏教(そうしきぶっきょう)や神社信仰、観光宗教のようなものとは、まったく違う。
それらの葬式仏教や神社信仰、観光宗教が、なんの足(た)しにもならないことは、わかりきっているし、かりに、どんなに真剣にやったとしても、なんの効力(こうりょく)もないでしょう。かえって、それらの宗教は、デタラメな間違った宗教であるがゆえに、逆に、真剣にやればやるほど、その間違ったデタラメの結果として、その人に害(がい)をもたらし、その人を不幸にしてしまう・・!
それが、本当のことろです。
そうではなくて、生命の力の源泉(げんせん)をとなるもの、何ものにも揺(ゆ)るがぬ人間の芯(しん)を確立できるものが、真実の信仰であり、それが、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。
人は、だれでも、おもしろおかしく生きたいと思っている。
楽しく、軽快(けいかい)に、幸せに生きたいと思っている。
また、世間は、その表面上の華(はな)やかさ、軽快さ、スマートなかっこ良さをもてはやし、宣伝(せんでん)しているようにも思う。
けれど、現実は違う。すべての人に宿命(しゅくめい)がある・・。
そして、その宿命との壮絶な戦いがある。
そして、その宿命に勝つか、負けるか。
この避(さ)けがたい現実がある。
実は、幸せとは、見た目の華やかさや、きらびやかさではなく、その宿命に勝っていけるのか?いけないのか?
ここにあるのでは、ないだろうか・・・!
宿命に勝っていけるのか?いけないのか?
ここに、幸せか、そうでないかの境目(さかいめ)があるのでは、ないだろうか!
おそらく、幸せとは、どんな宿命も、悠々(ゆうゆう)と乗り越えていける境涯(きょうがい)、また、そのどんな宿命も乗り越えていける大生命力(だいせいめいりょく)の中にあるのではないだろうか・・。
その大生命力を持ち、生ききっていくところに、本当の幸せはあるのではないだろうか。
では、その大生命力を湧(わ)き上がらせて、悠々(ゆうゆう)と生きていく、その「生命力」は、いかにして湧き上がらせ、つかんでいくことができるだろうか・・・?
その生命力を無限に湧(わ)き上がらせ、苦難を乗り越え、人生を勝っていけるのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです。
現実問題として、宿命を乗り越え、勝っていける方法は、この創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰しかない!!ということです。
南無妙法蓮華経は歓喜(かんき)の中の大歓喜だという。
南無妙法蓮華経をとなえること以上の遊楽(ゆうらく)はない!とも言う。
それは、文字通り、南無妙法蓮華経をとなえることほど楽しいことはない!ということであり、南無妙法蓮華経をとなえることほど有意義(ゆういぎ)なこともない!ということです。
なぜならば、南無妙法蓮華経をとなえることは、宿命を打ち破り勝っていける、唯一(ゆいいつ)の方法だからです。
宿命を打ち破り勝っていける方法がこれしかない!ということは、南無妙法蓮華経をとなえることは、本当の幸せをつかむ、唯一の方法だ!ということです。
だから、これ以上楽しいこともないし、これ以上幸せなこともない。
だから、南無妙法蓮華経をとなえると、自分の生命が歓喜してくるんだと思う。
それは、自分が幸せをつかんでいる証拠(しょうこ)であり、宿命に打ち勝っている証拠だと思う。
ゆえに、悩みを乗り越え、困難を打ち破り、夢や希望をかなえて、幸せになっていける!
池田先生が言うように、生きるということは、宿命との壮絶な格闘です。
それに打ち勝ってこそ、幸せはある。
そして、その宿命に勝っていける生命の力の源泉(げんせん)、何ものにも負けない、幸せの芯(しん)を確立していけるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです・・!
ひまわりの種330 [悩み]
オーストリア元文部次官で声楽家のユッタ・ウンカルト・サイフェルト博士が、池田先生(創価学会インターナショナル会長)との対談の中で、言っています。
それは、池田先生が、仏典(ぶってん)の中の『声仏事(ぶつじ)を為(な)す』について語られた後です。
池田先生は、言います。
「仏典にはこうあります。『声仏事(ぶつじ)を為(な)す』と。
他の言葉に言い換(か)えるならば、『仏事(ぶつじ)』とは、誰人(たれびと)にも胸中に尊極(そんごく)な生命があることを教え、人々に「生きゆく力」と「希望」そして「勇気」を贈(おく)るという意義(いぎ)になりましょうか。」
それに対して、サイフェルト博士は言います。
「その一節(いっせつ)、とても素晴らしいと思います。伺(うかが)って、忘れられない思い出が心に浮かびました。
池田香峯子夫人(かねこふじん/池田会長夫人)についてです。私が個人的に悩みを抱(かか)え、本当につらかった時にお会いしたことがありました。
内容はお伝えしなかったのですが、お別れの折(おり)、思わず涙(なみだ)が出てしまいました。その時、香峯子夫人は一言、とても優(やさ)しく寄り添(よりそ)うような言葉で慰(なぐさ)めてくださいました。そして南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)との題目(だいもく)を唱(とな)えてくださったのです。
それまではとても不安で、できれば家に戻(もど)りたくないというのが本心(ほんしん)でしたが、それから帰宅し、全て解決(かいけつ)できました。
あの時、香峯子夫人の声に救(すく)われました。思い返すと、今でも涙が出てきます。本当に感謝しています。私に日本語ができれば自由にお話がしたいのですが。」
・・・・・・・・・・・・・
ぼくが、かってに思うに、池田会長夫人(香峯子夫人)は、サイフェルト博士と別れるときに、南無妙法蓮華経をとなえただけではなく、その後もきっと、サイフェルト博士の悩みの解決と幸せのために、ご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経をとなえてくれたのではないか・・と思います。
ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることをあらわしたものが、ご本尊で、創価学会の人たちは、その「ご本尊(ほんぞん)」に日々、南無妙法蓮華経をとなえて祈っています。
そして、先ほど言ったように、ぼくのかってな思い込みではありますが、池田会長夫人(香峯子夫人)は、サイフェルト博士の幸せを願って、ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえたにちがいないと思えてならないんです・・。
何を言いたいかというと、池田会長夫人(香峯子夫人)がとなえた『南無妙法蓮華経』、創価学会の人たちがとなえている『南無妙法蓮華経』には、力(ちから)がある!ということです。
人間の悩みを解決する力、人間に幸せをもたらす力が、南無妙法蓮華経には、確実に、現実に、『ある!!』ということです。
それゆえに、サイフェルト博士の悩みも、解決していった。そう思えてなりません。
また、『南無妙法蓮華経』には、人間の生命を変革(へんかく)していく力がある!ということです。
それは、南無妙法蓮華経をとなえている自分自身の生命だけでなく、自分が思い願っている人、その相手の人の生命、その相手の人の心さえも、変えていける!ということです。
ゆえに、サイフェルト博士の心が変わり、そのことによって、サイフェルト博士の悩みも解決していった。
そう言えるのではないかと思います。
また、南無妙法蓮華経をとなえる、その音声(おんじょう)は、部分的、局所(きょくしょ)的な人だけでなく、世界そのものに伝わっていく。その人が住む、家庭や地域、職場にも伝わり、間接的(かんせつてき)にも、直接的にも、その人や周りの人々を幸せにしていく。
大きく言えば、南無妙法蓮華経の音声(おんじょう)は、全宇宙に通(つう)じていく。
また、生命の次元(じげん)から言えば、死んでいった人々の生命、自分の家族や先祖(せんぞ)、今は亡(な)き人々の生命にも伝わっていく。たとえ、その死んでいった人の生命が、地獄(じごく)のような苦しみを味わっていたとしても、その苦しみを消し去り、昇華(しょうか)して、その亡くなっていった人々の生命を幸せにすることができる。
たとえて言うなら、その亡くなった生命が、地獄にいたとしても、その人の生命を救いだし、幸福の世界へと導くことができる!
