ひまわりの種323 [悩み]

人気のあるアニメで、「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメがあります。

この物語は、魔法(まほう)少女に対するあこがれを、逆手(さかて)にとったようなダークな内容ですが、通称(つうしょう)キュウべえという宇宙生命体が、 少女に、どんな願いでも、ひとつだけ叶(かな)えてあげるかわりに、魔法少女となって、魔女と戦ってほしいという契約(けいやく)を結(むす)ぶ物語で、少女たちは、自分の願いをかなえるために、魔法少女となって、魔女たちと戦うことになる。

魔法少女となったものは、魔女の呪(のろ)いを受けることになり、ほっておいたら、その魔女の呪いによって、自分が死んでしまうことになる。けれど、魔女を倒すと、ある種の生命を浄化(じょうか)するアイテムが手に入り、そのアイテムによって、自分の生命を浄化して、生きながらえることができるという話しです。

だから、魔女と戦い、魔女を倒(たお)すしかない・・。それでも、このアニメの中で、魔女は、呪(のろ)いによって、人間の命を奪(うば)う、悪そのもののような存在なので、魔法少女たちは、その悪である魔女を倒して、人々と、この世界を守るという正義(せいぎ)と使命感(しめいかん)があり、それが、彼女たちの支(ささ)えになっていた。

けれど、魔法少女たちは、やがて、その悪そのものである「魔女」が、実は、魔法少女のなれのはてであることを知ってしまう。魔女とは、実は、魔法少女の生まれ変わりであり、魔法少女たちは、魔女の呪いによって、最終的には、「魔女」になってしまう。

すなわち、自分たちは、世界のため、人々のためと思い、正義と希望をいだいて魔女と戦ってきたのに、結局(けっきょく)、自分たちが、人間を呪い、殺していく魔女になることがわかってしまい、正義と希望が、完全に打ち破(やぶ)られてしまう。そして、魔法少女たちは、絶望(ぜつぼう)していく。

そして、最後の最後、魔法少女になることを拒(こば)んでいた、マドカは、魔法少女となることを決断する。


ひとつの願いと、ひきかえに・・・。


その「マドカ」が叶(かな)えてほしい願いとは、「過去から現在にいたるまで、魔法少女から魔女が誕生する前に、すべての魔女を消滅(しょうめつ)させてほしい!!」・・ということだった。

そうなれば、魔法少女たちは、自分が死ぬ時に、自分が魔女になるという絶望をいだかず、希望と正義をもって、安らかに死んでいける・・。

「魔法少女たちの希望と正義を奪(うば)わないでほしい・・」

それが、マドカの願いだった・・。

そのマドカの願いは、かなえられるが、その願いがあまりにも壮大(そうだい)であるため、マドカは、人間としての個体を保(たも)つことができず、宇宙のある種の法則(ほうそく)、概念(がいねん)となって、宇宙の中に溶(と)けこんでいく。


マドカは、いわば、魔法少女の希望となって、宇宙に消えていった。


そうして、魔法少女たちは、絶望をいだくことなく、死んでいけるようになっていく。


絶望から、希望へ。

マドカの願いは、この絶望を消し去り、希望を生み出すことだったのかもしれない。

あらゆる人々の中から、絶望を消し去り、希望を生み出す・・・。

わかりやすい譬(たと)えだから言うのだけれど、創価学会(そうかがっかい)の人々がとなえている、『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』とは、そういう力(ちから)だと思う。

すべての人の中から、絶望を消し去り、希望を生み出してしまう!

それが、『南無妙法蓮華経』の力です。

だから、創価学会の人たちは、『南無妙法蓮華経を、となえる!』ことによって、どんな苦難(くなん)も乗り越(こ)えていくことが、できる。どんな絶望も打ち破(やぶ)り、希望を生み出し、そして人生に勝っていける。

南無妙法蓮華経をとなえることは、無限の希望をもたらすので、結果として、それは、自分のさまざまな夢や希望も、かなえていけるようになっていく。

南無妙法蓮華経の力は、計(はか)り知れないので、それだけではないけれど、希望を生み出す力、絶望を打ち破る力が、南無妙法蓮華経だと言えます。


話しは少し変わりますが、このアニメのストーリーの中で、「祈れば祈るほど、呪(のろ)われていく・・」というような表現がでてくる。

確かに、デタラメな宗教、間違(まちが)った宗教においては、そう表現(ひょうげん)しても、いいかもしれない・・。

間違った宗教、デタラメな宗教に祈るということは、その間違った宗教、デタラメな宗教に、自分の生命と人生を、ささげていくことになる。

間違った、デタラメの宗教に、自分の生命と人生をささげていったならば、当然(とうぜん)の結果として、自分の生命と人生は、間違った、デタラメなものになっていく。

自分の生命と人生が、間違ったデタラメなものになっていったならば、その結果として、さまざまな不幸が、もたらされてしまう・・!ということです。

だから、それは、結果として、「祈れば祈るほど、呪(のろ)われていく」ということになってしまう。

それが、間違った宗教、デタラメな宗教というものです。

そして、その間違った宗教、デタラメな宗教が、日本にはびこっている、葬式仏教(そうしきぶっきょう)や神社信仰、観光宗教などです。


それとは逆(ぎゃく)に、『祈れば祈るほど、幸せになっていく!』『祈れば祈るほど、希望を生み出していける!』のが、さっきも言ったように、創価学会の人たちが実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。


南無妙法蓮華経とは、希望の法則なんです・・!


間違った宗教、デタラメな宗教のように、祈れば祈るほど、不幸になっていくようなことは、あってはならない!

本当に幸せになっていける宗教。本当に悩みを解決していける宗教。本当に希望をかなえていける宗教が求められる。

それが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。


このアニメで、まどかは、魔法少女たちの絶望を消し去り、希望となった。それは、アニメの中の話しだけに、あまりにも壮大(そうだい)で、宇宙規模(きぼ)の物語だけれども、それと同じように、壮大なエネルギーが、ぼくたち人間の中にもある!!

その壮大な希望のエネルギー・・!

それが、『南無妙法蓮華経』だと言える。

絶望を打ち砕(くだ)き、希望を生み出す、壮大(そうだい)な壮大な、希望のエネルギーが、『南無妙法蓮華経』だと表現できます。

だから、ぼくたちが、南無妙法蓮華経をとなえる時、ぼくたちの中から、その壮大なエネルギーが湧(わ)き上がってくる。それは、人間が持っている本源的(ほんげんてき)なエネルギーとも言えますが、その人間が本来(ほんらい)持っている本源的なエネルギーが湧(わ)き上がってくるから、悩みを解決していけたり、困難(こんなん)を打開(だかい)できたり、夢や希望をかなえていけたりするわけです。そして、幸せと勝利をつかんでいける・・!!


あえて、譬(たと)えるならば、アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の中で、マドカが、 自(みずか)ら、宇宙の力、宇宙の法則(ほうそく)となって、宇宙をかけめぐり、魔法少女たちの絶望を消し去り、希望を生み出していったように、ぼくたちが、南無妙法蓮華経をとなえる時、宇宙の希望のエネルギーが、ぼくたちの生命の中を、かけめぐる。

そして、絶望を消し去り、希望を生み出していく。

その本源的で、宇宙的とも言える、幸せのエネルギーであり希望のエネルギーが、『南無妙法蓮華経』であり、絶望を消し去り、希望を、どこまでもどこまでも開花していける方法が、創価学会の人たちが実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです。


それは、あたかも、
アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の中で、マドカが、魔法少女たちの絶望を消し去り、希望を生み出していったように・・・。

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