それが、『南無妙法蓮華経』です。
ともかく、南無妙法蓮華経の力は、計(はか)り知れない。
たったひとことの『南無妙法蓮華経』であったとしても、無限の力と可能性を秘(ひ)めている。
まして、その南無妙法蓮華経をとなえた人の真心(まごころ)と愛情が強ければ強いほど、その真心は伝わり、相手の心を変え、生命を幸せに変え、その人を幸せにしていける。
ゆえに、サイフェルト博士の悩みも解決していった。
そう言えると思います。
また、その創価学会(そうかがっかい)の人たちがとなえる『南無妙法蓮華経』によって、どれだけの人の心が幸せに変わり、蘇生(そせい)していったかは、計り知れない。
それは、もの凄(すご)いことであり、まさにそれは、生命の『幸せの革命(かくめい)』と言っていいと思います。
そういう「幸せの革命」を世界中の人々の中に起こし、現実に悩みを解決させ、現実に夢や希望をかなえる力となって、人々を幸せにしてきたのが、 『創価学会』です。
そして、その悩みを解決し、夢や希望をかなえていく、無限(むげん)の『幸せの力』が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!
それは、池田先生が、仏典(ぶってん)の中の『声仏事(ぶつじ)を為(な)す』について語られた後です。
池田先生は、言います。
「仏典にはこうあります。『声仏事(ぶつじ)を為(な)す』と。
他の言葉に言い換(か)えるならば、『仏事(ぶつじ)』とは、誰人(たれびと)にも胸中に尊極(そんごく)な生命があることを教え、人々に「生きゆく力」と「希望」そして「勇気」を贈(おく)るという意義(いぎ)になりましょうか。」
それに対して、サイフェルト博士は言います。
「その一節(いっせつ)、とても素晴らしいと思います。伺(うかが)って、忘れられない思い出が心に浮かびました。
池田香峯子夫人(かねこふじん/池田会長夫人)についてです。私が個人的に悩みを抱(かか)え、本当につらかった時にお会いしたことがありました。
内容はお伝えしなかったのですが、お別れの折(おり)、思わず涙(なみだ)が出てしまいました。その時、香峯子夫人は一言、とても優(やさ)しく寄り添(よりそ)うような言葉で慰(なぐさ)めてくださいました。そして南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)との題目(だいもく)を唱(とな)えてくださったのです。
それまではとても不安で、できれば家に戻(もど)りたくないというのが本心(ほんしん)でしたが、それから帰宅し、全て解決(かいけつ)できました。
あの時、香峯子夫人の声に救(すく)われました。思い返すと、今でも涙が出てきます。本当に感謝しています。私に日本語ができれば自由にお話がしたいのですが。」
・・・・・・・・・・・・・
ぼくが、かってに思うに、池田会長夫人(香峯子夫人)は、サイフェルト博士と別れるときに、南無妙法蓮華経をとなえただけではなく、その後もきっと、サイフェルト博士の悩みの解決と幸せのために、ご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経をとなえてくれたのではないか・・と思います。
ちなみに、ご本尊(ほんぞん)とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることをあらわしたものが、ご本尊で、創価学会の人たちは、その「ご本尊(ほんぞん)」に日々、南無妙法蓮華経をとなえて祈っています。
そして、先ほど言ったように、ぼくのかってな思い込みではありますが、池田会長夫人(香峯子夫人)は、サイフェルト博士の幸せを願って、ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえたにちがいないと思えてならないんです・・。
何を言いたいかというと、池田会長夫人(香峯子夫人)がとなえた『南無妙法蓮華経』、創価学会の人たちがとなえている『南無妙法蓮華経』には、力(ちから)がある!ということです。
人間の悩みを解決する力、人間に幸せをもたらす力が、南無妙法蓮華経には、確実に、現実に、『ある!!』ということです。
それゆえに、サイフェルト博士の悩みも、解決していった。そう思えてなりません。
また、『南無妙法蓮華経』には、人間の生命を変革(へんかく)していく力がある!ということです。
それは、南無妙法蓮華経をとなえている自分自身の生命だけでなく、自分が思い願っている人、その相手の人の生命、その相手の人の心さえも、変えていける!ということです。
ゆえに、サイフェルト博士の心が変わり、そのことによって、サイフェルト博士の悩みも解決していった。
そう言えるのではないかと思います。
また、南無妙法蓮華経をとなえる、その音声(おんじょう)は、部分的、局所(きょくしょ)的な人だけでなく、世界そのものに伝わっていく。その人が住む、家庭や地域、職場にも伝わり、間接的(かんせつてき)にも、直接的にも、その人や周りの人々を幸せにしていく。
大きく言えば、南無妙法蓮華経の音声(おんじょう)は、全宇宙に通(つう)じていく。
また、生命の次元(じげん)から言えば、死んでいった人々の生命、自分の家族や先祖(せんぞ)、今は亡(な)き人々の生命にも伝わっていく。たとえ、その死んでいった人の生命が、地獄(じごく)のような苦しみを味わっていたとしても、その苦しみを消し去り、昇華(しょうか)して、その亡くなっていった人々の生命を幸せにすることができる。
たとえて言うなら、その亡くなった生命が、地獄にいたとしても、その人の生命を救いだし、幸福の世界へと導くことができる!
それが、『南無妙法蓮華経』です。
ともかく、南無妙法蓮華経の力は、計(はか)り知れない。
たったひとことの『南無妙法蓮華経』であったとしても、無限の力と可能性を秘(ひ)めている。
まして、その南無妙法蓮華経をとなえた人の真心(まごころ)と愛情が強ければ強いほど、その真心は伝わり、相手の心を変え、生命を幸せに変え、その人を幸せにしていける。
ゆえに、サイフェルト博士の悩みも解決していった。
そう言えると思います。
また、その創価学会(そうかがっかい)の人たちがとなえる『南無妙法蓮華経』によって、どれだけの人の心が幸せに変わり、蘇生(そせい)していったかは、計り知れない。
それは、もの凄(すご)いことであり、まさにそれは、生命の『幸せの革命(かくめい)』と言っていいと思います。
そういう「幸せの革命」を世界中の人々の中に起こし、現実に悩みを解決させ、現実に夢や希望をかなえる力となって、人々を幸せにしてきたのが、 『創価学会』です。
そして、その悩みを解決し、夢や希望をかなえていく、無限(むげん)の『幸せの力』が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!
ひまわりの種329 [世界]
ロシアの元宇宙飛行士である、アレクサンドル・セレブロフ博士が、池田先生(創価学会インターナショナル会長)との対談集の中で、言っています。
宇宙飛行士に最も必要な資質(ししつ)は何か - - -
「それは、『人間としての品性(ひんせい)』をもっていることです。
つまり、ずるいことや卑(いや)しいことをしない『高潔(こうけつ)な人格』です。」
「そして、もう一つ、大切な要件(ようけん)は、『ユーモアのセンス』です。」
置かれた状況(じょうきょう)を笑い飛(と)ばすくらいの度胸(どきょう)が必要だということだそうです。
アレクサンドル・セレブロス博士は、1982年から94年に至(いた)るまで、計4度、372日22時間52分にわたる宇宙飛行を経験。船外活動は10回に及(およ)んだ。その実績は、94年度版のギネスブックにも記録されている。
セレブロス博士は、宇宙飛行の中で、死を覚悟(かくご)したことが三度あったそうです。
1度目は1983年4月、2回目の宇宙飛行。宇宙ステーションとのドッキングに失敗し、衝突(しょうとつ)事故を起こす寸前(すんぜん)だった。
「レバーを下ろせ!」
セレブロフ博士のとっさの判断で、博士の乗った宇宙船「ソユーズT8号」は宇宙ステーションをかすめるように通り過ぎていった。
2度目は93年9月16日、6回目の宇宙遊泳(ゆうえい)のとき。なんと、博士の命綱(いのちづな)が外れてしまったのだ。
「外れてるぞ!」
と船長が叫ぶ。
「そんなことは、わかっている。」と博士。
必死にステーションの一部にしがみつき、宇宙の藻(も)くずとなる運命を免(まぬか)れた。
3度目は94年1月14日。宇宙船「ソユーズ」に乗って、ステーション「ミール」の近くを飛んでいた。すると突然、制御(せいぎょ)レバーが効(き)かなくなった。
ソユーズが、秒速1メートルでミールに近づいていく。
偶然(ぐうぜん)、ソユーズはミールのアンテナに引っかかった。衝撃(しょうげき)が和(やわ)らぎ、博士のいた居住区(きょじゅうく)の壁(かべ)が破壊(はかい)されずに済(す)んだ。
そのセレブロス博士が、池田先生との対談を終えた後、言っています。
「私が経験したことの内実(ないじつ)を吟味(ぎんみ)し、まさに新たな人生哲学(てつがく)に昇華(しょうか)しえたのは、池田先生という並外(なみはず)れた魅力的な、傑出(けっしゅつ)した深い人格と出会い、語り合えたからにほかならい。」
そして、セレブロス博士は、池田先生を、『人生の師(し)』と呼んだ。
宇宙飛行士といえば、エリート中のエリートです。
そのエリート中のエリートでさえ、納得(なっとく)させ、尊敬と共感(きょうかん)を禁じ得(きんじえ)ないのが、創価学会の、『池田先生』だということです。
また、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法(ぶっぽう)には、宇宙を体験したようなエリート中のエリートでさえも、納得させ、大きな感銘(かんめい)を抱(いだ)かせる、明確な哲学がある!ということです。
では、逆(ぎゃく)に、セレブロス博士のようなエリートでないと、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、理解できないか?というと、それも違(ちが)う。
創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、専門的な知識など、まったくないような、おじいちゃんやおばあちゃんであっても、また、子供であっても、納得(なっとく)させられるものがある!
すなわち、どんな人にでも、納得させ、歓喜(かんき)して実践(じっせん)していける、ものすごい力(ちから)であり、エネルギーが、創価学会が実践している南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです。
すなわち、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰を、現実にやってみることによって、理屈(りくつ)や理論など、まったくわからない人であっても、『この創価学会の仏法はスゴイ!!』『この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、本物だ!!』と思えるだけの力とエネルギー、『結果』が、現実にもたらされる!ということです。
すなわち、超エリートから見ても、この創価学会の仏法(ぶっぽう)の生命哲学は、非の打ち所(ひのうちどころ)がなく、また、その仏法を実践した結果としても、非の打ち所のない、大きな『幸せ』という結果がもたらされる!ということです。
単純(たんじゅん)に言えば、世界中のどんな人であっても、幸せにすることができる!!ということです。
どんな人の悩みも解決していけるし、どんな人の夢や希望もかなえていけるだけの、大きな大きな力(ちから)になっていける!ということです。
どんな環境(かんきょう)の、どんな境遇(きょうぐう)の人の悩みにも対応(たいおう)し、どんな人の幸せにも対応して、その人たちの夢や希望をかなえていく、強力で決定的な力になっていく!ということです。
それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。
ゆえに、セレブロフ博士は、池田先生の対談のなかで、大きな共鳴(きょうめい)と感嘆(かんたん)を味わい、池田先生を、『人生の師』と呼んだ。
宇宙から見たとしても、人生という立場から見たとしても、世界の平和から見たとしても、悩みや問題の解決から見たとしても、夢や希望の実現、幸せという観点(かんてん)から見たとしても、非の打ち所がなく、完璧(かんぺき)な生命哲学、宇宙哲学、そして、現実に幸せになる!『幸福哲学』が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・。
宇宙飛行士に最も必要な資質(ししつ)は何か - - -
「それは、『人間としての品性(ひんせい)』をもっていることです。
つまり、ずるいことや卑(いや)しいことをしない『高潔(こうけつ)な人格』です。」
「そして、もう一つ、大切な要件(ようけん)は、『ユーモアのセンス』です。」
置かれた状況(じょうきょう)を笑い飛(と)ばすくらいの度胸(どきょう)が必要だということだそうです。
アレクサンドル・セレブロス博士は、1982年から94年に至(いた)るまで、計4度、372日22時間52分にわたる宇宙飛行を経験。船外活動は10回に及(およ)んだ。その実績は、94年度版のギネスブックにも記録されている。
セレブロス博士は、宇宙飛行の中で、死を覚悟(かくご)したことが三度あったそうです。
1度目は1983年4月、2回目の宇宙飛行。宇宙ステーションとのドッキングに失敗し、衝突(しょうとつ)事故を起こす寸前(すんぜん)だった。
「レバーを下ろせ!」
セレブロフ博士のとっさの判断で、博士の乗った宇宙船「ソユーズT8号」は宇宙ステーションをかすめるように通り過ぎていった。
2度目は93年9月16日、6回目の宇宙遊泳(ゆうえい)のとき。なんと、博士の命綱(いのちづな)が外れてしまったのだ。
「外れてるぞ!」
と船長が叫ぶ。
「そんなことは、わかっている。」と博士。
必死にステーションの一部にしがみつき、宇宙の藻(も)くずとなる運命を免(まぬか)れた。
3度目は94年1月14日。宇宙船「ソユーズ」に乗って、ステーション「ミール」の近くを飛んでいた。すると突然、制御(せいぎょ)レバーが効(き)かなくなった。
ソユーズが、秒速1メートルでミールに近づいていく。
偶然(ぐうぜん)、ソユーズはミールのアンテナに引っかかった。衝撃(しょうげき)が和(やわ)らぎ、博士のいた居住区(きょじゅうく)の壁(かべ)が破壊(はかい)されずに済(す)んだ。
そのセレブロス博士が、池田先生との対談を終えた後、言っています。
「私が経験したことの内実(ないじつ)を吟味(ぎんみ)し、まさに新たな人生哲学(てつがく)に昇華(しょうか)しえたのは、池田先生という並外(なみはず)れた魅力的な、傑出(けっしゅつ)した深い人格と出会い、語り合えたからにほかならい。」
そして、セレブロス博士は、池田先生を、『人生の師(し)』と呼んだ。
宇宙飛行士といえば、エリート中のエリートです。
そのエリート中のエリートでさえ、納得(なっとく)させ、尊敬と共感(きょうかん)を禁じ得(きんじえ)ないのが、創価学会の、『池田先生』だということです。
また、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法(ぶっぽう)には、宇宙を体験したようなエリート中のエリートでさえも、納得させ、大きな感銘(かんめい)を抱(いだ)かせる、明確な哲学がある!ということです。
では、逆(ぎゃく)に、セレブロス博士のようなエリートでないと、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、理解できないか?というと、それも違(ちが)う。
創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、専門的な知識など、まったくないような、おじいちゃんやおばあちゃんであっても、また、子供であっても、納得(なっとく)させられるものがある!
すなわち、どんな人にでも、納得させ、歓喜(かんき)して実践(じっせん)していける、ものすごい力(ちから)であり、エネルギーが、創価学会が実践している南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです。
すなわち、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰を、現実にやってみることによって、理屈(りくつ)や理論など、まったくわからない人であっても、『この創価学会の仏法はスゴイ!!』『この創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、本物だ!!』と思えるだけの力とエネルギー、『結果』が、現実にもたらされる!ということです。
すなわち、超エリートから見ても、この創価学会の仏法(ぶっぽう)の生命哲学は、非の打ち所(ひのうちどころ)がなく、また、その仏法を実践した結果としても、非の打ち所のない、大きな『幸せ』という結果がもたらされる!ということです。
単純(たんじゅん)に言えば、世界中のどんな人であっても、幸せにすることができる!!ということです。
どんな人の悩みも解決していけるし、どんな人の夢や希望もかなえていけるだけの、大きな大きな力(ちから)になっていける!ということです。
どんな環境(かんきょう)の、どんな境遇(きょうぐう)の人の悩みにも対応(たいおう)し、どんな人の幸せにも対応して、その人たちの夢や希望をかなえていく、強力で決定的な力になっていく!ということです。
それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。
ゆえに、セレブロフ博士は、池田先生の対談のなかで、大きな共鳴(きょうめい)と感嘆(かんたん)を味わい、池田先生を、『人生の師』と呼んだ。
宇宙から見たとしても、人生という立場から見たとしても、世界の平和から見たとしても、悩みや問題の解決から見たとしても、夢や希望の実現、幸せという観点(かんてん)から見たとしても、非の打ち所がなく、完璧(かんぺき)な生命哲学、宇宙哲学、そして、現実に幸せになる!『幸福哲学』が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・。
ひまわりの種328 [希望]
アメリカの良心と言われる、ノーマン・カズンズ博士が、言っています。
『世界中で原爆(げんばく)よりも強力なのは、人間の精神の力(ちから)だけです。』
創価学会インターナショナル会長である、池田先生が、言っています。
『一人の生命が最も尊厳(そんげん)であり、宇宙大の力と智慧(ちえ)と可能性を秘(ひ)めていることを明確に説(と)き明かしたのが、私たちが探求(たんきゅう)し実践する大仏法(だいぶっぽう)です。』
ノーマン・カズンズ博士が言うように、人間の精神には、計(はか)り知れない強力な力がある。
また、池田先生が言うように、一人の人間の中には、宇宙大の力と智慧(ちえ)と可能性が秘められている。
創価学会(そうかがっかい)の人たちがやっていることは、その一人の人間の中にある、無限(むげん)の力と可能性、その一人の人間に秘(ひ)められた、精神の力がどれだけスゴイか!ということの証明(しょうめい)だと思う。
すなわち、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰には、人間の中に秘められた、知恵と力、可能性を、無限に引き出していく力がある!ということだと思う。
確かに、人間の中には、無限の知恵と力、可能性が秘(ひ)められいる。
それは、だれだってわかる。
けれど、それは単(たん)なる一般論(いっぱんろん)であり、世間でいうところの、「人間の中には、無限の知恵と力、可能性が秘(ひ)められいる。」というのには、具体性(ぐたいせい)がなく、それが直接的(ちょくせつてき)に、悩みの解決や夢の実現、さまざまな環境(かんきょう)や世界を変えていく現実的な方途(ほうと)とはならない。
「確かにそうだよね~」
「人間には無限の可能性があるよね~~。」
ということであり、何の解決策(かいけつさく)にも、人生を切り開く力にもなっていかない・・。
けれど、創価学会が言うところの、『人間の中には、無限の知恵と力、可能性がある!!』というのは、まったく意味が違(ちが)ってくる。
それは、現実であり、現実に実行可能なことであり、現実に、無限の智慧(ちえ)と力、可能性を切り開いていける!!ということです。
ようするに、現実に、悩みを解決していけるし、夢や希望をかなえていける!し、環境と世界を、より良く、平和に、幸福にしていくことができる!! ということです。
その現実を変えていくことのできる力(ちから)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。
たとえば、なにかの悩みがある。
どうしても解決(かいけつ)したい・・!
そんな時、創価学会の人たちは、「よし、創価学会の信心によって、必ず解決してみせる!」と決め、真剣にご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経をとなえていく。
ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。
そして、仏法の実践活動である創価学会の活動に挑戦していく。
そうしていった時、本当に悩みが解決していく。そして、より幸せになっていける!
また、なにかの夢や希望がある。
その時、創価学会の人たちは、当然、その夢や希望の実現のための具体的な努力はするとして、それにプラスアルファするかたちで、創価学会の信心に挑戦していく。
『必ず、この願いをかなえてみせる!!』と真剣にご本尊に南無妙法蓮華経をとなえ、仏法の実践である創価学会の活動にも、真剣に挑戦していく。
そうしていったとき、さまざまなことが積(つ)み重(かさ)なり、運を引き付け、まわりの人たちも味方(みかた)にして、本当に夢や希望をかなえることができていく。
それが、創価学会(そうかがっかい)の信心です。
どんな過酷(かこく)な運命であったとしても、どんな絶体絶命(ぜったいぜつめい)のピンチであったとしても、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信心によって、『悩みを解決することが、できた!!』『夢や希望を、かなえることができた!!』と、歓喜(かんき)の声をあげることが、できる。
現実に、そうなっていけるのが、創価学会の信心です。
また、それが、創価学会の歴史です。
その、ひとりひとりが、悩みを解決し、夢や希望をかなえていった積(つ)み重(かさ)ねが、世界192カ国に広がる、創価学会になったわけです。
ノーマン・カズンズ博士が言うように、人間の精神には、原爆(げんばく)よりも強力な力がある。
また、池田先生が言うように、一人の人間の中には、宇宙大の力と智慧(ちえ)と可能性が秘められている。
その生命の無限の力を、自分の人生の中で開花させ、自分の生命で体験し、勝利と幸せをもって、味わっていけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!
『世界中で原爆(げんばく)よりも強力なのは、人間の精神の力(ちから)だけです。』
創価学会インターナショナル会長である、池田先生が、言っています。
『一人の生命が最も尊厳(そんげん)であり、宇宙大の力と智慧(ちえ)と可能性を秘(ひ)めていることを明確に説(と)き明かしたのが、私たちが探求(たんきゅう)し実践する大仏法(だいぶっぽう)です。』
ノーマン・カズンズ博士が言うように、人間の精神には、計(はか)り知れない強力な力がある。
また、池田先生が言うように、一人の人間の中には、宇宙大の力と智慧(ちえ)と可能性が秘められている。
創価学会(そうかがっかい)の人たちがやっていることは、その一人の人間の中にある、無限(むげん)の力と可能性、その一人の人間に秘(ひ)められた、精神の力がどれだけスゴイか!ということの証明(しょうめい)だと思う。
すなわち、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰には、人間の中に秘められた、知恵と力、可能性を、無限に引き出していく力がある!ということだと思う。
確かに、人間の中には、無限の知恵と力、可能性が秘(ひ)められいる。
それは、だれだってわかる。
けれど、それは単(たん)なる一般論(いっぱんろん)であり、世間でいうところの、「人間の中には、無限の知恵と力、可能性が秘(ひ)められいる。」というのには、具体性(ぐたいせい)がなく、それが直接的(ちょくせつてき)に、悩みの解決や夢の実現、さまざまな環境(かんきょう)や世界を変えていく現実的な方途(ほうと)とはならない。
「確かにそうだよね~」
「人間には無限の可能性があるよね~~。」
ということであり、何の解決策(かいけつさく)にも、人生を切り開く力にもなっていかない・・。
けれど、創価学会が言うところの、『人間の中には、無限の知恵と力、可能性がある!!』というのは、まったく意味が違(ちが)ってくる。
それは、現実であり、現実に実行可能なことであり、現実に、無限の智慧(ちえ)と力、可能性を切り開いていける!!ということです。
ようするに、現実に、悩みを解決していけるし、夢や希望をかなえていける!し、環境と世界を、より良く、平和に、幸福にしていくことができる!! ということです。
その現実を変えていくことのできる力(ちから)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。
たとえば、なにかの悩みがある。
どうしても解決(かいけつ)したい・・!
そんな時、創価学会の人たちは、「よし、創価学会の信心によって、必ず解決してみせる!」と決め、真剣にご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経をとなえていく。
ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。
そして、仏法の実践活動である創価学会の活動に挑戦していく。
そうしていった時、本当に悩みが解決していく。そして、より幸せになっていける!
また、なにかの夢や希望がある。
その時、創価学会の人たちは、当然、その夢や希望の実現のための具体的な努力はするとして、それにプラスアルファするかたちで、創価学会の信心に挑戦していく。
『必ず、この願いをかなえてみせる!!』と真剣にご本尊に南無妙法蓮華経をとなえ、仏法の実践である創価学会の活動にも、真剣に挑戦していく。
そうしていったとき、さまざまなことが積(つ)み重(かさ)なり、運を引き付け、まわりの人たちも味方(みかた)にして、本当に夢や希望をかなえることができていく。
それが、創価学会(そうかがっかい)の信心です。
どんな過酷(かこく)な運命であったとしても、どんな絶体絶命(ぜったいぜつめい)のピンチであったとしても、この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信心によって、『悩みを解決することが、できた!!』『夢や希望を、かなえることができた!!』と、歓喜(かんき)の声をあげることが、できる。
現実に、そうなっていけるのが、創価学会の信心です。
また、それが、創価学会の歴史です。
その、ひとりひとりが、悩みを解決し、夢や希望をかなえていった積(つ)み重(かさ)ねが、世界192カ国に広がる、創価学会になったわけです。
ノーマン・カズンズ博士が言うように、人間の精神には、原爆(げんばく)よりも強力な力がある。
また、池田先生が言うように、一人の人間の中には、宇宙大の力と智慧(ちえ)と可能性が秘められている。
その生命の無限の力を、自分の人生の中で開花させ、自分の生命で体験し、勝利と幸せをもって、味わっていけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!
ひまわりの種327 [世界]
世の中には、世界には、優秀(ゆうしゅう)な人がいる。
素晴らしい人がいる。
人道的(じんどうてき)に素晴らしいことをやっている人。
人間性が素晴らしい人。
素晴らしい才能と能力を発揮(はっき)して活躍(かつやく)している人。
世の中を変えるような発明や発見をした人。
どれも、これも、素晴らしいことであり、多いに尊敬すべきであり、賞賛(しょうさん)すべきだと思う。
けれど、本当は・・、それよりも素晴らしいことがある。
それよりも、讃(たた)えられるべきことがある。
それよりも、尊敬(そんけい)していかなければならないことがある。
それが、創価学会(そうかがっかい)の、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を実践し、その具体的な活動である、創価学会の活動を、真面目にやっている人たちです。
はっきり言えば、それは、究極(きゅうきょく)の正義(せいぎ)だからです。
究極の善(ぜん)であるからです。
人類と世界に幸せと平和をもたらす、究極の行動であるからです。
はっきり言えば、人類と世界を、根本から幸福に変えていける、これ以上の行動はないからです。
その人たちは、無名であり、名声も権力(けんりょく)もないかもしれない。
名もない庶民(しょみん)かもしれない。
けれど、根底(こんてい)から、確実に、着実(ちゃくじつ)に、世の中を良くし、幸せにしていく方法を知っている。
そして、それを実践(じっせん)している。
これ以上に尊(とうと)い行動があるだろうか・・・・!!
創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を行(おこな)っていくということは、実は、モノスゴイことなんです。
たとえば、地球は自転しながら、太陽のまわりを回っている。
それは、宇宙の、本源的(ほんげんてき)な法則(ほうそく)であり、力だと言える。
それと同じように、生命を、宇宙を、人間を、本源的な部分から幸せにしていく法則がある。力(ちから)がある。
その生命を、宇宙を、人間を、根本的な部分から幸せにしていく法則であり力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)です。
また、「南無妙法蓮華経」とは、地球が自転しながら太陽のまわりを回っているように、宇宙を動かしていく本源的な、究極の力(ちから)だとも言えます。
幸せをもたらす力、宇宙を動かしていく力・・!
それが、「南無妙法蓮華経」なんです。
そして、その「南無妙法蓮華経」を自(みずか)ら、となえて、仏法の実践活動である創価学会の活動をやっていくということは、宇宙を、世界を、人間を、幸せに変革(へんかく)し、幸せを現実にもたらしていくことになる。
それが、創価学会がやっていることです。
世界は、善と悪のせめぎ合いだとも言えます。また、世界は、幸せと不幸のせめぎ合いだとも言えます。
その中で、善の勢力(せいりょく)、幸せの勢力を、現実に増やし拡大(かくだい)しているのが、創価学会の人たちだと言えます。
また、世界に幸せの勢力を、どこまでも増やしていく力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。
世界の鋭(するど)い有識者たちは、そのことに気づいているから、創価学会に、最大の敬意(けいい)と賞賛(しょうさん)を贈(おく)っているわけです。
ある、世界の有識者が、創価学会のひとたちに向かって、言っていた。
「あなたたちは、自分たちが、どれだけスゴイことをやっているか、どれだけ素晴らしいことをやっているか、わかっていない・・・。」
確かに、創価学会の人たちは、そんな大げさなことは考えていない場合もある。
創価学会の理念(りねん)と目標が素晴らしいことはわかっているし、 それを目指(めざ)して、がんばっているとしても、日々やっていることは、地道で目立たないことが多いので、それほどスケールの大きいことは、あまり自覚(じかく)していないこともある。
けれど、その世界の有識者が言うように、創価学会の人たちがやっていることは、実は、スゴイことであり、素晴らしいことなんです。
もっとも、創価学会の人たちは、そんな大げさな自覚はないとしても、素晴らしい賞賛(しょうさん)がなかったとしても、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰と、仏法の実践活動である創価学会の活動を、喜々(きき)として行っている。
なぜなら、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践することは、実質的(じっしつてき)に、ものすごく価値(かち)のあることであり、ものすごい力(ちから)のあることだからです。
それだけの、ものすごい価値と力のあることをやっているのだから、幸せにならないわけがない!からです。
その南無妙法蓮華経の仏法を実践していった結果として、現実に、悩みを解決していけたり、夢や希望をかなえていけたりしてしまうからです。
結果が出てしまう。そして、最終的に、最高の勝利と幸せを勝ち取ることができる。
だから、創価学会の人たちは、喜々として創価学会の活動をすることができる。
また、それが、創価学会がやっていることが、どれだけ素晴らしいか・・!どれだけ偉大か・・・!どれだけスゴイことかの、実質的な証明(しょうめい)になっていると、言えると思います・・・。
素晴らしい人がいる。
人道的(じんどうてき)に素晴らしいことをやっている人。
人間性が素晴らしい人。
素晴らしい才能と能力を発揮(はっき)して活躍(かつやく)している人。
世の中を変えるような発明や発見をした人。
どれも、これも、素晴らしいことであり、多いに尊敬すべきであり、賞賛(しょうさん)すべきだと思う。
けれど、本当は・・、それよりも素晴らしいことがある。
それよりも、讃(たた)えられるべきことがある。
それよりも、尊敬(そんけい)していかなければならないことがある。
それが、創価学会(そうかがっかい)の、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を実践し、その具体的な活動である、創価学会の活動を、真面目にやっている人たちです。
はっきり言えば、それは、究極(きゅうきょく)の正義(せいぎ)だからです。
究極の善(ぜん)であるからです。
人類と世界に幸せと平和をもたらす、究極の行動であるからです。
はっきり言えば、人類と世界を、根本から幸福に変えていける、これ以上の行動はないからです。
その人たちは、無名であり、名声も権力(けんりょく)もないかもしれない。
名もない庶民(しょみん)かもしれない。
けれど、根底(こんてい)から、確実に、着実(ちゃくじつ)に、世の中を良くし、幸せにしていく方法を知っている。
そして、それを実践(じっせん)している。
これ以上に尊(とうと)い行動があるだろうか・・・・!!
創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を行(おこな)っていくということは、実は、モノスゴイことなんです。
たとえば、地球は自転しながら、太陽のまわりを回っている。
それは、宇宙の、本源的(ほんげんてき)な法則(ほうそく)であり、力だと言える。
それと同じように、生命を、宇宙を、人間を、本源的な部分から幸せにしていく法則がある。力(ちから)がある。
その生命を、宇宙を、人間を、根本的な部分から幸せにしていく法則であり力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)です。
また、「南無妙法蓮華経」とは、地球が自転しながら太陽のまわりを回っているように、宇宙を動かしていく本源的な、究極の力(ちから)だとも言えます。
幸せをもたらす力、宇宙を動かしていく力・・!
それが、「南無妙法蓮華経」なんです。
そして、その「南無妙法蓮華経」を自(みずか)ら、となえて、仏法の実践活動である創価学会の活動をやっていくということは、宇宙を、世界を、人間を、幸せに変革(へんかく)し、幸せを現実にもたらしていくことになる。
それが、創価学会がやっていることです。
世界は、善と悪のせめぎ合いだとも言えます。また、世界は、幸せと不幸のせめぎ合いだとも言えます。
その中で、善の勢力(せいりょく)、幸せの勢力を、現実に増やし拡大(かくだい)しているのが、創価学会の人たちだと言えます。
また、世界に幸せの勢力を、どこまでも増やしていく力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。
世界の鋭(するど)い有識者たちは、そのことに気づいているから、創価学会に、最大の敬意(けいい)と賞賛(しょうさん)を贈(おく)っているわけです。
ある、世界の有識者が、創価学会のひとたちに向かって、言っていた。
「あなたたちは、自分たちが、どれだけスゴイことをやっているか、どれだけ素晴らしいことをやっているか、わかっていない・・・。」
確かに、創価学会の人たちは、そんな大げさなことは考えていない場合もある。
創価学会の理念(りねん)と目標が素晴らしいことはわかっているし、 それを目指(めざ)して、がんばっているとしても、日々やっていることは、地道で目立たないことが多いので、それほどスケールの大きいことは、あまり自覚(じかく)していないこともある。
けれど、その世界の有識者が言うように、創価学会の人たちがやっていることは、実は、スゴイことであり、素晴らしいことなんです。
もっとも、創価学会の人たちは、そんな大げさな自覚はないとしても、素晴らしい賞賛(しょうさん)がなかったとしても、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰と、仏法の実践活動である創価学会の活動を、喜々(きき)として行っている。
なぜなら、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践することは、実質的(じっしつてき)に、ものすごく価値(かち)のあることであり、ものすごい力(ちから)のあることだからです。
それだけの、ものすごい価値と力のあることをやっているのだから、幸せにならないわけがない!からです。
その南無妙法蓮華経の仏法を実践していった結果として、現実に、悩みを解決していけたり、夢や希望をかなえていけたりしてしまうからです。
結果が出てしまう。そして、最終的に、最高の勝利と幸せを勝ち取ることができる。
だから、創価学会の人たちは、喜々として創価学会の活動をすることができる。
また、それが、創価学会がやっていることが、どれだけ素晴らしいか・・!どれだけ偉大か・・・!どれだけスゴイことかの、実質的な証明(しょうめい)になっていると、言えると思います・・・。
ひまわりの種326 [悩み]
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。
『人が同情(どうじょう)してくれない。理解してくれない。
- - - あまりにも、ちっぽけなことである。
正々堂々(せいせいどうどう)と、汝自身(なんじじしん)に生き抜(ぬ)き、祈りと行動で、この人生を飾(かざ)っていただきたい!諸天善神(しょてんぜんじん)を揺(ゆ)り動かしていく、自分自身になっていただきたい!』
ちなみに、池田先生が言う『祈り』とは、世間一般的な葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教の祈りではなく、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうけんげきょう)をとなえて祈る、『祈り』のことです。
また、『諸天善神(しょてんぜんじん)』とは、自分を守ったり、助けたり、人生を導(みちび)いてくれるような、あらゆる働(はたら)きをいい、 諸天善神となるのは、人であったり、さまざまな環境や状況(じょうきょう)であったり、さまざまな運(うん)であったり、人生におこるさまざなな事柄(ことがら)が、自分にとっての諸天善神になっていきます。そういう自分に幸せをもたらす、あらゆる働きを『諸天善神』と言います。
人が同情してくれない。理解してくれない。そんなことは小さなこと。とるに足(た)らないこと!!そんなことは、大きく見下(みお)ろして、自(みずか)らの、南無妙法蓮華経をとなえる祈りと、行動によって人生を飾(かざ)っていく・・!
すなわち、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、自分自身を太陽と輝(かがや)かせる!
自分自身が太陽と輝いたならば、人がどうあろうと、もう関係ない!!
なぜなら、自分自身が、もう、輝いているのだから・・!
もう、自分自身から光が発(はっ)せられているのだから、人が同情してくれなかろうと、理解してくれなかろうと、関係ない。逆(ぎゃく)に、自分自身の輝きの光によって、周りの人々、環境(かんきょう)や世界に光をあて、輝かせ、幸せにしていくことができる。
それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です。
自(みずか)らが、主体(しゅたい)となって、一国の王のように、人生に立ち向かい、そして勝っていく。それを可能にするのが、南無妙法蓮華経をとなえることを根本(こんぽん)とした、創価学会の信仰であり、活動です。
そして、池田先生が言うように、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を根本にして、人生に立ち向かっていったとき、南無妙法蓮華経は、あらゆるものを動かしていく力、あらゆるものを幸せにしていく力、あらゆる幸せを自分に引きつけ、引き込(こ)んでいく力(ちから)なので、結果として、必ず幸せになっていく。
また、南無妙法蓮華経は、あらゆるものを変革(へんかく)していく力なので、自分自身が大きく変わり、より良く境涯革命(きょうがいかくめい)していくことができる。
そうなれば、さまざまな悩みを解決することができるし、あらゆる困難(こんなん)も乗り越(こ)えていくことができる。そして、夢や希望をかなえていける自分になっていくことができる。
それとともに、さきほど言ったように、南無妙法蓮華経は幸せをもたらす力なので、「運(うん)」が自分に引き寄(よ)せられ、幸せをつかむ上で、とても重要(じゅうよう)だと言える、ラッキーや運をつかむことができる。
だから、人が同情してくれなくても、理解してくれなくても、関係ない!!
自分自身が、この創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰によって、自(みずか)らが輝き、自らの運命を切り開き、一国の王者のごとく、 あらゆる幸せのエネルギーを引き寄(よ)せ、人生を勝利していける。
それが、自分自身の祈りと行動によって、最高の人生、最高の勝利をつかんでいける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです・・・!
『人が同情(どうじょう)してくれない。理解してくれない。
- - - あまりにも、ちっぽけなことである。
正々堂々(せいせいどうどう)と、汝自身(なんじじしん)に生き抜(ぬ)き、祈りと行動で、この人生を飾(かざ)っていただきたい!諸天善神(しょてんぜんじん)を揺(ゆ)り動かしていく、自分自身になっていただきたい!』
ちなみに、池田先生が言う『祈り』とは、世間一般的な葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教の祈りではなく、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうけんげきょう)をとなえて祈る、『祈り』のことです。
また、『諸天善神(しょてんぜんじん)』とは、自分を守ったり、助けたり、人生を導(みちび)いてくれるような、あらゆる働(はたら)きをいい、 諸天善神となるのは、人であったり、さまざまな環境や状況(じょうきょう)であったり、さまざまな運(うん)であったり、人生におこるさまざなな事柄(ことがら)が、自分にとっての諸天善神になっていきます。そういう自分に幸せをもたらす、あらゆる働きを『諸天善神』と言います。
人が同情してくれない。理解してくれない。そんなことは小さなこと。とるに足(た)らないこと!!そんなことは、大きく見下(みお)ろして、自(みずか)らの、南無妙法蓮華経をとなえる祈りと、行動によって人生を飾(かざ)っていく・・!
すなわち、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、自分自身を太陽と輝(かがや)かせる!
自分自身が太陽と輝いたならば、人がどうあろうと、もう関係ない!!
なぜなら、自分自身が、もう、輝いているのだから・・!
もう、自分自身から光が発(はっ)せられているのだから、人が同情してくれなかろうと、理解してくれなかろうと、関係ない。逆(ぎゃく)に、自分自身の輝きの光によって、周りの人々、環境(かんきょう)や世界に光をあて、輝かせ、幸せにしていくことができる。
それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です。
自(みずか)らが、主体(しゅたい)となって、一国の王のように、人生に立ち向かい、そして勝っていく。それを可能にするのが、南無妙法蓮華経をとなえることを根本(こんぽん)とした、創価学会の信仰であり、活動です。
そして、池田先生が言うように、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰を根本にして、人生に立ち向かっていったとき、南無妙法蓮華経は、あらゆるものを動かしていく力、あらゆるものを幸せにしていく力、あらゆる幸せを自分に引きつけ、引き込(こ)んでいく力(ちから)なので、結果として、必ず幸せになっていく。
また、南無妙法蓮華経は、あらゆるものを変革(へんかく)していく力なので、自分自身が大きく変わり、より良く境涯革命(きょうがいかくめい)していくことができる。
そうなれば、さまざまな悩みを解決することができるし、あらゆる困難(こんなん)も乗り越(こ)えていくことができる。そして、夢や希望をかなえていける自分になっていくことができる。
それとともに、さきほど言ったように、南無妙法蓮華経は幸せをもたらす力なので、「運(うん)」が自分に引き寄(よ)せられ、幸せをつかむ上で、とても重要(じゅうよう)だと言える、ラッキーや運をつかむことができる。
だから、人が同情してくれなくても、理解してくれなくても、関係ない!!
自分自身が、この創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰によって、自(みずか)らが輝き、自らの運命を切り開き、一国の王者のごとく、 あらゆる幸せのエネルギーを引き寄(よ)せ、人生を勝利していける。
それが、自分自身の祈りと行動によって、最高の人生、最高の勝利をつかんでいける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです・・・!